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2014年8月16日 (土)

水星交響楽団 マーラー交響曲第9番      そして、一橋大学管弦楽団におけるマーラー9番の継続演奏の歴史について

一橋大学管弦楽団の出身者を中心に1984年に結成された
 水星交響楽団の創立30周年記念特別演奏会を聴いた。

 会場は たましんRISURUホール(立川市民会館)

指揮は創立からずっと振っている京都大学で音楽学を、
国際基督教大学大学院で美術史学を学び、その間、
尾高忠明、田中一嘉、円光寺雅彦氏に指揮法を学んだ
 齊藤栄一さん

マリンバのソロは 山本 勲さん

曲は

1.伊福部 昭 オーケストラとマリンバのための
   「ラウダ・コンチェルタータ」

2.マーラー 交響曲 第9番


今年、生誕100年の伊福部さん。
オケのオスティナートという伊福部節が続く。
マリンバのソロは ほぼ叩きっぱなしで大変だ。
1965年生まれのソリスト 山本さんはアマチュアだが、
高校生のころからパーカッショニストとして豊富な
活動歴を持つ人。熱演だった。

その他、オケではオーボエで笙のような効果を出して
いる部分もあって興味深かった。


後半のマーラー

速めのテンポ。楷書的。古典のよう。
「ため」をほとんどしない指揮者

冒頭のホルンの低音のミスはやむを得ない。
ホルンは後半合奏としても良くなった。
バスクラが大きな良い音で吹いていた。

第3楽章がデキとしては全体的には良かっただけに、
練習番号37の少し手前のトランペットソロの不完全さが
惜しまれる。

第1楽章の終わり近く、
 「Plötzlich bedeutend langsamer (Lent) und leise」と
標記された室内楽的な15小節間におけるフルートソロの
  「硬さ」や、この第3楽章のトランペットの不不正確さを
考えると、指揮者の速めによるテンポ設定の問題に加え、
全体における「レガートの無さ」ということに原因があるか
と推測できる。

終楽章。終わり近くのチェロのソロ、素晴らしかった。
エンディングのヴィオラパートも、先日の中央区交響楽団
ほどはたっぷりとはしていなかったものの、
適度なニュアンスでまあまあ良かった。

ところで、ファーストヴァイオリンの客席側の一番後ろ
 =5プルトの表側にいた男性奏者が、
コンマスを上回る大きな動きでの演奏していたのが印象的。
一番後ろの奏者が全力で演奏しているように見える
こと自体、好ましいことだ。
 「そうでないオケ」がプロも含めて圧倒的に多いから。


プログラムが面白い。
一橋大学オケと9番の関係、初めて知った。

読み物として面白い。1曲目も含めていずれも長文で
 「熱い」内容だが、これでよい。

プログラムを簡素に抑える傾向がプロアマ問わずある
ようだが、ナンセンスだ。
事務的なありきたりのプログラムなんて面白くないし、
たいして意味は無い。
読み応えのある内容なら、長くて全く構わない。

また、プログラムの最後に、二足歩行の珍獣?のデッサン画
において、
 「最後の沈黙は拍手のフェイントなしに じっくり味わって
  欲しいっきょ」、としているのが面白い。
もちろん、意図はよく解る。


この内容を受けて、下記を書いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  マーラーの第9 あれこれ

1.一橋大学とマーラーの9番

水星交響楽団は、一橋大学の管弦楽団を母体とした団体
だが、先日のプログラムを読んで知り、驚いたのだが、
同大学では30年前~未だプロオケでもごくわずかしか演奏
されていなかった~マーラーの9番の熱烈なファンのよる
発案がきっかけとなり、その後、
 (水星が発足する前)OBで
「国立(くにたち)マーラー楽友協会管弦楽団」を立ち上げて
 マーラーの交響曲第9番を演奏し、その後、
 くにたちで「年末の第九」と言えば
 ベートーヴェンではなく、マーラーの9番、というほど
 定例化して継続演奏されて来ているのだという。

一橋大学の学生オケでももちろんその流れがあり、
4年間で必ず1回は演奏するそうだし、ことによったら
数回の経験をすることもある、いや、
 「4年かけて一人前のマラ9弾きになる、という
  至上命題を課せられる」のだという。

いうまでもなく、これは異例の凄い事だ。

今でこそ、プロオケは無論、アマオケもトライしてくる
オケが増えているにしても、技術的には6番、7番とともに
最上級難度の曲だし、とにかく精神的に「深い」曲を
アマチュアが経験を積むほどに演奏している団体、地域
がある、ということに驚く。今後も注目に値することだと思う。

そういえば、私の従弟は長野県の名門校 松本深志高校
から一橋大学に進み、クラシック音楽も好きだが、
このことを知っているのだろうか?
久しく会っていないので、今度訊いてみよう。

 2.第1楽章と終楽章の評価について
   ~宇野功芳さんと佐藤眞さん

ところで、第1楽章については、初演直後からすこぶる
評価が高く、ベルクやウェーベルンなどウィーンの「後輩」らも
絶賛している。
美しさと構成力の点で、他の作曲家も含めて、
交響文献史上、最も偉大な楽章の1つである点で
異論ない人は多い。私もそう。

第2楽章と第3楽章は、
 「まあ、ユニークだし、あってもいいけど無くてもね」
程度かもしれない。

問題は終楽章で、私も含めて
 「第1楽章とともに偉大な楽章」と思う人はむろん多いが、
そうでない人もままいる点で第1楽章と事情が異なるようだ。

例えば、宇野功芳さん(ご存じ面白い評論家)と佐藤眞さん
 (「蔵王」などで有名な作曲家)との対談で、
2人はやはり第1楽章の素晴らしさに言及するものの、
終楽章は評価していない。
  「くだらない」とさえ言っているので驚く。

確かに素材も手法も単純かもしれないが、
 あの「全ての終わりであると同時に天国への入り口」の
 ようなエンディングは空前絶後だと思うし、
やはり偉大な曲だと私はもうのだが、
その対談を読んでいて思ったのは、
 「直接、弦楽器を演奏する人(or経験者)と、そうでない人の
  感性の違いかなあ」ということだ。

あの第4楽章=終楽章は、冒頭からして弦楽器奏者冥利に
尽きるほど魅力的に開始するし、終始、
 「弦による熱いフレーズ、熱い歌」が連続するのだが、
そうした弦楽器固有の面白さに魅せられていないと、
終楽章の評価が分かれるのかも、と感じたのだが、
でも、たとえ直接の演奏経験がなかろうと宇野氏や
特に佐藤氏がそれを理解できないとはとても思えないので、
あの「終楽章に対する軽蔑発言」はとても意外だったし、
残念に思う。

お2人がブルックナーの8番の第3楽章アダージョを
評価することには同感で、素晴らしい楽章だが、
それに比べて、マーラーの9番のアダージョが「劣る」とは
私にはとても思えない。

お2人はそれぞれ尊敬しているが、
マーラーの9番の終楽章に関する意見に対しては
まっこう反対したい。

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