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2014年3月 5日 (水)

小林沙羅さん 初CD「花のしらべ」 リリース   完成度の高い歌唱 意欲的で充実した成果

若手で活躍するソプラノ歌手の小林沙羅さんが
待望のCDデビューをされた。
それも歴史ある日本コロンビアからなのが嬉しい。

かつては鮫島有美子さん、最近では幸田浩子さんが
新譜を重ねているし、ピアノの田部京子さんも20年来、
レコーディングしてきている同じ会社からのリリース
ということで、めでたいことだ。

初CDは 「花のしらべ」 と題されているように、
ドイツ語、イタリア語、そして日本語の歌曲のそれぞれに
おいて、「花」にちなんだ歌曲を全18曲集めており、
その最後に自作の「えがおの花」を置いている。

若い歌手の初アルバムだから、慎重に丁寧に真剣に感想を
紡ぎだしたい。
もちろん、お世辞言ってもしょうがないので、
率直な感想を記したい。


曲目列記の後、まず個別の感想を書き、
その後で全体の感想を記す。

なお、CDは通常盤のほか、ミニ・フォト集と
 自作「えがおの花」の朗読ヴァージョンCDを加えた
初回限定のボックスものの2種リリースされ、
おめでたい事なので私は2種購入した。

最後にボックス盤のミニ・フォトの感想も少し書きたい。


収録曲

1.シューベルト 野ばら

2.モーツァルト すみれ

3.シューマン ジャスミンの茂み

4.  同   蓮の花

5.  同   春が来た

6.  同   きみは花のよう

7.山田耕筰 からたちの花

8.中田喜直 さくら横ちょう

9.別宮貞雄 さくら横ちょう

10.トスティ バラ

11.レスピーギ 最後の陶酔

12.ヨーゼフ・マルクス そしてきのう彼は私にバラをくれた

13.リヒャルト・シュトラウス ≪乙女の花≫
 (1)矢車菊
 (2)けしの花
 (3)きづた
 (4)睡蓮

14.菅野よう子 花は咲く

15.小林沙羅 えがおの花

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    個別の感想

1.野ばら
意欲的な出だし。明瞭で美しい響きのドイツ語、
数小節単位で変化するトーン、流麗な運び。
やや気負い過ぎの感もあるが、実に音楽的。

ただ、この曲を可愛らしい小品とイメージしている人には
違和感はあるだろう。
冒頭に意欲的と書いたが、鬼気迫る感じすらする。
それでも、この曲での彼女の歌唱は説得力がある。
この詩は決して可愛らしいだけのメルフェンではないからだ。
 言葉では、
1番歌詞では、「War so jung」の jung のアクセントが深みが
 あって良い。Freuden の発音も美しい。
2番歌詞での「steche」ではほんのわずか「st」=シュの音が
 足りない感じもするが、
3番歌詞中の「stach」の発音は素晴らしい。

その3番歌詞では、冒頭の「Und der wide Knabe brach」の
発音は素晴らしい。
特に「Knabe」の「Kna」と「brach」の「bra」の発音が。


 森島さんのピアノ演奏が、たびたびの一瞬の溜めといい、
 ニュアンス、アーティキィレーション、アゴキグの妙が
 実に素晴らしい。最高級の素敵なピアノ演奏。
 これは以下全てで言える。
 素晴らしい奏者を得てのレコーディングだ。

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2曲目の「すみれ」にも1曲目で書いたことは共通するが、
 いわゆる3番の歌詞の部分が一番良い。
 具体的に見ていくと、
1番歌詞では1行ずつを丁寧に歌っている分、
これから物語が始まりますよ、というニュアンスはやや弱い。
全体として少し硬い。真面目過ぎる感じがある。

2番歌詞では中間部の「Ach」という、
 「魔笛」のパミーナのアリアを想像させる部分は、
 控えめながら感情移入はうまい。

3番歌詞での歌唱がとてもがうまい。
 「Ach!からfreu! sich noch」まではオペラの
レスタティーボのように語りができているし、それに続く
 「Und sterb’ ich denn」からの歌として歩み出す
その切り返しも とても巧い。

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3からのシューマン
まず、ジャスミンの香り 曲としてなかなか良い小品。
schneeweiß の発音というかニュアンスがうまいし、
Seht, の強調がとても良い。

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4.蓮の花
ゆったりとした旋律自体は単調な曲なので、
かえって難しい曲かと想う。
清らかな歌い出し。語尾のht の子音を丁寧にキチンと発音
している。
中間部~Der Mond,から始まる2番歌詞での歌唱が
特に良い。
3番歌詞で、ピアノの動き出しに乗って
情感が動き出すところも見事。

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5.春が来た
短い曲だが、曲想の変化が細やかな曲。
Land の発音の明瞭さ、Süßeの発音の正確さ、
schonの発音の美しさなどが印象的。
Horch, からの3番歌詞ではレスタティーボ的な曲想に
うまく感情移入できていて、
特に 「ja du bist’s!」 の部分は素晴らしい。

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6.きみは花のよう
ゆったりとした曲だが、しっとり感が素敵だ。
清潔感と憧れの情感の2つが併存する。
丁寧な歌唱から誠実さが感じられてすこぶる感動的な歌唱。

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7.山田耕筰 からたちの花
太めのしっかりとした声による情感たっぷりの歌唱で、
その点では「他の誰よりも立派な歌唱」ではあるが、
言葉に色を付け過ぎていると言えなくもないかもしれない。
日本歌曲というよりオペラアリアを想像してしまうからだ。

これは北原白秋の詩が、「咲いたよ」、「道だよ」と、
 「たよ」、「だよ」と続くので、
これを独り言のように歌うか、
他者への伝達のように歌うかで、
抑揚の幅というか、言葉への感情移入の度合いに違いが
生じることのよるものかもしれない。

沙羅さんは明らかに後者を選択しているが、
前者のアプローチからによる場合はまた違ったニュアンスも
出てくる、そういう曲かもしれない。

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8、9はいずれも知の巨人だった加藤周一さんによる
  ~そういう意味では意外な~
 抒情的な詩 「さくら横ちょう」 に基づく歌曲が続く。

8は中田喜直さんによるもの。
終わり近く、「花でも見よう」の「よう」の部分の
カデンツァ風な歌いが素敵。

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9は別宮貞雄さんによる「さくら横ちょう」はもっと暗い曲想で
開始する。
すこぶる感動的な歌唱で、「からたちの花」同様、
アリア的な歌唱ではあるのだが、この曲では
 言葉と音との関係が緊密で有機的に流れていき、
 語りの要素が音楽として昇華されている、というか、
 言葉と旋律の展開が内面に深い感動とドラマを秘めたまま
 なされていくのだが、それを、じっくり、しっとりと歌っていく
 沙羅さんの歌唱は見事としか言いようがない。

 このアルバム(CD)の白眉の1曲。

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10のトスティ バラ
イタリア語の歌が2曲続く。メゾに近い声で気品ある歌唱。
Fugge l’amore! Fuggon le splendide sere d’aprill! の
部分は特に素晴らしい。

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11のレスピーギ 最後の陶酔
アリアのように流麗に歌っている。
単語の発音の明瞭さはドイツ語に比べてやや曇りがちな
気もするが、低音の充実と高音での輝かしさの両方を
瞬時に使い分けて歌っていく技術は見事。

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12からは再び沙羅さんの得意なドイツ語の歌が続く。
 ヨーゼフ・マルクス そしてきのう彼は私にバラをくれた
ピアノが躍動する曲で、歌もそれに乗り大きな振り幅を
持った曲。
 ach, käm’ er zu mir! のmirの部分でのcisの音から
 上の a の音への6度跳躍が美しく、素晴らしい。

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13.リヒャルト・シュトラウス ≪乙女の花≫ の4曲は、
技術的にも詩の内容的にもいわば「大人の曲」というところ。

 (1)矢車菊
短か目の曲だが、ピアノがシンコペーションを多用する中、
歌のパートも音の上下の行き来が忙しい曲で、
きっと歌うに難しい曲と想像できる。
最後の und vol Milde が丁寧に歌われていて印象的。

 (2)けしの花
この曲もピアノが細かく忙しく動く曲。
歌もレスタティーボ的な語りの要素が強い曲。
最後の1行の aufflammend auseinander が見事。
巧く収めている。

 (3)きづた
一転して しっとりとした曲。ここでも低い音と高い音で
発声を丁寧に歌い分けている。
例えば、liebend での急な高音も自然に歌われる。
各フレーズをキチンと歌い継ぐことで、
詩の情感が自然と溢れ出てくる、そういう歌唱。

 (4)睡蓮
単語の数からしても4曲中最も大規模な曲だが、
派手さは無い。キラキラするピアノの曲想に乗って、
沙羅さんは1行1行を丁寧に歌っていく。
声、発音、感情移入のバランスが素晴らしく、
総合的な歌唱力を呈示して見事。
この若さで、この完成度の高さは信じがたいほどで、
実に素晴らしい。

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14.菅野よう子 花は咲く
今や有名な曲。1つ前の曲と一転して、この曲では
良い意味で 「別の人?」 と思うくらい違うアプローチで
歌い出される。
すなわち、「睡蓮」を濃厚な感情を込めて歌ったのに対して、
この曲ではピュアな日本語の発声で歌い出す。
同じ日本語の歌でも、山田耕筰の歌曲の歌い方は選ばない。
純歌曲で採ったアプローチではなく、

この曲がどういう意味を持つ曲なのかを考えたところから
出発している、よく考えられた、それでいて
初々しく清らかな声で歌う。

よって誤解を恐れずに言えば、誰よりも良い意味で
 「模範的な歌唱」だ。

この曲自体は、私には正直やや食傷気味なのだが、
沙羅さんが歌うと、
 まるで今、曲が生れ出てきたばかりであるかのような、
 新鮮な歌として歌われているのだ。

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15.小林沙羅 えがおの花
自作による作詞作曲。昨年、ウィーンでいっとき体調を崩し、
1週間ほど歌えない時期に、
 「ずっと考えて来たこと、うまく言葉にできないでいた
  強い思いがあふれ出て、この歌が生まれた」と記し、
 「私にとってこの歌は、生涯をかけたテーマソングになると
   思います」、と書かれている。

メロディも素直で美しく、
沙羅さんが「歌の力を信じている」ということが伝わってくる
素敵な歌であり、歌唱だ。


  個別の感想としては以上。

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  全体の感想のまとめ

全体を聴き終え、深い感慨を覚え、感銘を受けた。

若い時期に、これだけ完成度の高い歌曲集を録音したことに
率直に驚く。
曲によっては、やや気負い過ぎな印象を受ける歌唱もあるが、
それは真剣勝負の意志的な思いからに他ならないし、
何より若い歌手の初アルバムに熟成した安定など
求める必要などないのだから、
このパワーに満ちたアルバムの魅力を率直に喜びたい。


個別に書いたとおり、まずドイツ語の歌曲が6曲続くが、
どれも母音と子音の区別、強弱、トーンの変化、ディクション、
ニュアンスなどが結構細やかに行き来する曲なので、
相当に高度な技術を要する曲が続いているはずで、
 失礼ながらウィーン留学前の沙羅さんは
ここまで歌えなかったに違いない。

留学の成果が私のような素人でも見て、聴いてとれる。

冒頭、ここまで「鬼気迫る」「野ばら」はかつて無かったに
違いない。
 「からたちの花」は、人によっては
 「いくらなんでもオペラティック過ぎる、アリア的過ぎる」
と言うかもしれないし、それはあながち間違いではないかも
しれないが、その内的なドラマに重点を置いた歌唱は、
例えば別宮貞雄の「さくら横ちょう」で大いに生きることになる。

別宮の「さくら横ちょう」に聴くドラマ性は、
強い感動が内在されたところから発するもので、
静寂なピアノに乗った艶やかな声が凛として
聴く人の心に入ってくる。

それは後半のリヒャルト・シュトラウスの4曲にも言え、
明瞭でクールな響きと、感情移入のバランスも
良いかたちで歌われ収録されている。

歌手はたぶん誰も技術的コントロールと感情移入の
バランスに苦心されるのだろうが、
沙羅さんはこのアルバムでそれを巧みに解決している
だけでなく、強弱やトーンの変化を色づけていくことで、
曲の魅力を引き出し、
結果、歌手 小林沙羅としての魅力を紡ぎだしているのだ。

素直な発声、伸びやかで艶やかなそれでいてピュアな声。
何より意欲的意志的な思いの表出、表現。

このアルバムでの中で、
小林沙羅さんは聴く人に多くを発信している。
 「どうぞ聴いてください」、そして、
 「あなたも私に何か語ってください」、
と問うているようでもある。

可憐な声が基盤に在るには違いないが、
単にキレイな声ねとか、よく歌えてるね、とかいう感想
だけでは足りない、たくさんの問いかけを発信している
アルバムなのだと想う。

人によっては、深い感動や慰めを感じ、
また人によっては「大人のニュアンス深い表現が足りないとか、
 熟した歌が欲しいとか、技術を出し過ぎとか」
などと思ったりするかもしれないが、いずれにしても、
到底無視できない果敢な挑戦意欲に満ちたアルバムである点に
誰も異存は無いだろう。

今後年齢を重ねることで、更に円熟した歌唱、上記で言う
「大人のニュアンス」等の表現は可能となることが
私にはこのアルバムから既に見えている。

それはともかく、この初アルバムで、小林沙羅さんが、
今、自分が歌いたい歌を自在に自発的に歌い語りかけてくる
ことで、聴き手はこの時代に歌を聴くことの意味を
自然と考えるようにさえなる、
そんな抗し難い魅力に満ちたアルバムとなっている。
一人でも多くの人に聴いて欲しいと心から思う。

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  ボックス盤について

ボックスの表写真だが、ややキツイ表情をしている写真で、
カメラマンの意図なのだろうが、
私は通常盤のプロフィール写真の表情のほうが好きだし、
ボックス盤用のジャケットのフォトとしても、個人的には
私としては、優しくニコリとした表情の写真を使って欲しかった
と思う。

ミニ・フォト集自体は嬉しい企画だが、その写真についても、
紙質の関係もあってか、全体としてわざとボカした感じの写真
となっているので、ファンタジーは感じるものの、
鮮明でない点で正直、私はやや不満を覚える。

写真家でない私がこう言うのもなんだが、
チャーミングこの上ない沙羅さんという「せっかくの素材」を
その美質を 「生かしきれていない」 感じがしてしまうのだ。

もし私が担当デザイナーか写真担当者なら、
ボカした質感は選択しない。
あくまでも正攻法で鮮明な質感により沙羅さんの写真を撮る。

リリースに際してもちろん沙羅さんご本人がOKされたのだから
これ以上の言及は避けるが、
それでも、ボックス盤の写真(集)に関しては
 「私なら、もっと違うアングルと表情を、鮮明な質感で
  撮っただろうな」
という感想を持つ。
もちろん、これは あくまでも私の個人的主観に過ぎない。

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  もう一度 最後にまとめとしての 小林沙羅 賛

全体のまとめの冒頭に書いたとおり、若い時期に、
これだけ完成度の高い歌曲集を録音したことに率直に驚く。

瑞々しく可憐でしかも憂いと強さも在る声を基盤として、
それだけで終わらすことはしていない。

彼女の最強の利点と特徴は、熱心な研究と集中力から
生じる誠実さという点だ。

1曲1曲、あるいはこのCDに限らず、コンサートにおいても
1回1回、果敢に挑戦し、新曲をどんどん吸収していく好奇心と
チャレンジ精神に満ちた活動を日ごろされていて、
その結実の成果がこのCDに収録されたと言うべきだろう。

止まる事の無い研究意欲、曲に対する探求と鍛錬。
私はそれを強く感じるが、もちろん彼女はそうした
学究的な面を強調したいわけでないだろうし、実際、
あくまでも心の表現としての歌を聴かせてくれている。


沙羅さんはコンサートの後の対応なども含めて、
普段からまったく飾り気のない、フレンドリーな対応を
誰にでもする。

沙羅さんは決してファンとの間に「壁」を作ったりはしない。

こちらが少し心配するくらい無防備な所があるが、
それこそが沙羅さんなのだ。

アーティストだから 「プライド」 はあるだろうし、
あって当然だが、おそらく彼女はそれを
自己の研鑽や精進に向かわせる力として働かせている
のであって、ファンなどの他者に対して、
偏狭な意味でのプライドを感じさせなるようなことは全く無い。

これはアーティストとしてはもしかしたら稀有なことなのかも
しれない。
しかし、沙羅さんは間違いなくそういう人だ。


そうした人柄、優しさとか温かさも、
本人が気付かないところで、当然、歌に現れてくる。
誰もがそれを感じながら、彼女の歌を聴いていると思う。

また、社会で生じている難しい問題についても、
いつも真剣に考えている。逃げずに自分から答えを求めて
探求する精神がある。

人と人との関係をたいせつに大事に考えているからこそ、
歌と人間と社会とのありかたについても思考し続けている。

この優れた歌唱を聴き、知り、
 「小林沙羅さんのファンでいて良かった」
と率直に思うが、その言い方自体、陳腐かもしれない。

 それはこういう意味だ。

小林沙羅さんの才能とか成功とかは、
単に一時期に生じているものでもなければ、
特定の少数者のためだけに生じているものではない。

 小林沙羅さんは、いわば、

  「歌に 歌から 選ばれた人」

 なのだ。

それを私は強く感じている。
これからが益々楽しみだ。

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