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2014年1月31日 (金)

冬の旅~小林沙羅さんによる日本語歌唱 &  河野克典さんによるドイツ語歌唱 画期的公演

東京文化会館では
<「世界的な文化創造都市・東京」を目指して都と都歴史文化財団が
 芸術文化団体やアートNPO等と協力していく>
という東京文化発信プロジェクトがあり、これの一環として、
2013年に4年目を迎えた「Music Weeks in TOKYO 2013」の、
小ホールで開催している「プラチナ・シリーズ」として
ユニークな公演が開催された。

シューベルトの「冬の旅」を、
前半では、ソプラノの小林沙羅さんが日本語で、
後半は、河原克典さんが原語であるドイツ語で歌う、という
ユニークにして意欲的な、とても注目すべきものだ。

往年の「冬の旅」あるいはシューベルトのリート・ファンならずとも
心躍る企画と言える。


前半
日本語版~松本 隆 訳
ソプラノ= 小林沙羅
ピアノ = 小原 孝

後半
ドイツ語原語版
バリトン= 河原克典
ピアノ = 三ツ石潤司

Winterreise
Liederzyklus nach Gedichten von Wilhelm Müller
ヴィルヘルム・ミュラーの詩による連作歌曲集「冬の旅」(D911)


 第1部 Erste Abteilung

1. おやすみ Gute Nacht

2. 風見  Die Wetterfahne  河野克典さんの訳では「風見の旗」
                      (以下同様)
3. 凍った涙 Gefrorne Tränen

4. 氷結 Erstarrung          凍結

5. 菩提樹 Der Lindenbaum

6. 雪どけ水  Wasserflut     あふれる涙

7. 凍河  Auf dem Flusse     川の上で

8. 振り向いて  Rückblick      回想

9. 鬼火  Irrlicht

10. 休息  Rast

11. 春の夢  Frühlingstraum

12. 孤独  Einsamkeit

第2部 Zweite Abteilung
13. 郵便馬車  Die Post

14. 白い髪 Der greise Kopf   霜おく頭

15. 鴉  Die Krähe         からす

16. 最後ののぞみ Letzte Hoffnung  最後の希望

17. 村にて  Im Dorfe       村で

18. 嵐の朝  Der stürmische Morgen

19. 幻 Täuschung      幻覚

20. 道しるべ  Der Wegweiser

21. 宿屋  Das Wirtshaus

22. 勇気  Mut

23. 幻日 Die Nebensonnen    幻の太陽

24. 辻音楽師 Der Leiermann   辻音楽師(ライアー回し)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感想

前半の日本語訳は、歌謡曲などでも著名な作詞家 松本隆氏により
1992年に現代口語訳されたもので、既にCD録音でも録音されて
いるという。
歌;五郎部俊朗 ピアノ;岡田知子

なお、松本氏は「美しき水車小屋の娘」も2002年に訳されている
とのこと。

小林沙羅さんの歌唱の印象を書いた後、訳詞に関する感想を記す。

1. おやすみ Gute Nacht
  速いテンポで開始された。意欲的な表現だ。

4. 氷結 Erstarrung
 沙羅さんもよく歌い、ピアノの小原さんもしっかり弾いている
 のだが、何かうまく噛み合わない。
 この噛み合わせの悪さの原因、理由は何だろう?
 ピアノのテンポと歌唱が、当人同士も聴衆にも判りにくい程
 ほんのわずかだが、ズレを生じて進んでいたからではないか?
 と想像した。
 結果的には全24曲中、この第4曲が一番問題を残した。

5. 菩提樹 Der Lindenbaum
 とても良かった。名唱だと思う。

6. 雪どけ水  Wasserflut
 終わりの「涙が燃えたら そこが愛する人の家」の歌唱、
 感情移入が素敵だった。

7. 凍河  Auf dem Flusse
 最後の「あふれ出すのか?」は、やや不安定ながらも
 強い意志は出ていた。

8. 振り向いて  Rückblick
 この速いテンポの曲での歌とピアノの噛み合わせは
 とても良かった。
 こうなると、似たテイストを持つ第4曲の不一致が気になる。
 ピアノの3連符の有無と関係しているのかもしれない。

9. 鬼火  Irrlicht
 ゆったりしたテンポでも、とても難しい曲だと思うが、
 情感豊かな歌唱でとても良かった。

10. 休息  Rast
  この曲での歌唱も良かった。

11. 春の夢  Frühlingstraum
  沙羅さんの声の質とよく合っている曲という感じがした。
  終わりの短調に転じる部分は冷静な客観的な歌唱という印象。

12と13は良かった。

14. 白い髪 Der greise Kopf
  冒頭の「髪に霜がふる」は特に美しい声。
  終わりの「誰が信じるか」の表現も良かった。

15. 鴉(からす) Die Krähe
  意欲的な歌でとても良かった。

16. 最後ののぞみ Letzte Hoffnung
  ピアノのリズムが難しく、それに歌を乗せていく難曲。
  「胸が震える」の部分は印象的だし、
  「身を投げて」ではメゾのような深く印象的な声。

17. 村にて  Im Dorfe
  可憐な声での歌い出し。「いいよ いいよ」での巧い表現。
  叙事的な見地からの立派な歌唱。

18. 嵐の朝  Der stürmische Morgen
  声にまだまだ余裕を感じさせる歌唱。

19. 幻 Täuschung 
  部分的にある短和音での歌と、長和音との色分けが
  巧かった。

20. 道しるべ  Der Wegweiser
  中間部の高い音の響きが美しかったし、
  全体に難しい曲だと思うが、とても印象的な良い歌唱だった。

22. 勇気  Mut
  「愚か者だ」の部分の表現の巧さ。余力を感じさせる歌唱。

23. 幻日 Die Nebensonnen
  抒情的なしっとり感をよく出していた歌唱。

24. 辻音楽師 Der Leiermann
  ラストの曲であっても、冷静で丁寧な歌唱だった。


松本さんの訳詞について
松本氏が特にポップス界の有名な作詞家であることは
もちろん承知だし、なるほど、うまい言い回し、
フィーリングの良さを感じるが、
原語で歌った河野さん自身による格調高い訳詞が
ならんでいると、特別際立ってユニークとか秀逸とかいう
感じは正直しない。

会場には最近知己を得た東京フルトヴェングラー研究会
代表の野口氏が来場されていて驚いたのだが、
来場の理由を聞くと、氏もドイツ語歌曲を幾つか訳している
ので、プログラムに興味を覚えたとのことで、
前半が終わっての休憩時、ロビーで訳詞のことも話したのだが、
松本さんの訳詞について野口氏は
 「ちょっと飛んじゃっているね」という表現で語っていた。
意訳過ぎるという意味だと思うが、
私はそこまで言いきるほどこの曲に対して知識も教養も
そして自信も無いのだが、それでも似たような印象は受けた。

河野氏の訳詞が青年の失恋という正統的な内容を感じさせる
のに対して、松本氏のは青年というより少年の失恋というか
メルヘンチックさが出て来過ぎる訳に感じる。

それと歌い回し的にどうなんだろう?
沙羅さんは歌い難くなかったのだろうか?と思うところが
少なからずある。

例えばこの偉大な歌曲の正に冒頭がそうで、
短音階で降りてくるフレーズなのに、
 「時を横切る旅人には 五月の花は優し過ぎた」
というのは、ちょっと硬すぎるのではないか。

全体的にはメルフェンを感じさせる訳詞なのに、
この冒頭は逆にゴチゴチに真面目すぎる感じがする。

もちろん、いいなと思うものも多々ある。
例えば、第5曲、第7曲、第8曲、第12曲、
そして後半の特に第17曲から第22曲までの6曲は
とても素敵だと思う。

もちろん、今の段階で、すなわち、松本氏の訳詞を知って
短時間しか過ぎていない段階ではこのくらいし言えない。
今後は考えが変わるかもしれないが。


後半のドイツ語原語による河原さんの歌唱について
これまで、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウや、
ヘルマン・プライ、ペーター・シュライヤーなど、
声自体に豊かさと潤いのある人で聴いてきたので、
河野氏の声はとても地味に感じたが、
端正で慈愛のある歌唱という点で、印象深くはあった。

沙羅さんはもちろん譜面を見て、というか、短期間で勉強
した松本氏の訳詞を見ながら歌ったのは当然だが、
長くこの曲を得意としている河野さんは暗譜でじっくりと
聴かせてくれた。

これでもっと声に艶やかさがあるといいなとは思うが、
会場に多くいた往年のリートファンからは温かく盛大な
長い拍手を受けていたので、
いわば玄人好みの歌唱だったと言えるようだ。
三ツ石さんのピアノもとても良かった。


ホールスタッフのよる客入れについて
コンサートでの係員による客誘導について

クラシックコンサートでは、曲そのものやプログラムの曲数等
構成、あるいはホールの状況により、遅刻した場合の
聴衆の入場に関してはややデリケートな問題がある。
曲によっては、その曲が終わるまで客をホール内に入れない
場合は当然あるが、組曲等、全体で短い数曲からなる曲の
場合等においてはワンオブの1曲が終わったとき等で、
客を入れる場合もわりと多い。

私ももちろん所用や電車アクシデント等で遅刻したことは
何度かある。その場合、
 「途中(今演奏している曲が終わった時点で=休憩に入る前)
  で入れますか? 
 (手持ちの指定席ではなく)一番後ろでいいので。
 立っててもいいので」
と係員に聞くし、あるいは係員のほうから先に同様の言及が
ある。

この場合のポイントは、
 「一番後ろの空いている席に座る、空き席が無ければ
  立ったまま、ということを当然前提とする」という点だ。

これは遅刻対処における最低限のマナーだと思う。

ところが、昨今、必ずしもそうではなく、
この曲間の短いインターバルに、その人の指定席に案内する
状況が散見されるようになってきた。
これは結構忌々(ゆゆ)しき問題だ。

最近の具体例を以下2つ書いてみたい。

例1
他ならぬ、この沙羅さんのさんのときがそうだったのだ。
70分を要する長大な歌曲だが、24曲通して歌われるので、
本来は遅刻者を客席に入れるべきではないと思うが、
半分の=第一部終曲の第12曲が終わったとことで入れることは
いいだろう。ところが、このときは、

①第1曲後、②第4曲後、③第12曲後、④第17曲後、
の4回も入れたのだ。

先述のとおり③は大一部2曲が終わったということ、また実際、
沙羅さんも用意した水を口に含むなど、やや長めのインターバルを
置いたので客入れOKだと思うが、とりわけ

①は、開始したばかりで、歌手にとって大迷惑なだけでなく、
 聴衆も集中して聴きはじめた段階なので、ここで入れるのは
 興ざめもいいところで論外だ。
②も同様によくない。しかも、①と②のときは1人とか2人ではなく、
 10人前後が入って来たので、歌手にとってもコンサート全体
 においても好ましくない空白の時間が生じたわけだ。
④もどうかとは思うが、まあしかたがない、というところだろう。

しかも、更に余談だが、この④の段階で入ってきた70歳前後の
ふっくらとした男性は、終わり近く、彼のケイタイが鳴った。
それだけでなく、休憩時間が終わり、後半のプログラムに入る前、
彼は女性係員を呼び止めてなにやら文句を言いだしたのだ。
女性係員が謝っていたことから察するに
 「ケイタイが鳴らないようなホール設計にしておけ」の
類いを言ったようで、これには呆れた。

私の近くにいて同じようにそれに気付き呆れた人が、
その女性係員に
 「ケイタイを鳴らしたのは、あなたに何か文句言っていた
  あの人ですよ」と伝えた。
その人はまたいっしょに来ていた友人に
 「あの男性はコンサートでよく見かけるけれど、いつも
  ああいう感じで偉そうにしてるんだ」、と会話していた。
いい歳してコンサートでマナーの悪いおっさんはいい加減、
自分の愚かさ傲慢さに気付いて欲しいものだ。


例2
もう1つは、具体的な公演名を明記する。
12月の松本市での市民オペラ公演「カルメン」でのことだ。
序曲が終わり、最初のアリアが始まっているのに、
係員は女性客を誘導し、なんと前から2列目のそれもド真ん中の
 (彼女のチケットどおりの)席に座らせたのだ。
もちろん歌手が歌っている最中だ。

これにはさすがに呆れるというより怒りを覚えたので、
終演後、アンケートにはボロクソ書いた。

東京では割とマナー的に進歩しているかもしれないし
 ~それでも例1のようなケースもあるが~確かに
大都市以外では全体的にはマナーが修得できていない地域も
あるかもしれないが、松本市は地方とはいえ、
サイトウ・キネン・フェスティバルという一大イベントが根付いて
いる街なのだから、そうした一般的な「遅れ」は解消されていて
欲しいと思う。

昨今では、ホールの係員は、そのホール専属の職員ではなく、
アウトソーシングとして外部の会社に誘導案内者を依頼する
ケースが増えているそうで、その点の問題はあるのかも
しれない。

すなわち、一般的な接客マナーは優秀でも、コンサート自体には
詳しくない人や運営会社に任せることで、コンサートという
音楽の現場での、音楽家と音楽ファンには当たり前のマナーが
伝わっていない、理解されていない、
そういうことはあるのかもしれない。


全体的な感想
小林沙羅さんは、少しのインターバルをとき折入れるとはいえ、
70分歌い続けても、最後まで余力のある声と落ち着き、
曲想に対する豊かな色付け表情付け。
お見事でした。
女性による&日本語で という点でも、河野さんの原語歌唱との
セットという企画の点からも、エポックメイキングとも言うべき
公演だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

沙羅さん自身がブログで以下、感慨深く書いているので
転用紹介したい。


「今回数日前に少し体調を崩してしまいまして、
一時期どうなる事かと思ったのですが、
本番には体調も治り、
精神的にも落ち着いていたので体の無駄な力みも抜けて、
いい状態で歌えたと思います。
松本隆さんの訳詩は、
聴いて下さった方々も何人も言ってらっしゃいましたが、
言葉が伝わりやすい。そして歌い手にとっても歌いやすい。
それは松本さんの訳が、単なる翻訳ではなく、
音楽の抑揚に沿った自然な流れを作っていて、
メロディーラインを崩さず、そして無理のない言葉が選ばれ、
紡がれているからだと思います。
松本さんの言語センス、そして音楽に対する感性は素晴らしいな、
やっぱり天才だ!!と改めて強く思いました」

それでも

「ドイツリートを日本語で歌うなんて全く意味がない、
それにソプラノが「冬の旅」?変なの~
という意見はたくさんあったと思います。
私に直接おっしゃる方はいませんでしたが、
そう思われている方がたくさんいるだろうな、と、
特にドイツリートへの思い入れが強い方々はそう思われるだろうと。
そんな中で、私が「冬の旅」を歌っていいのだろうか」


「シューベルトが「冬の旅」を作ったのは
私と同じぐらいの年頃です。
シューベルトは教養としての芸術歌曲を作ろう、
としたわけではなく、サロンで自分でピアノを弾いて歌って、
その頃の自分の心情を表す作品を、
友人達に聴いてもらっていました。
シューベルトはたった31歳で死んでしまいます。
死を予感するような、死にあこがれるような、
そんな「冬の旅」は死をテーマにしながらも、
若者らしいエネルギーを湛えているように感じます。

こうして遠い日本の地で、
200年以上経って自分の誕生日に、
その国の言葉に翻訳されて自分の作品が歌われている。
そして満員の会場での今回の演奏会の状況を見て、
シューベルトはどう感じるかなぁ、と想像しました。
僕はドイツ語で書いたんだからドイツ語で演奏してくれよ、
そうでないと意味がないんだよ。
そうでないと良さは伝わらないんだよ、
と、そう言うでしょうか?
私はきっとシューベルトは喜んでくれているに違いないと思います。
日本語で歌うとこんな感じになるんだね!と、
その響きの違いや雰囲気の違いも含めて、
楽しんで聴いてもらえたのではないかと思います。

「音楽と言葉」というのは私にとっても一生の課題です。
言語の持つ音楽性、
言語と密着して作られたメロディー、フレーズ、
そして、日本人として生まれた私たちが、
外国の作品を演奏するということ。
その中での限界や、逆に言葉の理解とは違う次元で
伝わる事、普遍的なもの。
母国語で歌う、又は聴く事によって心と密接につながる事、
逆にそれによって失われるもの。。。

考えは尽きません。
今回の演奏会の前にもたくさん考えましたが、
演奏会後もたくさん考えました。
そして今までよりも考え方が深まり、
まとまって来たようにおもいます。
こうでなければならない、と、狭い考え方をせず、
これからも考え続け、試行錯誤を続けて行きたいと思います。

まだまだ未熟ではありますが、
未熟だからこそまだまだ成長できる!
と、信じて!」

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