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2013年11月22日 (金)

JFK暗殺から50年に寄せて~真実を追え   でたらめウォーレン委員会の結論を糾弾する

ある事件の真犯人が判明してなくとも、複数の事実や事象、
状況を重ねていくと、おぼろげながら犯人像が浮かんでくる
ということはある。

1963年11月22日のダラスで起きたことを、
ウォーレン委員会はリー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行
と結論付けたが、もちろんそれは
 「大ウソで、歴史的でっちあげ」
にすぎない。その前に、環境と状況を押えよう。

1.状況から

①裏社会~マフィア
 JFKの父ジョセフは一代で財と地位を築いたが、その過程で
 マフィアと通じるようになった。
 自分の息子を大統領にする野望においても、
 マフィアが一定の役割を演じた。
 しかし、JFKが大統領になると、弟ロバートともに
 闇社会撲滅を仕掛けた。彼らにとり「大きな裏切り」だった。

②軍部、軍事産業
 米ソ冷戦下、キューバ危機を乗り越えた自信は、
 核軍縮、ベトナム戦争からの撤退構想につながったが、
 軍部、軍事産業にとっても、それは「大きな裏切り」だった。
 国民からの増大な人気と反比例して、
 周辺には敵が増殖していったのだ。


2.暗殺現場のディティールの矛盾点

①ダラスに着くと、パレードのルートが変更されていた。
  ダラス市警察に変更の圧力がかかったわけだ。

②オズワルドは、車後方の教科書倉庫ビルからJFKに対して
  6秒間に3発の銃弾を撃ち、1発は外れ、1発が
  JFKの首を貫通して前座席にいたコナリー州知事の太もも
  に当たったとされ、もう1発が頭部に当たりそれが致命傷
  になったと、ウォーレン委員会は結論付けた。
  後発から3発のみ、と。

③しかし、オズワルドが使ったとされたライフル「カルカノ」では、
  6秒間で3発は撃つこと自体100%不可能、と
  客観的事実検証により立証されている。

④犯人たちにとって唯一の誤算は、
  いわゆる「ザプルーダーフィルム」の存在だった。
  あんなにドンピシャな映像を、エイブラハム・ザプルーダー
  という一市民が道端で録画していようとは
  想像もしなかっただろう。
  致命傷となった頭部被弾は、後方からではなく、
  斜め前前方のグラシノールの丘から撃たれたことは
  映像から明白だ。
  よってもちろん、狙撃者はオズワルドではないし、
  弾数もこの致命傷銃弾が4発目だった。
  その後のある調査では、5発目が後方から発射されている
  とも言われてる。
  いずれにしても、後方と前方から複数のスナイパーにより、
  計4発ないし5発発射された。これが真相だ。

⑤オズワルドという偽りの容疑者を用意し、狙撃犯たちが
  逃げる時間を保ったにすぎない。
  オズワルドは警察本部連行されるやいなや、
  なぜかすぐさま彼の経歴が公表されたのはその表れだ。

⑥事件から2日後、オズワルドを州の施設に身柄を搬送しよう
  としてダラス市警察本部の地下に降りたとき、
  ジャック・ルビーという男にいとも簡単に射殺されてしまう。
  警察署内で、だ。
  そのルビーも、後年、刑務所内で不審な死を遂げる。

⑦ダラスでの遺体検死とワシントンに運ばれ海軍病院での
  検死結果はまるで矛盾していた。

⑧JFKの遺体をくるみダラスで送り出したシーツと、
  ワシントンに到着した際の物は違っていた。

⑨致命傷である頭部破損状態もダラスの検死とワシントンの
  海軍病院のそれでは全く違っていた。
  JFKの遺体は、どこかで「何らかの措置」がされたわけだ。
  重要な証拠である本当に使用された銃弾を体内から
  奪い去ったと考えられる。

⑩そして、「これがJFKに当たった弾」と公表され銃弾は、
  なぜかほとんど無傷だった。


3.後年の余波~事件後、証言者たちの相次ぐ不審死

 事件後の3年間に18人の目撃証人者が死亡している。
 うち6人は何者かに射殺され、3人は「交通事故」、
 2人は「自殺」。残る1人は首をかき切られ、
 1人は空手チョップで首を折られた。
 他の5人は「自然死」とされている。

 1967年2月までの3年数か月の間に、これら関係者が
 死亡する確率は、1兆10万分の1(あり得ないということ)。
 さらに、1976年7月までの、事件から約13年間だと、
 77人の関係者が死亡している。
 実に徹底した「口封じ」が事件後も続いたのだ。


4.ウォーレン委員会について

 なぜ、かくも馬鹿げた内容の888ページに及ぶ報告書が
 作られたか?
 理由は簡単で、真犯人組織の完全隠蔽、
 オズワルド単独犯の決定というオーソライズが必要だった
 からだ。
 「なぜオーソライズが必要だったか?」は、5のジョンソン
 とともに、この事件の特異性を逆に浮かび上がらせる。
 すなわち、1の政治的状況があったにせよ、
 2のディティールだけなら、マフィアがやったんだろう、
 で終わってしまってもやむを得なかったかもしれない。
 けれど、この事件の異常性、特異性は、その背後に、
 組織的真犯人グループがいたことだ。
 それも、ケネディあるいは、少なくとも為政者たちの
 中枢部に、である。

 この愚かしい報告書の端的な、象徴的な例は、
 いわゆる「魔法の銃弾」に関する件だ。
 あんな話、小学生だって「あり得ないよ」と判断できるものを
 いい歳した地位のある大人たちが雁首そろえて堂々と
 田舎のサル芝居のようにやってのけたことに
 驚きを禁じ得ない。

 正に「歴史的茶番劇」だ。皮肉にも、この委員会自体が、
 この事件の墓穴を掘った事象、事例と言える。


5.ジョンソン副大統領について

 ジョンソン副大統領は首謀者ではないのだろう。
 けれど、JFKがダラスの空港に降りた時、
 数時間後には自分が大統領に昇格就任することを
 知った、誰かにより伝えられた、と、いくつかの事柄から
 想像している。
 そのことがこの事件の特異性、異常性を端的に象徴的に
 示していると言える。

 彼はJFKを助けようと思えば、
 「かたち的には助けられる立場にいた」と言えるだろう。
 けれど無論彼は助けなかった。
 助ける必要などは全くなかった。
 だって自分が大統領になれるのだから。
 そしてむろん、助けのアクションなど起こそうものなら、
 自分に刃が向くことは百も承知だっただろう。


6.まとめ~アメリカの悲劇

 この事件の犯人は判らない。
 けれど、強い組織と多くの人間が連携して実行された事件
 だったことは100%事実なのだ。
 大統領JFKのごく近くの強い権限を持つ組織にいた
 人間たちが、裏社会のスナイパーたちを使い、
 「絶対に捕まらないことを前提に計画された犯行」を実行した。
 それがダラスの、11月なのに妙に暑苦しい1日に起きた事
 だったのだ。

 JFK亡き後、首謀者らを含む軍部や軍拡路線者、
 闇社会者の世が来た。
 ベトナム戦争は拡大し、そして事実上「敗北」し、
 アメリカ経済に疲弊と低迷をもたらし、人心は荒廃していった。
 JFKが生きて大統領職をまっとうしたなら、
 その後のアメリカや世界はずいぶんと違った展開をして
 いただろう。


7.参考ユーテューブ

http://www.youtube.com/watch?v=uAtOiVM--X0
http://www.youtube.com/watch?v=QsQd0obbqVE
http://www.youtube.com/watch?v=FGucsT1C0PI
http://www.youtube.com/watch?v=DDmyPuCneK0

NHK 誰がケネディを撃ったか
http://www.youtube.com/watch?v=-4mFNGyLEJY

日本TV ケネディ暗殺の深層~ジェイムズ・ファイルズ
http://www.youtube.com/watch?v=Rz4iIX7Cg0M

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