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2013年8月 9日 (金)

被爆者&被曝者に対する偏見と差別について  広島、長崎 そして福島~変わらぬ差別意識

広島、長崎のいずれにおいても、多くの被爆者が
後年明かしたのは偏見と「差別」であり、ゆえに
 「被爆者であることを隠して生きてきた」ことだった。

それぞれの地を出て他の土地で暮らしていても、
被爆者と判った瞬間から、それまで親しくしていたご近所衆が
近寄らなくなり、子供は「放射能がうつるだろ、あっちへ行け」と
イジメられた。

放射能に関する知識がほぼ皆無の時代、状況下ではあるが、
「同じ日本国民」が受けた悲惨な事態であるのに、
あたかも、「汚らわしい、忌まわしい、ハタ迷惑な存在」として
排除しようとした事実がこの国には厳然と存在する。

そして「3.11」。
被爆ではなく被曝だが、あの年の国内では、
放射能汚染への的外れなレベルにおける警戒感は、
ときとして異常で異様な状況を露呈した。

例えば「福島ナンバー」の車が他都道府県の駐車場に置いて
あると、窓ガラスが割られたり、ナンバープレートが壊されたり、
「出ていけ!」と車体に落書きされたという事例が続出した。

典型的で象徴的な極めつけの現象は、
 「ガレキ受け入れ反対運動」だ。

福島県のものではなく、岩手と宮城に限定され、
放射能汚染は皆無か限りなくゼロに近いガレキだった
にもかかわらず、多くの県民市民が露骨な拒絶反応を示した。

  「絆」という言葉が拡がる一方ではこうした真逆な心理が
露呈したのだ。それは例えば
 「子供を守れ! 県内(市内)に放射能を持ち込むな!」
とする「正論?」による主張だったが、しかしそれは
言いかえれば、

 「おまえら被災地の子供のことなんか知らない、関係ない」

と言っているに等しい。
でも仮にそのこと彼ら彼女らに面と向かって言ったなら、
 「いや、そういうことはない」と困惑して反論したかもしれない。
けれど、結局どう取り繕っても、
 
  あの反対運動とは「そういうこと」なのだ。

また、原発に関する映画を制作上映しようとしても、
スポンサーが断ったり、映画館さえ上映を拒否したり
ということがいまだにこの国には存在している。

結局、3.11で被曝した人々への偏見と差別意識と、
広島、長崎で被爆した人々へのそれとは、
68年経ってもほとんど何も変わらず、同じレベルで
国内各地に存在しているということだろう。

そして政府は、国際会議における「核兵器の非人道性を
訴える共同声明」に署名しないという醜態をさらしている
のだ。

 「世界で唯一の被爆国」の意味自体が消えようとしている
 ようだ。

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