« 俊友会管弦楽団 第50回記念定期演奏会   マーラー交響曲第5番 | トップページ | 原発の輸出は「死の商人」という恥知らず行為  不完全なものを他国に売るのは無責任行為 »

2013年5月13日 (月)

宮沢りえさんの代役成功は「事件」だと思う   ある人は言った 「伝説的な舞台になった」と

「凄い」という言葉を使うことは嫌いというか能が無い表現と
感じるので極力使いたくないが、しかし、今回の
 三谷幸喜作&演出「おれのナポレオン」における交代劇
にはその言葉を使わざるを得ないように思う。
「凄い」という表現が一番相応しいように思える。

あと数回の公演を残して終わるはずだったこの演劇が、
野田秀樹さんの相手役で野田氏同様、主役である天海祐希さんが
体調不良で急遽入院された。
後日、無事退院されたので大事なく本当に良かったのだが、
入院に際して、三谷さんら主催者側は、「打ち切り」も検討
したという。
ところが、2人に知己のある女優 宮沢りえさんが
天海さんが倒れる前日の5日にたまたま観劇に来たことから、
彼女に白羽の矢が立ち、りえさんがこれを受諾して、
急遽、稽古入りしたのだった。

けれど、宮沢りえさんの「急な代役」がいかに大変なことか、
敬意を込めてよく考えてみたいと思う。


事前に台本を渡されていたわけではないのだ。
オペラ公演に際してのカヴァーやアンダースタデイのように
稽古に参加していたわけではないのだ。

野田秀樹さんとともに主役ゆえ、2時間、ほぼ出ずっぱり。
セリフは130単位あったという。

たまたま客として観劇し、いくら三谷幸喜、野田秀樹の両氏に
縁や恩があるとしても、普通は「受けない」だろう。

直前の公演を2つ3つキャンセルしたとは言え、中2日半、
すなわち約60時間しかないのだから。
60時間といっても、寝ないわけにはいかないし、
他の用も皆無では無かっただろうから、実質的には
30時間ほどしか無かったはずだ。


例えば、ピアニストで、A氏が「皇帝」を弾く演奏会に同業の
B氏が聴きに行った。翌日A氏にアクシデントが生じ、
2日後の演奏会をキャンセル。主催者がB氏に要請、という
ケースを考えた場合、名演になるか否か~レベルの違いは
あっても、そうそう困難なことではない。
「皇帝」を弾ける人は、日本の中だけでも学生を含めて
数百人、いや千人単位でいるだろうから、
今回のケースとは比較にならない。

強いて再度ピアニストに近似性として例えるとすると、
ベートーヴェンの協奏曲5曲は全部弾けるが、ショパンの2曲は
弾いたことはない奏者が2日後にショパンの第1コンチェルトを
弾いてくれ、と言われたケース。

すなわち、
ベートーヴェン弾ける…プロの役者としての基礎も度胸もある。
ショパンを弾いたことはない…「おれのナポレオン」など
                  演じたことはない

いや、弾いたことはないだけでは公平とは言えない。
聴いたこと自体ないとしないと、宮沢さんの状況に近づかない。
でも、ピアノをやっている人で、弾くのはともかく、
ショパンの第1協奏曲を全く聴いたことが無い人など、
現実的には考え難いが、万一、そういう人がいて、
代演することになったとする。

協奏曲では、奏者が曲を完璧に弾けるようにし、感情移入も
どうするか決められたとしても、指揮者すなわち
オーケストラとの掛け合い、互いの呼吸が大事であるから、
リハはもちろん大事だが、それでもソリストが完璧に弾ければ、
掛け合いの不十分さ、すなわち、全体の演奏としての
レベルが高くないという結果に終わることがあっても、
一応の代演を務めることはそれほど困難ではないと想像できる。

よって、この例でさえ、宮沢りえさんが置かれた状況の困難さと
比較し得ることはできないと言えるだろう。
それほど厳しいものだったと言える。


なぜなら、演劇の場合は、自分のセリフを完璧に覚えただけでは
成り立たないのだ。
相手のセリフも覚えないと、どこで自分がセリフを言うか判らない。
加えて、当然、その場その場における状況、空気における表現や
表情のニュアンス、セリフのイントネーションや間合い、等々、
全ての状況を把握したうえで、自分の全てのセリフが生きる
わけだ。

そして何より当然最終段階として、その役柄、
役のキャラクターを演じ切る、役に成りきっての演技が
最後に観客に提示するまでを要求されるのが、役者なのだ。

それを数日という信じ難い短期間で習得して演技したということ。

ピアニストの例より もっと近い設定を考えるなら、
声楽を勉強している人が、
 「3日後に、このオペラで歌ってもらうから」、と、
全く歌ったことが無いだけでなく、聴いたこともない、
上演時間が2時間かかる新作オペラ、
主役である自分は、ほとんど出ずっぱりになるオペラに
急に 「出ろ」、と言われたケースが似ているかもしれない。

そんなことできる歌手が世界に何人いるだろう?

このように、宮沢りえさんが行った事というのは、
 
  「とてつもない偉業」 なのだ。

日ごろの役者としての下地~訓練、心構え=心の姿勢~の
賜物なのだろう。
プロ根性を見せつけられる思いがするのは私だけではないだろう。

観客の興奮とスタンディングオベーションの状況が目に浮かぶ
ようだ。

ある観客はこう言ったという。
 
 「りえさんの登場したこの演目は、伝説的な舞台となった」、と。

きっとそのとおりだと想う。

« 俊友会管弦楽団 第50回記念定期演奏会   マーラー交響曲第5番 | トップページ | 原発の輸出は「死の商人」という恥知らず行為  不完全なものを他国に売るのは無責任行為 »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック