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2013年2月23日 (土)

沢木耕太郎さんの映画論評文は素晴らしい

月1回かと思うが、作家の沢木耕太郎さんが朝日新聞夕刊に
 「銀の街から」と題して、映画に関する論評を書いている。
毎回感心し、勉強になるのだが、22日に掲載された、
3月1日公開作品「フライト」に関する批評文も実に素晴らしい。

以前も沢木さんの映画批評文の見事さについては書いた
ことがあったと思うが、再度書く。

手元に無い方のために全文引用したいくらいだが、
ちょっと長いので、さすがにそれは省きたい。

筋(概要)ももちろん書いている。
本質に関する考察はもちろんだ。
そして、出演者=俳優が素晴らしい場合も、それについて
丁寧に書く。敬意をもって、と言ってもよいほどに。

本質を突くだけでなく、論評する要素(対象)に対して
こんなにバランスの良い配分、演技者の演技に関する
深い考察と映画そのものに対する愛情さえ感じさせる文を
読めることは大きな喜びだ。

紹介文、批評文なのに感動する文章。

日本にプロの映画評論家と称する人は10人以上は
いるだろうけれど、そういう文を書ける「プロの映画評論家」は
いったい何人いるのだろう?

作家のなせる業といえばそうかもしれない。
けれどしばしば感じるのは、文芸評論はもちろん、
音楽評論も美術評論も映画評論も、その作品に関して
他者に感想や意見を伝える以上、文章を磨く努力、研鑽、
練り上げる工夫をしなければプロとは言えないはずなのに
 ~それぞれにおいて独特の感性あるいは自然体の
   感性等は大切だが~
それを伝える文章を練り上げることに注力する人は
各分野のプロに少ないように想える。

作家だから映画論評がうまいのではない。作家といえども、
映画をどう伝えるかを練り上げているからうまいのだ。

映画評論家や音楽評論家の文章が、ときとして退屈で、
場合によっては極めて的外れに想えることさえあるのは、
感じ考えたことをどう伝えるかを練り上げていないから
ということにも原因があるように想えてならない。

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