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2013年2月 9日 (土)

舞台 「テイキングサイド」~フルトヴェングラーの非ナチ化審査を行定勲さんが演出

戦時下、多くのユダヤ人音楽家を助けたのに、
戦後「ナチ」との疑いを米軍から追及され、演奏活動を
止められた大指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーの
いわゆる「非ナチ化審査」を行定勲監督が演出する舞台が
上演されている。

平幹二郎演じるフルトヴェングラーを、
筧 利夫演じる芸術のゲの字も興味の無いアメリカ軍少佐
アーノルドが厳しく追及する。

 「ウィルヘルム、君はナチだったのではないか?
  ヒトラーやゲッペルスに<協力>するためにドイツに
  留まったのだろう?」、と。

内容が内容だから、客席は空いているだろう、
客層は70歳前後が多いのではないか?と想像して、
天王洲銀河劇場に初めて行った。
チケットも全席9000円と決して安いとは言えない額だ。

ところが予想は全く外れた。

私が観た公演は8割は埋まっていたし、なんと半数いや
6割くらいは20代~30代の若い人達で、
男女比も半々かもしや女性のほうが多かったかもしれない。

若い人たちが、かつて私もそうだったように、
フルトヴェングラーに興味を持つことは自然だ。
残されて録音はライブであれスタジオ録音であれ、
ほとんど60年以上前のものなのに、いまだに
圧倒的な説得力をもって私たちを魅了する。

けれど、彼の生涯、とりわけ米軍によって行われた
いわれなき「非ナチ化審査」などに、
今更 若い人が興味を持つとはとても思えなかったので、
とても意外な、大きな驚きだった。

この舞台作品は日本スタッフのオリジナルではなく、
「戦場のピアニスト」を書いたロナウド・ハーウッドの原作で、
既にイギリス、ブロードウェイ、フランス、ドイツ、
オーストリアと上演されてきていて、
大きな評判を呼んできたという。

収容所の無残なユダヤ人死体を見た<筧アーノルド>は
最初から有罪有りきで、フルトヴェングラーを
「ウィルヘルム」と呼び捨てにして、一気呵成にまくしたてる。

後半ではカラヤンとの確執や私生児(いわゆる隠し子)が
何人もいたフルトヴェングラーの女性関係にも言及するが、
平演じるフルトヴェングラーは威厳と気概をもって抗弁する。

フルトヴェングラーは痩せていて、平さんはガッチリしている
ので、外見的イメージは私はやや異なるが、
平さん独特の威厳あるセリフ回しによりフルトヴェングラーの
心理的状況が浮き彫りにされてきて、感銘する舞台だった。

特に終わり近くでは、ホロコーストの事実は知らなかった
 (もちろん、ナチ以外のドイツ人は皆そうだった)ことを
嘆くシーンは、実際にフルトヴェングラーがそう言ったか
どうかは別として感銘深いシーンだった。


事実に基づいてもう少し記しておくと、「非ナチ化審査」では、
カラヤンのほうが先に「解放」されている。
そのことはこの劇の中でもフルトヴェングラーの
 「他の指揮者は解放されているのに、なぜ私は
  まだ続けるのか?」というセリフで出てくる。
もちろん、カラヤンを念頭に置いた言葉だ。

カラヤンは当時30代だから、米軍も軽く見たのだろう。
後年あれほど有名になることも想像してないだろうし。
フルトヴェングラーはR・シュトラウスとともに、
あの時代の大権威で、フルトヴェングラーは実際、
来場したヒトラーと握手しているし(その映像は
 ユーチューブでも見れる)、
ナチがフルトヴェングラーの名声を利用したのは明らかだ。

なお、この劇には出てこない事だが、ゲッペルスは
彼の日記で、フルトヴェングラー指揮の演奏について
何度も絶賛している。
ゲッペルスの音楽に対する感受性は かなり まともに想える
から、戦争のない時代だったら、ナチがドイツで誕生して、
戦争をしかけていくようなことがもし無かったら、
普通のフルトヴェングラーファンで終わっただろう。


映像といえば、巨大なハーケンクロイツの下での
演奏フィルムについては、今の時代から見れば
確かに良いイメージは抱かないだろう。
しかし、あれはもちろんフルトヴェングラーとしても
ギリギリの妥協だったと想う。
彼だっていつまで命を保障されたか判らない状況だったし、
実際、後年、逮捕が迫ったので、彼は密かにスイスに
脱出するのだ。
まるで「サウンド・オブ・ミュージック」のラストシーンのように。
なお、その直前の演奏会の録音も残っている。


この舞台では触れていないことを2つほど書いておこう。

  カラヤンとユダヤ人音楽家

劇中のセリフでも明言されているように、
カラヤンはナチス党員だった。
戦後、アメリカでは、フルトヴェングラーのシカゴ交響楽団来演
の話が起きたとき、ルービンシュタインやホロヴィッツら
ユダヤ人音楽家による猛烈な反対運動が起き、結局、
フルトヴェングラーは渡米できずに終わったのに比べ、
カラヤンは、ベルリン・フィルと渡米した際、戦後から
それほど経っていない時期には、渡米に際して
多少反対運動のようなものが起きたものの、
その後は何にも言われなくなったことは、
戦後のアメリカ、欧州での経済発展を併せて考えたときに
興味深く感じるものがある。

時代は、良い悪いでなく過去、特に個人のそれは
あまり問わなくなっていったという面はあるように想えるからだ。


  ユーディ・メニューインの助力

戦後、フルトヴェングラーが米軍から監視され始めたころから、
そして非ナチ化後ももちろん、一貫してフルトヴェングラーを
弁護し、敬意をもって接し、共演した演奏家に、
イギリス人のヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインがいる。

メニューインのような人は世の中にはいるものなのだ、
ということ自体、芸術家に限らず、個々の人間の物語と
幸福な出会いということを考えるとき、感慨深く、
感動を覚えるのだ。


   他の出演者について

ベルリン・フィル第2ヴァイオリン奏者 ヘルムート・ローデ役の
小林 隆さん
 呼び出された当初は、フルトヴェングラーがいかに
 ユダヤ人を助けたか、偉大な芸術家であるかを述べたが、
 自分がナチ党員であったことがバレてからは、
 自己保身に転化していく心情を絶妙に語り演じていた。
 おどけたセリフと演技がさすが。


 第2ヴァイオリンに関する脚本家の誤解

なお、ローデに関することで一応 記しておきたいのは
役者のことではなく、脚本に関してで、
第2ヴァイオリンあるいはその奏者ということに関して
相当な誤解が脚本者にあるように想えたが、
まあ、これは音楽やオーケストラによほど詳しくないと
なかなか理解できないことだから特に文句は言わない。

というか、ヴァイオリン奏者自身の中においてさえ、
第2ヴァイオリン奏者の重要性や魅力を
まるで理解していない人も多いくらいなのだから、
多少の自虐的誇張は理解しつつも笑ってスルーしてよい内容、
セリフ、脚本だった。


アーノルドの助手、エンミ・シュトラウベ役の福田沙紀さん
 映画で観たときは、ふんわりした感じだったので、
 こうしたシリアスな舞台はどうなのだろう?と想像していたが、
 なかなか良かった。
 今後も舞台でも活躍して欲しいし、できる人だと思う。

アーノルドの部下、デイビット・ウィルズ役の鈴木亮平さん
 役目と心情との板挟みを実直な発声によるセリフで
 立派な演技をしていた。

ユダヤ人ピアニスト、ワルター・ザックスの未亡人
タマーラ・ザックス役の小島 聖さん
 精神の混乱した面と、ある種 凛としたところを見事に分けて
 演じていたと思う。良かった。


   演劇と演奏と

私は舞台自体、これまであまり観たことが無いので、
とても面白かったし、勉強になった。

映画やテレビドラマ収録と違って、正に「ライブ」なので、
セリフを間違えられない、いや、噛むことさえ
みっともなくてできない、という相当のプレッシャーが
俳優には当然あるだろう。
これはもちろん、音楽のコンサートも同様だけれども。

いってみれば、映画やTVドラマの録画収録は、
音楽でいうスタジオ録音であり、何度もやり直しが可能だが、
ライブである舞台はそうはいかない、という意味では、
映画やTVドラマよりも、ライブ演奏会に似た
パフォーマンス状況と言えるだろう。

しかも、舞台の場合は大抵、短くても1週間から2週間、
長ければ1ヶ月以上に及ぶものもあるのだから、
出演者は休めないというプレッシャー、
期間中の体調管理を徹底しないといけない大変さがある。

この舞台は、少々チケット代は張るけど、
フルトヴェングラーに、あるいは芸術家と政治、社会問題
との関係に興味のある人にはお薦めしたい舞台だ。

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