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2013年2月 2日 (土)

三枝成彰 オペラ 「KAMIKAZE-神風-」    饒舌過多な管弦楽語法に辟易~歌手は見事

三枝成彰さんの新作オペラ「KAMIKAZE」を2月2日、
東京文化会館で見、聴いた。

原作はドリームインキュベーションの会長で、朝まで生TV等
メディアでの論客としても有名な堀紘一さんというのが面白い。
堀さんがこうしたことを手掛けるとは夢にも思わなかった。

内容はタイトルどおり、特攻隊員と女性が主役。

まず、主な出演者、関係者。

原案原作…堀 紘一

脚本…福島敏朗

作曲…三枝成彰

指揮…大友直人

演出…三枝健起

美術…千住 博

アリア歌詞…大貫妙子


   歌手

神崎光司少尉(特別攻撃隊員)
 (1/31 2/3)…ジョン・健・ヌッツォ
 (2/2) ………水船桂太郎(Ten.)…ただし後記注釈

土田知子(神崎の婚約者)…小川里美(Sop.)

木村 寛少尉(特別攻撃隊員)…大山大輔(Br.)

木村愛子(木村少尉の妻)…小林沙羅(Sop.)

野口久一伍長(特別攻撃隊員)…仲本博貴(Br.)

山口耕太少尉(特別攻撃隊員)…渡辺 大(Ten.)

冨田トメ(冨岡食堂・旅館の女将)…坂本 朱(Mezzo-Sop.)

特別攻撃隊員…10人の男声歌手

なでしこ隊…10人の女声歌手

管弦楽…新日本フィルハーモニー交響楽団

合唱…六本木男声合唱団倶楽部


   感想

大河ドラマ「花の乱」のテーマ曲は実に美しい作品で、
冒頭から素晴らしかった。 しかし、以前聴いた、
阪神淡路大震災を悼む曲を聴いたときは、
 「まるでメロドラマか青春ドラマのよう」で閉口したので、
今回もそれと同じ印象を受けると嫌だなという危惧を
内心抱いて出かけた。
結論から言うとそれは当たってしまった。
もちろん、もっとシビアで、メロドラマとはもちろん言えないもの
だったが。

冒頭、兵士たちによる合唱で開始。「Dona Nobis Pacem」
と悲劇に対する哀悼による出だしは印象的。
ここでは、フィルム映像で特攻隊員の実写が映し出された。

そして第一幕が開始。
直後から金管と打楽器が連続して止むところがほとんど無い
のに驚いた。
なので、必然的に歌手の声を徹底的に邪魔することになる。
この饒舌過多の管弦楽語法には終始不満を感じた。

特に最初に出る愛子役の小林沙羅さんの声は
残念ながらあまり客席には届いていなかったが、
理由は「やかましいオーケストレーション」にあることは
明白なので、やむを得ない。

第2幕では、10人のなでしこ合唱と10人の特攻隊員の
合唱はなかなか良かったが、1幕に続き、この幕でも
 「うるさい」オーケストレーションは続くので、
本当に途中で退席して「帰ろうか」と思ったくらいだ。

この第2幕の中ほどの小川里美さんとヌッツォさんによる
長大なアリアは聴きものだったし、立派なデュオだったと
思うが、残念ながらここでも相当オケの音が声に「妨害」
していた。

しかし、とうとう第2幕終わり近く、トメさんの食堂の場面では
静かなシーンが来て、小林沙羅さんによる名唱が聴けたのだ。

 「お酒をください。どうして、どうして私を残して行ったの」

から始まるアリアは実に素晴らしく、特に、ト短調和音に移り、
 「どうして」を<d-b-a-b>の音で4回繰り返し、
 「それでもあなたはもういない 私を残して消えてしまったわ」
は、もう絶唱とさえ言えるもので、私にとってこの場面は
  「一生忘れられない歌唱」
となったのだ。

このオペラの内容上、登場人物による各アリアにおいては、
歌唱後、どれも拍手が来ないのが自然だし、実際そうだった
のだが、さすがにこの沙羅さんの歌の直後は期せずして
拍手が起きた。当然だろう。
お客さんも皆感動したのだと判る感動的なシーンだった。


しかし、第3幕は神崎と知子の室内のシーンにもかかわらず、
またもや饒舌感を残して進んでいくのにまたもや閉口した
のだが、最後の桜散るシーンでの小川里美さんの歌唱は
これも名唱絶唱と言えるもので、
 「そう、あなたは~」の「そう」の
  C(フェルマータ)→H(フェルマータ)の声の響は
本当に素晴らしかった。
この桜舞い落ちるシーンの演出も良かった。

このオペラでは、途中までオーケストレーションに失望しても、
この2つのアリアが待っていることを知れば、なんとか
それまで我慢して聴いていようと思えるのが救いだ。

最後に、冒頭で合唱で歌われた「Dona Nobis Pacem」が
再度演出され、字幕スーパーで、
特別攻撃隊として死んだ人の数、そして、
第二次世界大戦における国別の死者の概数も出た。
良い演出だと思う。


   作品全体について

この「KAMIKAZE」で、一番疑問に感じることは、
部分的にはとても良い場面がありながらも、全体に関して
感じることは、
「音を理不尽なまでにたくさんならべれば
 はたして、悲劇が表現できるのか?」
という点に関する疑問だ。

なんでも、三善晃や武満徹を引き合いにだして、比較論考
するのは素人っぽいし、正当な手法とは思わないが、それでも
武満は極力音を少なくし、それにより(あるいはそういう要素を
持ち込んで)独自の語法による緊張感に満ちた映画音楽や
悲しみの音楽を書いたし、

三善晃は「レクイエム」で~ここでの彼が書いた音の多さも
凄まじいものだが~常に合唱といったいとなった語法、
邪魔という言葉など全く思い浮かばない極めて強い相互連携の
音の網、それらはあるいは拮抗し対峙し、あるいは融合しして
人間の、戦争における非状況下をあぶり出したのだが、
そうしたある種の合理性、誤解を恐れずに言えば、
音の配分の見事な効率性に裏付けた結晶というような語法
により、悲劇を描くことに成功したことと比べると、

やはり三枝さんのこの作品は~誠実さはもちろん感じるし、
このテーマで作曲されたこと自体に強く共感し、
敬意を表するが~ある種 安易なセンチメンタリズム、
余計なまでの過剰さ、といったものを感じてしまう。

そして何より、多くの場面で、歌手の声に過剰なほど
「音の網」をかぶせてしまったオーケストレーションに
疑問を感じざるを得ないのだ。


  プログラム文への反論

「こじつけ」は嫌いだし、よくないと思うが、敢えて書くと、
三枝氏の、突き詰めて設定しないことの要素は、
氏がプログラムに寄稿した文にもそれは感じる。
例えば氏はこう言う。
 「あの戦争はいったい誰が引き起こしたのでしょうか?
  私は当時の国民(大衆)が起こした戦争ではないかと
  思います」として、
「大衆の無行動、無為無策や不満が指導者を突き動かして
 いった」と展開している。

これについては、全くもって反対する。
なるほど、大衆の経済不安や潜在心理、不作為、
無行動、あるいは大衆迎合、付和雷同といった要素は、
戦争では否定できない。

特に始まってからの状況においては、
一定の動力要因となる。
けれど、古代ならいざしらず、近代戦争において、
まず大衆が戦争を仕掛けるなどということ自体、
物理的に不可能である。

近代戦争においては、必ず為政者による開始ボタンが押される
のであって、大衆の何とはなしの心理が直接的に開始ボタンを
押すことはないのだ。
そういう点では~戦争責任論はときとして難しい論議になる
 にしても~責任は一定の社会的地位にある人々にあるのは明白
であって、「大衆が起こした」という言い分は、
 浅い観念論に過ぎない。

このような思慮の足りなさが、オーケストレーションに投与される
ことが皆無だったとは言えないのではないか? という推論は、
必ずしも邪推とは言えないと想う。


   水船桂太郎さんの件

テノールの水船桂太郎さんについては、昨年10月20日の
二期会ゴールデンコンサート テノールの日を拝聴して感心感動
し、同日付けのブログで絶賛させていただいた。
その水船さんも今回、3公演中1回~この日~歌うことに
なっていた。
ところが、開演に先立ち、三枝さんが登場して、
「1つ、お詫びがあります」と切り出した。
プログラムによると、この日の3日間の公演の中で
ヌッツォさんでなく唯一水船桂太郎さんが歌う日なのだが、
  三枝さんいわく、
「水船さんに(健康面も含めて)何の問題もないのですが、
 収録サイドから、複数回収録する関係上、(1月31日と)
 同じ顔で撮りたいという要請があり、
 今日もジョン・健・ヌッツォさんに歌っていただくことに
 なった。水船さんには大変申し訳ないし、
 本日会場にお越の皆様の中には当然、
 水船さんのファンも多く来場されていると思うので、
 お詫びします。
 入場料金返還にも応じることができると思いますので、
 ご希望される場合はどうぞ」、と述べた。

しかし、と思う。
録画を複数撮りたいなら、明日3日の公演はヌッツォさん
だから、そこで録画すればよいのに、と。
たぶん、明日3日は録画陣が来ないのだろう。
そのための急な変更なのだろう、と想像した。

では、翌3日は結局ヌッツォさんでなく
水船さんが歌ったのだろうか?

そうだとしたらほぼ問題はクリアされたと言ってよいと
思うが、もし翌日も(3公演全て)ヌッツォさんが歌い、
水船さんの出番なしになったのだったら、
やはり極めてアンフェアだと思うし、そもそも

「そうしたことが歌手の出演契約上
 許されることなのだろうか?」

詳しくは知らないが、歌手とオペラの出演に際しての契約は
非常に厳格で、一定期間歌手は拘束されると聞く。
逆に言えば、それだけ歌手に手厚く対処されるのだから、
急な理不尽な、不利益な変更は明らかに契約違反になると
想像できる。
もっとも、欧州においては、そうした理不尽な出演者変更は
ままある、ということも聞く。

いずれにしても、今回の上演における歌手~ここでは、
水船さん~とオペラ主催者との間での契約上問題が
無かったのかという点は非常に気になることだ。

もし、単に録画スタッフの都合、というだけの理由で、
こうした変更がなされたとしたのなら、
水船さんに対して極めて失礼であるだけでなく、
アーティスト全体に対する冒とくである、と言ってもよい
だろう。 この水船さんの件を簡単に考えてはいけない。
歌手の皆さん全体にもかかわることだ。
  「水船さんは、運が悪かった」で、済まそうと
考える人がいるとしたら、「全く間違っている」と言いたい。


   小林沙羅さんのブログから

最後に、出演者である小林沙羅さんと小川里美さんの、
このオペラに関するブログもぜひ読んでいただけたら、と思う。

特に、沙羅さんは、やはり声に負担がかかるオーケストレーション
と演出に相当難儀されたようで、率直な思いも書かれていて
参考になる。

沙羅さんは、「ジャンニ・スキッキ」に出演が決まってから、
実際にフィレッツェの「ポンテ・ヴェッキオ橋」を訪れているが、
この「KAMIKAZE」出演に先立っても、知覧を訪れている。

こういう真面目さ、ひたむきさが小林沙羅さんの魅力でもあるし、
何より、オペラ歌手である前に人間として素敵で、
尊敬する所以(ゆえん)だ。

多忙の中、千住明さんの「万葉集」といい、この作品といい、
現代作品にオファーが来て、それを完全に吸収して
表現できる小林沙羅さんの才能にあらためて驚嘆する。

以下、公演を終えてからの沙羅さん自身によるブログから、
全文ではないが、ほぼそれに近く転用紹介させて
いただきたい。

文は人なり、というが、下記の文を読んでも、
沙羅さんの誠実で真面目な人柄を感じて感動するのだ。


 「今回のオペラ、KAMIKAZEのお話を頂いてから、約1年半、
  特攻隊の事、戦争の事を勉強して来ました。
  私たちの祖父母の世代にあった事、つい最近のことなのに、
  戦後に生まれた私たちは、実はあまり良く知らない。
  学校でもちゃんと習っていない今回のオペラ出演が
  きっかけで、知らなかった事をたくさん知りました。

  今回のオペラを見た事がきっかけで、私のように、
  知らなかった事を知った、という若い人や、戦争について、
  もう一度考え直そう、という人がいらしたら、
  このオペラは成功なのだろうと思いました。

  そして、今生きている私たちは、たくさんの若かった
  特攻隊員の死を、犬死にしてしまわないためにも、
  平和を守り、この国の人々、そして世界中の人々が、
  幸せに生きて行くために、何を忘れず、何を大切にして
  行くべきなのか、今、こんな時だからこそ、もう一度、
  見つめ直し、考え直す時なのだと思います。

  それが特攻隊として死んでいった若者たちの魂を
  本当の意味で弔う事になるのだと思います。

  今回のオペラは、歌い手にとってはとてもハードでした。
  とにかく音が高い。そして、特に1幕冒頭、
  私の登場シーンは、オケの音がものすごく大きい。
  三枝さんは、歌い手にとって音が高くてきつい事も、
  オケの音が大きくて歌が聞こえにくくなる事も、
  わかった上で、それでもそう作曲されたそうです。

  そして、<言葉は客席に聞こえないだろうけど
  それでいい。字幕を出すからそれでわかってもらえれば
  いい。それより、テンポ感や、迫力を大事にしてほしい>、
  と、最初の稽古の時におっしゃいました。
  なので、私は今回は高音部分(たくさん)の言葉を
  はっきり発音する事は捨て、声の響きの事と、
  表現とを優先させる事にしました。

  「VOICE SPACE」での活動や、「隅田川」、「万葉集」など、
  日本語で歌をうたい、その言葉の美しさを客席に伝え、
  その言葉の深さを表現する、という事を大切にして
  来た私にとって、日本語を客席に聴きとれるように歌い、
  伝える事を捨て去る、という事は、かなり抵抗のある事
  でした。

  でも、今回は、三枝さんのおっしゃる、テンポ感、
  迫力を失わないようにし、そしてなおかつ、ちゃんとした
  いい発声で歌い、喉を守るためには、
  これしか方法はないのだ、という所に、試行錯誤の末、
  たどり着きました。

  今回、初めて私が日本語で歌っているのを聴き、
  小林沙羅の歌は何を言っているのか聴きとれない、
  と思った方がたくさんいらしただろうな、と思うと
  少し悔しいです。でも、それも含めて、今回の経験は、
  私にいろいろな事を教えてくれました。

  心の底から愛子と同化していったこの数日間、
  愛子を私の中で抱きしめたり、少し突き放したり、
  手をつないだり、溶けあったり、一回一回の本番で、
  その距離感を確かめながら、歌い、演じました。
  愛子の叫びが、悲しみが、強さが、その気持ちが、
  どれだけお客様に伝わったか、私には実際のところは
  わかりませんが、精一杯このオペラに取り組む事ができて
  良かったです。

  (最終日の)カーテンコールで、このお話のモデルになった
  穴澤少尉の婚約者、智恵子さんが、舞台の上にあがって
  来て下さいました。
  キャストにとっては完全にサプライズでした。

  オペラでは知子は最後自殺して死んでしましますが、
  実際には智恵子さんは戦後を生き抜き、今も生きて
  いらっしゃるのです。
  その智恵子さんを見て、舞台上で涙が止まらなくなって
  しまいました。

  穴澤少尉の思い、記憶を大切に胸にしまって、
  智恵子さんは生きていらした。
  その方が目の前にいる。その感動。
  それに様々な思いを抱えながらの本番が3日間、
  無事に終わった事へのホッとする気持ち。
  それが重なってあふれだして来ました。
  舞台上を見ると、他にも泣いている人がたくさんいました。

  オペラ「KAMIKAZE-神風-」、賛否両論、
  様々な意見を寄せて頂いています。
  私もいろいろ悩んだり、不安だったり、納得いかない事が
  あったりもしましたが、それでも、今回このオペラに
  出演できて、そしてたくさんの方に見て頂く事ができて、
  本当に良かったと思っております。

  会場に足を運んで下さった皆様、支えて下さった
  音楽スタッフ、舞台スタッフの皆さま、
  制作に関わった皆さま、
  そして三枝成彰さん、どうもありがとうございました」

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