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2012年4月 4日 (水)

死刑執行を公表することへの疑問         反対意見を承知の、敢えての問題提起

反論があるのは承知で、敢えて問題提起したい。

 「死刑執行を公表する必要はないと思う。
  なぜ、死刑を執行したことをわざわざ公表するのだろうか?」

反対派への「配慮」(何の為の?)かもしれないが、
そうした自らのプレッシャーが、法務大臣の押印を不要に
ためらわせ遅らせる原因をますます強めてしまっているのだ
と思う。

冤罪の可能性の無い明確な凶悪犯罪者については
刑確定後、刑事訴訟法に則って粛々と行えばいいと思う。
「お知らせ」は被害者のご遺族に密かに伝えるだけでよいと思う。

こう述べると、人によっては、
 「いや、死刑制度は現状やむを得ないにしても、
  <勝手に執行されるのは怖い>。
  そこまで全面委任するほど政府、国を信頼していない」

という人もいるかもれないが、それは論理的におかしい。

司法論理、司法手続き的には、判決が出た時点で、
結審した時点で、<後のこと>は「委任した」ことになる
のであって、執行を国民が確認する義務も権利も本来無い。

それに現実的に、執行後、われわれがその事実を聞かされた
 (知った)からと言って
 <どうにかなるわけではない>のだから
執行の事実を知ることが何かの抑止力になることもなければ、
委任関係を論理的に完結させることにはならない。

執行を知らされることが判決の最終結審などではない。
手続的、論理的には全く関係ないことだ。
言わば~言いかたは悪いが~
 「知らされた人の自己満足に過ぎない」
とさえ言えるのだ。


ただ、カルト偽信仰集団による犯罪等、世間を大きく騒がせた事件
に関する被告人=死刑確定者の状況について気になるのも
国民感情として当然にあるだろうから、
「執行事実は官報に形式的事務的に掲載されること」は必要だ。
逆に言えば「その程度でよい」と思う。

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