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2011年10月13日 (木)

ベラ・チャスラフスカさん 驚きの来日を喜ぶ   お元気で良かった

人間の再会は、思いもかけず突然なされるときがある。

2007年1月8日付けのブログで、

 「ベラを救え チャスラフスカさんに寄せて」

という文を書いた。
それは、2004年の夏の発売された、後藤正治著、
 「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」の内容の紹介が主だが、
その折り、彼女について以下のような概況を記した。

 「ベラさんは、メキシコ大会直後結婚したが、母国では
  一時期、政治的な理由から相当不当に処遇されたこと。
  1990年の社会主義政権の崩壊後は復権し、
  チェコ五輪委員会会長の職につくなど、活躍が
  再開されたが、1993年8月、彼女の1人息子が
  (離婚した)元夫(すなわち息子の父親)とケンカをし、
  その際の暴力で息子が実父を死に至らしめてしまう
  という事件が起きたことなどから、その後、
  彼女は鬱状態に入り、チェコの病院で暮らしている。
 
  来日は数十回、1990年のときには、東京大会での
  女子選手と交歓会がとり行われたが、「事件後」の
  1995年の来日時の様子は明らかに変わっていたという。
  それを最後にもちろん来日はしていない。
  1942年生まれだから、まだ66歳。
  どうか、お元気になられて、また来日して欲しいと祈りたい」

また、同年2月11日付けで、

 「君はクチンスカヤを覚えているか? ナターシャに恋して」

と題した文を書いた。

そこでは、私が少年期にクチンスカヤに憧れたことを書いた後、
ベラの「事件」後、日本のテレビの特集でとしてはあったが、
ナタリア・クチンスカヤ(以下、ナターシャ)は
 (周辺はライバル同士と勝手に言っていたが)
ナターシャ自身からしたら憧れの人であったベラを訪ねて
単身プラハに行き、ベラに会おうと試みたが、事件に係る
判決直後ということもあったためか、
ベラは誰とも会いたくないという心境にあり、
ナターシャはベラに会えなかったことを書いた。

先述の本の著者、後藤氏は今も機会を見つけては
ベラと接触をとろうとしていることを知り、
ナターシャは「ベラに会ったら渡して欲しい」として、
彼女と今の夫との写真と、次のようなコメントを後藤氏に託した。

 「愛するベラ。すっかりご無沙汰しています。
  私は今、アメリカに住んでいます。顔はこんな感じ。
  横にいるのが夫です。
  後藤さんと今、あなたのことなど、いろいろなお話を
  しました。
  お元気で。
  いつか会えることを楽しみにしています。
   ナターシャより」

そして、私は最後にこう書いた。

 「ベラ・チャスラフスカとナタリア・クチンスカヤ。
  1960年代後半の女子体操界を、人気実力ともに
  文字通り2分した2人の「メキシコ後」の人生は、
  ある意味では対照的ではある。
  2人に間違いなく存在する友情と、国家を挟んでの
  微妙な感情は、東欧の歴史をそのまま表出させもする。
  ナターシャとベラは、再び会える日が来るのだろうか?
  それを心から祈りたい。
  愛する私たちのナターシャ、
  あなたの心がいつかきっとベラに届きますように」、と。


その、ベラ・チャスラフスカさんが来日した。

なんでも、東京五輪の個人総合優勝した直後、
日本の男性ファンから日本刀をプレゼントされたという。
プレゼントのモノも意外なモノだが、チャスラフスカさんは
帰国後の「プラハの春」以降不遇だった時代にあっても、
この刀に勇気づけられていたという。

その贈り主にぜひお礼が言いたいとして、
旧知のプラハ在住の指揮者、武藤英明さんの協力を得て、
お礼の旅として来日したのだ。

武藤英明さん(62歳)という指揮者は、私は一応名前を
知っている程度で、実演は聴いたことがない。
その武藤氏は1970年代にプラハに客演に行っていた際に、
不遇時代にあったチャスラフスカさんをしばしば演奏会に招く
など交流があったという。

事前に知っていた贈り主の情報は、
 「オオツカ リュゾウ さん 新宿区在」
程度のものだったというが、来日後の様子も東京新聞が
大きく伝え、朝日新聞も来日する情報と、来日後の様子を
伝えてた。

福島県出身の大塚隆三さんは当時25歳で、苦学苦労して
起こした新聞輸送の会社を高田馬場で経営していた男性
だったが、残念ながら1991年に病気により
53歳の若さで亡くなっていたが、
今回、隆三さんの奥さんと姉に会うことができ、
今69歳のチャスラフスカさんはやっと「47年前のお礼」を
言うことができたという。

親交のある武藤氏が刀の鑑定や贈り主を捜し始めたことが
新聞に掲載され、それを見た大塚さんの知人が大塚家に伝え、
今回の「再会」となったという。

なお、刀は会津の大塚さんの実家で代々保管されてきた
由緒ある刀とのことで、プラハの日本刀研究会に
第1号登録され、今後は両国を所縁(ゆかり)の刀として
プラハで保管されていくという。

それにしても、冒頭に書いたとおり、ベラさんの様子、
情報はほとんどもたらされてなかっただけでなく、
あまり良くない(病弱化)の情報もあったので、
21年ぶりの来日でお元気そうな様子を新聞でとはいえ、
拝見できたことは私にとっても法外の喜びである。

「ベラさん、どうか、ナターシャにも いつか会ってくださいね」

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