« どうやら日本経済新聞さんの「勇み足」のよう | トップページ | 「五山送り火」 陸前高田の薪 拒否は愚の骨頂 非科学的偏見と差別いう精神の貧困さ »

2011年8月 9日 (火)

ナガサキからフクシマへ

田上富久 長崎市長による「平和宣言」はなかなか良かった。
市長のほか学識経験者、被爆者ら18名からなる
「起草委員会」は例年以上に何度も議論し、
何度も書き直してきたという。
原発については、
 「賛成か反対かの二者択一は現段階で結論づけるのは
  避ける。もっと議論が必要」
としたものの、

「たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを
 基盤とする社会への転換を図るために、
 原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進める
 ことが必要です」、と明確に述べた。

これに対して、7日の「ヒロシマからフクシマへ」でも書いたが、
6日の広島市長による「平和宣言」にはガッカリした。
全然「生ぬるい」ものだった。
松井一実 広島市長は「平和宣言」で、被爆者73人が寄せた
体験談から2人の手記を引用した。それはそれで良いが、
状況については既に多くの証言や文献で
「あくまでも概ねだが」私たちは「知っている」。
だから、そういう意味においては、敢えて言うなら、
松井広島市長による「宣言」はやや情緒に訴えるところに
比重が強すぎる感じもした。

それより何より、原発について、
「脱原発を主張する人々、あるいは原子力管理の一層の
 厳格化とともに再生可能エネルギーの活用を訴える
 人々がいる。
 日本政府はこうした現状を真摯に受け止め、
 エネルギー政策を見直し」
と述べ、自らは原発の是非については触れずに
「まるでヒトゴトのように」日本政府の問題としていたことには
大いに驚き、唖然、愕然とした。
広島市長としてはちょっと「腰砕け」「腰ぬけ」だと思う。
前任の秋葉忠利さんならもっと違った内容となっていただろうと
想像する。


ところで、田上長崎市長の宣言について、新聞により
その「解釈」が異なっていた点は興味深かった。

日本経済新聞は、
 「長崎市長による「平和宣言」は広島市長のそれより
  一歩踏み込んだものの、急進的な脱原発とは
  一線を画した」
と書いていたが、はたしてそうだろうか?

これに対して、朝日新聞は、「脱原発 訴える」と見出しをつけ、
 「脱原発に踏む込むことには慎重だったが、最終的には
  「原子力に代わる」という表現で脱原発を目指す宣言を
  読み上げた」
と解説した。
同じ声明文でもこうも「受取り側の解釈」と読者への伝達が
異なるのは興味深い。


もう一度、田上長崎市長の「平和宣言」に戻るが、
あの宣言は冒頭から非常に印象的で良かった。
出だしからして「良い」。

 「今年3月、東日本大震災に続く東京電力
  福島第一発電所の事故に、私たちは愕然としました。
  爆発によりむきだしになった原子炉。
  周辺の町に住民の姿はありません。
  放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら
  帰ることができるのかもわかりません。
  「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、
  どうして再び放射線の恐怖に脅えるこにになってしまった
  のでしょうか。
  自然への畏(おそ)れを忘れていなかったか、
  人間の制御力を過信していなかったか、
  未来への責任から目をそらしていなかったか……、
  私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、
  根底から議論し、選択をする時がきています。

  たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを
  基盤とする社会への転換を図るために、
  原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進める
  ことが必要です。
  福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが
  原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じて
  いました(後略)」

ナガサキからフクシマへのエールと日本政府、世界への
メッセージはヒロシマからのそれよりも更に強く明快なもの
として発せられたのだった。

« どうやら日本経済新聞さんの「勇み足」のよう | トップページ | 「五山送り火」 陸前高田の薪 拒否は愚の骨頂 非科学的偏見と差別いう精神の貧困さ »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック