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2011年5月 5日 (木)

国民総 「フクシマ人」としての覚悟

5月1日の東京新聞に作家の森まゆみさんが、
 だれもが「フクシマ人」
と題して寄稿している。意味はこうだ。

「3.11以降、都会に暮らす者は福島の人達と同じものを
 背負った。
 世界はつながっているのだから隠れる場所などない。
 自分だけ逃げられるとか、安全な物を食べられるとか
 思うのは幻想にすぎない。
 私たちは「フクシマ人」として、止めきれなかった原発に
 勇気と覚悟をもって向き合っていくしかない」

全く賛成、同感だ。

震災直後、福島県周辺のかたではなく、関東圏の人が西方面に
「避難」した人も多少いたようだが、
  「意味が解らない」
  「国内の、どこへ逃げようというのか?」

海外ならともかく、国内で「避難」なんてそもそも有り得ない、
ムリな話なのだ。
可能性の濃淡はあるが、国内である以上、
地震自体の可能性はどこの地域でもあり得る。
それが環太平洋地震帯の中に在る日本の宿命である。

したがって海岸線なら津波の可能性はどこにでもあるし、
原発も各地に建設されている以上、そこの周辺だけでなく、
結局のところ距離の濃淡の違いがあるだけで、
放射能に関する危険性だって、国内にいる以上
 (いや、海外だって場所によれば)
「ある」ことには違いないのだ。
だから、私たちは「運命共同体として腹を固める」しか
方法はないと覚悟することが大前提なのだ。

森さんの文に戻ると、
東北地方が関東以西に歴史的に負を背負ってきた地域
であることや、農作物と消費者のことに触れた後、
「私たちは行きつくところまで来てしまった。私自身、
 格差や貧困のことを考えることで精一杯で、
 (消費を謳歌してしまっていたという)油断をしていた。
 最悪の事態に自分も加担していたのだ、と反省しています」
と書いている。
特に関東以西に暮らす者の本質を突いた文、指摘である。

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