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2011年2月 1日 (火)

「おかえりが おまもり」  坂本冬美さん    風がはこんできたもの 第二夜

アーティストはその芸で観衆聴衆を魅了し、ときとして「泣かせる」
のであって、アーティスト自身がステージで泣いてはいけない。
「泣かす」のはお客さんであり、演奏中に歌唱中に
当のアーティスト自身が泣いてはいけない。
これは大原則だと思う。

しかし、・・・
それはいかなるときも許されないものなのだろうか?
例外はあり得ないのだろうか?
そもそも、それは本当に「絶対的な真実」だろうか?
それは絶対に許されない行為だろうか?

答えはYesでもありNoでもあるように想える。
ステージの場、スチュエーションにもよるし、
「レターのあて先」にもよるのではないか? と密かに想う。

昔、今や声楽界の重鎮、畑中良輔さんが次のことを書いていた。
高校生の合唱団が、林光さんの「原爆小景」を歌ったのだが、
その内容の衝撃さから、しだいに1人2人と涙声に変わっていき、
とうとう合唱が止まってしまった、と。
畑中さんは怒るどころか、「生涯忘れられない光景だった」
と書いていた。
演奏としては合唱としては確かに「大失敗」である。
しかし、その理由や、歌う中での時間の経過の中で生じた
彼ら彼女たちの心の変化を想像すると、確かに大きな感慨を
覚える。

演奏者はステージで泣いてはいけない。いわんや
演奏を止めるなんて本来はとんでもない「醜態」ですらある。
しかし、この逸話は、「例外中の例外は存在する」ことを
物語っているとも言える。

また、かつて故・朝比奈 隆さんがブルックナーの第8交響曲の
第3楽章アダージョの終わり近くで、涙を拭いながら指揮して
いたことがあったというが、聴衆はもちろん、団員でさえ、
誰がそれを非難できるだろうか?


また前置きが長くなってしまった。

1月31日からTBSで4回にわたり、倉本聡氏の企画のより
「風がはこんできたもの」と題して各回にアーティストに対する
インタビューとその演奏が紹介される番組が始まっている。
1回目はJUJUさんで、
2回目である2月1日は坂本冬美さんだった。
以前も書いたが、倉本氏はあまり好きではない。
しかし、今回の企画は興味深い。

坂本さんは故郷、和歌山県の上富田町のホールで、
聴衆というより「地元のファン」の前に立った。
だから、いつものフォーマルな言葉遣いではなく、
友人に語りかける「ラフな言葉」での語りも、プライヴェートの
延長線としての冬美さんが見れて興味深かった。

「この日のためだけに書かれた」という川村結花さん作詞作曲の
 「おかえりがおまもり」 を番組の最後で歌った。
歌う前に冬美さんは、
「歌うのは今日が最初で最後かもしれんけど」と前置きし、
「ちょっと待ってよ」として、驚いたことに
溢れ出てくる涙を必死でこらえて止めている姿が映し出された。
「失敗したら(間違えたら)ゴメンな」と言い、
それからも相当な「待ち」の後、歌い出したのだった。

彼女の胸中に去来したものは何か?
もちろんそれは彼女自身にしか解らない。
様々な思いを胸に歌ったその歌は、最後のほうで涙声となり、
音程と声を揺らした。でもとても印象的な歌と歌唱だった。

その場面をブログにアップしている人がいたのでURLを記す。
もっとも同じ場面自体はユーチューブにもアップされている。

「おかえりがおまもり」
ある人のブログとそのシーンのアップURL
http://haru-happy.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-b56c.html

ユーチューブ
http://www.youtube.com/watch?v=OP_-PgpEY8s

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