« 哀悼 ウィーン・フィル団員 富士山で滑落死 | トップページ | 臼木あいさん ソプラノ・リサイタル 充実の歌唱 »

2010年11月 5日 (金)

This is ネット社会 良い悪いでなく     「衝突映像 流出事件」が示す衝撃性と意味

【この流出事件自体の衝撃性。意味について】
とうとう、と敢えて言うが、尖閣諸島での衝突事件のVTRが
世に出た。日本政府が早い段階から公開していれば、
少なくともこうした混乱は生じなかったのに、と思う。
不謹慎を承知で言うなら、近年、
「これほどまでに<面白い事件>はない」。
いや、衝突事件そのものではなく、
この「録画漏えい事件が」、である。

「ここに至って完全にインターネットが主役の時代が来たのだ」
と書くと、若い人は 「何を今更」、と言うだろうし、
年配世代は 「まだまだテレビと新聞の時代は続くよ」
と言うだろう。
だが敢えて言おう。 「どちらも間違いである」、と。

すなわち、
「この漏えい事件こそ、インターネットが、テレビと新聞から
  ニュースソースとしての「主役の座」を奪ったという意味に
  おいて画期的な事件であり、衝劇的な歴史的転換点である」
のだ。

もちろん、管理する側=国家としては情報漏洩されたという
屈辱的事態だし、「犯人」の特定および刑事告発による刑罰は
必要で、そのことは後で書くが、
まずは「衝撃的」の意味は2つ在ることを指摘したい。


【2つの衝撃性】
1つは今述べたように
「インターネットがテレビと新聞からニュースソースとしての
 主役の座を奪った」、という点。
もう1つは、
「公務員による政府の盾を突く(政府批判としての)内部告発、
 すなわち、「どんな組織のどんな立場にいようと、
 <いったん「気に入らない。攻撃してやれ」と「決意」した人>
 なら、誰でもこうした内部告発はできるものなのだ」
ということを証明した点、
これこそが2つの「衝撃」の意味だ。


【「犯人」についての推測(仮説)】
今回の流出は間違いなく「内部告発」で、情報源は
①石垣海上保安部、②那覇地検、③海上保安庁、④最高検察庁
の4つとのことだが、一部の国会議員だけに公開された6分少々
でもなく、逮捕までの約2時間を4台のカメラで収録したはず
といわれるほど長くない44分少々という「編集」具合からすると
たぶん(敢えて書くが)
「10中8~9、①の石垣海上保安部の誰か」
だと思う。あるいは②の誰か。

①あるいは②から、③と④にデータが移る間に、全くの第三者が
中間でネット内に立ち入って盗むのはちょっと高度過ぎてムリ
だと思う。
「中間摂取」は難しいが③と④の可能性は排除できないものの、
先述のとおり「44分に編集してある」ことが「犯人」割り出しの
「最大のヒント」で、同じようなかたちで①で実行されたものが
②に送られた点を考えれば、
「①か②の関係者」でほぼ間違いないと思う。


【国家、管理する組織としては「あってはならないミス」】
もちろん、政府国家としては、あるいは組織としては、
「かかる情報漏洩事件は最悪の事態」であり、「犯人探し」
だけでなく、その「ノウハウ」の研究と分析による後々のための
対策を講じることは重要だ。
でも、こう思いませんか?
「最終的にはムリです」と。その意味は次に書きます。


【そうは言っても、「本質」は犯人探しではない】
私は「たぶん国民の多くは「犯人」に対して「よく<勇気>を
 もってやったね」と(褒めやしないまでも)「感心」こそすれ、
 「非国民的な悪いヤツだ」とまではあまり思わないのでは
 ないか」と想像する。
それにたぶん、当の本人(犯人)も「逮捕を覚悟のうえでの
「決断」と実行だったのではないか」、とも想像できる。
そして、先述の「2つの衝撃性」の2つめに書いたように、
「どんな組織のどんな立場にいようと、
 <いったん「気に入らない。攻撃してやれ」と「決意」した人>
 なら、誰でもこうした内部告発はできるもの」
である以上、犯人探しで終わっては全く意味が無いと言える。


【そこで再度、本質的なことを】
「衝撃的、歴史的事件」という点をもう一度書く。
今回の件での「テレビのぶざまさ」は、
「ネットで流れた映像をテレビでそのまま放映して解説者を
 読んで説明していたこと自体が象徴していた」と言える。
すなわち、
「テレビがインターネットを<後追い>で放送してその映像を基に
 解説していた」のだから。

今回の件で、屈辱を感じていないテレビ関係者や新聞関係者が
いるとしたら、
「その人はおよそ報道とは無縁の感性の持ち主で、
 ジャーナリズム界から去ったほうがよい」と思う。
テレビマンなら、新聞マンなら、今回の件は
「悔しく思って当然」だと思う。
インターネットに主役の座を奪われた点で、テレビマンや
新聞マンにとって「屈辱以外の何物でもない」はずだから。

だが、テレビマンや新聞マンがどんなに悔しがっても、
これが「既存の現実」なのだ。

今でも若い世代を中心にテレビよりもインターネットから情報を
得る人は多いが、今後益々そうなることは明白だし、
新聞は多々使い勝手がよいし、年配の世代を中心に支持を
得ているだろうが、それでもシカゴトリビューンの廃刊に見られる
ように、今後は新聞さえネットニュースにとって代わられるように
なっていくだろう。


【終わりに; 謝罪の重要性~真の友好関係構築のために】
さて、このことはここまでとし、敢えて「政治的」なことに戻る
なら、9月21日にも
「中国よ どうか冷静に 自分の首を絞める愚はやめよう」
と題して書いたように、日中友好こそが
互いの経済的平和的両面において計り知れない効果をもたらす
のだから、いい加減「しょうもない」問題より、
前向きに進むべきだと思うが、しかし、それはそれとして
「衝突時の録画は公開すべし」 とも、あのとき書いた。

「仲良くすることと同じくらい、事実は事実として相互の正しい
 認識を共有することは大事だし、それは何ら矛盾しない」
のだから。
うやむやにしたほうが良い場合も世の中あるが、
しかし「逆もあることは事実」なのだ。

個人であれ組織(国家)であれ、誰でも過ちは犯す。
でもそのとき、「正直に謝れる人(組織、国家)」が
より信頼されるようになるのだ。
「正直に謝ることができない人は結局信頼など得られない」
謝れる人こそ信頼されるのだ。
ズル賢い自己正当化ばかりしているような個人や組織・国家は
「所詮その程度の人(組織・国家)」ということだ。
個人でも組織・国家でも「謝るときは謝れる」ことが肝心。
それができるか否か、で「その後」は全く違った関係性、
状況となっていくだろう。

だから、もし万一(仮にトカゲの尻尾切りだろうと中国国民の
間からの批判が出ても)、中国政府が
「あの船長の行動は間違いだった。暴力行為はよくない。
 あの件は詫びる。領海の問題についてはあの件とは
 区別して話しあおう」と言いだしてくれたなら、
私はその中国要人をとても尊敬するだろう。
でも、まあ、その期待度は(少なくともしばらくの間は)
限りなくゼロに近いことも判ってはいるが。

« 哀悼 ウィーン・フィル団員 富士山で滑落死 | トップページ | 臼木あいさん ソプラノ・リサイタル 充実の歌唱 »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック