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2010年8月31日 (火)

はやぶさ よ永遠なれ & ジャイアント・ロボ

小惑星探査機「はやぶさ」が苦難に満ちた「旅」を終え、
2010年6月13日、「調査資料」を内包したカプセルを
地球に投げつけ、自身も大気圏に突入してその身を燃焼分解
させた姿に、私たち人間という機械とは異なる生命体は、
数理計算と物理的英知の結晶である「機械である君」に
ひどく感動し、感謝の念すら覚えたのだった。
なぜだろう?
機械が「心」や「意志」や「魂」を保有することは絶対にない。
あり得ない。
しかし、「はやぶさ」を見た私たちは一瞬であるにしても誰もが
その常識に疑念を抱いたはずだ。
「ほんとうにそうか?」と。
けなげさ、というより、せつなささえ感じた瞬間があの地球への
帰還の姿だった。

8月28日のNHK「追跡!A to Z」は「はやぶさ」を
特集放送した。
プロジェクトの総責任者、川口淳一郎氏の苦悩と葛藤と決断、
チームの苦悩と団結。
「どうして君は、これほどまでに指令に応えてくれるのか?」
と、川口氏は他のところで書いている。

機械が「心」や「意志」や「魂」を保有することは絶対に
あり得ない。しかし、考えてみると、人間が「客観的に」製造し、
最高度数理計算による人工頭脳を加えたとき、
一瞬人の「心」に似た現象が生じていないことを
誰が証明できるというのだろう?

確かにそう考えることが可能であると同時にそれは人間の
都合のよいロマンに酔う(酔いたいという)勝手な感情に
すぎないかもしれない。
一部のツィッター利用者に「はやぶさを見て感動しているヤツは
キモイ」ということを書いている人がいるようだが、
「なんてロマンのないヤツだろう」と思う。
ろくな恋愛をしていないのだろうなあ、などと余計な御世話だが
思ってしまう。
機械的に学校に行き、25歳までにあるいは30歳までに結婚
という形式だけに則り機械的に結婚し、機械的に生きる。
特別な感情も感慨も沸くことなく。
機械のような砂漠のような無機的な人間と、
機械なのにロマンさえ感じさせてくれる「はやぶさ」。
この対比は皮肉だ。

人間の、地球や宇宙の神秘に遭遇したとき、その解明が不可能
なのではないかと感じる瞬間に出会ったときに、
人間は名状しがたい感慨を覚えるのはむしろ自然である。


昔のアニメで、典型的な2例がある。
人間の心を持った「アトム」と、あくまでの「鉄のかたまり」
としての「鉄人28号」だ。後者は主題歌にあるように、
操作する人間の「いいも悪いもリモコンしだい」で活動する。
そしてもう1つ、1967年10月から半年間放送された
横山光輝原作の「ジャイアントロボ」の実写版ドラマの最終回を
今回の「はやぶさ」を見て思い出した。
通常(それまで)は草間大作少年の指示命令で動いていたロボ
だが、その最終回でのギロチン帝王との一騎打ちの際、
「この強敵を地球の外で爆破しない限り人類を救えない」
とロボは「悟る」。
そして、大作少年の「指示なしに「自らの意思で」
ギロチン帝王を抱えたまま大気圏外に飛んで行く」のだ。
少年は叫ぶ。
「ロボ、どこへ行くんだ? 戻れ、ロボ。死んじゃうよ」、と。

人間の伝達を「忠実に、いや、それを超えたかのような点も
含めて、人間との意思疎通を重ねることにより地球に戻り、
人間に尽くしてくれた はやぶさ」と、
「敢えてボスの指示を自らの「意思」により逆らうことによって
人間を守ったジャイアントロボ」。
方法は全く逆だが、また、ロボは空想の世界、
「はやぶさ」は現実の人間の英知の結晶という違いはあるものの
人間との間に「奇跡のような魂の交流」があったように感じる
2つの「機械」に、あらためて深い感慨を覚える。
機械なのに人にロマンを与えてくれる。
これを奇跡と呼ばずして何だろう?

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