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2010年8月 9日 (月)

ヒロシマ ナガサキ

「誰が ドブ鼠のように かくれたいか!」

日本人よるもっとも偉大な曲である三善 晃の「レクイエム」は
このシュプレッヒコールから始まる。
戦場での惨めで理不尽な死。だが、もちろん日本人の死者は
戦場だけで終わらなかった。本土への度重なる空襲、空爆。
沖縄での地上戦。そして2発の原爆投下。

「レクイエム」のいくつかの詩の中の石垣りんによる
「ああ、あなたでしたね。あなたも死んだのでしたね。
 西脇さん、水町さん、みんな、ここへ戻ってください。
 どのようにして死ななければならなかったか。語って下さい。
 行かないで下さい。皆さん、どうかここに居て下さい」
も、戦場での兵士達だけへの問いかけではないだろう。
爆弾や焼夷弾や機銃掃射、そして原爆により、
「どのようにして死ななければならなかったのか?」
という問いかけは常に私たちが共有する。

以前も書いたが、アメリカが原爆投下に関していつも言うところの
「戦争を早期に終わらせるためやむを得なかった」との言は
もちろん言い訳に過ぎない。
自己正当化=逃げの論理に過ぎない。
それならなぜ8月14日に大阪を空爆をしたのか?
そして何よりも原爆を「2発落としたこと」が言いわけに過ぎない
最大の証拠だ。
要するに「ウラン型」と「プルトニウム型」という2種類の原爆を
開発したのだから、彼等にしてみたら
「当然2発の威力とそのもたらす影響度の違い」を
「検証する必要があった」わけだ。
原爆投下は「人体実験」に他ならなかった。


原爆投下から65年が経ち、6日の
「広島原爆死亡者慰霊式並びに平和祈念式」には、
初めてアメリカの公式参列者としてルース駐日大使が出席し、
パン・ギムン(潘基文)国連事務総長、イギリスとフランスも
臨時代理大使などの初出席者が多かった点は良かった。
9日の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」には
ルース大使は欠席したが、イギリスとフランスのほか、
イスラエルの代表者が初めて出席した。
なお、パン・ギムン氏は日程の都合で広島に先立つ5日に
長崎を訪問している。


TBSでは7日(土)「ニュース23クロス」の特番として、
「二重被爆」について放送された。このことについては
私はあまり知らなかったので、あらためて衝撃を受けた。
また、通常放送での「ニュース23クロス」では
綾瀬はるかさんが数か月前に続き、今月は広島での
取材2日間、また9日は長崎ルポの様子が放映された。
長崎では8歳だった少女が、
「その日の朝、両親と兄弟姉妹で朝食を食べたのに、
 原爆投下時、たまたま自分1人が山裏で遊んでいて
 助かったが、いっしょに朝食を食べた家族全員が死亡」
という「原爆孤児」について紹介されていた。

また、NHKでは「封印された原爆報告書」としてアメリカの
公文書会館で発見された資料をNHKが借受け、
それについて放送された。
投下から数日後以降のアメリカ人による検証は知られているが、
それだけではなかった。
アメリカの要請により日本側の医師ら1300人が被爆者2万人を
調べた資料は181冊、1万ページに及ぶ。
被害状況の「調査」。治療ではない。サンプル調査。
遺体解剖で放射線が人体にどう影響したのか、とか、
子供たちがどこでどう死んだのか、ということを「調べただけ」、
という「重たい事実」。

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