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2010年8月22日 (日)

対馬丸

1944年7月にサイパン島で日本軍が玉砕し、アメリカ軍による
本土爆撃や沖縄上陸が現実化したため、政府は沖縄県知事に
学童や婦女子の疎開を命じた。同年8月22日、児童や教師を
含む千数百人を乗せて貨物船である対馬丸が長崎に向かった
が、鹿児島県悪石島沖でアメリカ海軍の潜水艦による魚雷攻撃
を受けて沈没。
氏名が判っただけでも児童779人を含む1476名が死亡した。
乗船していた人数は1661名とする説や1788名という説など
があるが、完全に正確な人数は未だ不明である。
多くの遺体が奄美大島などに流れ着き、その地には慰霊碑が
立っているという。
もちろん、船とともに沈み遺体の浮かんでいない人も多数いると
思われる。
対馬丸の船体は確認されているが引き上げられてはいない。

このほか、1944年9月25日には徳之島から鹿児島に
向かっていた疎開船「武州丸」も攻撃されて沈没。
幼児・児童77人を含む146名が死亡している。

戦争自体が不条理ゆえ、いったん始まってしまえば、
戦闘員と非戦闘員を区別しての攻撃は実質ムリになるのが
現実だ。
日本、欧州、中国等への当時の敵国からの爆撃、そして原爆投下
がその端的な例であることは言うまでもない。

なお、攻撃した潜水艦ボーフィン号は
「真珠湾のリベンジをした英雄」として真珠湾の展示されている。

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