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2010年8月15日 (日)

保戸島の小学校を爆撃したアメリカ軍~終戦記念日に寄せて

1945年7月25日午前10時ころ、大分県津久見市
保戸島の国民小学校(現・津久見市立保戸島小学校)では
授業が行われていたが、そこへ米軍のグラマン戦闘機が飛来、
3発の爆弾のうち1つが校舎を破壊し、
125人の小学生と2人の教師が死亡した。

しかもグラマンは爆撃後、「ご丁寧に」再度旋回して破壊した校舎
周辺に機銃掃射をかけたのだった。
特に爆撃による被害は大きく、子供達の遺体は広範囲に「散乱」
していたという。
そして36名については遺体の身元確認もできない状態のまま、
すなわち「肉片」などのまま「まとめて火葬」せざるを得なかった
という。

戦後、アメリカは小学校を爆撃したことに対して「「誤爆だった」
と主張したが、明らかに「ウソ」だ。
確かに島には海軍のレーダー関連施設があったが、
その日は快晴であり少なくとも爆撃後、逃げ惑う日本人が
軍人ではなく子供たちであることは目視で判ったはずだ。

既にほとんど終戦が見えていた時期に、戦争そのものが理不尽な
ものとはいえ、九州の小さな島の小学校を
「爆撃しなければならなかった理由」は
いったいどこにあったというのだろう?

その米軍機のパイロットが、まだ「ご存命」なら次のように
ぜひ聞いてみたいものだ。

「小学校を爆撃し、逃げ惑う子供たちに機銃掃射をかけて、
 そんなに楽しかったのですか?」、と。

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