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2010年6月10日 (木)

「最小不幸社会」 という表現は印象的

7日、菅 直人 新内閣が発足した。組閣後の就任会見で
「最小不幸社会」の実現、という表現を用いたが、ユニークな
表現だ。
今までの日本の、いや外国を含めて、政治のトップに立った人が
たとえ表現の一手段、一表現とはいえ、「不幸」という単語を
政府の目標に置いた人は前代未聞ではないかと思う。

大抵誰もが良い言葉を使いたがるはず。それもできれば「幸福」
という言葉を用いて、例えば、
「1人でも多くの人が幸福感や希望のもてる社会を」とかなんとか
言えば、まあ、ありきたりだが、それ自体疑問や不思議に思われ
る表現ではない。
しかし、菅さんは敢えて「不幸」という言葉を使った。
会見では毎年3万人を超える自殺者数にふれ、
高邁な理想を掲げるのではなく、
「人を不幸にする要素をひとつずつ取り除いていくことが政治の
 仕事」、と述べた点は国民にとても強いインパクトを与えたと
思う。

この発言について、「もやい」事務局長の湯浅誠さんは、
「最小不幸社会は、政治ができることの限界を意識した考え方。
 もっと高い理想を掲げるべきだという批判もあるが、
 市民運動に携わってきた菅さんの現実主義的な面が
 表れている」、と肯定的に述べている。

同感だ。
確かにあまりにも誰もかれもが「幸福、幸福」とばかり言うと、
少し間違えると「自分さえ幸福ならば」という社会風潮を蔓延
させることになりかねない、ということは言えるだろう。


最近、この歳になってようやくトルストイの言葉がよく解るように
なった。幸福そうな人々を見ていると、羨ましいなとは思うが、
同時に、彼の、
「幸福な人はみな同じように見える。
 しかし、不幸な人は、みなそれぞれ全く違う」
という言葉を思い出し、その指摘は正鵠を射ていると感じる。

観察者の側(?)からすると、
「幸福(そう)な人々というのは面白くもなんともない」。
自分が不幸かどうかは判らないが、ニュースや街角を含め、
直接間接、苦しんでいるように思える人を見れば、事情は
人それぞれ異なっているように思えるし、少なくとも自分は
そういう人々のことにこそ関心がいくし、考えていきたいと思う。
もちろん「考えているだけで どうするのさ?」という批判は
甘んじて受け入れるが。
そして、そこに自分の感情や行動が、ある種の援助なのか、
同情なのか、あるいは逆に批判なのか揶揄なのか、というような
自己の内的なレスポンスは私自身のエゴイズムとも関わってくる
問題でもあることも理解はしているけれども。

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