« 株主総会 入門 その⑨ 運用実践編その3 ; 当日編 | トップページ | 相撲界の堕落 腐敗 極まれり 国技という表現はもう止めるべき »

2010年6月15日 (火)

最後に人知れず微笑むことができるだろうか? 60年安保から50年 樺 美智子さんに寄せて

1960年6月15日。日米安全保障条約改正の阻止を訴えて、
学生や市民ら数十万人ともいう人々が国会議事堂周辺に結集し、
警察官や機動隊員と激しく衝突した。
多くの負傷者が出たが、中でも当時、東京大学文学部
日本史学研究室4年生であった樺美智子さんの死亡は衝撃を
もたらした。享年22歳。その死は安保闘争の象徴となった。

死因をめぐっては、警察側は転倒が原因の胸部の圧迫によるものと
主張したのに対し、学生側は機動隊の暴行による死亡と主張した。
結果的に学生側の死亡者を出したことで、警察はマスコミから批判
されることとなり、翌16日には閣議で訪日予定であった
アイゼンハワー大統領に延期要請を決定。
18日には60年安保最大の33万人が国会を取り囲んだが、
23日に批准書交換が行われ、日米新安保条約発効とともに
岸信介首相は退陣が表明した。
なお、樺さんの葬儀は6月24日に日比谷公会堂で〈国民葬〉と
銘打って行われ、
毛沢東は「全世界に名を知られる日本民族の英雄となった」
と打電してきたという。
「英雄」という言葉は相応しくないだろう。
まあ、当時の中国共産党のトップらしい表現ではあるが。

その後、樺さんのお母様により遺稿集『人しれず微笑まん』
が出されてベストセラーになったという。中でも、
彼女が東大に入る前年、したがって安保闘争には直接的には
無関係だが、誰しも多感で感傷的な時期の孤独感を率直に述べた
「最後に」という詩は有名なので、あらためて紹介するまでもない
かもしれないが、この日にちなんで記しておきたい。


「最後に」

誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている

でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが最もよく笑うものだ」と

でも私はいつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ

  樺 美智子

安保闘争から50年。自民党政権はほぼ永久に
その時代的存在意義が消滅したことに感慨を覚える。
しかし、沖縄問題は未解決のまま残っている。
そういう意味では、あの時代、樺さんをはじめ、国会に押し寄せた
民衆の怒りの解決地点は未だ見えていないと言えるだろう。
今、それは正に今の時代を生きている私達の問題として
課せられているのだ。

« 株主総会 入門 その⑨ 運用実践編その3 ; 当日編 | トップページ | 相撲界の堕落 腐敗 極まれり 国技という表現はもう止めるべき »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック