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2010年4月19日 (月)

マズイ理由付け~富士通 社で起きている騒動について考える

小澤征爾さんとN響との間で昔起きた事件から話を始めたい。
1962年の暮頃に起きた、若き小澤征爾さんとNHK交響楽団
の決裂、いわゆる「小澤事件」について、後年、評論家で
合唱指揮者でもあった故・福永陽一郎さんがこう書いていたのを
覚えている。いわく、
「N響が、小澤を「切る」理由として、
  「彼はブルーノ・ワルターのようにモーツァルトを指揮しない」
 としたことは、最もマズイ理由の付け方であった」。

ある人達(組織等)が特定の人をキル(離別する)とき、
人情的には(少なくともこれまでの日本では)多くの場合、
良い悪は別として「なるべく穏便に、カンケカ別れ的な心象を
内外に与えないように」配慮することが行われてきた。
ある意味では日本的な良さの面ではあったとも言えるかも
しれない。
しかし、ここ10年ほどにこの国に起きたドライな関係
(最も端的な例がいわゆる「派遣切り」)は、そういう意味に
おいては「悪い意味での日本的慣例の排除」だったと言える。

それはいったん置いて話を戻すと、そうした「良き慣例(?)」
には「理由づけ」が実はもっとも肝心で大事なのであり、
そうでなければいっそのこと、
「あんたは嫌いだから」くらいストレートな別離のほうが
 「よほど潔い」とさえ言えるのだ。

それなのに、いざ「さよなら」の際に、
「○○○だから」とか、「他の人がいろいろ(悪評を)言っている
 から」とか(他の人って誰?)等々、いかにも
 「もっともらしい理由を無理して格好つけようとするから、
 それこそ無理が生じて、余計にこじれるキッカケになる」
のだ。

当時のN響も、「小澤は生意気だ」という「ベテラン団員たちの
 感情的理由=反感」がほとんど「全て」だったのに、
小澤解任に際して提示し、公表した理由が先のとおりの、
「ブルーノ・ワルターのようにモーツァルトを指揮しない」
だった。

福永さんは既に故人だが、完全に彼に同意賛成する。
理由は簡単だ。
1.ブルーノ・ワルター級の指揮者なんて
 そうざらにいるわけないこと。
2.そもそも、確かにワルターのモーツァルトは魅力的で
 素晴らしいが、唯一絶対的、権威的なものであるわけではなく、
 そうした絶対的、権威的演奏なるものとして(ワルターに限らず)
 演奏を考えること自体「おかしい」し、音楽自体にとっても
 不幸なことだ。
3.それに、例えば、モーツァルトでも「ジュピター」交響曲や
 「レクイエム」は、私はワルターよりベームのほうが
 素晴らしいと思う、等々、そうした個人的な「趣味」の面も
 考えたら、それこそ先述のとおり、なにも
 「ワルターのようなモーツァルト演奏を「しなければならない」
  理由は別に何も無い」 ことなど、言うまでもないほど
 自明なことだ。

N響はいかにも、さも「音楽的な問題」としての理由を付けて
小澤を解任したことは、理由としては
「最もマズイ理由付けであった」と指摘した福永さんは
全面的に正しいと思う。

ちなみに、小澤さんがその後、N響との実質的な和解、
すなわち、N響の演奏会の指揮台に登場したのは
事件から実に32年以上経った1995年の1月だった。
これは、例えば、カラヤンがウィーン国立歌劇場と
ケンカ別れして指揮台を去った後、和解して再び登場
するまでは、せいぜい約10年くらいだったことと比較
すれば、いかに 「大ゲンカの度合いが凄(すさ)まじい
ものだったか」 が想像がつくだろう。

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さて、そこでそれから敷衍(ふえん)して、最近、経済界で
「お騒がせ」になっている問題の1つ、富士通の元社長、
野副州旦(のぞえ くにあき)氏が同社に対して自らの
「辞任の取り消し」を求めている件について考えてみたい。
もちろん、ことの真相は外部者である私を含めてほとんどの
人が現段階では真相は判るはずもなく、基本的には
「報道からの情報での感想」という程度になるのは当然で、
それこそ軽々で断定的な意見は、富士通さん野副さん双方に
対して失礼になるのでそれは控えたい。

ただし、野副氏の言いう、
「富士通側が理由付けとしたある部分がもし虚偽だったとしたら、
 これは大変な大問題」なので、いちおうそうした問題点、
すなわち、一般論しての、日本の全企業に共通した
リスクマネジメントに関するモデルケースとして客観的に
考えてみる必要があることも事実だと考えるので、
僭越ながら以下、論考してみたいと思う。

【概要】
まず経緯としては昨年9月に、会長や相談役らの特定の役員が、
当時「社長」であった野副氏を「密室」に呼び出して、
「あなたが直接関係しているファンド会社は反社会的勢力の
 関係がありそうだ。以前も注意を促したはずだが、
 社長としての見識に相応しくないから辞任して欲しい」
と告げ、野副氏は反発、反論したものの、上場会社として騒ぎに
なるのはよくないから不本意だが受け入れた、とするもの。
しかしその後、退任後、自ら調べたところ、指摘された
ファンドにはそのような疑いは認められなかったとして、
今年2月になって、
「辞任は正規な取締役会での決議でなく、密室において
 <虚偽の理由>すなわち「君が関与しているファンド運用会社が
 <反社会的勢力>に関係しているから、というウソの理由に
 よって強要されたもので、事実上の解任だった」
として、
「辞任の取り消し」と、役員3名に対して合計3億3千万円の
 損害賠償と謝罪広告を求める訴訟を起こした」。
また、それとは別に取締役2名に対して会社に50億円の損害を
与えたとしての(会社への)損害賠償と、「解任劇」に関わった
他の取締役数名に対しても合計数億円単位の損害賠償を請求
する文書を会社に送付したという。
(「株主代表訴訟」を前提とした事前通知かと想像できる)
加えて、3月には取締役としての地位保全の仮処分申請という
ものしたのち、それは取り下げている(後述)。
以上が概要。

【余談】
余談だが、再近の新聞での役員異動広告でも判るが、この国には
「相談役(取締役か否かは別として)」という「奇妙な地位」が
昔からある。15年前くらい前からは「不況のため減った地位」
だと思っていたら、最近はまた増えているような印象すらある。
「相談役」は元社長などが多く、要するに
「一線を退いてからも何か言わせていただきますよ、
 というような地位」、あるいは、
「意見をお伺いしに出向かせていただく人」という地位で、
かつてそれに相応しかったのは(奇妙でなかったのは)
松下幸之助さんくらいだと思うが、
「自分を松下幸之助さんと同等と勘違いして」それを真似た
役職を置く企業がいまだに大手老舗会社には少なからずいるし、
最近はベンチャー企業にさえいるようだ。

【話を戻す】
その「密室での通告」の際、野副氏には今後10年間の相談役
としての地位と、その間の合計2億7000万円の報酬を約束
する契約書をやむなく交わしたが、野副氏は後にそれは
「事実上の口止め料」だった、解して外に伝えている。

【本論に入るに「前置き」を;ある種の「常識」について】
問題は1点に絞れると思う。
その結論の前に、いつもながらの「前置き」をさせていただく。
大企業だろうとそうでなかろうと、取締役、監査役などの
「役員の選任」 は経営者トップ(オーナー)ないし、
役員の中でも上位部の「常務会」とか「経営会議」メンバー
により選出、決定して、(もちろん当人の了解のもと)
株主総会で選任していただくようにもっていくのが「普通」
だが、実は「退任」の場合も、本人の病気や家庭の事情等の
特別な事情がない場合で「退任」する場合のほとんどは、
先述の一部の特定の経営者の判断により
(すなわち当人の意志とは別のところで)決定されている
のがこれまた「普通」のことなのである。

その際、決定メンバー陣はその人に対して、冒頭の
小澤N響事件で書いたような「本音とは違う理由付けによる対処」
をする。
ただし小澤=N響事件のときよりは「もう少しまともな」、
「人間的な対処」ではあるけれど。すなわち、こう説得する。

「新しい、よりふさわしい後任者、担当者が他にいるので
 (見つかったので)、実質的な解任かもしれないが、
 それでは「これまでの関係からして忍びないので」
 自ら「辞任」していただく、というかたちをとらせて
 いただきたい。辞任して欲しい」、
とする。これが現実、「実情」であり、ずっと昔から、
少なくともこの国においては「常識的に」行われてきた。

ある意味では「日本的な優しい配慮」からの
「自らの辞任という退任」、日本社会特有の
「日本人らしい優しいやりかた」だとは思う。
世の主婦の皆さんには理解できないかもしれないけれども。

だから、一般論で言えば、問題の同社においても、
「何らかの理由により」「野副さんでなく、A氏に社長になって
 もらおう」と、会長や副社長等々の関係者によって決定されて
当人に言い伝えられた、ということ自体は、
「密室で<辞任を迫った、強要した>という状況が本当だと
したら、確かに「少し異例」ではあるけれど、
「その点を除けば先述のとおり一般的によくあること」だ。


【最も重要なポイント】
本題に入る。 では「問題」があるとすれば何か?
それは、辞任を迫った理由として、
「野副氏は、反社会的勢力との疑いがある投資ファンドとの
 関係を断ち切らずにいた。リスク感覚が欠如しており、
 社長としての適格性を欠いていた」としたことだ。
すなわち、
「<反社会的勢力>という言葉を出して、それに関する嫌疑を
 かけたことが最大の問題点」 である。

先述のとおり、野副氏は辞任を迫られたとき、いったんは
当然反論したものの、当該ファンドが本当に「無実」なのかの
確証がなかったことなどから受け入れたのだが、一番の問題は
「では、反社会的勢力とのつき合いということが本当に事実で
 あったか否か」、ということで、
問題はその1点に尽きると言いきってよい。

癒着等の関係が事実なら、野副氏が辞任を迫られたのはむしろ
「当然」のことだが、しかし、もし野副氏が主張するように
「事実無近」、「言いがかり」、「濡れ衣(ぎぬ)」だとしたら、
これは「大変なこと」だ。
その場合、逆に「追いこんだ側の役員」は
「即刻、当然、「全員 総辞職」 するほどのこと」であり、
「それだけでも済まないくらいのこと」だ。
「ゴメンでは済まない事態。騒動というよりは<事件>、
 いや<犯罪>ということになってしまう」 のだ。

会社側は、
「反社会的勢力との関係が疑われる、としたのであって、
 そうだとは決して断定はしていない」と反論しているが、
野副氏は「断定された」と再反論している。

しかしこの点は実は
「断定していようが、していまいが、あまり違いはない」 のだ。
いや、それどころか、
「断定もできない段階で「反社会的勢力」という単語を持ち出した
 こと自体が最大の失態」
と言えるのだ。
「反社会的勢力という言葉を持ち出した時点で、会社は
 大きなリスクを背負った、という絶対的な事実が存在」
していて、これがもし「ウソ偽り」という意図的な材料であった
場合はもちろん、仮に
「悪意はなかったとしても誤りであったとしたらなら」、
後者でさえ、会社側は
「ゴメンでは済まない、大スキャンダルとも言うべき大失態を
 演じたことになる」のだ。

【なぜ反社会的勢力か否かを会社は調べないのか?】
「そのファンド会社が反社会的勢力と関係があるか否か?」
こんなことは「調べればすぐに判ること」だ。
しかし、なぜか富士通側は野副氏が主張する「外部調査委員会」
の設置を拒否したという。
よほど「外部」から調査に入られては困る何かがあるとしか
想像できない。
というか、先述のとおり、内部だろうと外部だろうと、
「調べれば事実関係は調査可能」である。
ほぼ100%可能と言いきってもよいくらいだ。

【ファンド側は、当然、名誉毀損で提訴】
「反社会的勢力の疑いあり」と言われたファンド会社が迷惑
だろうし、実際、4月15日、
「反社会的勢力関連のファンド」とされた投資会社が、
富士通に対して「名誉を棄損された」として富士通の3人の
役員に対して合計3億3千万円の損害賠償と謝罪広告を
求める訴訟を起こした。
事実でないなら当然の行動、反論だ。


【その他の事項】
1.富士通がこれまでに認めて訂正したのは、野副氏の辞任理由を
 「病気療養のため」として開示したことで、これについては
 第一にクレームを投げた東京証券取引所に対して陳謝して
 訂正開示したほか、外部にも同様に再公表している。

2.野副氏の行動でよく判らない点は、
 「取締役の地位保全を求める仮処分申し立て」をしておきながら
 引っ込めた、という点で、その前段における意味合い自体も、
 そして後段の、なぜ気が変って「取り下げた」のか、
 の2点も意味不明だ。
 この点は、山口利昭弁護士が、自身のブログ
 「ビジネス法務の部屋」の4月16日に、
 「紛糾する富士通社の情報開示に関する素朴な疑問」
 と題して書かれているので、関心ある人はお読みいただきたい。


【まとめ;最後にもう一度、一番肝心なこと】
いずれにしても、いくら
「日本的な理由づけでの辞任の<お願いの強要(?)>」
ではあっても、その内容、理由付け、用いた言葉などを
「間違える」と、
「とんでもない大スキャンダル、大失態となる」という
典型的な事例と言えることだけは間違いない。

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