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2010年4月18日 (日)

アフリカは 「来る」 か?

NHK特集。
今月から6月にかけて各1回、アフリカの現状をルポした番組が
放送されるとのことで、先日4日に第1回目として、
「アフリカンドリーム 悲劇の国が奇跡を起こす」
と題して ルワンダが取り上げられた。

その前にいつもながら余談、「前置き」を。
私が就職活動を開始したのはもう20数年前、いやほとんど
30年近く前にもあるが、当時は「就活」などという言葉が
無かっただけではなく、大学4年の、それも夏過ぎからでも
十分な時代で、3年生からの活動など「有り得ない」、
まだのんびりした時代だった。
というか、そもそも、いわゆる「青田買い」が規制されていた時代
だった。
4年生の夏以降、幾つかの企業を訪問し、3社ほど内定を
いただいたが、一番行きたかった某有名電機メーカーは
最終選考で落ちた。
その会社のそれまでの社長は、日本で知らぬ人はいない
有名企業人で、自身引退するに際して、まだ取締役になりたての
若い人を自分の後継者に指名したことで社長になったことでも
話題になっていた。
その偉大なオーナーから指名されて社長になられた方は
当時としては珍しく、
「中国」(中華人民共和国。以下、中国とする。)について進出を
口にされていた人だった。

今でこそ当たり前になりつつある「中国進出」だが、
1980年代前半においては、「まだまだ不安要素の多すぎる国」
という認識が日本国内の政治家、経営者はもちろん、
一般の我々学生の間でもごく普通の認識だった。
私はその企業での第1次から第2次面接での各面接官に
一貫して言い続けたことは、
 「これからは中国とアフリカを市場ターゲットとして
  出て行くべき」
ということで、何を聞かれてもほとんどその1点のみに絞って
自己PRしていたため、よほど印象に残ったらしく、
1次、2次ともすんなり採用面接をクリアーした。
別にその新社長の考えをとりわけ意識して「作戦」にしたつもりは
無かった。
もちろん、そういうトップなら面白いなという考えで選んだが、
少なくとも「媚を売る」ために「中国、中国」などと
口にしたわけでなかった。
実際、大学のゼミナールでの自分の研究は3年次はドイツ、
そして4年次が中国だったのだから。

そしてその会社の最終面接は3人か4人の取締役が「相手」で
こちらは1人、というかたちで行われたのだが、会話の中で、
 「ああ、この取締役の人達は中国進出には反対の、
  少なくとも異議のある人たちだな」、と判った。
いや、もしかしたら、今思えば、
「自分達を飛び越えて社長になった人の意見には反対する人達」
といったほうが実情だったのかもしれないが、いずれにしても、
「ああ、これで落ちたな(不採用)」ということは判ったし、
実際そうなったのだった。

あのとき、「これからは中国とアフリカ」と「息巻いた」私
だったが、前者はもうとっくに「来て」いる。
30年近くも前から 「中国」 と言っていた私だが、
ただ、「来た」のは予想よりかは随分と遅かった。
天安門事件の際の政府側の保守的な反動は、中国自身を
「発展開始時期を5年は遅らす結果になった」、
と今でも思っている。

ただ、「来てからのスピードは半端じゃなく凄い」。
そのことに気づいてない日本人はさすがにほとんどいなくなっては
きているだろうが、もしまだ「日本(人)のほうが優秀」などと
タカをくくっている人がいるとしたら「とんでもなく遅れた認識」
の人と言わざるを得ない。

勤勉、語学力もITの知識と技術もほとんど世界一を争うレベルの
人達がたくさんいる国、それが今の中国だ。
巨大な高層ビルとマンション群、ハイウェイ。
自転車文化は健在だが、それを差し置いてビュンビュン飛び交う
自動車とオートバイ。
街角のいたるところに 「スターバックス」が在る。
もちろん、それはあの国の太平洋沿いの幾つかの大都市に
限っている現象といえばそうだが、次第に内陸地にも
経済成長は拡大しつつあり、農村部との格差は
日本以上に大きいのは事実とはいえ、少なくとも
それを意識して今後、為政者たちは必然的に
国土全体に発展を促していくことだろう。

実際、例えば、ここ数年東京で開催されているアジアの
オーケストラを招いての音楽祭には、
韓国もソウルだけではなく他の複数の都市から来日しているし、
驚くことに中国も昔からある上海交響楽団のみならず、
大地震のあった四川省をはじめ、内陸地を含む各地から
「西洋型管弦楽団」がやってくる時代なのだ。
そうした文化からしても、中国の内陸地に行ったことがなくても、
ある程度の経済的発展がなされつつあることは容易に想像がつく。

あの国は、あとは、上下水道の徹底拡大、完備と、
「全土を行く新幹線」や地下鉄などの鉄道網などのインフラが
急務にして一層の発展における絶対的必要条件であり、
それが目標というところだと思う。


さて、またしても「前置き」が長くなってしまった。
やっとタイトルおよび冒頭の話題に移る。

冒頭に記したとおり、4月4日、シリーズ第1回目の放送が
あった。ルポの対象の国は ルワンダ。
1994年に起きたフツ族によるツチ族に対する大虐殺事件。
約100日間に約80万人が殺されたというが、想像を絶する。
映画「ホテル・ルワンダ」を観た方も多いだろう。
もとは、植民地化したベルギーが、少数民族であったツチ族を
優遇してフツ族を支配下に置いた構造をとったこと自体が
「間違い」だったのは歴史そのものが歴然と物語っていると
言えるだろう。
しかも、ベルギー人が支配層としてツチ族を選んだ理由が、
「フツ族よりも平均して鼻が高く、優秀そうに見えたから」
という、「しょうもない理由」で、呆れる。
クレオパトラじゃあるまいし、そんな「基準」で判断した
ベルギー人たちがいかに低レベルだったか、ということだ。

虐殺時期前後に欧米に離散したツチ族の人達
「ディアスポラ」(離散者)たちは200万人いるとされるが、
その人たちの中の、特に海外で経済力をつけた人達が祖国に
戻り始めており、その力により、今、都市部では
立派なオフィスビルやショッピング街ができ始めていて
「アフリカの奇跡」と言われ始めている。

もっとも、中国でさえそうなのだから、ルワンダでも農村部は
まだまだ「未開拓地」であり、大きな格差が生じて来ている。
それでも、母親と妹たちをフツ族に殺されたツチ族の男性が
チングワ村でフツ族の住民に呼びかけて対話集会を開き、
「いっしょにコーヒー園(工場)を作って経営していこう」、
とする様子が放送され、印象的だった。

民族対立を超えていっしょに「建国」をしていこうとする時代が
ようやく来たのだと言ってよいのだろう。
ツチとかフツとか、そうした「族」ではなく、
「ルワンダ人なのだ」、として生きていこうという動きが、
少なくともそうした第一歩としての開始時期がルワンダには
ようやく「来た」ようだ。

今後、同国だけでなく、他の、まだまだ民族対立により
年端もいかない少年兵などというものが存在する国が多々ある
アフリカ大陸に、「ルワンダ現象」が拡大していくことを期待
したい。
アフリカよ、そろそろ 「来い」。

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