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2009年9月 5日 (土)

選挙についての感想 その2;齋藤純一教授の見事な分析。それ以外は的外れな論評が多くて呆れる

8月30日に「55年体制の終焉」で書いたように、今回の
選挙結果は、年金における役人の犯罪行為を発見も阻止も
できなかった行政の失敗、雇用を破壊させ、労働状況を混乱に
陥れ、経済成長を後退させた失政、官僚の天下りを延々と
認めてきた怠慢と慣れ合い、その天下り先の為の施設を
含めた公共事業などへの税金の無駄使い等々、こうした
政治に対する完全なる「No」であって、決して一時的な空気感
による「お灸をすえてやろう」などというレベルの話ではない。
権力ゲームとしての選択ではないのだ。なのに三流文化人は言う。
「だからまたいつか逆転もある」、と。
しかし、先述のとおり、その可能性は相当に低いと思う。
ところで、民間企業や、あるいは公務員でもよいが、とにかく
市中の経済事情を肌で感じていない職業の人が如何にトンチンカン
なことを言うか、呆れる例がある。

東大教授の松原隆一郎氏は、
 「国民は自民党にお灸を据えて一度政権を交代させようと思った
 のだろうが、極端な結果になった。(中略)以前は、一方に
 流れが行こうとすると揺り戻す力が働いたものだが、
 小泉郵政選挙以降は行く所まで行くようになり、刹那的な傾向を
 感じる」と言っているが、
全く間違っている。お灸などという段階ではない。
松原氏は全く認識できていない。今回の民意は
「自民党などこの際、死んでくれ」、と言っているに等しいのだ。
国民の多くはバランスゲームというような気楽な選択をして
楽しんでいる状況ではないのだ。

同じく東大教授の佐藤俊樹氏は、
「民主党の圧勝は予想外。最後には自民党に保守バネ(揺り戻し)
 が出るかと。自民党も革新を言いだしたから違いが薄れた。
 安定・安心の「保守」を求めるにもどこに在るか判らない。
 エコカーでいいのに、ポルシェかフェラーリのどちらかを
 選ばされた選挙。
 だから劇的な結果なのにそれほど高揚感がない」、
と言っているが、これも全く違う。
強いて言えば、同じ東大教授の御厨貴氏が言うように
「自民党パージ」が起きたのであり、佐藤氏の言う
「違いが判らず迷った」などという見解は180度違う。
高揚感が無いのではなく、はしゃいでいる場合じゃなくて、
「さあ、これからがスタート。民主党よ、ちゃんとヤレよ」と
思っているから、別に高揚する必要はない、というだけの
ことにすぎない。

また、その御厨氏は、結果については「自民党パージ」と、
それなりにまっとうな表現で指摘しているが、事前予想としては
やはり、「圧勝を予想できず」としている。これに対して、
同志社大学大学院教授の浜矩子氏は
「民主党の圧勝は予想どおりだった。自民党と民主党が
 伯仲すると予想した人は時代状況を見誤っていたのだ」と、
対談で御厨氏に面と向かって言っているのが面白い。
(9月1日付、朝日新聞)
その浜氏は「戦後体制と決別した人たちと「自民党はウンザリ」
 の人達が重なってのこの大量票」、とも分析している。

評論家の東浩紀氏は、
「異様な勝ち方。(中略)明確な対立が無い中で二者択一を
 迫られる有権者は「この流れで自民党は無いよね、という
 解り易い空気で選んだのではないか」
と言うが、これも掘り下げが足りない論評だ。
明確な対立はある。基本は「脱官僚。税金の無駄使いを止める」
「既存の政権党と役人の慣れ合いを断ち切る」ということ。
これだけでも政権が変わる意義があるのに、この点すら理解して
いないようだ。

選挙プランナー(?)という三浦博史氏は、
「名前も実績も知られていないままの人に、党の名前だけで
 投票して(当選して)しまうというのは民主主義の進歩とは
 言えない」と言うが、
それ自体は特に異論はないものの、こうした「オセロゲームの
ような逆転が起こり得るのが小選挙区(比例代表)制度」
なのであって、今回のように、大きな波を作りたいという世論、
経験不足でもとにかく「新しい血」を国会内に注ぎ込みたい
とする世論には大きな武器となる、という、いってみれば
それだけのことで、進歩云々はお門違いだし、
自民党政権党の「実績」こそが官僚との慣れ合い政策を
生んできたことに他ならないわけで、それをむしろ
「いったん葬り去る」ことこそが求められた選択であったことを
理解していない。

そして更に、精神科医の香山リカ氏に至っては全く理解不能な
意味不明のことを言っている。香山氏いわく、
「鬼畜米英から戦後すぐに米国文化を取り入れたように、
 信念や信条より、どう振る舞うと生き残れるかを感じ取る
 日本人の習性が出た。前回自民党に投じた人が民主党に
 入れた場合、どうしてそうなのかを考えず、意見を変える
 ことへの責任が乏しくなっている。
 スピード優先の世の中で、その場に応じた答えを求められる
 社会になっている」、
という。
理解できますか?
非常に抽象的、観念的で、全くポイントから外れている。
論外的な、「箸にも棒にも掛からないヒドイ言及」としか
言い様がない。
また別のところで香山氏は、
「エモーショナルな反応。ちょっとお灸を据えてやれ、と。
 また、風が吹いている方向に人々が雪崩を打って流れる
 傾向がある」、とも言っている。
後段は多少当たっているが、前段は前述のとおり違う。
お灸というレベルの話ではない。

この国に起こっている状況、雇用、経済、無駄使い、エゴイズム
といったことに対する認識がない。
日頃の経済情勢にまるで鈍感なのだろうと想像する。

劇作家の山崎正和氏もポピュリズムの観点から語っていて、
言っていること自体は解らなくはないが、やはり本質からは
外れていると思う。

多少面白かったのは、作家の高橋源一郎氏。いわく、
「熟年離婚。父=夫が自民党。母=妻が国民。子供が民主党。
 妻からの三くだり半。国民の中では「戦後」は終わり、
 自民党の保守的な理念は現実と完全にズレた。
 民主党の党旗への批判など、国民は何を言っているか
 解らなかったのではないか。国民は「戦後」的な問題に
 関心を失っているのに、自民党だけが旧言語でしゃべって
 いる。「子」である民主党は自民党から脱皮して生まれた。
 違う空間に存在しているから二大政党にはならず、
 自民党はこのまま自壊していき、民主党に人が移っていく
 のではないか」。
これは結構、論点を(いささか変わった言い回しながら)相当な
勢いで衝いていて面白い。

ところで、一番まともに良くまとめていたのは、9月1日に
朝日新聞に掲載された、早稲田大学教授の齋藤純一氏による
「総選挙 一党支配の終わり 「情がふくむ理」政治課題に」と
題された文章だ。
その要旨を書かせていただく。

「自民党の大敗は「反現状」の感覚がかなりの水位にまで達して
 いたことを明らかにした。それは、ともかく現状を変えたいと
 いう気持ちの表れ。
 政権交代という言葉は人々の中にある様々な不満や要求を
 連鎖する政治シンボルとして有効だった」として、
今回の選挙で注目すべき点としては、
「1つは、社会保障を柱とする生活保障の制度への市民の関心と
 理解が確実に深まっていること。「構造改革」が社会保障と
 雇用保障を大幅に後退させ、貧困という言葉がリアルに
 響くまでに社会基盤を損なったことがその背景にある。
 不況の中でも景気対策以上に市民が関心を示したのは、
 単に生活を守ることだけでなく、教育機会の保障など、
 生活の展望を開くことを可能にし、支援する制度の再構築
 だった。市民は政治への感度を確実に高めつつあり、
 政治はニ流でもかまわないとした時代の終わりを告げている」。

「第2には、脱官僚、すなわち官僚主導・依存という利益分配
 システムの慣性に終止符を打ちたいという強い思いの表れ。
 この判断には、単に政と官の力関係を変えたいというだけで
 なく、市民によるアジェンダ(討議すべき議案)形成と
 政治家による意思決定の間に確実な連携プレーを
 創り出したいという期待と意欲も込められている」、
と書いている。見事な分析である。そして、
「政策理念とは決して抽象的、観念的なものではない。それは、
 人々の、どの要求を正当なものと見なすか、限られた資源を
 用いてどの政策の実現を優先するかの判断基準とその理由を
 示す思想であり、代表する者の民意に働きかけるもので
 なければならない。
 政権交代という連鎖の標語は間もなく解ける。
 他者への憎悪や不満に傾斜しないようにする新政権の責任は
 重い。精一杯働いても生活の見通しが立たないのはおかしい
 ・・・この「これはおかしい」という思いが今回の選挙に
 おいては強く働いた。自分達の抱く不満や憤懣(ふんまん)の
 感情にどのような理由があるか、どのような期待が
 そこに宿されているかを解釈し、考えていくことは
 私たち自身の政治的責任でもある。
 互いの感情に孕(はら)まれている正当な期待と要求を明らか
 にし、それを政策形成につなげていくこと。
 「情」か「理」ではなく、「情が含む理」を汲(く)んでいくことが
 これからのデモクラシーの課題である」、
とまとめている。
本当に見事な分析と指摘だ。

こうした齋藤氏の指摘こそが、まっとうな分析であり、先記の
松原氏、佐藤氏や東氏らがいかに「浅い」ことを言っているか、
香山氏がいかにトンチンカンで不毛で観念的なことを言って
いるかが判る。
齋藤氏が市民感覚から現実生活に論拠した観点から論じて
いるのに対して、他の人達の多くは、一般論やヒトゴト的発言、
抽象的で観念的な言葉のお遊びに終始しており、
現実の経済、雇用、年金、官僚の傲慢さ、税金の無駄使い
などの逼迫し、切実な現実について、全く顧みていない発言と
なっている。

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