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2009年8月15日 (土)

言葉への違和感;黙禱への「ご協力」、自民党の「責任力」

8月15日の正午は戦没者慰霊式のほか、各地で黙禱が行われ
るが、甲子園球場での高校球児たちの戦いの最中もそう。
そのシーンはある種、深い感慨と共感を覚えるシーンでもある
のだが、1つだけ、以前から奇妙に思うことがある。
サイレンとともに黙禱が行われ、それを解除というか、終息する
とき、場内アナウンスは、「ご協力ありがとうございました」、と
言うのだが、これはどう考えてもヘンだと思う。
「ご協力、って何?」。こんなよそよそしいヒトゴト的な表現は
おかしいと思う。ごく普通に、
「黙とうを終わります。スタンドのお客様は、どうぞ着席
 ください」、でよいと思う。

もう1つ。
自由民主党がこの選挙に臨む標語として、あるいは他党との
違いのアピールとして、「責任力」という言葉を用いている。
「責任力?」。
「責任」という言葉、単語において既に自己へのある種の覚悟、
義務、義務感、貢献度合い等に対する決意、等々を含んでいる
ので、「責任」に「力」を付けるのは国語としておかしいと思う。
実際、「責任感」とか「責任能力」という単語は成立するが、
「責任力」なる言葉は正当な意味を成さない、有しないところの
有る種の(それもデキの悪い)「造語」だと思う。
麻生内閣というのは、我が国の国語力低下を象徴する内閣だった
と言えるようだ。

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