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2009年4月26日 (日)

公的資金による支援について

以前、GMらの公的支援要請について、
「あなたがたが、あれほど嫌い軽蔑し、ベトナムでは戦争をしてまで
 阻止しようとしていた「社会主義化」を懇願するんだ」、
と皮肉を書き、揶揄した。

日本では4月22日、産業活力再生法の改正法案が可決された。
政府が、一般企業にも「公的支援」を行うというもの。
日本経済新聞が伝えるところによると、パイオニア社300億円、
エリピーダメモリー社500億円が既に想定されているようだし、
日立製作所も申請を検討しているとのこと。

こうした動きに対して、いつもなら、必然的に産業界寄りの記事に
なりがちな日本経済新聞の23日の社説は、
「市場経済をゆがめる可能性もあるのだから、その活用は、
 あくまでも緊急避難として限定的にすべきだ。
 今回は世界的な、経済・金融危機とはいえ、民間企業が
 政府支援を受けるのは、市場経済では、極めて異例な事態で
 あることを経営者は重く受け止めるべきだ」、と、手厳しい。
同新聞(社)としては、それこそ異例なくらい相当厳しい論調と
言えるだろう。

そういえば、系列の週刊誌「日経ビジネス」でも、
「米国で生まれ、流行った、委員会設置会社制度、持ち株会社
 制度、成果主義、敵対的M&A、MBO(経営陣が参加する
 企業買収)などに日本企業は次々に「飛びつき」、結果、
 その米国型経営手法に「翻弄」されてきた」、
と、これまた相当手厳しい記事を書いていた。
5~10年前だったら、日経がこうした論調の記事を書くことは
絶対に有り得なかった。

ところで、もっとも本来的、原則的なことに「たち返って」考えて
みるなら、いわゆるレッセフェールを根本とした、原始的な
資本主義状態、状況においては、言うまでもなく、
「公的支援」ということは「有り得ないこと」だ。
というか、「そもそも、そうした概念すら有り得ない」。

今回、日本の政府が、あるいは今、米国で進行しつつ
ある状況というものは、
「政府は、個人を救わないのに、失業者は見捨てるくせに、
 企業だと救うのか?」、という論理矛盾の問題が存在して
いると言える。少し以前だと、
「一般企業は救わないのに金融は特別に救うのか?」
という議論があった。

金融危機だって、預金保護が担保されさえすれば、
こう言っては申し訳ないが、
「銀行の1つや2つ倒産しても混乱はしない」ことは明白である。
政府は今度それを、一般企業にまで充てはめようとしている。

公的資金(原資は主に個人の税金)による支援は、
結局のところ、社会主義政策に他ならない。
つい最近まで、「共産主義は死んだ。資本主義の勝利だ」
と謳歌したのは何だったのか?

もし、社会主義、共産主義を否定し、軽蔑するなら、
「どこの国であれ、どの企業たりとも、いかなる事情があろうと、
 断じて公的資金による支援など受けてはならない」、と思う。
受けた段階で、それは企業にとって再生ではなく、少なくとも
「理念においては死を意味する」、と認識すべきだろう。

昨年末から、今年、いわゆる「派遣村」が話題に、社会問題に
なった。ボランティアをする人がいる一方、
「貧乏人めが。なに今まで遊んできたんだ」、
というような、軽蔑する論調もいくらかはあったようだ。

米国の場合、GMにしても、リーマン・ブラザーズにしても、
それまでは、さんざん高給取り、特にリーマンら、
「ウォール街の住人たち」は年収が億単位の人が多かったという
状況にありながら、いざ、自分達の会社がヤバクなると
「公的支援」を求める。
それではまるで、「駄々っ子、甘えん坊と同じ」ではないか?

会社が危機に陥ったなら、そうした「年収数億円プレーヤーたち」
がお金を出し合い、MBOをやって再生すればよいではないか?
自腹は切らないで、「政府さん、お金をちょうだい」、って、何?

自分のカネを出す「勇気」も、「覚悟」も、「潔さ」も無い。

派遣村の人々に失礼を承知で言うと、日本であれ、米国であれ、
「公的支援を受けるということは、あなたがたが軽蔑している
 派遣村に来る人たちと全く変わらない行為、
 物乞いという点で同じ行為だなのだ」、
と理解し、自覚すべきだ。

いや、派遣村の人たちは1日1日をギリギリで懸命に生きている
のに対して、ウォール街やかつて日本の金融市場人、
特に今回のウォール街の投資銀行の多くの社員たちは、
「年収数億円プレーヤーを自慢していた」はずなのだから、
そういう点では、自腹は切らないで、政府に「おねだり」
する行為というのは、派遣村の人達よりも、
「もっと、タチが悪い」、とさえ言える。

こうした自覚を、企業も個人も認識しないまま、公的支援に
甘える行為は、資本主義経済の死につながりかねない、と
危惧するのは私だけではないと思う。

米国と日本を同列で論じれないだろうけれど、少なくとも
「資本主義の牙城を自負してきたアメリカ」の企業は、
「コウテキシエン」などという、軽蔑すべき術を拒否してこその
資本主義経済下の企業と言える。
日本の場合も、先述の日本経済新聞(社)の厳しい指摘を厳粛に
受け止めて、政府も企業も個人も、対処していく必要があると
思う。

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