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2008年10月24日 (金)

暗殺犯を追えシリーズ3 「誰が坂本龍馬を殺したか?」

龍馬暗殺については、昔から多くの学者、作家、一般の
龍馬ファンに至るまで様々な意見が出してつくされてきた
感があるので、今更私が書くまでもないのかもしれないが、
大河ドラマ「篤姫」も来週が近江屋事件にさしかかりそう
なこともあるので、少しだけ書いておこう。

坂本龍馬は1867年(慶応3年)11月15日、京都の近江屋
で、中岡慎太郎と会談中に襲われ殺害された。
中岡は、かろうじて意識がしばらく続いたが、2日後の17日
に絶命している。
当初は新撰組による犯行説が根強い時期もあったが、今では
幕府の京都見回組の数名、実名としても 今井信郎(のぶお)、
佐々木只三郎ら7人、と言われている説がほぼ決定的という
感じで「収まっている」。

確かに、結果、統幕運動に向かった「薩長同盟」の立役者
だから、幕府からしたら、「生かせてはおけない」人物だった
ろうし、実際、1年半前の1866年1月にも寺田屋で襲撃され、
負傷を負っていた。
ただ、ご承知のとおり、この幕府見回組説にも、実は裏で
薩摩藩もからんでいたのではないか、という薩摩藩陰謀説
や、いやいや、近江屋のななめすぐ前には土佐藩の屋敷も
あったのに、しかも、2日前には、元・新撰組(脱退者)の
伊東甲子太郎が「新撰組があなたを狙っている」と情報を
伝えに来ていたのに、なぜ警戒薄、手薄な状況にしていた
のか、とするところから、土佐藩がからんでいた、とする説
まである。
また、当時は、実は龍馬よりも中岡慎太郎のほうが幕府等
世間からすると「有名人」であったので、暗殺メインは中岡に
対してで、龍馬はいわば「巻き添えをくっただけではないか」
とする説まであり、推測は多々、多岐に及んでいることは
確かである。

誰が龍馬を殺したのか?
中岡がせめてもう少し軽傷で、有力な言質が取れていたなら
等々、残念なところである。

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