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2008年4月26日 (土)

エセ平和主義(者)?長野聖火リレー妨害

以前=上海 終章 ありがとう、Tさん、の(3)の前段(後段がメイン
なのに逸れたかたちで)に書いたが、チベット問題で、中国政府の
「肩」を持つ気はサラサラ無い。
しかし、もっと「違う抗議の仕方」は無いのか?
妨害や大騒ぎをしている人達を見ていると、なぜか「しらける」
のは、やはり彼らが、「命を賭けていないことの表層的浅はかさ」
を感じるからなのだろう。
敢えて失礼を承知で言うと、「遊んでいる」ようにさえ見える。

もし、もっと真剣に抗議していくなら、それぞれの国政、政治家に
中国政府に対する声明(場合によっては制裁措置)を表明する
ように要求行動することがまず第一であって、
「聖火」を狙って、それもご丁寧に他国にまで乗り込んで妨害する、
というのは、「ちょっと子供っぽい」にもほどがある気がする。

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