« チョン・ミュンフン=N響のマーラー第9 | トップページ | 「心神喪失」の不思議 »

2008年3月10日 (月)

3月10日寄せて

小学校5年か6年だったか、近所の市立図書館で、ある「写真集」を
見た。銀色の大型の装丁を今でもよく覚えている。
その写真集のタイトルは、「東京大空襲」。

あの、黒こげた(炭化)した遺体を見たときは、つとめて冷静に見よう
としたし、そうしていたが、あのとき、「将来、大学に入ったら、政治、
国際関係、平和とか戦争とか、そういうことについて学ぼう」と、漠然
とだが思ったこともよく覚えている。

この日、TBSで
「3月10日~東京大空襲 語られなかった33枚の真実」と題された
番組が放映された。もっとも私は前半をタイマー録画しておき、
後半は帰宅後に見るつもりでいたが、帰宅が遅くなり、後半は最後
の10分ほどしか見れなかったのは残念だった。
再放送かDVD化するようなことがあれば改めて見てみたい。
内容は実話で、警視庁写真係だった石川光陽さんという人が、
空襲が増してきた状況のため、警視総監から、今後空襲があった
ときは、その「状況」を写真に収める特命を受け、「ライカ」を手に
震えながら、あるいは涙しながら写真に収めていった、というもの。

終わり近くは、実際にその空襲に参加した米軍元パイロット数名に
インタビューするシーンもあった。
1人は、「こんな写真は初めてみた・・・」と無言で見入っていたし、
1人は、「下で人が死んでいることはもちろん解っていた。でも
    これは・・・」と絶句し、あきらかにショックな表情をしつつも、
    「任務だったんだ。軍人としてそれを実行しただけなんだ」と
    語った。
1人は、「・・・たまらないね・・・・生き残った者のみが語り継げる。
    死んだこの人たちはなにも語れない・・・・」と静かに語った。

また、日本は、米軍がベトナムで使用したクラスター爆弾を保有して
いること、また、私が、2006年3月16日付のブログに書いた、空爆
の総司令官 ルメイが、自衛隊の育成に貢献したなどというバカげた
理由で、あろうことか日本国から外人としては最高位の勲章を
授かったことも紹介された。

「ベトナムに平和を」と日本、フランスや多くの国で反対運動がおき、
クラスター爆弾や枯葉剤の使用という、殺傷力が強い、あるいは
後遺症が残る兵器を無差別にベトナムで使用した米軍。
あれは、東京をはじめ日本の各地で投下された焼夷弾を原型とした
無差別=市民殺傷兵器の発展系の兵器であったわけだ。


別の日、NHK教育TV(「ETV」特集)で、小田実さんの特集が放映
されていた。葬儀後、霊柩車が式場を出て行く際、見送る人々
からは「拍手」が送られていたのは大変印象的で、小田さんの最期
にふさわしく、市民の氏への敬意が溢れる場面だった。

人は殺す側になるか、それを非難し、やめさせようと活動する側に
なるか。個人の生き方と社会に関わる、そのあり方と、
国や立場や時代によって、不本意におあるいは本意に、あるいは
ほとんど偶然に、様々な状況にヒトは置かれ得る。
「拍手をされて終わる人生か、後悔や無言を自身に仕舞い込む人生
 か」
でも結局、そのとき、その人がどう判断するかは、その人の全人格
の全てに関わってくるものでもあるに違いないのだが、軍隊という
組織の「悲劇」は、それさえ許さない組織であり、それゆえに
「殺人集団組織に成り得る」のだろう。

「下で市民が死んでいるのは解っていた」パイロットたちは、それを
「見ないで行えるからこそ実行できた」のだろう。
殺している、という意識は「見ていない」ゆえ自身の中では「回避」
できる。それは、その人にとって「全て観念上の殺害行為」の範疇に
「すぎない」からだ。

高市早苗などの、戦争を知らない世代の国会議員が、「靖国」の
正当性に言及するとき、私はいつも、「観念上の空虚な信条」という
ようなものを感じる。
そういう人が、もし、銃弾が飛び交うイラクにポツンと置かれた場合、
何を見、どう思うかは興味を抱く点だ。

« チョン・ミュンフン=N響のマーラー第9 | トップページ | 「心神喪失」の不思議 »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック