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2007年10月 8日 (月)

山下清 展を見て

上野の森美術館で開催されてきた、山下清展を見にいった。
明日9日が最終日とあってか、雨天にもかかわらず、下は5歳くらい
から上は70歳以上の老若男女を問わず多くの来場者で賑わって
おり、あらためて、天才 山下清の人気の高さを思い知った。

1937、38年などの戦前の貼絵から、戦後の貼絵、油絵、水彩画等、
山下の生涯を追っての多くの展示を興味深く見た。

精密で集中力漲る圧倒的な作品群。といっても、山下は見る我々を
決して威圧はしない。その、しなやかで純粋な作風は、彼の温かな
人柄そのものなのだろう。
一見、子供のような題材でも、実際は徹底的に構成が練られ、繊細
にして注意深い配慮がなされているのは彼の全ての時期に共通
している。
素朴な題材であっても、色彩感と綿密な手細工が彼の頭にまず
イメージとしてできていて、それを丹念に仕上げていったに違いない。
館内では、生前、彼が貼絵をしてる情景を撮影したフォルムも上映
されていたが、その作品の最終段階をチェックするときの、身を乗り
出して長いこと見入る姿は印象的で、彼がいかに細部や全体の
作品としての構図に注意を払っていたのかがよく判った。

ある種の「知的障害」も、「天才」と言われることも、両者における
本来的な語彙矛盾はこの人の中ではさしたる問題ではなく、自身は
ただ「風のように」生き、その自然界や人々の中での空気や建物や
情景を、類稀な記憶力と集中力で脳裏に叩き込み、帰宅後、
入念にキャンバスに描いていった。

山下の作品を見て、私達は「失ってはならない何か貴重な精神の
豊かさ」を感じるのだが、それはこの国が歩んできた国土に対する
共通した愛情と重なるもののようにも思える。
山下は、彼の作品を通して(彼の意識の有無にかかわらず)常に
我々に「心の清廉さ」を問いかけてくるようでもある。


作品のいくつかには彼の言葉が紹介されていて、どれを読んでも、
ウフフッ、と笑わずにはいられないユーモアがあるのだが、別に
彼は人を笑わそうとしてそういう発言をしていたのでは勿論ない。
1940年、学園を飛び出して放浪を始めるときは「逃げる」という言葉
を使っている。「線路の上を歩くのは、道だと、次の駅まで行くのに
迷ってしまうから」、「夕飯をもらおうと思ったけど、困っているのは
お互い様だから、と断られた」ことや、「駅で泊まろうと思ったら、
駅員さんに駅は泊まるところじゃないから、警察か役場に行けと
言われた」ことなど、最初から、始終、彼が世間に温かく援助されて
いたわけでは無いことは言うまでもない。
「るんぺんと言われるのはよくないから、るんぺんをやめます」

有名になってからも、「サインをしたけど、もらった人は後でそれを
どうするのか、忘れてしまうのか、と思い、そのことを聞こうと思った
けど、面倒だから聞くのをやめました」
「爆弾なんか作らないで花火を作っていれば、戦争なんか起きない
だろうに」

戦後、意を決して旅した欧州では、各地の自然や美術館に彼は
圧倒的な印象を受けたのだが、石像を見て、
「人間は人前で裸になんかなれないのに、彫刻は男も女も裸で、
それを見て、みんなが感心しているのは、どういうことなのだろう?」
という言葉は傑作である。

欧州の情景を描いた作品がまた見事である。
ストックホルムも、パリも、スイス各地でのそれらにおいて、彼は
「ヨーロッパの色や空気」というものが日本でのそれと決定的に
異なることを直感したに違いない。欧州の作品の色彩感は、
それまでの清の作品とは打って変わったものになっているように
感じる。見事な感性にあらためて驚く。「天才 山下」の所以である。

とにかく、今回、彼の全ての作品は、何度、館内を(戻って)見て歩い
ても「飽きない」ことに驚嘆した。個展でそのような力量を示し得る人
というのはそれほど多いとは思えない。
この愛すべき偉大な純朴画家を、これからも日本人はずっと愛して
いくことだろう。

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