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2007年8月 9日 (木)

人体実験としての原爆投下

アメリカの言い分は誰もが知っている。
「戦争を早期に終結させために原爆投下は必要だった」。
この「虚しい言い訳=自己正当化」を、あの国は永久に
言い続けるだろう。
客観的に判断しても、投下せずとも日本はあの時期、早々に
降伏しただろうし、また、米国が南洋とりわけ硫黄島で多くの
アメリカ兵の戦死を出したことに衝撃を受け、その後、
空爆を主とした攻撃に重点を移したという流れの中での戦略
ではあったのだろうが、とにかく、打倒ナチスをきっかけに
「マンハッタン計画」を進め、核実験が成功したのだから、
これは「使ってみない手はない」というのが本音であったことは
疑いようがない。
実際、「投資した20億ドルの成果が見たい」として、時の大統領
トルーマンは強行に投下支持、命令したというのは史実である。

私は、直感としてもそれを感じたことがある。
もう20年近く前、広島市に初めて降りたとき、あの低い山に
囲まれた地形を見た瞬間、
「この地形において、巨大爆弾を投下したら、通常の威力に更に
 倍加するような熱線、熱風が起こるだろうな。これは、そこまで
 完全に「計算」して「実験」したんだな」と、
直感したものだ。しかも、広島は言わずと知れた軍用都市
だったわけだ。

人間の(実験者の)一般的な心理、あるいは恐らく鉄則として、
実験は1度だけでなく、2度(以上)は行う、行わなければならない
ということはあるはずだ。
だから、2発なんてそれこそ本来言い訳できないはずの行為を
行ったのだ。
当初は小倉の予定で。雲の関係で長崎に急変更したが。

実際、広島ではウラン型、長崎ではプルトニウム型、と、わざわざ
種類を変えている。これが「実験」もっというと、「人体実験」以外の
何だと言うのだろう?

「リメンバー・パールハーバー」なんてアホくさい。冗談じゃない。
「リメンバー・広島、長崎」こそ、米国に言い続けるべきことなのだ。

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