« 最近、松屋のカレーのレベルが上がった | トップページ | 明日は参院選 年金の怒りは反映されるか? »

2007年7月22日 (日)

文士のいちぶん

作家に関するエピソードのようなものを何回かにわたって書いて
みたい。まず今回は、三島由紀夫をめぐる作家となりそう。

その前に、お気づきのように、タイトルは映画「武士の一分」から
ヒネて借用した。そういえばあの映画は「しょうもない」映画だった。
ストーリーが陳腐。キムタクは武士の顔にしてはキレイ過ぎて
違和感があるし、彼の演技もこのところ「マンネリ」の感がある。
進歩が感じられない。


さて、本題に戻る。

1. 太宰治
最近、芥川賞の発表があったが、芥川の友人でもあった菊池寛が
直木賞とともに1935年に創設したこの賞の第1回受賞者は
石川達三だったが、太宰治が受賞を切望したのは有名な話だ。
太宰ほどの才能がある人は、逆に、そうした栄誉などあまり気に
しなくともよさそうな気がするが(少なくともそういうイメージがあるが)
まあ、太宰の極めて人間的な部分が知れて面白いといえば面白い。

そういえば、三島由紀夫は、太宰宅を何人かの友人と訪れたとき、
三島はおもむろに太宰本人に向かってこう言ったという。
「私は太宰さんの作品は嫌いなんです」。
これに対して、三島が伝えるところによると、
「太宰は驚きながらも、「ほら、こうして来ているんだもの、やっぱり好き
 なんだよ、そうだよな」と応えた」という。
ところが後年(それでも、もう20年くらい前だと思うが)、その場に
居合わせた某氏が、このときのやりとりを「暴露」している。
その人によると、「太宰はみるみるうちに激怒した顔になり、
「嫌いなら、来なけりゃいいじゃないか!」と吐き捨てるように言った」
というのだ。

たぶん、後者のほうが本当なのだろうな、と思う。
三島さんが敢えて「ウソ」、あるいは「脚色」したのは、単に自分にとって
「バツが悪いから」ということの隠し立てではなく、作家として、
どちらがより太宰的な印象を伝えられるか、ということを考えたので
はないだろうか?
でも、やっぱり、本当の状況を伝えてくれたほうが、結果としても
「おもしろかった」と思うのだが。
太宰の「激怒」にこそ、「いちぶん」を感じる。


2. 澁澤龍彦
三島由紀夫が晩年、文字通り命をかけた、「盾の会」について、
澁澤龍彦は三島に面と向かって、
「近頃、「戦争ごっこ」は、どんなあんばいなんですか?」、と平然と
言って憚らなかったという。普通なら、大ゲンカになるところだろうが、
三島は苦笑しながらも談笑していたというし、実際、2人は仲が
良かったようだ。仲が悪ければ、いくら冗談半分の揶揄とはいえ、
「戦争ごっこ」という表現はとても本人の前で使えなかったはずで
ある。
こうした、「大人の関係」はステキだと思う。
とかく人間は表面的な会話が多くなりがちだし、いわんや本人の前
では(陰で悪口を言う間柄においてさえ)、キレイごと的な会話が
一般的な今日の社会にあっては、ある意味では「羨ましい」関係と
さえ言えるかもしれない。
澁澤の、本人を前に言った「戦争ごっこ」という言葉に、
澁澤の「いちぶん」を感じる。


3. 三島由紀夫と東大全共闘
三島の自決は中学1年だった私にとっても、随分印象的なものだった。
その前年の5月13日、東大全共闘は三島を呼んで講堂で討論した
ことがあり、以前、その録音テープが出版されて私も興味深く
聞いたものだ(映像でも一部残っている)。あの中で、三島は、
「君たちが(マルクスではなく)天皇、と言ってくれるのなら、いっしょに
 (政府と)戦う」という主旨の発言をしていたのが印象的だった。
また、「君たちの熱情は信じる。他の何も信じないとしても」と言い、
若者の主体的な行動にある種の共感を示すことを拒まなかった。

あの時代、ベトナム戦争が泥沼化し、欧米の多くで反戦運動が
起きた。JFK亡き後、弟のロバートが、ベトナムからの撤退を主張
しながら選挙戦を行っていた1968年6月、アンバサダーホテルで、
「この国では分裂と暴力、社会への幻滅、富の格差と世代間の
 反目、黒人と白人の対立、そしてベトナム戦争があるが、
 この国をもう一度偉大な国、思いやりのある国にしたい」と
演説した直後に暗殺された。
それを伝える夕刊一面の状況を、小学生だった私は今も鮮明に
覚えている。
フランシーヌ・ルコントがベトナム戦争に反対して焼身自殺を図り、
それは、「フランシーヌの場合」という歌になって日本で流行した。
あの時代、私はまだ幼少だったから当時はよく理解できなかったが、
何か「とてつもなく熱いエネルギー」が世界を充満させていたことは
間違いなかった。

ビートルズは既に「晩年」に差し掛かっていたが、彼らがあの
階級社会のイギリスから出てきたこと自体が驚きであったように、
世界が様々な局面で新たな価値観と旧勢力との衝突を繰り返して
いた。そういえば、三島は、もう40年以上も前に、
「日本は今後、便利ではあるが、ひどくニュートラルで面白みの
 全く無い国になるだろう」と言い、既に今日の状況を看破して
いた。
三島の、イデオロギーを超えたところでの全共闘へのある種の
シンパシーとその「告白」に、彼の「いちぶん」を感じる。
彼の自決を最も衝撃的に受け止めたのが全共闘であったのかも
しれない。彼らは内心思ったことだろう。
「三島は本当に命を賭けちゃった・・・俺たちはそこまでやって
 いないのに・・・」と。
それにしても、やはり、ああいう死にかたを選ばず、長生きして、
いろいろと発言して欲しかったとつくづく思う。

« 最近、松屋のカレーのレベルが上がった | トップページ | 明日は参院選 年金の怒りは反映されるか? »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック