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2007年5月30日 (水)

武田信玄に関する1つの疑問

武田信玄公は、
「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵なり」と言って、
あの当時では珍しく「城」を建てなかった。
「軍団」の結束は有名だが、一時期、今川攻めをめぐって、
長男(とその部下たち)と意見が衝突し、最終的には泣く泣く
その長男を自刃へ追いやって、事態を収束させた。

先般、「その時、歴史は動いた」のアンコール特集でやっていた
のを見て、フッと思った。信玄が、後年、いざ上洛、と、
大騎馬軍団を進めていく中、彼は病死してしまうのだが、
それは長男の「復讐」にあったからではないか?、と。
人生は不可思議なり。

そういえば、その時代には、有名な事件ほど、「不思議」と思える
ことが多い。

「女好き」な武将が多い中、上杉謙信はなぜ独身主義を貫いた
のだろう?
今川義元は、なぜ、少数の信長軍勢にやすやすと打たれた
のだろう?(油断だな)

その信長は、なぜ、わずかな手勢で本能寺に宿泊したのだろう?
(油断だな)

なぜ、信長の遺骸は見つからなかったのだろう?

明智光秀は、なぜ絢爛豪華な安土城を、信長の城、というだけで
焼いてしまったのだろう?(もったいない、バカじゃないか)

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