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2007年4月22日 (日)

チャップリンの「独裁者」 偉大な演説

チャールズ・スペンサー・チャップリンは、同年同月(1889年4月)
の、自分より4日遅れて生まれた男に大きな「ケンカ」を売ること
になる。
映画「独裁者」。それまで拘り続けてきた「サイレント」を敢えて
捨てた初めてのトーキー作品は、ラストの演説のためにあったに
違いない。製作が1939年。アドルフ・ヒトラーのナチ軍が
ポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発した年。
公開が翌1940年。

ヒトラーの絶頂期に、妨害や脅迫に屈せず、ヒトラーを徹底的に
「コケ」にする作品をよく作ったものだ。
実際、これを見たヒトラーは、「チャップリンを必ず殺してやる」
と激昂したと伝えられている。

もちろん喜劇性を捨ててはいないところが、チャップリンたる
所以で、「笑い」の場面の連続ではある。
「ドイツ語っぽいデタラメ語」は傑作だし、ハンガリー舞曲第5番
にのっての床屋のヒゲ剃りシーンには大笑いする。
ヒトラーのパロディであるヒンケルと「うりふたつ」のユダヤ人の
床屋(もちろんチャンプリンの二役)が、ラスト近く、
間違われて、床屋が大勢の兵士の前(党大会)で演説させ
られるハメになる。

彼は半ば諦めながら、おずおずと演台に立ち、ボソボソと
語り始める。
ちょうど、ヒトラーが聴衆を惹きつけるためにそうしたように。

「・・・I'm sorry but I don't want to be an Emperor.
 Tha't not my business.
 I don't want to rule or conquer anyone.
 人間は互いの不幸ではなく、互いの幸福を念願として生きる
 ものなのです。なのに、我々の知識は我々を猜疑的にして
 しまい、我々の「賢さ」は我々を「かたくな」で不親切なものに
 してしまいました。
 我々は多くを「考える」ようになりましたが、「感じ取る」
 ことをしなくなりました。
 我々が必要とするののは機械よりも人間性であり、
 「賢さ」よりも「親切心」や「優しさ」なのです。
 そうでなければ、人生は「荒れ」、全てを失うでしょう・・・
 (ラジオで)私の声を聞いている皆さん、どうか絶望しないで
 ・・・」

床屋は自分が「ニセ・ヒンケル」であることを忘れ、しだいに興奮
していく。ちょうど、ヒトラーの演説がそうだったように。
スタイル自体の見事なパロディがここにもあるのがすごい。

「兵士諸君!野獣どもに屈するな!君達は機械や家畜ではなく
 人間なんだ!憎しみ合うことはやめよう。
 我々は皆、人生を自由で美しいものにする力をもっているのだ。
 団結して、新しい世界を創るために戦おう!
 人々に働き口を与え、若者には未来を、老人には保障を与え
 られる「まっとうな」世界を創るために団結しよう!!」


何度見ても偉大な演説である。作家の故・開高 健は、
この演説について、
「涙が出る理由は何も無いのだが、自然と涙が出てくる」
と評している。

この映画の中で、「ローエングrン」の第一幕への前奏曲が二度
使われている。
最初の場面も有名なシーンで、ヒンケルが世界制覇を夢想して、
「地球儀風船」と戯れるシーだ。
だが、ここではむしろ、曲は静寂で空虚な夢を暗示するように
使われているのだが、曲の本質とは異なることは、
作曲の天才でもあったチャップリン自身が百も承知だったろう。
ワーグナー好きなヒトラーへの揶揄もあったかもしれない。

しかし、2回目に流れるシーン、すなわち、あの偉大な演説に
続き、恋人ハンナへ呼びかけるシーンで流れる「ローエングリン」
こそ、あの場面の「せつなさ」「優しさ」「気高さ」にマッチした
素晴らしいシーンと言える。

「ローエングリン」の流れる中、床屋は隣国に逃避していた恋人
ハンナに語りかける。

「ハンナ、聞こえるかい?ごらん、雲が晴れていくよ。
 僕達は、憎悪や暴力を克服したもっと「思いやり」に
 満ちた世界に入っていこうとしているんだ。
 僕らの、そして皆のものである素晴らしい世界に・・・。
 だから元気を出して、ハンナ!
 Look up,Hannah. Look up!・・・・」

このとき、ハンナ役を演じたポーレット・ゴタードは、
イングリット・バーグマンにも負けないくらい気高く美しい。

だが、もう1つ、重要なことを忘れてはいけない。
この、ハンナ、という名前こそ、極貧のあまり発狂して死んで
いったと伝えられる、チャーリーの実の母親の名前と同じである
ということを。

演説で人類愛を語った後、身近な恋人への呼びかけには、
幼くして別れた母への憧憬と慰めだけでなく、力になって
あげられなかったことへの許しを請う気持ちが込められて
いたに違いない。
だから、あのシーンは、あんなにも優しく、せつなく、
気高いのだ。

ハンナがにっこり微笑み、「ローエングリン」第一幕への前奏曲
とともに、この映画は終わる。

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