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2007年1月 8日 (月)

冬の日はチャイコフスキー

第5交響曲。第6の「悲愴」よりも好きという人は多いだろう。
私もそうだ。雪原の旅、ロシアの大地へのロマンティックな
憧れ、夢、恋、なんでもよいから連想してみればよい。
いや、自然と音楽がその憧れの世界に誘ってくれるはずである。

CDでは、数種あるカラヤンの中でも、総じて1975年盤が
良い。珍しく楽譜に書いていないことも実に魅力的に
やっている。
他、1971年盤では第二楽章の冒頭のホルンソロが魅力的。
1965年盤は、中学生時代に、この曲との出会いを開いて
くれた親友といっしょに何度も聴いた記憶という懐かしさを
想起させてくれるだけでなく、覇気溢れる終楽章や心温まる
第二楽章も、今聴いても実に魅力的だ。
晩年のウィーンフィルとの盤はそれほどでもない気もするが、
ただし、映像(DVD)で残した晩年のウィーンフィルとの
4番、5番、6番「悲愴」が収められたものはお薦め。

カラヤンは曲によって私は正直に絶賛もすればダメ出しも
する(後者では例えばシューベルトの「グレイト」)が、
彼の指揮するチャイコフスキーは重厚で美しい。
ベルリンフィルの巧さもあるが、彼のレガート気質がマッチ
しているように思うのだ。
良い意味で「ねちっこく」演奏する。それが素晴らしい。
少なくとも私のチャイコフスキー観に合っている。

数種のムラビンスキー盤は美しくはないが、
「本物の血」を感じさせて、サスガ。もっとも、余談だが、
私はいわゆる「本場もの」というもの自体は信用していない。
例えばボスコフスキー指揮のウィンナワルツはテンポが
速すぎて軽すぎて好まない。

ここで、もう少しだけ、カラヤンがどうやってこの
「ねちっこさ」を演出しているか、少しだけその「仕掛け」
というか工夫をお伝えしたいと思う。
詳細は、後日、「オーケストラ演奏の裏技(仮題)」として
書きます。というのは、この曲に限らず、あるいは当然、
カラヤンに限らず、オーケストラにはいろいろな演奏の
「舞台裏(しかけ)」があるので、紹介してみます。

今回は少しだけ書きますと、第5の第1楽章の冒頭、
第1小節から37小節まで、低弦にのって、2本のクラリネット
がテーマ、それも同じ音で(ユニゾンで)吹きます。
暗い、雪原のようなテーマです。
休符のところは当然ブレスというか、そのまま休むのですが、
それ以外の、特に休符や(後年マーラーが書いているような)
カンマによる瞬間の間の指示などは無い部分であっても、
木管楽器すなわちブレスしなければ息が続かない楽器で
あるがゆえ「常識的に(音楽として損なわないように)」
ブレスが入るのが普通です。
ところが、カラヤンはベルリンフィルにそうさせない。
すなわち、2本=2人が、微妙に息継ぎをずらし、
全体としてはまるでノン・ブレス(息継ぎをしない)かのように
ねっとりと、したがって全体的に美しいレガートが続くような
印象を抱かせながら進行するのです。
これがカラヤンのチャイコフスキー演奏の大きな特徴
(仕掛け)の1つだと、私は思います。

「ロマンティックに」と言ったって、当然それを表出させる
やりかたをしなければ、オーケストラはそう演奏はしません。
もちろん、ベルリンフィルの弦楽器奏者も1人1人が
重厚感を出せる力量のある奏者である、ということもそう
ですが、指揮者が、その人のロシア音楽観とか、
チャイコフスキーをどうとらえるか、というコンセプトがあって、
それをオケに具体的に指示しないと、そういうニュアンスの
音楽は出てこないわけです。
この「仕掛け」の他の例は、また後日別途書かせていただきます。

さて、本題に戻り、先に進みます。

第6交響曲「悲愴」
この曲について触れないわけないはやはりいかないだろう。
この曲の録音で、徹底的に主観的で巨大な演奏といえば、
バーンスタインとニューヨークフィルが1986年に録音したもの。
全体的にゆっくりだが、終楽章はなんと17分かけている。
普通のテンポで11分前後、多少ゆったりでも12分前後で
あるなかで、だ。そういえば、晩年の彼やジュリーニさんは
本当にゆったりテンポだった。ベームさんもその傾向はあった。
バーンスタインでいえば、「新世界」の第2楽章のラルゴは、
早めの人で11分から12分台(ケルテスやカラヤン等)、
ややゆったりでも14分前後(ショルティ、バーンスタインの
旧録音等)だが、彼の晩年の録音では実に18分台。
とにかく、この「悲愴」の演奏は、巨大で感傷度120%の
演奏を聴きたい人にはお薦めだ。

20歳前後で既にプロフェッショナルな指揮者活動をしていた
フィンランドの天才、ミッコ・フランク指揮による外盤も巨匠風な
大きな構え。特に気に入ったのは、第1楽章後半で音楽が
盛り上がっていく部分で、指定ではアレグロのままだが、
彼は特に練習記号QからRのあたりまでの間で大きくテンポを
落とし、堂々とトロンボーンや弦を奏させていて、普段私が
考えているとおり(主観的といえばそうだが)で、気に入った。

2005年のNHK音楽祭の一環として来日し、テレビで
放映されたのを見、聴いて気に入ったのは、
ヤンソンスとアムステルダム・コンセルトヘボウの演奏。
特に一箇所、それまで誰もやらず、聞いたことがなかった
表現でおもしろかったのは、第1楽章の序奏部(や後半でも
出てくるが、序奏部では)練習記号D、Andante、
1stヴァイオリンとチェロとで歌うニ長調のあの情緒綿々と
した優美な旋律、そこから数えて5小節目3拍目から
7小節目のターララ、ラーラ、「タ」ーララ、ラーラーで、
後半=6小節目の3拍目のGの音(「」)を、そっと軽く
スービット・ピアノに近い弱音でためらうかのように
「そっと(フワッと)置くような」演奏をほどこしたのだが、
これは実に新鮮で魅力的だった。

ところで、第3楽章だけはカラヤンとベルリンフィル、
それも1971年にEMIに録音したものが、ド迫力ですごい。
カラヤンにどちらかと言えば批判的だった故・福永陽一郎さんも
紙面でよく絶賛していた。
テンポの速さも、同じオケを1959年だかに振ったフリッチャイを
除けば一番速いだけでなく、この事実上のスケルツォの
巧みさと、空前絶後の迫力で圧倒的な演奏を繰り広げていて
見事である。

ピアノ協奏曲。3曲あるのだが、何と言っても第1番が有名。
気に入っている盤は、あまり話題にならなかったかもしれないが、
ワイセンベルグのソロ、カラヤンが1970年にパリ管弦楽団と
入れたもの。(ミュンシュ没後、一時的ではあったがカラヤン
が、パリ管の常任を引き受けていた時期のもの)
堂々としたゆったりのテンポで素晴らしい。なお、この2人は
これに先立つ3年前、ベルリンフィルと映像で演奏を残して
いる。

「胡桃割り人形」からは、敢えて組曲には無い曲の、
パ・ドウ・ドウを。
音階のような旋律なのに哀愁感が素晴らしい。
これぞチャイコフスキー・マジック。
ロシア音楽の最高の粋の一つだ。

冬の日は、チャイコフスキーが似合う。

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