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2007年1月 8日 (月)

ベラを救え チャスラフスカさんに寄せて

1964年の五輪・東京大会、1968年の同メキシコ大会で
鮮烈な印象を人々に与えた、チェコ女子体操の
ベラ・チャスラフスカさん。
体操の代名詞のような人であり、一定の年齢層の人には
「たまらない」存在だろう。私にはちょっと「大人」過ぎて、
ただただすごい人だな、という印象で止まっていて、
後述するツルシチェワさんや、今は敢えて名前は伏せるが
最も書きたい、そして近々書く予定の体操選手ほどの関心は、
正直なところ無かった。
しかし、あの優雅さは、体操競技がアクロバットではない時代
の最も優れた典型であり、実際、チャスラフスカさんは
日本のみならず世界から愛された。
後年、ミュンヘンでのオルガ・コルブトやモントリオールの
コマネチの登場に、その身体能力と完成度の高さには驚き
ながらも、「体操はアクロバットじゃない・・・」と違和感を
感じたのは私だけではないだろう。
チャスラフスカさんは日本では一般ファンだけでなく、当の
体操選手の間でも憧れの的であった。

そういえば、体操やバレーボールは、当時、日本とソ連が
二代強国であり、ライバルであるとともに、ある程度の交流は
当然生じている。
例えば、「月面宙返り」の塚原選手のライバルであった
アンドリアノフ氏は、後年、塚原氏の長男の体操技術のコーチ
として来日している。
チャスラフスカさんは人柄や強大なソ連とは異なるチェコ
ということからの親しみ等の要素もあり、ファンはたくさんいた
わけだ。

2004年の夏の発売された、後藤正治著、
「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」は、ベラさんの人生について、
旧ソ連や日本の多くの体操選手へのインタビューを紹介しつつ
報告されている。そこに登場する2名については別途書きたい。
ベラは、メキシコ大会直後結婚したが、母国では一時期、
政治的な理由から相当不当に処遇されている。
しかし、1990年の社会主義政権の崩壊後は復権し、
チェコ五輪委員会会長の職につくなど、活躍が再開された。
ところが、1993年8月、彼女の1人息子が(離婚した)
元夫(すなわち息子の父親)とケンカをし、その際の暴力で
息子が実父を死に至らしめてしまうという事件が起こる。
その後、ベラは精神を病み始め、鬱状態に入り、現在も
チェコの病院で暮らしているという。
来日は数十回、1990年のときには、東京大会での
女子選手と交歓会がとり行われたが、「事件後」の
1995年の来日時の様子は明らかに変わっていたという。
それを最後にもちろん来日はしていない。
1942年生まれだから、まだ66歳。
どうか、お元気になられて、また来日して欲しいと祈りたい。
ベラさんより少し年長の旧ソ連の名手ラチニナさんもベラの
ことを心配している。もちろん、日本の体操関係者も。
そして私が近々書く予定のナターシャも

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