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2006年11月29日 (水)

街の灯 ライムライト

先日お伝えしたとおり、OBオケが映画音楽特集の公演を行うので、それに関した話題を。

まずは、「街の灯」。1931年作。まだサイレントにこだわり続けていた時代の傑作。セリフは無いが、全編に溢れる音楽の量はすごいし、聴きごたえ十分。
有名なラストシーンに絞ってみよう。「残酷さと紙一重の優しさ」と
「優しさと紙一重の残酷さ」の同居。
かつて、故・淀川長治さんは、ヒロインの表情をこう評した。「まあ、(私を助けてくれた人は)こんなにみすぼらしい人だったの・・?という一瞬の軽蔑・・・しかし、その次の瞬間に、その100倍もの尊敬の
まなざしに変わる」と。
見事な批評だと思う。ただ、若いころの私はこれだけで「まいって」しまっていたはずだが、今はひねくれてきたのか、やや意地悪にこのシーンを見てしまうことを正直に告白しよう。
ラストシーンのチャップリン(というか物語の主役)の表情に「あざとさ」を感じてしまう。「優しさの押し付けがましさ」と言ってもよい。
もっとダンディでカッコイイ男性に仕立てようとした場合は、もう少し違った「さりげなさ」があったほうが良かったかもしれない、と。
「無償の愛」なら、目が見えるようになった彼女に直接接することなく、遠くから見ているかたちもあったのではないか、と。
もっとも、チャップリンのことだから、そんなことは百も承知で、優しさがどんどん削り取られていく時代への精一杯の抗議と皮肉だったに違い無い。たとえ「あざとく」ても、優しさを徹底的に主張する必要があったのだ。実際、時代はどんどん第二次世界大戦に向かって突き進んでいくときだった。それでもなおこの作品は愛すべき傑作ではある。チャップリン作品の中で一番好きという人も結構いるのは理解できる。

「ライムライト」は1952年作品。私は10代のころ、劇場とテレビでそれぞれ1回ずつ見ていたが、あのころはややテーマが重たく感じていたが、今はとても「しっくり」くる。
この作品では、チャップリン自身が随分と「大人」だし、とにかくよくしゃべる。サイレント時代が想像できないくらい、言葉の力に溢れた作品だ。人生に絶望した若いバレリーナを励ます落ちぶれた喜劇役者の役。
「人生は意味が必要なのではない、生きること自体が願望なのだ」
「必要なものは勇気と想像力、そして少しのお金」
「腕が無くてもヴァイオリンを弾く人がいる、足の指で弾くんだ」
「避けられないのは死だけじゃない。生きることだってそうだ。だから生きるんだ」・・・等々。

余談だが、青年作曲家の役を演じているのはチャップリンの実子で親子共演。
さて、ラスト近くの、バスター・キートンとの文字通りの「二重奏」は
喜劇史に残るくらいの傑作のシーンではないだろうか。
ここで、チャップリンは往年のライバルでもあった喜劇俳優キートンと共演しているわけだが、いかに真剣なシーンとしてのぞんでいるかはすぐ解る。あるはずの観客の笑い声や拍手をいっさい入れず、キートンとのギャグに徹しているからだ。見ているこちらはゲラゲラ笑うことになっているわけだが。本当に印象的なシーンだ。

そして、ショッキングなラストシーンが来る。哀愁とせつなさが美しく画かれる。道化とバレリーナの物語は終わる。

最後に、これは著作権の関係上、引用はまずいかもしれないが、
森山良子さんが手巻きオルゴールを奏でながら歌う「エターナリー」という歌の歌詞を紹介したい。ライムライトのテリーのテーマにのせて歌われている。初めてテレビで見、聴いたのはもう15年くらい前かと思う。旋律を思い浮かべてみてください。

「いつまでも あなたに この愛をあげましょう
人は弱くて さみしいから
いつでも 誰かに 寄り添う
こんなにも あなたを 愛せるのは きっと
出会った人達から愛を 教えてもらったからでしょう」

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