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2006年9月26日 (火)

個性か?効率か?経営バランスの難しさ

先日(9月18日)、吉野家が久しぶりに牛丼を限定販売した。私は「日本人はBSEに騒ぎすぎ」とする立場(考え)の人間だから吉野家さんはもちろん応援している。
しかし、それはそれとしてもう少し違う論点で考えよう。例えば、松屋さんとの比較。松屋さんは(いっときの騒動の時は別として)基本的にずっと今日まで牛丼を出し続けている。もちろんオーストラリア産だから可能なわけである。収益を考えたら、松屋に軍配は上がるのは言うまでもないことだろう。
吉野家さんがアメリカ牛にこだわるには事情あるいは理念とか哲学みたいなものがたぶんあるのだろう。「こだわり」は大切である(あるいは「愛すべきものである」)ことは認める。個人においても、集団においても、ある種の「こだわり」は個性であって、人間が不条理な生存形態をたっている以上、誰しも(濃淡はあっても)回避できないものだと思う。
だが、企業の効率性、収益性という点でマイナスに働く場合は、ある程度の「修正」「転向」のようなことも必要になるのではないか。私が以前お世話になり、今も株主として応援している外食産業のK社の社長は、業界でも有名な名物社長で、私も氏の人間的な魅力(もちろん同時に弱点も)は大いに認めるところである。店舗数は全国に300近くあり、中華系が多いが、和食、イタリアン等多種にわたる。しかし、1店1店に「こだわり」があるため、採算性でともすれば失敗しがちだし、マニュアル的なチェ-ン店に比べればどうしても(良くも悪くも)改善のスピードや良い意味での(一企業としての)統率的カラーという面においては甘くなることもあると思う。
企業にとって「株式上場」は唯一絶対的価値ではない、ということは言うまでもない。上場していなくとも良い企業はたくさんあるし、その逆もまた少なからずあると思う。ただ、もし上場を考えた場合は、
否が応でも効率性、組織の統率性は重視されるのは当然である。また、上場すれば、それまでのオーナーの「こだわり」も一定の制約を受けることにはなる。
社会の公器としての企業、顧客、消費者主体としての企業、ということと、企業家の夢や「こだわり」が、効率性や収益をいかに伴いながらバランスよく発展していけるか。これは企業家の永遠の課題なのだろうなと想像する。

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