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2006年8月15日 (火)

丸山眞男と音楽

10年前の8月15日、戦後のリベラル政治思想のチャンピオン的
存在だった丸山眞男が亡くなった。
私は大学では国際政治を専攻し、特に3年次のゼミでの研究発表は
ファシズム(特にナチズム)を取り上げたが、その際、
氏の「現代政治の思想と行動」という書物とりわけその中の
「超国家主義の論理と心理」という論文に多くを学び、そのためか、
めったに誉めないことで有名だった担当教授から誉められたことが
あった。もっとも、丸山氏についてそれまではほとんど知らず、
半ば偶然に近い感じで手にした書物だったように思う。
したがって、氏、そしてそれが有名な論文であることは少し後で
知ったくらいの程度の学生だった。

それはともかく、丸山氏ほど毀誉褒貶が激しい政治学者も
珍しかったようだ。
右翼あるいは三島由紀夫や梅原猛らの右的(?)な作家、学者
からは「天皇に依拠するのを脱しないと日本(人)は自立しない」
とした丸山を当然批判したし、「まともな学者ではない」と
いうように言う人もいた。
また、左翼あるいは左派的(?)な人たとえば吉本隆明は
「学者でも思想家でもな奇怪な存在」とした。

何か似たような批判表現だ。おそらく、その西洋合理主義的な
スタンスからの言ってみれば敢えて日本人であることから
「超然」とした見地からの論評が右派左派いずれからも
「集団的な発想でない」とか「人ごと的だ」という印象を与えて
いたのではないか、と想像する。
また、言うまでもなく、支持者はそれこそ「丸山学派」とも
言うべき圧倒的な(カリスマ的な)人気と人脈を形成して
きたのも事実で、賛否いずれからも「熱く思われていた」
という稀有の人でもあった。

先述の「客観的な理性」について想像してみると、これは
彼が生まれた年代にもよるものも多いと想像する。
1914年生まれということは、もう少し後に生まれていたら
学徒出陣で前線に行き、無事帰国できたかどうかわからなかった
ろうし、でも安泰な学窓の奥にいたかというとそうではなく、
彼は旧制一高3年次、ひょんなことから特高(警察)に捕まり
憲兵から殴られているし、1944年と45年3月に当時既に
東京帝大法学部助教授の地位にありながら、二等兵として召集
され、学歴の無い一等兵からいじめられて(殴られて)いるし、
2回目の召集先は広島で、市から5キロ離れていたので後年
直接苦しむことはなかったにせよ、原爆が落ちた瞬間を経験した
広義の被爆者である、という、いわば「現地」も体験した学者
である。
机上の論理でもなく、また感情的に考察するのでもなく、
2つの状況を「客観的に」考察する「体験」を得ていることが彼の
思考のエネルギーとバランスの源泉になっているのではないか、
と私は想像する。


さて、前置きが長くなった。
氏の政治思想を論じるほどの学は無いので、氏が大の
クラシック音楽ファンであったことについて書こう。
ファンというより、ほとんどプロの批評家の域にあったようだし、
本人はそう思っていたらしい。7年前に中公新書から
「丸山眞男 音楽の対話」という本が出ている。
著者は氏の門下生でケンウッドの会長も歴任された中野雄氏。
丸山氏はLP、CD、テープ等の音源の膨大なコレクションに
加え、所有するスコアの量も相当のようだ。
ベートーヴェンやワーグナー(もちろんオペラ全曲)等のスコア
にはたくさんの書き込みが残されている。
フルトヴェングラーの演奏が気に入った部分には、Fと記している
のも興味深い。
氏はことにピアノのケンプと指揮者フルトヴェングラーが
好きだった。私も以前、この中野氏の著作を目にする前に
どこかで、
「フルトヴェングラーによる、ブラームスの第4交響曲の冒頭の
 あの出だしのhの音、あのhの奏させ方はすごいね!
 ああじゃなければならない」
という発言を読んだことがあり、
「あの有名な政治学者の丸山氏と音楽か・・」とても印象に
残っていたいたのだったが、この本の中でも当然紹介されている。

あの「出だし」は本当に素晴らしいと思う。
あれだけの表現を聴くと、逆に、
「他の指揮者は何故ああやらないのだろう?」
「何をやって(感じて)いるのだろう?」
「何も感じていないのか?!」と思ってしまうくらいだ。
ソッ・・と、ためらうかのような静かでたっぷりとしたテヌート。
ブラームスは確かにそんなことは表記していない。
でも、丸山氏同様「ああでなければ」と思ってしまう。

以前、吉田秀和氏も(ヴィースバーデンでのライブ盤が出たときの
評で)「ああ、フルトヴェングラーからの贈り物だ・・」と評していた
のを覚えている。
あの冒頭について熱く語る丸山氏に私は好感と尊敬を覚える。
「駄弁る(だべる)」という無類のおしゃべり(好き)だったと
いうから、生前ぜひともお話しさせていただきたかったものだ、
とつくづく残念に思う。

フルトヴェングラーの芸術を称えつつ、彼がナチ下のドイツに
とどまったことには理解しながらも、
「ナチに打撃を与える意味でも亡命すべきだった」としている点は
やや意外だったが、「合理性」を重んじる氏の思考からすると
そう判断するのだろう。

丸山氏の「是々非々」の姿勢はいろいろなところで判る。
カラヤンについては
「ベートーヴェンやブラームスはいただけないが、
 オペラはうまいね」と認めつつ、
「絢爛と虚しさ」として「豊麗で極上の音の饗宴に理解は
 示しつつも、そこでは何も語られていないことが多い」
として苛立ちを覚えていたという。

また、評論家の宇野功芳氏には珍しく感情的に反感を持っていた面
もある一方で、宇野氏の著書「フルトヴェングラーの名盤」を愛読し、
書き込みもそうとうしている。また、宇野氏が近衛版スコアによる
ベートーヴェンの7番を指揮したと聞くと、
「それは聴いてみたかったなあ」と言ったという。
こうした一方的に決め付けたり偏見を持つのではなく、
個性や才能を是々非々としてとらえることができた点も
丸山氏の特徴ではないか、と思う。
丸山眞男は確かに貴重な音楽評論家でもあったと思う。

(丸山氏についてはここまで)

少し余談だが、フルトヴェングラー、ジュリーニ、カラヤン、
ベームのブラームスについての私の所感。
第4の冒頭は本当に素晴らしいのだが、ブラームスの交響曲全体の
フォルムを考えたとき、彼が多様しがちな「アチェランド」は
ブラームスにはいささか「過激」に思える。
ベートーヴェンとこの点は異なると思うのだ。
私が全体のフォルムとして、特に第4で気に入っているのは
ジュリーニ指揮、ウィーン・フィル盤。
どっしりとした構えが素晴らしい。

カラヤンについては、私は丸山氏の感想とは異なり、
ブラームスは結構「いい」と思う。
2~4番も全体としては立派だし、1番もウィーンフィル盤は
とてもいい。
ウィーンフィル盤といえば最近、1958年にカラヤンが
ウィーンフィルとしては最初で最後の来日となった際の
ブラームスの第1番の映像がDVD化された。
コンマス、ボスコフスキーのソロとともに大変充実した演奏なので
お薦めしたい。

ベームのウィーンフィルとの来日公演、1973年3月の
ブラームス1番は今でも語り草で、NHKで数年前も
「思い出の名演奏」として再放送された。
CDもどれもガッシリとした充実感がある。
また、ベルリンフィルとの1956年12月の第2は録音精度で
損はしているが、以前から吉田秀和さんや小林利之さんらが
誉めていて「再販売されないかなあ」と思っていたところ、
1年のど前に出た。とてもいいです。
第1楽章の充実感、第3楽章の素朴なレントラー(グラーツ訛り
みたいな)、そして終楽章は冒頭の2分音符と8分休符の
「間」が素晴らしく、ここはそれこそ「フルヴェンの第4の冒頭」
同様、ここの冒頭小節だけ何度も繰り返して聴いてしまうくらい。
お薦めです。

以上、長くなりました。
数日かけて少しずつ書かせていただきました。
お読みいただきおありがとうございます。
ご参考まで。

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