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2006年8月 9日 (水)

アメリカは原爆投下を総括せよ

今日は長崎の日。
私がアメリカが嫌いな理由はいくつかある。
銃社会。絶対的とも言える金銭価値(資産格差是認)社会、
少なくなっているだろうにしても露骨な人種差別社会、等々。
しかし何と言っても最大の理由は、
「アメリカはいまだに原爆投下について何の総括もしていない」
という点である。

アメリカの論調は昔から決まっている。
「日本との戦争を早期に終わらせるためには原爆投下は必要
 だった」。こればかり。
「バカの一つ覚え」とはこのことだろう。
「本当に必要だったか?」、との自問自答を少なくとも公的には
アメリカは全く行っていない。
この点は客観的に冷静にアメリカ自身が分析を行って欲しい。

愛国心とは別の問題として考察できるまではアメリカは
「大人の国」とはとても言えないと思う。
アメリカ国民の大半が「観念的に、ステレオタイプ的に」
「正当だった」と思い込もうとしている点が問題なのだ。
投下された広島と長崎がどういう事態、状況に陥っていたのかを、
少なくとも「知ろう」とはして欲しいものだ。
目をそむけることでしか自己正当化できないとは情け無い。

ただ、以前は、そういう展示会を米国内で日本人が開催しようと
すると抵抗されて難しい状況がほとんどだったようだが、
最近はチラホラ行われるようになってきていて、先日も
テレビニュースで取り上げられていたし、会場に足を運んだ
アメリカ人はショックを受けていて、「人間的な」コメントを
していた。

7日の読売夕刊にはエノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツ氏への
インタビューが出ていた。
もちろん回答は「いつもどおり」なのだが、
「犠牲になったのは一般市民だ」との問いかけには
「無言でうなずいた」という。
もっとも一軍人への追求はある意味では「酷」で、彼らは
「軍人として任務を遂行しただけ」というのは一面の真理だ。
要は何故、トルーマン大統領は最終的にゴーサインを出したか、
本当に「必要な」ことだったのか、という事に対する検証だ。
ソ連との技術競争という背景が無縁であったはずは無い。

私は初めて広島に降り立ったとき、あの低い山に三方(一方は海)
を囲まれた地形を見た瞬間、直感的に「実験されたな」と思った。
恐らくそう間違っていないはずである。
アメリカが「愛国心」とは別に客観的に検証することはまだまだ
当分考えにくいが、いつかはキチンと行って欲しいと思う。

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