2019年1月23日 (水)

インフルエンザが国内を猛威

2019年1月19日 (土)

バッティストーニ指揮「千人」歌いました

2019年1月12日 (土)

F

2019年1月 5日 (土)

JR東日本交響楽団、バッハはうすでの新年会~充実した1日

5日は、最近フェイスブックで知り合った大学の後輩Yさんの
お誘いで、JR東日本交響楽団の演奏を初めて聴いた。
すみだトリフォニーホール13時30分開演。
常任指揮者 小泉智彦氏の指揮。

1曲目の「禿山の一夜」はブラスが上手く、アンサンブルとして
とても素晴らしい演奏。

ベートーヴェンの交響曲第8番は、第1楽章と3楽章の
テンポ設定が速めなので、ちょっと弦がシンドそうだった。
終楽章がとても難しいのは言うまでもない。

各楽章とも、強調すべきポイントが曖昧な感じが終始した。
やはりベートーヴェンは難しい。一筋縄ではいかない。

休憩後のショスタコーヴィッチの5番は全体的に落ち着いた
テンポで安定感ある演奏だが、第1楽章や3楽章に
もう少し哀愁感が欲しい。
ディティールの「あっさりし過ぎ感」を多々感じた。
そして管に1曲目のような完成度があれば更に良かった
のだが。

ちなみに ベト8だの、ショス5、タコ5だのという言い方は
私は大嫌いなので使わない。

その後、Yさんの友人3人の計5人で、近くの居酒屋で
18時30分位まで楽しい音楽談義の語らい。
Yさんを含めた2人は作曲をするので、現代作品を
いかに人々にプレゼンしていくか~自身の工夫や、
演奏してくれる人、演奏家の人脈確保の重要性等~
という事を含めて、演奏現場の状況などが主な話題となった。

その後、私は椎名町のバッハはうすで行われている新年会に
行き、プロ奏者とアマ奏者の合同演奏や、
アマ奏者、プロ奏者それぞれのアンサンブルを22時まで
楽しんだ。

そこでは、大学合唱団の1年後輩の女性で、
子育てが落ち着いた40歳からヴァイオリンを習い始め、
幾つかのアンサンブルを経験した後、今はバッハはうす主宰の
椎名町ストリングアンサンブルで活動しているKさんに
2年ぶり位に会い、語らい、いっしょに演奏を聴いた。

錦糸町での新たな友人との語らい、
椎名町でのプロ、アマそれぞれの室内楽の演奏を拝聴等、
充実の1日だった。

2019年1月 3日 (木)

祝 東海大学 初出場から46年 悲願の初優勝~箱根駅伝

東海大学が往路で2位に入ったとき、TV解説者等関係者の
多くが、「復路で東洋大学を抜いて優勝の可能性大」と
伝えたが、そうなった。
やはり関係者の情報は大したものだ。

往路で印象的だったのは、青山学院大学の不調(6位)にも
増して、これまで特に強豪校というわけではなかった
國學院大學(3位)と、ここ数年不調だった駒澤大学(4位)の
健闘だ。
復路でも駒澤は健闘して総合4位。國學院も総合7位。

青学の復路6区と9区での区間新での驚異的追い上げ、
最終第10区で2位浮上。
総合は2位だが復路でのタイム優勝は見事。サスガだ。
往路後半での不調が惜しまれる。

悔しい思いをしているのは前回のこともあり、
東洋大学だろう。それでも11年連続3位以内は素晴らしい。

89年の4位以来の好成績5位の帝京大学。法政大学が6位。
2年ぶりのシード権獲得8位の順天堂大学。
エチオピアからの留学生キャプテン拓殖大学が9位で
2年連続シード権獲得。

その(来年の)シード権獲得(10位以内)の争いは
毎年熾烈を極める。
早稲田大学は13年ぶりのシード権落ち、
中央大学も2年連続落ち、明治大学も日本体育大学も
シード落ち。どうした、かつての強豪校。

もっとも、アマチュアオケもそうだが、アマチュア集団では、
その年々でレベル変動があるのは当たり前のことで、
やむを得ないことではあるけれども。

箱根で素敵なのは、繰り上げスタートの22位や23位の
走者にも、沿道の観衆が熱心に声援を送ること。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190103-00010000-spht-spo

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190103-00010002-yomonline-spo

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190103-00000091-dal-spo

2019年1月 2日 (水)

元旦くらい店舗は休め

2019年1月 1日 (火)

謹賀新年~大晦日のテレビ番組より

2018年12月30日 (日)

未解決事件~平然と暮らす犯人たち

2000年12月30日の夜に起きたと言われる世田谷区の
宮沢みきおさんご一家殺害事件。
関係残留物も少なくないのに依然として未解決。
なぜ犯人が捕まらないのだろう?

殺人事件に関してざっと思い返すだけでも未解決事件は
多々ある。

1971年12月18日豊島区の後の警視総監(当時は
警視庁警務部長)土田國保宅爆破事件。
容疑者は逮捕されたが無罪。

1987年5月3日西宮市の朝日新聞阪神支局での赤報隊
による社員殺傷事件。右翼なのに「赤」とは笑止だ。

1995年7月30日の八王子市内スーパー「ナンペイ大和田」店
における女性従業員3人の射殺事件。
金銭目的ではなかったようだが、なぜあの店の従業員を
対象としたのか?

1996年9月9日の葛飾区の当時上智大学4年生で、
留学を2日後に控えていた小林順子さんが自宅で刺殺され、
自宅が放火された事件。
交友関係周辺に本当に犯人はいないのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

土田邸爆破事件のとき、私は中学2年生で、
「ひどいヤツ(犯人)がいるもんだ」と思ったが、後、
大学に入り、事件時ケガをした4男のKさんと親しくなるとは
想像だにしなかった。
Kさんは今、アマオケ最高峰の新交響楽団の団長でもある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうした犯人らは今も平然と毎日起床して食事をしている
わけだし、あるいは家庭を持っていて、
妻や子供らと何事もなかったかのように、ヘラヘラ笑って
幸せごっこして楽しんでいる者もいるかもしれない。
そう想像するだけで、暗澹たる気持ちになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その他、殺人事件ではないが、1968年12月10日の
3億円強奪事件も、有力容疑者が浮かびながらも未解決。

1984年85年のグリコ・森永事件もそう。
当時、私は証券会社社員だったが、両社の売上げを
落とさないよう貢献しょう、との事業法人部の音頭取りもあり
 ~当社に限らず、たぶん多くの金融機関等で~
袋入りパック商品の購入により支援運動を展開したのだった。
あのときは、企業活動と社会で起きた事件との
直接的な関連性を実感した次第。

なお、土田邸爆破事件については、
2007年12月14日にブログに書いているので、添付します。
http://susumuito.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_3636.html

2018年12月27日 (木)

大推薦の映画「私は、マリア・カラス」~感動に浸る記録映像

劇場だけでなく、プライヴェートな映像や写真等がふんだんに
紹介されるドキュメンタリーの総括的映画。劇中、映像を伴い、
あるいは声だけを含み聴くことができる数々のアリアに、
ただただ、ため息をつき驚嘆しながら、こう思った。

「カラスはアリアを歌っているというより、アリアを演じている
 のだ。彼女はアリアを上手く歌おうなどとは思っていない。
 その歌が描く曲想、内面、世界を掴み、表現して聴衆に
 届けること。それには「こういう声、こういう表現が必要」
 として歌っている。
 その意味では、彼女の声や旋律でさえ、そのための
 材料と手段に過ぎないのだ。
 歌手というより、なんという偉大な表現者だろうか」と。

実際、彼女自身こう言っている。
「演技力の無いオペラ歌手は問題外ね」。

没後41年も経っているのに、いまだに日本を含む世界中の
多くのファンから愛され尊敬されている歌手マリア・カラス。

雑誌「ハンナ」でも時折掲載される日本人歌手が好きな歌手、
あるいは尊敬する歌手の中でもカラスの名を挙げる人は多い。
その点では、フルトヴェングラーやカザルス等々と同じく、
演奏家史上においても絶対に外すことのできない、
稀な音楽家の一人と言えるだろう。

後述するように、彼女に対する罵倒や攻撃といった
マイナス的ニュースも含めて、オペラ歌手として、
世界に話題をまいた点においても、例外的な「大スター」
だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

映画は、1970年のアメリカのTVインタビュー(白黒映像)と
カラスのフランス語でのインタビュー等の録音、そして、
自叙伝の他、これまで封印されてきた多くの手紙や手記を、
ファニー・アルダンという女性がフランス語で読むかたち、
などの構成で進行する。

有名になるにつれ、毀誉褒貶のギャップが彼女を困惑させ
悩ませる。
「私は叩かれ続けてきた。でも冷静さと忍耐力を保った。
 それでも非難されば傷つくわ。
 失敗しやしないかと不安になる」等々、
大スターの正直な赤裸々な気持ちが語られる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最初のピンチは1958年ローマ歌劇場での「ノルマ」公演に際して
直前に気管支炎になり、第一幕を歌った段階で降板。
チケットは完売、大統領も臨席。会場は大ブーイングとなり、
翌日の新聞等マスメディアは「わがまま」「傲慢」等々、
一斉に攻撃に転じる。

生身の体、声帯が命の歌手という職業ゆえ、不調なら
やむを得ないはずなのに、有名ゆえ世間は許さない。
なんとも痛ましい。
それでも、後年、別の公演で「心身衰弱のため中止」
となったときは、拍手が起きる変化も生じるようになったが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

メトロポリタン歌劇場では、「同じ歌手たちばかりでなく、
若手を起用して、新しい演目をやりたい」とカラスが提言
すると、「生意気だ」として支配人から契約解除される。
彼女いわく
「支配人からは、扱いにくい女、と言われたわ。
 扱いにくい歌手はたくさんいるのに」。

「生意気なのは支配人、お前だろ。誰のおかげで食べさせて
 もらってんだ」、と、今の時代のファンからしたら、
そう思うわけだが。
このとき、カラスの「反論」も当時の生インタビューのかたちで
紹介されるが、断然、彼女が「正論」を言っている、と
贔屓目無しに思えるシーン。
「契約解除されるべきは支配人、あなただ」、と
誰もが感じるシーンだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでも、それから7年後の1965年、メトでの公演に出演
した際は、徹夜での行列と大歓声という、大歓迎を受け、
カラスも過去の嫌な記憶から解放される。
このシーンは、歓迎、感激したあの場にいた聴衆らと
心を一つにできる素敵なシーン。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夫バティスタ・メネギーニとの離婚問題の長期化と、
アリストテレス・オナシスとの出会い。
私はオナシスには興味ない。
カラスに申し訳ないが、オナシスにしたら金持ち道楽の中での
出会いだったろうし、意味不明なジャクリーン・ケネディとの結婚
により、カラスを失望させ、それでも最終的にはカラスの元に
戻った、という成り行きは、私には陳腐な物語。
カラスが彼を本気で愛したのは解ったが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1973年の復帰公演でのハンブルグ、ロンドン、ベルリン、
アムステルダム、そして1974年東京での、
それぞれの熱烈歓迎映像も印象的。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とにかく、劇中で見、聴ける歌唱が素晴らしい。
曲目は以下のとおりだが、まず、カラー映像で、
何かのガラコンサートと思われる歌劇場で歌う「ノルマ」の
「清らかな女神よ」に魅了される。

そして特に素晴らしいのが、これもカラー演奏で残されている
「カルメン」の「「ハバネラ」と、 
「トスカ」の「歌に生き、恋に生き」が絶品。
これ以上考えられないような声と技量と表情を含めた表現力に
ただただ感動する。

白黒映像だが、ベッリーニ「夢遊病者の娘」からのアリアも
素晴らしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この映画は、オペラファンはもちろん、器楽は聴くけど、
オペラはあまり聴かないできた、という人にも
ぜひ観て欲しいし、クラシックやオペラに関心なくても、
ポップス等、音楽が好きな若い人にもぜひ観て欲しい
記録映画だ。

歌を「表面的に上手く歌える人が上手い人」と想像して
いる人には、「歌はそんなものではない。いわば、
命を削って表現するものが歌なのだ」ということを、
ジャンルに関係なしに、マリア・カラスという希代の大歌手が
教えてくれるからだ。

いずれにしても、1回観ただけでは、
とても全体を把握できないので、少なくとも、
もう一度観に行こうと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 劇中紹介される歌唱

1.プッチーニ「蝶々夫人より「なんて美しい空!」
2.ヴェルディ「シチリアの晩鐘」より「ありがとう、愛する友よ」
3.ベッリーニ「ノルマ」より「清らかな女神よ」
4.ヴェルディ「椿姫」より「さようなら、過ぎ去った日々よ」
5.ヴェルディ「マクベス」より「早く来て、明かりを」
6.ビゼー「カルメン」より「恋は野の鳥(ハバネラ)」
7.マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より
  「ママも知るとおり」
8.プッチーニ「トスカより「歌に生き、恋に生き」
9.ベッリーニ「夢遊病者の娘」より
  「おお花よ、お前がこんなに早く萎んでしまうとは」
10.ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」より「母が死に」
11.プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」

https://gaga.ne.jp/maria-callas/
https://www.youtube.com/watch?v=iZ4Jjzs54SM

2018年12月26日 (水)

伊藤詩織さんと#MeToo運動、潮流~それに遅れる日本

NHK21時のニュースで、伊藤詩織さんのことを
長時間取り上げたのは良かった。

「#MeToo」が世界的潮流となり、ノーベル平和賞受賞者2名も
性被害告発に関係した人が選ばれる中、
日本はこの問題では後進国だ。

英国BBC放送も彼女を取り上げ、
「性被害の公表がタブー視される日本において、
 彼女の告白は前代未聞だった」と伝えた。

その詩織さんは、国内のネットで「ウソつき」「売春婦」等々
書き込まれ、脅迫状も届いたことから海外での生活を選択
した、という。酷い話だ。

以前も書いたが、この国ではこの種の話題では、
女性に厳しい風潮がある。
本来、責められるべきは男性なのに、なぜか
「女性にも落ち度や、油断、甘さがあったのではないか?」
といった反応が生じる。

例の「イジメられる側の論理」や「自己責任論」と同根だ。

しかも、男性がそういう感情を抱きがちなだけでなく、
なぜか同性である女性にも、そのような目で被害女性を
考えがちな傾向があるから驚き呆れる。

そんなことでは、この国の中の「女性差別」や
「男性からの上から目線、軽んじた扱い」は、
今後もまだまだこの社会からなくならないだろう。

2018年12月23日 (日)

天皇誕生日~陛下の涙

かつて、国民に
~あるいは歴史的状況から、周囲の特定の人々に、と
  置き換えてもよいが~
涙声でメッセージを伝えた天皇陛下がいただろうか?

時代が変わったとはいえ、生前退位(譲位)という事情が
あるとはいえ、そして、平成という時代が、多くの災害や事故や
事件により、多くの国民が苦しみと悲しみに直面した事情、
状況があったとはいえ、それでも、
明仁陛下のお人柄あっての、真心の表明であったと言える。

明仁陛下と皇后陛下美智子様は、平成というより、
戦後の日本の平和を正に象徴する存在であったと言える。

2018年12月19日 (水)

田部京子さん~CDデビュー25周年記念リサイタル~一生の思い出になる名演

「田部さんはシューベルトの作品を見事に描き提示した、
 というよりも、シューベルトに寄り添い、シューベルトを
 慈しみ、慰め、守るような、いわば母性を感じさせるかの
 ような演奏をした」。

大曲第21番のソナタが終わったとき、そんなことを思った。

「演奏」の凄さを感じさせる演奏や、私たち聴き手も、
とかく「演奏の見事さ」に一義的に関心が向かいがちだが、
では、「ひたすら作曲家だけのことを想い巡らせる演奏」
ということを想うと、案外そうした演奏は稀なのかもしれない。

この19日の浜離宮朝日ホールでの田部さんのシューベルトは、
正しくその「稀な演奏」だった。
私はいつのまにか田部さんの演奏の見事さを超えて、
シューベルトがこの曲をどういう思いから書いたのだろう、
ということのみを考え感じるようになっていた。
このことは、私が今、田部さんに言い得る最大の賛辞と
敬意の表現だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

終演後、多くの人から出た言葉は
「今日の演奏、ライブ録音して欲しかったなあ」だった。

あるいは複数の人は
「これまでの田部さんと演奏スタイルに変化が生じたように
 想う。ディティールの磨き上げや感情移入への軸から、
 もっと全体を見据えたところからの、ある種達観的な見地に
 軸を置いた演奏」。

もちろん、ディティールの彫琢も素晴らしかったが、
私も演奏全体から感じられる温かさとぬくもり、慈しみと
いった心象を強く抱いた3曲の、いや、アンコールも含めて
6曲の演奏だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1曲目のショパンの前奏曲の格調の高さ、伸びやかに自在に
歌いながらも、端然とした凛とした美しさに、ただただ魅了され
心洗われる思いがした。

2曲目はシューマンの大曲にして充実の名曲である交響的練習曲。
以前私は田部さんのシューマン演奏について、
「シューマンにおけるヴィルトゥジティと同時に熱いロマンと
 パッションがほとばしる演奏に圧倒され、深い感銘を受ける。
 田部さんの情感が直接的に音のドラマとして立体的に
 歌われるシューマンは素晴らしい」
と書いたし、今回も基本的に同じ印象ながら、
構成される各曲の性質の特徴、個性の違いをより鮮明に
打ち出しながらも、全体としては温かなぬくもりを感じさせる
演奏で、「ああ、やっぱり、田部さんのシューマンは良いなあ」
とつくづく実感した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

休憩後は、シューベルトの大曲にして、田部さん得意の
21番のソナタ。
シューベルトの「未完成」や「グレイト」は大好きだし、
交響曲史上絶対に外せない偉大な名曲だと思うが、
ピアノ・ソナタについては私は詳しくない。

この21番はソナタというよりポエムを感じる点で、
交響詩のような印象を抱く。
第1楽章と第2楽章が特に素晴らしく、今回は特に第2楽章に
魅了された。この楽章に在る内省的な感情の移ろいを
田部さんは丁寧に描き出した。第3楽章と第4楽章の、
それまでと打って変わった曲想への切り替えも見事。

田部さんのシューベルトについても以前私は、
「瑞々しさ清々しさを増加することで、古典的フォルムの
 堅持よりもロマン派の息吹を節度を保ちながらも
 喜々として歌うことに踏み込む」
と書いたことがあるが、冒頭に書いたとおり、
この日の田部さんの演奏した21番は、いつにも増して淡々とした
開始からずっと、技術の見事さを超えた慈愛の境地を示したと
感じたことにおいて、これまでの田部さん体験、いや、
全ての音楽家により音楽体験の中でも、
一生忘れることのできない稀な音楽体験をした、
させていただいた、と強く感じ、心から感謝したい気持ちで
一杯になった、そういう演奏、演奏会だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

45分に及ぶ大曲の後、驚いたことに、田部さんは3曲も
アンコールを弾いた。終演後、いっしょに写真を撮らせて
いただく際、「大曲の後にアンコール3曲ですか」と言うと、
田部さんは「アハハハ」と笑った。

その1曲目はこれまで田部さんに数曲贈呈してきた
吉松隆さん作曲の、あまりに美しい「真夜中のノエル」を
来場されていた~ほぼ毎回来場されている~作曲家本人の
前で弾き、演奏後は、吉松さんを促し、
吉松さんは立ち上がって田部さんと聴衆に会釈された。

これで終わりだろうと想ったら、次いで、これまた
田部さん得意のグリーグ「君を愛す」。しっとりと熱い演奏が
深い余韻と精緻で静謐な演奏に感動した。

そして最後は吉松隆さんの編曲が素晴らしいシューベルトの
「アヴェ・マリア」。
終わってみれば、
絶妙な見事な選曲と言える3曲の美しい演奏だった。

あらためて、田部京子さんと同時代に生きていて良かった、
と心からそう思えた素晴らしいコンサートだった。

 田部さん、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 演奏曲

1.ショパン 前奏曲 嬰ハ短調 op.45

2.シューマン 交響的練習曲 op.13(遺作変奏曲付き)

 (休憩)

3.シューベルト ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960

アンコール
1.吉松隆「プレイアデス舞曲集」より「真夜中のノエル」
2.グリーグ「君を愛す」
3.シューベルト「アヴェ・マリア」(吉松隆編曲)

2018年12月17日 (月)

南青山なんぼのモノか~ブランド信仰を笑う

2018年12月15日 (土)

ピアニスト 鐵百合奈さんによる柴田南雄賞受賞論文についての読後感想

雑誌「音楽現代」の12月号に掲載された第5回柴田南雄
音楽評論賞の本賞受賞者である、現役若手ピアニストの
鐵百合奈さんによる受賞論文
「演奏の復権~「分析」から音楽を取り戻す~」は
刺激的な内容で、とても面白く読んだ。

楽理科の学生やいわゆる音楽学者ならともかく、
2017年の第86回日本音楽コンクール第2位、
2013年ローゼンストック国際ピアノコンクール第1位などを
獲得し、来年からは若くしてベートーヴェンのピアノ・ソナタ
に取り組むプロジェクトを開始する現役ピアニストによる
論考だけに、とても興味深く拝読した。
もっとも私が「面白く読んだ」は必ずしも好意的感想だけを
意味しない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず、鐵さんの博学に驚かされる。
鐵さんは修辞学の歴史的展開を、ポンズ、マッテゾン、
キルンベルガーらの論考を紹介しながら進めるだけでなく、
プラトンやガリレオ、ヘーゲルらの哲学者や科学者の
言葉も引用しながら展開するのだが、
私にはこの部分は~賞へ応募としては重要な記述だろうが~
いささか煩わしく、不要にさえ感じた。
ここにまず最初の「違和感」を覚えた。

果たして、係る論考に付いていける音楽ファンが、
どれほどいるのだろうか?と不安で心配になる。
音楽に関する過去の修辞学への論考はいささか青二才の考察
に思えるし、何より、鐵さん自身が
「近代市民社会が成立し、音楽を楽しむ市民が増加し、
 演奏の場や機会が増え、必然的に作曲家と演奏者が
 分離された」
と指摘しているのだから、それでほとんど言い得ている
とも言えるからだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

後半の、作品と演奏者による演奏と聴衆の感受に関する、
ナティエ、椎名亮輔、庄野進らの考察に関する検証を経て
から、よくやく、鐵さん自身の整理と主張が出てくる。
この部分の鐵さんの整理は面白いが、1つの演奏に対して
聴き手の感じ方が十人十色、ということは解りきっていること
だし、いわゆる「読み返し」に論点を転じてからの、
「演奏は本質的に常に「読み直し」の性質を持つ」とか、
「「読み直し」こそが、演奏を生き生きさせる秘訣であり、
 作品をどの時代においても新鮮に演奏する鍵なのである」
とする論調も、私にはいささか平凡な論説に思える。
演奏者も毎回「違う演奏」をすることもまた解りきっていること
だからだ。
・・・・・・・・・・・・・・・

むしろ、「副主題は主要主題を注釈していると考えられる」
として、主題と副主題の関係性、連携する「相互注釈関係」
からの説明が新鮮だし、それによって、
「すべての音、フレーズ、楽想が大切なものとなる」ゆえ、
「音楽修辞学、有機体論、情緒論、音楽記号学から、
 それぞれの本質を捉え直すことによって、
 私たちは「分析」から音楽を取り戻すことができるだろう」
と終えたことは興味深い。
・・・・・・・・・・・・

鐵さんの今回の考察は、あるいはいわゆるピリオド奏法、
古楽器奏法に代表されるある種「型」や「歴史」から入る
アプローチに対する疑問や批判的見地の色合いを強く感じるし、
もしそうなら、私も強く同意する者だが、それなら、
その点をもう少し明瞭に述べたほうが解り易いと思う。
もっとも、その場合は、相当数の「敵」を作りかねないから、
現役の、しかも新進気鋭の演奏家としては、
はっきりとは言い難いのかもしれないが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、最後に意外な文が掲載されていて驚き、ある意味、
納得的な決定打と感じる。それは、この賞の4人の
選考委員の委員長である文芸評論家の三浦雅士氏が、
鐵さんの論文だけでなく、奨励賞の西村紗知さんを含めて
「困惑」として批判的に感想を書いているのだ。

三浦氏によれば、どれだけ学者の見解を引用しようと、
「音楽評論の世界はどうしてこれほど世界が狭いのだろう」
と感じるというのだ。
「鐵さんが「演奏の復権」で述べられてる問題は、畢竟、
 人間は物を作るが思うようにではない、ということに尽きる」
と断じ、
「思いというものは、思想にせよ感情にせよ、むしろ
 作る過程、さらには作ったあとに生じるものであり、
 それは音楽も文学も美術も同じ」とし、そういうことは
「リルケであれヴェルレーヌであれ、誰でも言っていること」
「絶対的な基軸が存在しないというのは人間の常態なのだ」
と手厳しく言う。

最後に三浦氏はこう締めくくる。
「日本の現代音楽の世界は、長い間締め切っていた窓を
 開けなければならないと思う。
 もはや音楽学校の優等生であってはならない」。

この三浦選考委員長の批判的感想こそ、
鐵さんへの最大のプレゼントになるのではないか、
と想像する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いみじくも、私が冒頭に、
「楽理科の学生でも音楽学者でもない(のに)」と書いたが、
結果としては私には
「楽理科の学生の生真面目な論説の域を出ない」という、
鐵さんにとっては失礼ながらいささか皮肉な結論的感想を
抱いてしまう。

この賞の趣旨が、「音楽評論を社会に広め、音楽文化の質の
向上に貢献することのできる音楽評論家を育てることを目標
として、将来期待される個人に対し、その活動を顕彰し、
または助成する賞金を授与する」、としているにしている
にしても、むしろ新進気鋭の現役若手ピアニストとして、
日ごろの自身の演奏から感じ取ってきた具体的な心象や
感情等を中心に置いたところから書いたほうが
良かったように思える。

既にファンをだいぶ獲得していて、今後も増えるだろう
ファンが鐵さんに求めるものは、音楽学者的な見地からの
考察より、聴衆からは直接的にはうかがい知れない、
生身の演奏者だからこそ得られる体験からの論考や言及
こそ、ファンはより一層関心をそそられると想像できるからだ。

危険運転致死傷罪適用は当然

昨年6月に起きた東名高速道路の「あおり運転」事故の
裁判員裁判で、横浜地裁は14日、
懲役18年(求刑・懲役23年)の判決を言い渡した。

深沢茂之裁判長は、争点となった危険運転致死傷罪の
成立に関して、4回のあおり運転を危険運転とし、
ご夫婦の死亡に至る因果関係から、
全体として危険運転致死傷罪を認めたのは良かったが、
停車(状態)を危険運転と認めなかった点は疑問だ。

危険運転致死傷罪は「通行中の車に著しく接近し、
かつ重大な危険を生じさせる速度で運転する行為」を
要件の一つとしているため、公判では、
停車後の事故に適用できるかが最大の争点となった
わけだが、一般道路ならともかく、
「高速道路で停止させる行為自体、むしろ走行中の行為以上に
 危険な運転行為」、とだって十分言い得るからだ。

いずれにしても、現行法(条文)が、現状に追い付いて
いない(不備がある)以上、早期の法改正は必須と言える。

2018年12月11日 (火)

女声アカペラで楽しむクリスマス~天井に響く喜びの歌

10日夜、えびらホールという、東急池上線の旗の台駅から
徒歩5分位の住宅街にある小さなホールで、
標記のコンサートを聴いた。
グレゴリア聖歌やパレストリーナなどの中世の声楽曲も
大好きな私にとって、心洗われる素敵なひとときを堪能させて
いただいた。

きっかけは、バッハ・コレギウム・ジャパンの声楽メンバー
の一人で、合唱団 鯨が10月に演奏したメンデルスゾーン作曲
オラトリオ「エリヤ」で素晴らしいソロを聴かせていただいた
清水梢さんからの情報だったが、
約40平米ほどの白を基調とした空間の中で、
4人のソプラノ歌手が4人だったり、曲によっては3人
あるいは2人で、と変化を付けながら、
ラテン語あるいは恐らく中世フランス語等による、あるいは
第二部の後半は英語によるミュージカルナンバー等、
ア・カペラによる透明で清らかなハーモニーは
すこぶる魅力的だった。出演者と曲目は以下のとおり。

出演者…清水梢、長谷部千晶、望月万里亜、森川郁子

1.Puer natus est nobis(幼子がお生まれになった)
      ~グレゴリオ聖歌

2.O magnum mysterium(おお、大いなる神秘)
    ~クリストバル・デ・モレーラス(1500~1553)作曲

3.Magi videntes stellam(博士たちは星を見て)
    ~ギョーム・デュファイ(1397~1474)作曲

4.Allon,gay,bergeres(さあ行こう、羊飼いの娘さんたちよ)
    ~ギョーム・コストレ(1530?~1606)作曲

5.Veni,veni,Emanuel(久しく待ちにし)
   ~13世紀 単旋律聖歌

6.Alle – psallite cum – luya(アレルヤ、と賛歌を歌え)
    ~中世賛歌

7.O virgo splendens(おお、輝く乙女よ)
    ~モンセラートの朱い本より

8.Ave Maria(めでたしマリア)
    ~ジョヴァンニ・ピエールルイージ・ダ・パレストリーナ
         (1525?~1594)作曲

9.Alleluja,laus et Gloria(アレルヤ、賛美と栄光は)
    ~オルランド・ディ・ラッソ(1532~1594)作曲

  (休憩)

10.O sacrum convivium(おお、聖なる響宴よ)
    ~トマス・ルイス・デ・ビクトリア(1548~1611)作曲

11.What child is this?(この子は誰だろう?)
    ~クリスマスキャロル

12.Edelweiss(エーデルワイス)
    ~リチャード・ロジャース(1902~1979)

13.星に願いを~リー・ハーライン(1907~1969)

14.Amazing grace~伝承歌

15.Ave verum corpus(めでたし、まことのお体よ)
    ~W・A・モーツァルト(1756~1791)作曲

16.O holly night(さやかに星はきらめき)
   ~アドルフ・アダン(1803~1856)

17.Hodie Christus natus est(今日キリストが
    お生まれになった)
   ~ジョヴァンニ・ピエールルイージ・ダ・パレストリーナ
      (1525?~1594)作曲

アンコール クリスマス・メドレー

2018年12月 9日 (日)

皇太子殿下との40年間の思い出に感謝します

浪人して1978年に学習院大学に入ったら、
管弦楽団と合唱団から構成される輔仁会音楽部に、
同期として浩宮徳仁親王殿下がいらっしゃった。

殿下は皇太子になられてからも、また、雅子妃殿下との
ご結婚後も、公務と重ならない限り、あるいは
自然災害などによる国難などが生じていない限り、
ほとんど毎年、年2回の学習院OB管弦楽団の演奏会に
ご出演され、私を含めた団員たちとステージをご一緒して
いただいてきた。

あるいはまた、今年5月の同期会での私指揮での演奏や、
3年前の3月は、私が企画して指揮させていただいた
臨時編成の室内オケの演奏にもご参加していただいたりもした。

私にとっては全くの偶然のご縁ではあるが、
この40年間において、多くのステージでごいっしょさせて
いただいたことに深い感慨を覚え、深く感謝します。

今後は、いっしょに演奏させていただく機会は無いかも
しれませんが、
殿下がこれからもずっと音楽を愛し続けることには変わりない
でしょうし、私や私たち管弦楽団の団員もそれは同じです。

今はただ、私にとっては奇跡のような偶然のご縁に
深く感謝するだけです。

皇太子殿下。
40年間、ありがとうございました。
そして、オケでの長きにわたる演奏活動、お疲れ様でした。

https://www.youtube.com/watch?v=MO2K9dXLhJY

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181209-00000526-san-soci

https://www.sankei.com/life/news/181209/lif1812090040-n1.html

2018年12月 2日 (日)

アイーダ~充実の調布市民オペラ第21回公演~名唱と圧巻のアイーダトランペット

2日午後、調布市グリーンホールで調布市民オペラ
第21回公演「アイーダ」を聴いた。
1991年に調布市民オペラ振興会が結成され、
翌1992年の「カルメン」を皮切りに、これまでオペラと
ガラ・コンサートを交互に年1回開催されてきているので、
回数としては第21回の開催、
グランドオペラ公演としては今回が12回目とのこと。

このホールに行ったのは森麻季さんのリサイタル以来2回目。
大ホールの収容人数は1,307人なので、規模的なイメージ
としては中ホールという感じだが、係るこじんまりとした
ホールで、アイーダのような壮大なオペラを観、聴く、
というのは臨場感的にも心地良いものだった。

直接的には旧知のメゾソプラノ杣友惠子さんと
テノールの川出康平さんが出演されるということがあったが、
オケも含めて出演者の皆さんは力演、熱演で、
演出も後述のとおり好感の持てる、全体としてとても
満足できる公演だった。

出演者を列記した後、感想を書いてみたい。

指揮  ステファーノ・マストランジェロ

管弦楽 東京ニューシティ管弦楽団

バンダ 桐朋学園大学音楽学部

合唱  調布市民オペラ合唱団

バレエ 今村バレエスタジオ

演出  三浦安浩

ソリスト     12月1日        2日0

アイーダ   江水(石原)妙子  鈴木麻里子

アムネリス  大賀真理子     杣友惠子

ラダメス   小野弘晴      上本訓久

アモナズロ  小林大祐      大塚博章

エジプト王  狩野賢一      山田大智

ランフィス  後藤春馬      小幡淳平

巫女長    松本真代      大音絵莉

伝令     工藤翔陽      川出康平

・・・・・・・・・・・・・・・
今回、まずオケの優秀さ~技術はもちろん、繊細な
ニュアンス0大音響に至る迫力も含めて~に
驚いたのだが、それを引き出したのは言うまでもなく
指揮者のマストランジェロさんだ。
マストランジェロさんは初めて聴いたが、イタリア母国
だけでなく、日本を含む世界各地で指揮や教授等で
教えているだけに、もうこのオペラを知り尽くしていることが
分かるすこぶる立派で統率力抜群の余裕ある指揮で
素晴らしかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌手の皆さんは素晴らしく、何度も聴いているアムネリス役の
杣友惠子さんや、アモナズロ役の大塚博章さんも絶好調で、
杣友さんはアムネリスの複雑でせつないまでの女心の
感情表現が見事だったし、
初めて聴いたラダメス役の上本訓久さんも伸びやかで
明るいトーンと、感情表現がとても良かった。

そして、この日の最大の収穫は初めて聴いたアイーダ役の
鈴木麻里子さん。
どの幕も良かったが、第3幕の有名な「おお、わが故郷」は
絶品だった。
声の密度の濃さと清らかさの両面を持ち、声量も豊だし、
伸びやかさと感情表現のいずれも申し分なく立派だった。

・・・・・・・・・・・
第2幕の凱旋の場面ではバレエも素敵だったが、何と言っても、
国立音楽大学提供のアイーダトランペットの素晴らしさだ。
舞台の吹き出しの左右それぞれ3人ずつ計6人による
アイーダトランペットの演奏は技術的にも完ぺきで、
輝かしく壮大でとても感動した。

プログラムによると全員女性。今や金管における優秀な奏者は、
男女における差など完全に皆無となったと言えるだろう。
・・・・・・・・・・

調布市民オペラ合唱団の女声はなかなか良かったが、
男声だけの場面~第2幕の凱旋場面での有名な合唱や
第4幕での「神の聖霊よ」と歌う場面等~では「素人」感を
強く感じてしまう。

凱旋行進曲は私自身、歌ったことがあるが、
ここはプロとアマの違い(差)が出易い部分だと思う。
具体的にはイタリア語の発音と、声の密度、揃い度合い、
という点。
プロレベルの声でないと、声の薄さとカタカナ的発音が
目立ってしまい、迫力の点でマイナスを生じてしまうのだ。
・・・・・・・・・・・・・

演出は奇をてらうことなく、比較的小さなステージである空間を
効率的に使った、シンプルで美しい舞台設定と演出だった。

先日の日生劇場での「コジ」のような演出家による独り善がり的
なものとは全く違い、歌手をリスペクトし、歌手と歌を
全面的に引き立てるため、余計な事は一切せず、
シンプルさに徹していた。
もちろん、物語的に「読み替え」がしにくいオペラということは
あるだろうけれど、まず歌があり、演技があることを前提とした
誠実さを感じさせる演出で、これこそオペラの演出(の基本)だと
強く感じた。
・・・・・・・・・・・・

このオペラを全曲通して聴いたのは久ぶりだったが、
凱旋の場面で壮大華麗に盛り上げておいて、
最後はアイーダとラダメスによる、しっとりと、
せつなくも美しいデュオに、アムネリスの複雑な気持ちを
重ねながら終わるという粋な構成を持つこのオペラが、
人気作にならないはずもなく、いまだに世界中から
好まれている大オペラであることを、あらためて実感し、
納得した次第だった。これぞオペラの醍醐味ともいうべき作品を
あらためて堪能させていただいた公演だった。
https://www.chofucityopera.com/

https://www.youtube.com/watch?v=GX0sXhzZSRs&feature=youtu.be&fbclid=IwAR3oO-GewpBLlh1J9vqcNtDhf6yugKdksc4ld2xit8SxAndGkMroKLmveFQ

https://www.chofu-culture-community.org/forms/info/info.aspx?info_id=10350

2018年11月29日 (木)

日産がルノー影響下から脱出する方法

本当は提携など解消したほうがいいのだろうけれど、
ルノーは日産に43.4%出資して議決権を持っている。
一方、日産はルノーに15%出資するが議決権はない。

しかし、日本の会社法においては、仮に日産が
この15%の出資比率を25%に上げることができたなら、
ルノーの議決権は消滅することになる。

とはいえ、日産がルノーの株を買い増しするためには、
日産が成長戦略を利害関係者に示し、納得を得る必要が
あるし、ルノーに何の予告もなしに、
ルノーの株を買い増すことはできないだろう。

それでも、買い増しをしたらいいと思う。

http://www.msn.com/ja-jp/money/news/%e6%97%a5%e7%94%a3%e3%81%ae%e7%8b%ac%e7%ab%8b%e3%81%ab%e3%81%af%e3%80%8c%e3%83%ab%e3%83%8e%e3%83%bc%e6%a0%aa%e5%a2%97%e8%b3%87%e3%80%8d%e3%81%97%e3%81%8b%e3%81%aa%e3%81%84/ar-BBQ8IO2?ocid=NAMDHP#page=2

2018年11月27日 (火)

ライザップ 「負ののれん」

RIZAPグループは2019年3月期の純損益を当初見通しの
159億円の黒字から70億円の赤字に下方修正し、
無配に転落。
M&A(企業の合併・買収)の凍結も公表した。

同社は売上高を16年3月期の539億円から18年3月期には
1362億円まで拡大させた2年間で、約50社を傘下に
入れたが、特にこの1年以内に傘下入りした企業の再建が
計画通りに進まなかった。
不採算会社がほとんど。
そういう会社を買収してきた、ということ。

問題は会計計上とその公表にある。すなわち、
他社の買収に際し、対象会社をその純資産を下回る値段で
買った場合、その額を割安購入益として純利益に計上できるが、
いわゆる「負ののれん」と呼ばれるもので、
実際のキャッシュフロー(入金額)とは違う。
あくまでも会計上の数字だ。

IFRS(国際会計基準)で認められているため
粉飾ではないが、見掛け上は営業利益のかさ上げになる。

18年3月期の営業利益136億円のうち、
74億円が割安購入益。

当期純利益92億5千万円のうち、
実に95%に当たる88億円が、この「負ののれん」だった。

商品売上による営業収益で入った営業キャッシュフローは
わずか 8千800万円だけ。
実利、実入りが少ないのに、財務諸表だけは良く見える。
儲かっている会社に見えただけの決算が2018年3月期だった。

この「負ののれん」は翌年以降の会計計上はできなので、
不採算会社をどんどん黒字化しない限り、
業績は実態も財務諸表上も今後は決して良くならない。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181126-00186483-diamond-bus_all

«中谷美紀さんがウィーン・フィルのヴィオラ奏者と結婚

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック