2009年7月11日 (土)

DVDで「崖の上のポニョ」を観て

昨年、劇場で観れなかった作品の1つで、最近DVD化された
「崖の上のポニョ」を観た。
冒頭から映像と久石譲さんの音楽が美しい。久石さんのこれまでの
曲の中でも最も美しいパレットであるだけでなく、
あらゆる映画音楽の中でも屈指のオーケストレーションだ。

声優がこれまた良い。特に、リサ役の山口智子さんは久々に
良い仕事をされた。こうでなきゃ、この人は。
所ジョージさんも意外に良かった。

ストーリーは、これまでの宮崎ジブリの中では、時間自体も
短いし、内容も良い意味でアッサリしていて気に入った。
あまり、おどろおどろしいのは途中で飽きるが、それが無いので
良かった。
ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」を題材、というか、
からませている点はユニークだったが、クラッシック音楽に
興味ない人には何のことかは判らないだろうし、別にそれでよい。
鑑賞には全く差支えない。

冒頭に歌った林正子さんの声は、以前から思っていたが、
とても個性的な声で、ソプラノというよりもメゾに近く、
あるいはボーイッシュといってもよい声だ。

宮崎=ジブリの作品群の中でも、私にとってはとても
ベスト1と言ってもよいほど好感がもてる作品だった。
人によっては物足りなく思うかもしれないし、
客観的に言えば確かに「アッサリ系」の「佳作品」、と
いうところではあるけれども。

佐野元春の「ザ・ソングライターズ」 小田和正さん

佐野元春さんがHNK教育TVで、
「佐野元春 ザ・ソングライターズ」と題した対談番組を開始
した。
第1回目のゲストは先週と今週の2週連続で、小田和正さん。
会場は佐野氏の母校、立教大学の教室内。
佐野氏についてはあまり詳しくはないのだが、小田さんのことは
以前から何度も書いているとおり、大ファン。
佐野氏の司会は落ち着いていて好感がもてるし、
10歳ほど歳上の小田氏に対する尊敬の念が感じられる
ものだった。
小田さんの創作の(生みの)苦しみが語られて印象的。
また、好きな映画で「ローマの休日」をあげたのも同感と
いう意味で、嬉しかった。
佐野氏もオードリー・ヘップバーンは大好きとのこと。
今後、どういうゲストが登場するのか、楽しみだ。

cf.予告で、次週は さだまさしさんということが判った。
これまた楽しみだ。

2009年7月10日 (金)

持株会社制度と内部統制の問題について

後日書きます。


新年度入り後に発覚した不祥事と内部統制の関係

弁護士の山口利昭さんが自身のブログ、7月3日に、
「内部統制 総括するには早すぎる・・・(ような気がします)」
と題して書いている文の中に、
「内部統制報告書で、重要な欠陥は認められず、有効である、
 と判断、報告(公表)した会社が、過年度決算訂正を必要と
 するような、財務報告に重要な影響を与える企業不正
 (不正とまでは言えないに誤謬も含む)が発覚したときには
 どうなるのか?」
と問題提起している。そして、
「監査法人トーマツによると、担当の512社中、100社を
 超える21%の会社に資産流用などの不正が発生して
 いたというから、今後も会計不祥事が発覚して来ることは
 間違いないと思われる。
 その企業が今回「有効である」としていた場合、
 どういった理由をつけて、「あのときは重要な欠陥は
 ないと思いましたが、実際には大きな不備が存在して
 いました」、と説明するのだろうか?」
としている。

いみじくも、7月9日、東証など5つの市場に上場している
大手鋼材・機械メーカーの、日本製鋼所(株)において、
「08年3月までの2年間に、いくつかの不正経理処理に
 より、総額約5億8千万円の所得隠しを国税局から指摘
 された」、との報道があった。

税法的なことゆえ、いささか微妙な問題もあるかもしれないが、
ただ、いずれにしても、完全にまっとうな財務諸表が作成され、
公表されていた、とするには苦しい内容と言えるだろう。
同社の、6月に提出された「内部統制報告書」は「有効」との
判断がなされ、担当の新日本監査法人も適正意見として
それを認めている。
はてさて、この報告書の有効性に対して、今後疑義が生じない
のだろうか?
当然ながら、大いに疑問に感じるところである。


2009年7月 9日 (木)

自民党の唯一好ましい施策はクールビズ

外部のセミナー、すなわち、多くの会社の社員が出席する場に
出ていくと、ほとんど全ての人が「ノーネクタイ」姿だ。
20年前はもちろん、10年前においても、ほとんど考えられ
なかった状況。
間もなく終焉に向かう自民党政治の中でも、ほとんど唯一、
記憶にも残り、実践的にも素敵な施策だったと言えるだろう。
女性には解り難いかもしれないが、暑い日のネクタイでの
外出ほど嫌なものはないのだ。
皆さんのご主人も、10年以上前の状況に比べら、
さぞ、ホッとされていることだと思いますよ。


2009年7月 3日 (金)

「内部統制報告書」速報;重要な欠陥 各社の状況を分析する

金融商品取引法に基づく内部統制報告制度の初年度最初の
適用年度会社である2009年3月期の上場会社による結果が
公表された。
決算期変更等により昨年11月と今年3月に報告(公表)した
会社2社は別として、この6月にEDINETで報告した会社数は
2672社。
内、いわゆる事業年度末(期末)日現在での「不合格」である
「有効ではない=重要な欠陥あり」とした会社数は56社だった
ほか、会社内で整備や運用あるいはそれに対する評価が完了
せず、外部監査人=会計監査人(多くは監査法人)が評価
しようもなく、「意見不表明」とした会社は9社。

後者も実質的な「不合格」だし、前者では、正直に
「少なくとも2009年3月期(2008年4月~09年3月間)
 では、当社では○○○○という、正確な財務報告を作成する上
 での障害と成り得る重要な欠陥が存在しました」、
と分析して公表したのに比べたら、後者はそれすらできない、
そこまで至らなかったのだ、という意味では実は前者よりも
「重症」なのだが、新聞等は前者のみに力点を置いて報道して
いたことにはやや疑問を感じた。
これは、実際に携わった「現場」=企業内以外の人、
投資家、マスコミ等には、この制度自体の理解度が未だ未だ浸透
していないのだろう、予想できる。

それはともかく、「重要な欠陥」の報告(公表)社数は、
「以外に少なかった」、と思っている関係者が多いのではないか?
と想像する。これは先述のことと関係するが、
実は当事者である各企業や最終評価者である会計監査人
(監査法人等)においても、正直なところ、
「金融庁はどこまで厳格さを求めているのだろう?」
という思惑があり、監査法人等においても、
その厳しさの「サジ加減」がまちまちであった、という状況に
あったと推察できる。

また、投資家においても、よほど法律や、普段から関連記事に
注目していない限り、「内部統制、何それ?」という状況も、
少なくとも現在においては強く存在しているはずだ。
なので、以下に記載する該当企業の株価も、
公表後にほとんど影響が出ていない。

もっとも、今後は別である。
これから、数か月経ち、1年経ち、という中で、
直接関係したいなかった人々においても、今以上に注目される
ようになるのは必至と思われる。


それはともかくとして、報告(公表)内容を調べてみたので、
状況を記したい。
当初「ゲバ評」では、例えば東証マザーズや大証ヘラクレス、
名古屋セントレックス等の、いわゆる新興企業は、
「上場基準が甘いので内部組織的には未成熟と想われるので、
 不合格が多く出るのではないか?」、
との声もあったが、報道ではそこまでの資料は無いので、
私が全て調べた結果、次の状況が判明した。

東証マザーズ市場上場企業は、なんと、
「重要な欠陥有り」はゼロ、という極めて優秀な、立派な結果
だった。もっとも、「意見不表明」が2社あったのは残念。
「欠陥ゼロ」については、規模的に比較的小さな会社が多いので、
統制整備、評価がし易かったのではないか、と想像できるが、
ともかく、何よりの結果だ。

大証ヘラクレスは「重要な欠陥有り」4社、「意見不表明」1社。
名古屋セントレックスは「重要な欠陥有り」3社、
              「意見不表明」ゼロ。

西松建設などの不祥事を起こしたころは東証一部とはいえ当然
「欠陥あり」と出してきたので、東証や大証の一部、二部は
結構ある。

東証一部の「重要な欠陥有り」は17社
 (ただし、内、大証一部との併行上場が3社と
  ジャスダックとの併行が1社を含む)
 「意見不表明」が1社(名古屋証券取引所一部との併行上場)
東証二部の「重要な欠陥有り」が3社、「意見不表明」1社。

大証一部の「「重要な欠陥有り」は先述の東証一部との
 併行上場会社の3社。「意見不表明」ゼロ。
大証二部の「重要な欠陥有り」は6社、「意見不表明」ゼロ。

これらの中で、偶然かもしれないにしても目立つのは
ジャスダック市場上場会社だ。
「重要な欠陥有り」が22社(先述のとおり東証と併行上場1社を
 含む)、
「意見不表明」が3社。

そのほか、福岡Q-Boardと札幌アンビシャスで
「重要な欠陥有り」がそれぞれ1社ずつ。
(「意見不表明」はゼロ)


なお、欠陥ありや不表明での理由で目立った点を見るべく、
全社、内部統制報告書で確認したが、とりわけ印象的だった
のが、
「間接部門、特に経理・財務部門で人員削減をしていたため、
 スキル的に人材不足により整備・運用にミスが出た、
 あるいは評価できる人を配置できなかった」、
とするものだ。
それ以外は当然ながら、直接的に決算作業におけるそれで、
勘定科目におけるミス、例えば減損損失や引当金計上での
計上ミスや繰延税金資産や法人税等調整額での重要な修正等、
連結財務諸表作成での計上ミスが多くを占めている。

金融庁自身が言うように、「欠陥」とあっても別に直に上場廃止
につながるわけではなく、しかも、該当の会社であっても
その多くは、3月末時点では不合格だったが、6月中までの
「内部統制報告書」提出日までにはそれを修復できている」
としている。

先述のように、幸か不幸か、いずれにしても投資家には
未だ深い知識や認識は未だ無いと思われ、よって、これは
「幸」だと思うが、不合格とされたところにも別に悪い風評が
立たないし、株価にも影響がほとんど出ていないようだ。

そもそも、主旨は「米国のエンロン社等のような虚偽報告、
粉飾決算等をしないように、会社内で統制をとれるように整備し
運用され、それがモニタリングされている体制にし、それを表明
しましょう」とのことなので、自社内での、ある種モラル的な、
またシステム的な問題とも言える。


ところで、今回、私が個人的に注目した会社は、東証一部の
大企業、精密機器、老舗大企業のO社(事件は公表されている
ので、社名を伏せる意味は無いが、判決が出ていないことも
あるので一応伏せる)。

同社で起きているのが1つの係争事件。
それは、同社社員のA氏が、
「会社のため、良かれと思い、内部通報制度を利用して、
 その窓口に上司B氏の状況を告発したところ、あろうことか、
 窓口担当部門は、B氏の側にたって、B氏にそれを伝え、
 会社の人事としても、事実上の「報復」であるところの、
 そして法的に禁じられているところの、告発者Aに対して
 不遇な異動処置(いわゆる左遷)を行った」、
というもので、A氏はO社を告訴して、今、まだ係争中。

事実関係がA氏の主張のとおりだとすると、ヒドイ事件で、
以前他社にもあったが、比較的小規模な会社だったためか、
少し報道されただけだったが、O社は有名大企業。
それが、法で定められた、そして今回の内部統制においても、
「全社統制」における重要な設定要件の1つであるところの
「内部通報制度」そのものの信頼を失墜させた、
という意味で、決して1企業だけの問題ではなく、日本国内
全ての企業環境において、社会通念的にも極めて悪質な事態
なのだ。

これが本当のことなら、今回のO社の行為は、
「制度そのものに対する重大な裏切り行為」であって、
制度そのものの信頼を損ねた忌々(ゆゆ)しき事例と言える。
こんな例があったら、たまらない。

そして、想像はしていたが、O社が提出した「内部統制報告書」
の結論(自己評価)は「有効」。
監査法人も「内部統制監査報告書」で同様の評価としている。
しかし、もし今後、判決でA氏の主張が認められると仮定した
場合は、同社の「報告書は虚偽報告」となり、
それこそ重大な問題と化する。
そして、当然、「無限定適正意見」とした監査法人の責任も
追及されることになるのである。

一応、今回の状況記載はここまでとしておきたい。


復帰選手あれこれ ハギトモさん

スポーツ選手で、結婚等でいったん引退し、数年後に復帰
してくるケースが目立ってきた。
もっとも、都はるみさんとか、古くはキャンディーズの
ラン=伊藤蘭さんやスー=田中好子さんの例を出すまでも
なく、どの業界にもあるが。
逆のケース、引退に「徹し」、出てこないのは山口百恵さん
とか、もっと古くは、原節子さん、等々。

スポーツに話を戻すと、テニス界での伊達クルム公子さんの
復帰と活躍には驚くが、水泳選手でも、いったん引退を
決めた後、あるいは実際に引退した後、出てくる人が何人か
いる。岩崎恭子さんの結婚に続き、田中雅美さんも結婚される
ようだが、数年前に結婚され、2004年に引退した、
「ハギトモ」さんこと、萩原智子さんも近々復帰するとの報には
驚いた。伊達さん同様、お子さんが現状いらっしゃらない、
ということはあるにしても、これは嬉しい驚きの1つだ。


2009年7月 2日 (木)

女子バレーボール選手あれこれ

女子バレーボールの日本代表新チームのキャプテンは
荒木絵里香さん。栗原恵、大山加奈、あるいは有田沙織を
含めて「豊作の84年組」の1人。
何でもお父さんは早大ラグビー部で有名な選手だったらしい。
新チームは今、「ボリス・エリツィン杯」の準決勝でキューバに
勝ち、大会地元のロシアと決勝を迎える。期待したい。

ところで、高橋みゆきさんが6月30日をもってNECのチームを
退団し、エイベックスと契約してタレントの道を模索するとの
報道にはやや驚き。
傑出した選手だった。もっと続けて欲しいが・・・。

また、最近では「姫」こと、菅山かおるさんがビーチに転向して
話題をまいたが、2年前に現役引退をした、これまた美人の
落合真理さんもビーチデビューをするらしいし、今年5月に
JTチームを退団した宝来麻紀子さんも加わるかもしれないとの
こと。
これらが本当だとすると、一気にビーチに美人選手が増え、
浅尾美和、浦田聖子らの人気を凌ぐことも時間の問題かも
しれない。

2009年7月 1日 (水)

安心 アフィリエイトのお薦め

梅雨もそろそろ終わり、いよいよ、夏本番近し。
ご予約をどうぞ。じゃんじゃんアウトドアしましょう。


ザハロワ フルシチョフ 国家の最高機密

日本では、先ごろ引退された草刈民代さんを知らない人はいない
ように、世界的には、バレエに興味のある人で今や、
ボリショイ劇場のプリマ、スヴェトラーナ・ザハロワさんを
知らない人はいない。
しかし、彼女が、もう1つの顔、すなわち、
「ロシア共和国の与党、統一ロシアから選出された国会議員」
でもあるということは、私も最近まで知らなかった。

ザハロワさんいわく、
「いずれバレリーナとしてキャリアは終わる。しかし、人生は
 それで終わりではない。国内問題、外交も含めて、
 政治には以前から興味があった」、と。
なるほど、もっともだ。

昔、旧ソヴィエト連邦共和国の共産党第一書記、
すなわち事実上の政府ナンバーワンと言ってもよい立場にまで
出世した、フルシチョフが、バレエ公演を観に行った際、
「女性があんなに足を開いていいのかいな」、と言ったという話が
残されていることを思うと、時代の変化が否応なく判る。

もっとも、フルシチョフは、あの時代のあの国にあっては、
例外的にユモーア・センスのある、「人間的な男」だったという
から、先述のバレエに関する言葉は冗談である確率は高そうだ。

フルシチョフに関する笑い話と言えば、次のものも有名。
Aという男が、
「フルシチョフはバカだ、バカだ、と広場で喚(わめ)いた」、
ということを聞いたフルシチョフは警官にこう言った。

フルシチョフ  「Aを逮捕せよ」
警官      「閣下、罪状は?」
フルシチョフはニヤリとして答えた。
      「国家の最高機密を暴露した罪だ」


今月の「私の履歴書」は加山雄三さん

日本経済新聞の最終面「文化欄」の一角に、昔から長く
連載されて来ている「私の履歴書」の今月の執筆者は
加山雄三さん。
この欄への登場は、「名誉」でもあると同時に、失礼ながら
登場してくるだけで、「晩年」のイメージを抱いてしまうので、
加山さんの登場はちょっと意外、というか驚きではあるが、
「永遠の若大将」と言われている氏も72歳。
このへんで書かれてもよいころだろうし、多くの読者も
楽しみにしているかと推察する。


株主総会 入門 その④ 招集通知を作る ⅰ

後日書きます。


2009年6月29日 (月)

象徴的な選挙結果 横須賀市長選挙

横須賀市長選挙で、33歳の市議会議員、吉田雄人氏が
当選した。
地元の小泉純一郎氏をはじめ、自民党、公明党のみならず、
民主党までも相乗りしての推薦を受けた現職者を押さえての
勝利。
近々に控えている衆議院議員選挙では、民主党が自民党に
勝つことはほぼ間違いないが、しかし、その衆院選は、決して
「民主党こそ新時代の担い手、というような安易な構図なんか
 では決してない」、ということを、
この市長選の結果は見事に象徴していると思う。

確かに「自民党はもうダメだから民主党に」、という要素は
あるが、それだけではない、いや、
「本質はそういうことではない」、と思う。
要するに、「何かヘン。これまでの状況じゃダメ」ということに
対する苛立ちであり、変革期待であり、「アンチ・テーゼ」で
ある、と思える。

具体的に挙げよう。
①横須賀市長は、1973年以来、自治省出身者が37年間在職を
 つなげてきた、いわば実質的に「自治省役人の天下り先」
 だったわけで、まず、これに対する「ノー」、すなわち、
 「役人天国、役人・官僚政治に対するノー」ということ。
②自民党と公明党という政権与党に対するアレルギーの
 症例に加え、今回の前市長=現職だった市長に対して、
 「おいおい、民主党まで相乗りの推薦かよ?、ということに
 対するノー」。
 ここがポイントで、民主党優勢なのは、対自民という構図の
 中で、現状他に大きな対抗勢力が無いから、という、いわば
 「消去法による選択」にすぎず、このような「相乗り推薦」
 という奇妙な状況となれば、これに対する明白な拒否、
 「既存政党に対するノー」という有権者の心象が明白に
 カタチとして表れる、と思えるし、実際に表れたと言える。
③若い人への期待
 このところ、各地で30代の首長が続々誕生しているが、
 「経験値は無くとも、これまでの人間ではない、若い人の
 発想と行動に賭けてみよう、とする意思の表れ」。

もちろん、吉田氏の人気、早大大学院在学中に市議に当選し、
ここ数年、駅前街頭演説を1000回を超える回数を行ってきた、
という、地道で誠実な行動が、こうした状況、有権者の心象に
加わり、支持を倍加させての当選、ということだろう。

あれほどの人気を誇った小泉純一郎氏の「お膝元」での敗北に
より、自民党の凋落は決定的と言ってよいが、
民主党も今回の吉田氏の当選の意味を真摯に考えなくては
ならならい、と思う。

2009年6月28日 (日)

脱稿 謝意

最近、公私ともにある種の書面をそれぞれ脱稿できてホッとして
いる。
「公」も「私」もそれぞれ5月の下旬には初稿を終えていたが、
それぞれ複数の関係者、協力者の推敲や校正などを仰いで、
最近、いずれもようやく落ち着いたところだ。

「公」については、私は最終的にもっともらしい文体で調書等を
書き、それなりの効果はあったという多少の自負はあるものの、
現場の皆さんの普段の勤勉さがもたらした勝利であることは
言うまでもない。
私の仕事は、現場のみんなに現状の実態や知識、ノウハウ、等々
を教えていただき、それについて、いわば、
「多少のお化粧を施しつつ、キレイに文書化すること」だった。
2つの問題のうち、最初に出現した問題点は、現場のルーティンな
状況において適切な実践をしていることを知るにつれ、
「これなら大丈夫だ。8割は勝算が見えたな」と思ったが、
後に出現したもうい1つの件はいささか困り、当初は
「勝算は3割くらいか」とも思ったが、これも結果、
現場の皆さんのチーム力でクリアできた。
皆さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。


「私」については、対象の人物や作品に関する材料や思い等は
普段から多々あったにしても、ブログのように好き勝手書くわけ
にもいかない面もあり、特に史実に関しては数種の書籍等を
あらためて入念に調べた。
5月下旬には初稿ができ、製本印刷まではまだ時間があることも
あったが、その後、後輩のAさんによる丁寧な校正が行われた。
1万字を超える私の原稿を、Aさんは1行ずつどころか1字ごと、
一言一句「てにをは」を含めて、あるいは表現も極めて丁寧に
校正してくれて、最終稿に至るまで、結局、約3週間、
第6校にまで及んだ。
そしてその後、今度は全体のデザインを担当したSさんに委ね
られ、最終的に綺麗に立派に仕上げていただいた。
Aさん、Sさん、本当にどうもありがとう。

どんなことでも、1人ではできない、多くの人の協力があって、
1つの事が成し得るのだ、ということをあらためて痛感した2つの
事柄だった。

なお、「私」については近々、某所で1000人ほどの人に配布
される予定。
今から「楽しみです」と言ってくださっているかたもいるが、
期待に応えられればよいが、と思っている。



2009年6月27日 (土)

女子短距離スプリンター 福島千里 選手

最近注目してるアスリートが何人かいる。
でも、一度に書いては面白くないので、まずは女子陸上から。
マラソンなど、長距離では、日本の女性選手の活躍は
世界レベルであることは言うまでもない事実となっているが、
短距離走となると、なかなか「スター」が登場しない。
走り幅跳びの池田久美子さんは、力が出せないまま、
(逃げたわけではないにしても)結婚して落ちつかれた
ようだし、最近は、同種目で他に有力な選手が出てきている
ので、現状、「イケクミさんは期待外れ」というところだ。

ここ1~2年、女子短距離走で目覚ましい活躍をしているのが
福島千里選手。26日も、200メートル走で、
ライバルの高橋萌木子(ももこ)選手をおさえて日本新をマーク
した。
つい先日も100メートル走で、日本新記録を出している。
久々に「カッコイイ」スプリンターの登場だ。

2009年6月26日 (金)

やるじゃん、カツマー 「Chabo!」

著作やテレビなどで、数年前に勝間和代さんという人を知った
ときは、「ああ、また、いつの時代にもいる女性株式評論家ね」
と気にもしなかったのだが、この人は「ちょっと違った」。

この人は、母子家庭の貧困の問題をはじめ、経済生活、
社会問題全体に関心をもち、積極的に提言や実践を重ねつつ
あることを、最近理解できてきた。

特に驚いたのは、作家仲間らとともに、印税の20%を
途上国に寄付する活動として、
「Chabo!(チャボ=チャリティ・ブック・プログラム)」
という組織を昨年5月に立ちあげ、このほど、そこで集まった
2100万円を元手に、アフリカ、スーダン南部で、
「現地小学校内に、井戸を3つとトイレを4つ設置」することに
なり、最近それを現地で見届けてきたとのこと。

勝間氏いわく、
「自分の本を読んでくれる1人1人の善意を生かす仕組みを
 作りたかった。お上に文句を言う前に自分で動け、ですよ」
との言葉は素晴らしい。
久しぶりに注目に値する、尊敬に値する女性を見たような
気がする。

曽野綾子氏も最近、アフリカに行き、ルポを書いているが、
「究極の貧困、ここにあり」とだけ書いて、自分は印税を
いただいて、ハイおしまい、とするのも結構だが、やはり、
カツマーとファンから言われる勝間さんの生き様にこそ
感銘を受ける。

勝間さんは現実的に考える点も良い。
「完成した井戸の水は、少し鉄の味がした。
 しかし、全ては水から始まる。この水を使って、
 コンクリートの校舎が建ち、給食も出るようになった。
 アフリカは日本にとって縁遠い世界ではない。
 成長の余地があり、将来有望な市場になる」。

同時にまた、涙腺が柔らかくもある。
「アフリカの現実も論理的に考えるが、現地の子供達の
 澄み切った目で「ありがとう」と言われると、
 涙があふれた」。

そして、実践派。
「とりあえず、やってみることがモットー。机上より現場。
 現場には全ての情報がある」

次はスリランカ支援のためのプロジェクトを進めているところ
という。
3人のお嬢さんの母親でもある40歳のこの女性の活躍には
今後ますます関心をもちたい。

2009年6月24日 (水)

「二十歳の原点」 から40年

宇都宮女子高校から立命館大学に進み、3年生だった
高野悦子さんが鉄道自殺した日から40年。
残された日記、その大学生のときのものが「二十歳の原点」と
題されて出版。私も高校生のころ一度読み、20年ほど前も
部分的に読み返したりした。

いくつか印象的な言葉や心象を覚えている。たとえば、
(今、手元に無いので正確な言葉でないことをおことわり
 しておくが)
「ベートーヴェンの「悲愴」を聴きたい。ウィルヘルム・ケンプで」
とか、
「自分が自殺するとしたら、日記を全て焼却するか、あるいは
 このまま残すか、どちらかだ」という、揺れる気持ちも書かれて
いた。彼女は絶えず「揺れて」いて、たぶん本来は
「もっともイデオロギー的思考からは無縁の人」と思えるのに、
時代が彼女を「逃げることから許そうとしていない」ような印象を
持ったのだった。
ある特定の男性に失望(失恋と言ってもよいだろう)したことも、
ボカした言葉でだが書かれていたはずだ。

知らなかったこと、最近新聞で知ったことがある。
約1か月前に東京で両親と会ったことは書かれていて、
「決別」して京都に戻るのだが、その後、母親が京都に
訪ねてきて、「好きなようにしなさい」と認める言葉を伝えに
来たという。そして、ホッとしたのか、
母子2人はショッピングをする。
娘が気に入った茶色のワンピースと同色の靴を買い与え、
母親は宇都宮に戻る。
6日後、両親は京都の霊安室に横たわる娘と対面。
悦子さんは茶色のワンピースと茶色の靴を履いていた、という。
もっと、最後まで母親に甘えればよかったのに、悦子さん。

この日の大機小機「民主党の派遣禁止法案」と題したコラムについて

日本経済新聞の「大機小機」、このコラムは、私が社会人に
なったときも既にあり、ずっと毎日続いているコラムなのだが、
この日のそれは、「民主党の派遣労働禁止法案」と題して、
これに対して疑義を唱えている。
これについて反論的な見地から少し書いてみる。

(吾妻橋)とのペンネーム氏の言う主旨は、
「製造業への派遣は専門職以外原則禁止、それ以外の派遣は
 派遣会社の正社員(常用型)に限定、とする案は、これまでの
 民主党の主張と異なる。
 社民党と国民新党の案の丸呑みで選挙対策だろう。
 こうした考えは、派遣の働き方で満足している約半数の労働者
 にとって迷惑であり、1700万人の非正規社員を全て正社員
 目指しても過去の高度経済成長期とは違うから、
 より良い職が見つかる保障は無い」、
としている。

一見もっともらしい論調だが、まず、民主党の理念や正義を
問うより、「そこまで変わろうとしていること」に驚いたほうがよい。
社民、国民新党を巻き込んでいこうとしているとすると、
それこそ本格的な政権交代の土台固めに入っている、と
見るべし。

もちろん、論旨はそこにない。問題は次の点だ。
「派遣に満足している半数の人々」と断定的に言っているが、
この部分はアンケートの対象や方法等によって全く異なる結果が
生じるものなので、こうした決めつけ方自体、誤りと言ってよい。
いわんや「迷惑である」などと、さも当事者ぶって言うが、
どこまで「本人たちに尋ねたのか?」、という根本的で
現実的な疑問点が生じる。
あくまでも机上の空論、想像にしか聞こえてこない。

そしてこの論調には決定的に欠けている点がある。
それは、「派遣会社の存在を根底で肯定している」という
「固定観念」の存在だ。
そもそもこの国には1985年以前は、こうし制度は事実上
無かった。それが導入され、改悪されてくる歴史とともに
雇用制度が崩壊していった。
韓国も1998年に導入した結果、今日の韓国の
非正規労働者は全労働者の50%を超える事態となり、
大きな社会問題に至っていることは言うまでもない。

要するに、筆者は、
「アルバイト等の直接雇用の非正規労働者と派遣社員という
 非正規労働者を混同して考えている、という誤りをしている」
こと、および、
「派遣会社の(全てとは言わないが)多くが、雇用保険等、
 多くの法的な対応で法令無視、法令違反の状況を創り出して
 きたという「犯罪行為」に対するジャッジメントが欠落している
 という誤り」を犯しているのだ。

相変わらずの「上から目線」をいい加減やめて、当事者の
目線から考える、という想像力を持って欲しいものだ。
そうした想像力欠如、という感性では、ジャーナリストとは
言えず、ただの「記者」で終わってしまうのだから。


2009年6月23日 (火)

井上陽水 「傘がない」と現代

「都会では 自殺する 若者が 増えている
 今朝来た 新聞の 片隅に 書いていた」

井上陽水が「傘がない」でこう歌ったのは1972年。
シニカルで乾燥したサウンドの中を、けだるいバラード調に
歌う旋律が印象的だった。
もっとも、この歌詞の、「書いていた」の部分、この表現には
当初から私は釈然としていない。
日本語的には明らかに「ヘン」だ。
「書いてあった」か「書いてある」とすべきだろうが、そうすると
歌い難くなる、歌唱的には「ヘンな感じ」になるということで、
おそらく陽水さんは、「(新聞記者がそう)書いていた」、
というロジックにしたのだろうと想像する。

作曲されてから2年後くらいの頃だったと思うが、
故・黛敏郎さんが「題名のない音楽会」でとりあげ、
「井上さんに出演をお願いしたところ、(テレビ番組では
 歌わない、当時は出演すら拒否していたので、
 予想どおり)出演を断られた」、
とし、確かステージの中央にギターが置かれて番組が進行
したと思う。黛氏はこの曲について、
冒頭の歌詞に続く次の部分、すなわち、
「だけども、問題は 今日の雨 傘がない
 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ」
という点について、
「政治、経済よりも、恋人のところに行くための(雨天での)
 傘のことに気にする若者」の「私的関心事重視の時代」に
言及していたのを覚えている。
当時は「ミーイズム」という言葉は無かったが、要するに
そういうことを論じていた。
ちょうど、全共闘運動の時代が終焉を迎え、「シラケの時代」に
入っていく時期と重なる。

それはともかく、冒頭の歌詞に戻って論じるなら、それから
37年も経つのに状況は好転するどころか、
1998年以来、この国の中での自殺者は毎年3万人を超えて
いる。本当に異常事態だ。

ここ1年ほど、都内の鉄道の状況をどの線でもテロップで
流すようになったこともあり、本当に毎日、どこかの線で
「人身事故による遅れ」の表示が流れている。
冗談ではなく、都内では本当に「毎日」だ。

30数年前から、変わったほうが良いのに、何も変わらないで
来ているのもがあるようだ。
以前、島倉千代子さんの歌になぞえて「人生いろいろ」と
言った政治家がいたけれど、本当に「人生いろいろ」か?
少なくとも、政治家たるもの、母国の国民がそうした死を
選ばざるを得なくなるような状況を、少しでも低減していく
ことをしなくて、何のための政治家と言えるのだろうか?
無策の政治としての犯罪行為。
無能な政治家の無関心さ、無責任さ。
「国の重要な基盤が壊れているのではないか?」という
少なくとも、そうした認識を持たない感性というのは、
サビついたテイタラクさに他ならない。
そういう政治家は、1人でも多く国政から去って欲しい。


沖縄 慰霊の日

沖縄の「慰霊の日」。皇族、とりわけ天皇家では年間の
4つの重要な日として、朝から祈りが捧げられる。
住民の4人に1人が死亡。
今もなお、遺骨や大量の不発弾が土の下にある。
戦後、不発弾で710人が亡くなっているというから驚く。

昨日=22日、NHKで「集団自決 戦後64年の告白」が
放送された。
米軍兵だけでなく、日本兵に殺された住民の話は知っていたし、
集まって手流弾等により自決ということも知ってはいたが、
この番組では、自ら親族に手をかけた人が告白する、という
重たい内容で、見ているのが辛くなった。
にわかには信じ難いことだ。

昭和20年3月、渡嘉敷島で346人がそのような理不尽な
中で親族に殺すことを懇願し、また同意し、実行された事実。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉が「たたき込まれた」
結果だ。恐ろしいまでの洗脳。
捕虜でもいい、と生き延びた人は、何の辱めを受けずに
「解放」されたことを思うと、その「紙一重」の差の大きさに
あらためて愕然とする。

映画「ミスト」を酷評した私だが、あのエンディグでも、
およそアメリカ人の死生観とは思えぬほど、
「得体の知れない怪物に食いちぎられるよりは」として、
家族間でのそうしたシーンがあり、結果、残った1人が、
その数分後には、
「何のこともなく生き延びられる状態に状況が変化していた」
ことに愕然とするシーンで終わる、という、「嫌な感じの映画」
だったが、そのような心理状態はやはり現在から想像するには
相当な困難さを伴うように思える。
「なぜ、なんとしてでも生きようとしなかったのか?」、と、
どうしても思ってしまう。


2009年6月21日 (日)

野田聖子議員(消費者担当大臣)の優しさ

いくら少子化担当大臣でも、閣僚在職中の妊娠かあ、と
小渕優子氏には疑問を感じるが、まあ、おめでたいことに
ケチをつけるのはさすがに失礼だから「置く」として、
6月19日の東京新聞に、野田聖子消費者担当大臣が
その小渕氏のお腹に手をあて、
「順調?、産休に入れる?」という感じで尋ねている写真が
掲載された。
率直な感想として、野田氏の「優しさ」を感じた。

野田氏自身は2001年に「職場」結婚され、
2004年には、「私は、産みたい」という本まで書いて
妊娠、出産を切望したが、果たせぬまま離婚された。
失礼ながら、1960年生まれとのことなので、今後のそうした
希望は無理であろうことはご本人が一番感じていらっしゃる
ことだろう。
それでも、「他者」のことであっても、気遣える心根の優しさ
には、人間的な魅力を感じる。


2009年6月20日 (土)

テレビで見、聴いたクリーブランド管弦楽団

19日の、そして20日にまたがる時間帯でのNHK教育TV
「芸術劇場」はクリーブランド管弦楽団。昨年、本拠地の
セヴェランス・ホールでの、ブルックナーの第7交響曲。
指揮は常任指揮者のフランツ・ウェルザー=メスト。
ウェルザー=メストは小澤征爾さんのあとを受けて、
ウィーン国立歌劇場の音楽監督になることが決まっている。

さて、このオーケストラは、ジョージ・セル時代のあとは、
いまいちパッとしない、とうか、ショルティのシカゴ響など、
アメリカもニューヨーク・フィルなどの従来からの有名どころ
よりもむしろ他のオケに注目が行った時代だった、という
こともあったけれど。
セルさんの時代には、チェロの第1プルトに素晴らしい美人が
いらっしゃったけれど、さすがに40年経っているから、
もういらっしゃらない。ご健在だろうか?
また、彼女のとなりで弾いていたリン・ハレル氏はのち、
ソリストになって活躍されていた。

さて、オーケストラはバランスのとれた良いオーケストラ、
という印象。管楽器の音色もとても美しい。

後半は、ブルックナーの聖地、オーストリア、リンツ、
ザンクト・フローリアン修道院で2006年に演奏、収録
された、同作曲家の第5交響曲。
管の響きがさらに美しく響く。
教会にもよるだろうが、さすがにこうした立派な教会だと、
一般のホールの比ではないほどの響きを生む。

ところで、日本のテレビは(というか、もちろんその内、
ほとんどはNHKだが)、ウィーン・フィルなど、ヨーロッパの
オーケストラの来日中継はよくやるが、アメリカのオケの
放送は少ない。以前はいつだろう?
まさか、1985年のショルティとシカゴ交響楽団による
マーラーの第5交響曲以来、ということはないと思うが。
あっ、小澤さんがボストン響との「さよなら公演」で、
マーラーの第9番を放送したのは思い出したし、
それより前では、朝比奈隆さんがシカゴ響に招聘されたのが
話題になり、そのときのブルックナーの第5交響曲も放送され、
最近、DVD化された。

私はアメリカという国はあまり好きではないが、オケは別。
というか、とにかく、好奇心はあるから、
ニューヨーク・フィルにしても、フィラデルフィア管弦楽団に
しても、来日時くらいTV放送して欲しいものだ。

2009年6月19日 (金)

樫本大進さん、ベルリンフィル・コンマス候補に

ソリストとして活躍中の樫本大進さんが、ベルリン・フィルの
コンサートマスター候補になっているとのこと。
「内定」との報は正確ではなく、今後試用期間(コンマスの
場合は原則1年らしい)において、団員の納得が得られて、
投票により正式に決まる。
なので、早期にめでたくいったとしても正式決定は年が明けて
からになるのだろう。

今年3月退団した安永徹さんに続くとなると、確かに素敵な
ニュースではある。でも、ちょっと意外な展開。
まあ、でも、日本のクラシック音楽ファンにとっては、
ソリストであるよりも、もっと関心が集まる、注目される
ポジションであることは言うまでもない。
いや、日本に限らず、ウィーン・フィルとともに、国際的に
最も注目されるオケであることは言うまでもないのだから。
なお、下記のブログはとても参考になったので、URLを
記させていただく。
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2009/06/post-a98e.html

2009年6月17日 (水)

言葉 心のこもった誠意と謝罪

菅谷利和さんが、当時逮捕に係わった関係者に対して、
「直接、謝罪して欲しい」との発言に対して、栃木県警の
石川正一郎本部長が応じた。
それも、事務的、形式的な言葉というのでなく、
個人の感情の入った、ヒューマンな気持ちの入った言葉で
謝罪したのは印象的だった。

今回の菅谷さんほどのケースではもちろんないにしても、
人を傷つけたり、つけられたり、ということは、ある程度の
年月を生きている人間には(濃淡こそあれ)、誰にもある、
と言ってよいだろう。
問題は心をこめて謝れるか?ということで、その後の
その当事者間の関係は違ったものになるはずだ。
謝罪にはたぶん、次の種類(?)がある。
①誠心誠意、心のこもった、出来得る限りのお詫び。
②表面的には「仲をとりつくろう」として好意的に振る舞うが、
 結局は、その人は自分の感情にケリを付けたいだけで、
 相手のことなど本心からは考えていないレベルのお詫び。
③表面的、事務的で、ただの「言葉のうわ滑り」レベルのもの。

①ができた人は、元の、あるいは、ぞれ以前の相手の感情を
完全には修復できないにしても、でもそうした「謝る気持ち」、
お詫びする気持ちが人間社会において大切であることは
誰もが同意されることと思う。

2009年6月15日 (月)

気にならないこと もう1つのsusumuitoさんのブログ

私の場合は、ご承知のとおり、nifty さんのブロバイダーに
よるブログだが、何でも、もうお一人、susumuito さん
というお名前で、livedoor さんのブログ・アドに
書いていらっしゃる人がいるそうだ。

特に興味はないので読まないが、念のためにお伝えしておくと、
私とは全く関係ありません。別の人によるものです。
特に言うべきこともないが、願わくば、私よりも、
もっとハイレベルな内容を書いていただければ幸いで、
そうあっていただけることを希望します。

気になること CO.JP メール

自宅のパソコンにメールをいただく友人のうち、数人の
メルアドを見るたびに、不思議、というか、心配になっている。
「~.co.jp」、あるいは「○○.com」等、
明らかに会社、勤務先のメルアドと思えるからだ。
それも、その数人の皆さんのほとんどがいわゆる大企業、
歴史ある有名企業に勤務されているのだが、
大企業が、今どき、メール監視のIT統制を敷いていないとは
とても思えないのだ。

こちらから返信メールすること自体はかまわないが、
それでも気になるし、その友人のことが心配になる。
どう考えても道義的に好ましくなく、今度、それぞれの
該当者にお会いしたら言おうとは思うが、もしこれを
読んでいただいていたら、今後は、
「私信の場合は、自宅PCから発信したほうがいいよ」、と、
ぜひ言いたいので、留意してくださいね。

2009年6月14日 (日)

自分の目と耳で その2 感性を磨くこと

「おくりびと」がオスカーを受賞して間もなく、テレビ朝日の
朝の報道番組で、まだ現地にいる滝田洋二郎監督と本木雅弘さん
に中継インタビューを行っている中で、ゲストを含む複数の
番組コメンテーターの中の1人である(たぶん30代の)
テレ朝の男性アナウンサーが、
「私はミーハーなもので(受賞を聞いて)、さっそく昨日
(劇場に行き)観てきましたが・・・」としゃべりだした。
「ミーハーなもので」の言葉に私は気が滅入る感じがしたし、
現地のお2人も「シレーッ」とした心象を得たような感じが
見ていてした。

報道の側にいる人は、政治、経済についてはもちろん、
文化や芸術なども積極的に勉強して欲しいと思う。
その人は特に映画には強い関心は無いのかもしれないが、
前年暮れころには既に評判が高くなっていたことは、
ちょっと情報に気をつけていれば気づいたはずだし、少なくとも
米国アカデミーが、受賞候補作品にノミネートした段階で、
メディアにいる人間として、それも毎朝番組に出ている人間
としては、勉強しておくのは「当然中の当然」と言ってよい
ほどだ、と思う。
クラシック音楽の場合は、映画ほどのファンを集めては
いないかもしれないので、少し事情は違うかもしれず、
更に言うのは酷かもしれないが、そのテレ朝の男性アナは、
先般の辻井伸行さんについても、受賞の翌日か翌々日の
番組で、「さっそくCDを買って聴いてみましたが、・・・」と、
また同じような物言いをしていて、ちょっと、
また少し気が滅入ってしまったのだった。

辻井さんといえば、先般、受賞後、ある都市で開催された演奏会
に、受賞前は6割ほどしかチケットが売れていなかったところ、
受賞の知らせが伝わるや、即座に完売になった、という報道が
あった。
「微笑ましい」とも言えるけれど、いかにも日本的、日本人的な
感じがして、ちょっと複雑な気持ちを抱く。
もちろん、どんなキッカケでもいいから、何かを好きになる、
何かに関心が行くようになる、ということ自体は素敵なことだし、
かくいう私だって、そういうことはある、というか、最初は誰でも
そういうことがあり、何かの(多くは偶然の)キッカケで何かを
知り、そしてそれの繰り返しで更に多くを知り、深く知るように
なり、関心を持つようになり、好きになるわけだが、
辻井さんは「報道ステーション」でも数年前から何回か取り上げ、
フジTVでも、小倉智昭さんなどが紹介するなど、
関心をもっていれば、今更「慌てて」大騒ぎするのも妙な感じ
なのだ。
全盲ということを抜きにして、彼は数年前からして既に
たいへん注目すべきピアニストだったのだから。

もちろん、そういうことを、全ての日本人に求めること自体は
変な話だが、どうも日本人の「テレビを介したミーハー熱」には
ともするとウンザリさせられる。

少し遡ると、1985年の「ブーニン・ブーム」も、私にとっては
実に「気持の悪い」ものだった。
あの「大騒ぎ」は、あのコンクールが史上初、テレビが大きく
取り上げたことが影響して生じた現象であったことは
明らかだった。
マスコミは、「完璧な演奏。世紀の大天才」みたいに書いて
騒いでいたし、世論というか世の中も若い人を中心に大騒ぎ
していたが、申し訳ないが、あのコンクールでの上位入賞者は
「あのくらいのレベルの奏者は当たり前」であり、
1960年のポリーニ、1965年のアルゲリッチのほうが、
当時においてさえ、(その後の活躍からして「明白」と言って
よいと思うが)ブーニンよりも「よほどの天才」であったことは
ピアノに詳しい人なら同意してくれるだろう。
しかし、マスコミ、特に音楽に興味の報道関係者やミーハー
さんたちは、ポリーニやアルゲリッチ、あるいは
1975年のツィメルマン、あるいは、遡って1955年、
「政治的理由で2位にされた、ともっぱらのスキャンダルと
なった、実質的には優勝者」であったところのアシュケナージ
のことなんて、これっぽっちも知らなかったに違いない。

失礼ながら、「何事もすべて他人の評価でしか判断できない人達」
なんだろうな、ということを思ってしまう。
「なぜ、もっと、自分の目で「見つけ」、自分耳で聴き、感じようと
 しないのだろうか?」
「なぜ、評判になったものばかりにしか関心が行かないの
 だろうか?」と、実に不思議に思う。
「なぜ、人の評価、評判でしか判断しないのだろうか?
 もっと自分で主体的に、好奇心を持って多くを吸収しようとし、
 自分の感性に自信を持って自分で判断すればよいのに、
 どうして人による評価、人による評判だけで判断しようとする
 のだろうか?」。

もっと、常日頃から自分から積極的に好奇心を持って勉強して
欲しいと思う。

自分の目と耳で その1 判断力

大手メーカーの調査畑に勤務する友人と話していて、
なんらかの調査を行うときの最も基本的なことは、
「人の噂や評判はいっさい除外する、信じない」という事で
意見が一致した。
いわゆる内部監査なり、何らかの調査においては、
まず自分の目と耳で確認して判断する。
当たり前のことなのだが、中にはそうでない性格の人も
いるかもしれない。

良い評判には比較的「ウソ」は少ないかもしれないが、
その逆の場合は要注意だ。
悪いウワサとか評判の99%は、①ウソ、②不正確なもの、
③悪意的、恣意的にその人を陥れようとするいわゆる「チクリ」
のどかれか、と「相場」は決まっている。
ゆえに、人からのウワサ(情報)を信用した時点で、
その人は調査する立場の人としては失格ということになる。

まずは、自分の目で、耳で調べたもののみを信じる。
もちろん、それとて100%正確で確実な判断とは限らないが、
少なくとも虚心坦懐、まずは、先入観や偏見を捨てて
臨むことが何事においても「評価者」としては大事なことだと
思う。
だいたい、人の意見ばかり聞いて判断している人は、
「よほど自信が無い人なんだなあ・・・」、と思われて
しまうだろう。

久しぶりの名演 ブラームス第2ピアノ協奏曲 N響アワー

アルゼンチン生まれの「まだ」40歳のネルソン・ゲルナーに
よるN響とのブラームスのピアノ協奏曲第2番はとても立派な
演奏だった。
音の響きに統一感があり美しい。自分はこう弾くということが
はっきり判るが、ブラームス特有の構成感を尊重しつつそれを
表出していた。全体的なフォルムに対する「まなざし」が確か
なものとして掴(つか)んでいないと(ただ弾くだけだと)
そうはできない。
アラウ、バレンボイム、アルゲリッチ、と、なぜかこの
アルゼンチンという国からは名人が誕生して来る。

ところで、この至難の大曲は「ただ弾くだけでも難しい」、
というか、名ピアニストでなければ、トライすること自体、
躊躇される大変な曲。
それだけに、かつての録音、古くはエドヴィン・フィッシャー、
戦後は、リヒテル、アラウ、ゲザ・アンダ、ギレリス、
ハンス・リヒター=ハーザー、ポリーニ、アシュケナージ、
ツィメルマン、バレンボイム等々、錚々たる名人のみにより
録音された演奏はどれも素晴らしいのは偶然ではない。
それだけ(容易(たやす)いのではなく)名人ゆえ挑戦しがいの
ある、難しい名曲で、それに「取り組む資格のあるピアニスト」
のみが録音を許されてきた、ということに他ならない。


また、番組の終わり、池辺晋一郎さんに替わって、
この4月から司会者を務める作曲家の西村朗さんの
コーナー、「今宵もカプリッチョ」では、
「師と出会い」ということを話されていた。
思えば、直接的な師匠はもちろん、憧れ、たとえば、
フィギュアスケートのジャネット・リンを見て(でもフィギュア
ではなく)バレリーナになった草刈民代さんとか、
(当時は面識が無かった)荒川静香さんにあこがれて
成長した安藤美姫さんなども、「憧れという師匠」の
存在が、自分を鼓舞してきたのだった。

辻井伸行さんも、ご両親の愛情はもちろん、お母さんは
実際に幼い伸行さんを連れて、
「目の見えないピアニストとしても先輩」でもある、
梯 剛之さんとそのお母様に教育の相談に行ったりも
した。そして、屈指のピアニスト、横山幸雄さんに師事、
指揮者の佐渡裕さんにも多く指導を受け、協奏曲を演奏、
録音するなど、多くの人が伸行さんの「師匠」として彼を
支えてきたのだった。

また、西村さんは、「今宵のひとこと」として、
「芸術は精神のリレー」と表現した。そのとおりと思う。
1つの作品や演奏は、1人の才能によって成されたもの
であると同時に、そこには多くの人や作品や演奏が
それに係わって来ていて、それの産物としての成果に
他ならないからだ。それは「ヨコ」のつながり、師弟関係
だけに留まらず、「タテ」=歴史的な、直接は面識が無い
存在からも「学ぶ」ことがあり、そうした精神のリレーが
為されて、こんにちの、1つの名演なり、名作が誕生している、
と言えると思う。

2009年6月13日 (土)

急な指標回復は実態経済を表しているわけではない

日本、いや世界的に株価が「下げ一服感」が出て、高騰して
来ている。
株価の場合は、それ自体はもとろん基本的にはウェルカム
だとは思うが、どうもこのところの「カイ」は、意図的に、
あるいは、「むりやりに、意地になって」上がって来ている
感じがしないでもない。
「それほど実態経済が急回復しているのだろうか?」と
疑問を持つ。
「底を打った」という感じと、株価上昇による含み益への
期待ということが更に株価を押し上げて来ているのだろうし、
確かに「底」は一定水準でのそれにおいては「打った」と
私も思うが、リバウンドが、あまりにも「ミエミエ的」に
急ピッチだと、かえって不安感が増して来るだろうし、
不健全さも感じてしまう。

原油市場も、ちょうど1年前の、あの異常な高騰は、
当然のように(それも逆に凄いスピードで)下落の一途を
辿(たど)り、昨年末~年初にはピーク時の5分の1ほど
まで下落した相場だったが、ここに来て、原油市場も
急な勢いで高騰する気配が出てきている。
何事も、「急ぎ過ぎると失敗する」のは世の常なのだが。

フェーズ「6」と狼少年

WHO(世界保健機構)が、今回の新型インフルエンザの
警戒レベルを、世界的大流行(パンデミック)のレベルとして、
フェーズを最高度の「6」とした。
注意していくことはもちろん大事だけれど、逆に心配なのは
「この程度で6?」と思ってしまう風潮のほうだ。

「パンデミック」などと言う言葉を聞くと、年初公開された
映画「感染列島」のように、かかったら必ず死に至る、と
いうようなウィルスを想像してしまう。
なので、世界各地でもちろん死者が出ているとはいえ、
以前書いたように、既存のインフルエンザ・ウィルスでも
毎年各地で死亡者は残念ながら出ていることを考えると、
どうも、今ひとつ今回の「騒ぎ」は多くの点で、ギャップや
違和感を感じざるを得ない。

「狼少年」の物語、童話を、最近でも子供達は教わって
いるのかどうかは知らないが、
「怖いものが来るよ、来るよ」、と言っていた割には、
「こんな程度?」と思ってしまうことのほうが、よほど危険に
思える。
いずれにしても、昨日=13日の讀賣新聞に社説で言うとおり、
「怯(おび)えず、侮(あなど)らず」、という姿勢が肝心なの
だろう。

2009年6月11日 (木)

株主総会 入門 その③ 開催日について

前回のその②「日程を理解しよう」(5月11日付)に関連、
延長する事項で、特に「決算取締役会」に直接関係するが、
肝心の開催日について書かないと、招集通知作成等の実務に
入っていけない(実際はもちろん徐々に記載、作成可能な部分
からはスタートさせていくことになるが、開催日が定まらないと
文字どおり「始まらない」)。

前回は、株主総会を開催する日が決定していることを前提に、
その次にして実務上においては最も「指標」となるとも言うべき
招集通知の発送日に焦点を当てて日程を解説したが、
そもそもその開催日を決めることに立ち戻り、記載したい。

その②では、決算取締役会では計算書類や事業報告等の
決算関係書類を付議、承認することを書いたが、同時にその
取締役会において、株主総会に付議する議案、開催日および
開催場所等を決議する。
場所の選定については「その①」で詳細に書いた。

さて、では、いつごろ開催すればよいのか?
会社法には、
「毎事業年度の終了後、一定の時期に招集しなければならない」
とあるだけで、詳細には書かれていない(第291条第1項)。
「3か月以内に」とさえ、どこにも書かれてはいない。
では、なぜ3月決算会社は6月中に開催しているのか? 
主な根拠としては、
①「(株主として確定される)基準日の(その)株主が、
 議決権を行使できるのは基準日から3か月以内」、
 とあること(会社法第124条第2項)。
 要するに、株主としての権利(取締役選任等)が行使できる
 のは事業年度終了後3か月以内だよ、と書いてあること、
 によるとの「解釈」によるため。
②法人税の確定申告期限が「事業年度終了の日の翌日から
 2か月以内」となっていて(法人税法第74条第1項)、
 さらに、「会計監査人の監査を要するなどにより2か月では
 確定できない場合は1ヶ月延長できる」となっている
 (同74条第2項)ことからの読み返し。
これらの2点から、
「決算期日末日=事業年度最終日から3か月以内に株主総会を
 開催する」との「解釈」から実施されているのが実情である。
まあ、でも、とにかくまずは「3か月以内」と覚えておけばよい。

もちろん、必要に応じて「臨時」はいつでも開催できるが、
上場企業が株主総会を開催することは大変な労力等を要する
ので、よほどの事情が無い限り開催はしない。
これは、未上場段階だと、株主数も少なく、また「身内」という
こともあって結構安易に「臨時株主総会」開催することを
思えば、「雲泥の差、違い」ということになる。
なので、ここでも「定時」に関した話に限定する。

【実情について】
では、次に実情はどうなっているかを解説してみたい。

1.集中日の減少・分散化傾向
例えば、3月決算会社の場合は6月中に開催ということになる
ので、実務的に余裕をもつという理由から、たいていは
月末近く、下旬に開催される。
例えば、30日が日曜日(29日が土曜日)の場合、
土日開催については後述するが、平日開催の場合は、
昔、1970年代から80年代前半のころは、28日(金)に
開催する会社が多かった。
30日が金曜日の場合はその日の開始が多かった。
しかし、そうした月末開催だと、その株主総会で万一尋常
ならざる事態が生じて「延会」すなわち後日再度開催しな
ければならないことになった場合、開催は翌月、すなわち、
「3か月をオーバー」してしまうことになる。
(延会の手続き自体も面倒だが、このことは省略する。
 なにせ、まずほとんど皆無に近いくらい滅多に無いこと
 なので)。
こうしたことに備え、1日予備日を置くことにして、ここ20年
ほどは、その前日、29日が土曜日だと、27日(木)に、
30日が金曜日だと29日(木)に開催する会社が多くなった。

そしてその日にあまりにも集中することから、その日が通称
「集中日」と呼ばれるようになった。
この「集中日」開催は、事務的に余裕をもたせたうえでの
先述の状況を踏まえたタイムリミットという様相、性質、
というのでは必ずしもない、というのが実情だった。
そういう実務的な問題ばかりがその理由、集中する原因ばかり
とは必ずしもいえない、という現実が生じていた。
どういうことか、と言うと、
いわゆる総会屋が、複数、例えば5社の会社の株式を
保有している場合、その5社が同じ日=集中日に開催した
場合は、その総会屋は少なくとも自分自身では1ヵ所しか
行けないことになる。
(開催時間もほとんど午前10時開始が圧倒的に多いため。)
なので、「部下」に行かせるか、出席自体を諦めて書面投票で
済まさざるを得なくなる。すなわち、会社側からしたら、
「リスクが低減される」ことになるわけで、
いわゆる「みんなで渡れば怖くない」の論理が、暗黙の内に、
(いや、公然たる事実として)「集中日開催」の会社の数を
増大させて行ったのだった。

そこで、商法から会社法に移行された際に、
「集中日を開催日としたことについて、
 「特に理由がある場合は」招集通知に記載すること」、
とされた。
これは論理的には妙で、しかも中途半端な条文だ。
というのは、まず、会社側からしたら、
「どうして「集中日」が会社で客観的に判断できるのか?」と、
そういう文句を言う余地はある。
もっとも、そこは「蛇(じゃ)の道はヘビ」とばかり、
役所(法律)としては、
「これまでの「常識=設定状況」を知っていれば判断できる
 でしょう」というところなのだろう。
しかし、それよりも、「特に理由がある場合」に書けばよい
ので、「別に理由はないです」、という前提を、会社内で
完全にそれを「社内周知としたコンセンサス」、
「共有認識」にしておきさえすれば書く必要はない、という、
なんとも奇妙な条文なのだ。
もっとも、株主総会で株主から「どうして集中日に開催した?」
という質問を受ける可能性は当然有り得るが、
キチンと理由付けが成されていれば問題無い。

しかし、最近の状況は、この「集中日」開催を敢えて避けて、
「なるべく多くの株主に来場してもらうようにしよう」、とする傾向
が顕著になってきている。
とても好ましい傾向と言える。
3月決算会社の例だと、「集中日開催」が最も多かった年は
1998年で、実に96%の会社が「いっせいに」同じ日に開催
したのに比べ、ここ2年、2008年と2009年は
50%を割るまでに至っている。
こうした「分散化」の傾向が顕著になっている。

これは、株主総会入門その①でも書いたように、
総会屋自体が減少しているため、企業が不必要に恐れる必要が
無くなったこと、また、もっと積極的な意図から、
「1つの大きなIRの場として、なるべく多くの株主に来場して
 いただこう」、「友好的に交流しよう」、とする気風が生じて
きていることが、その大きな理由だ。
とても良いことだと思う。


2.土日開催について
次に開催日の曜日についても触れておこう。
いわゆる、「土日開催」の議論は昔からあった。
私が社会人なりたてのころも、議論がされ始めていたが、
おおむね、当時も現在も「賛否両論」あるのは変わらない。
平日開催だと、サラリーマン株主等、出席し難い株主が
多々いることが容易に想像できる。
なので、実際、土日開催が徐々に増えてきている事実、
傾向はある。
もっとも、「ああ言えばこう言う」は世の常なので、
「いや、土日はゆっくり自由に使いたい、休みたいのだから、
 平日でよい」とする意見も、サラリーマン株主にさえも
結構あるのも、また事実だ。要するに、
「どちらにしても、文句を言われる余地はある」、という
意味では「似たり寄ったり」というのが現状。
なので、会社で決めればよい。
ちなみに、先述のとおり、「集中日開催」の傾向が減少、
分散化しているのに対して、土日開催会社が微増して
いるとはいえ、まだせいぜい3%前後に留まっている。
これは、開催する会社としても(特に土日を公休日としている
会社においては)「なるべく土日は避けよう」とする意識が
まだ多く在るから、と想像できる。
ただ、これは本当に現況においては(株主の意見(感想)と
しても)「どっちもどっち」であることは事実なので、
先述のとおり、会社として判断すればよい。


3.閉会後等の懇親会、説明会等
最後にもう1つ、これもここ数年、徐々に増加してきているのが
株主総会とは別に、それが終了後(あるいは別の日に)、
あらためて「会社説明会」あるいは「懇親会」を開催する
ケースだ。
昔から、例えば「カゴメ」社のように、製品の展示を含め、
飲食パーティのようなかたちで、株主と友好的に交流する
というなごやかな会を開催する会社もあり、
「それ目当て」で行く株主を含めて評判は良い。
飲食物を出す①「懇親会形式」と、
株主総会ではどうしても議案や報告事項中心のQAになる
ことから、もっと広く会社全般の情報や意見交換といった場
としての、いわばザックバランな雰囲気を意図した
②「会社説明会」と、2種があるが、後者も評判は良い。
というか、積極的な情報開示姿勢を責める株主がいるはずも
ないので、当然良い傾向、状況と言える。

2009年6月 8日 (月)

6.8 に 辻井伸行さん

秋葉原の事件から1年だが、あの忌まわし事件については
書きたくない。
そう思っていたら、8年前の大阪教育大学付属 池田小学校の、
あの忌まわしい事件も、この6月8日だった、と、報道で
あらためて知った。年は「9.11」と同じ年なので、2001年
とよく覚えているだが、月日は昨年の記憶があまりにも
生々しいためか、失礼ながら失念していた。
まさか、秋葉原の犯人が、そこまで意識して日を選んだわけでは
ないだろうが。

いやな記憶、ニュースだけでない。
現地日時では、7日になるのだけれど、アメリカから、
辻井伸行さんの、バン・クライバーン国際コンクール優勝の吉報。
一般マスコミは「盲目の」、と驚嘆するのは解らなくはないが、
クラシック音楽ファンの間では「そんなことは関係無い」と
思えるくらいに至っているほど、「とっくに有名な人」なので、
「あれっ? 今更、また、コンクール?」、と思ったくらいだ。
もちろん、世界の各地に、直接的なファンをたくさん持てる喜び
というものを得る、という意味では、どんどん海外で活躍して
欲しいと思うのは当然だが。

辻井さんの演奏は、CD、ライブDVDを持っているほか、
ちょうど1年ほど前に、ライブで、ベートーヴェンの「皇帝」を
拝聴している。
「皇帝」の完成度は、CDなどで聴くラフマニノフの第2協奏曲
ほどのレベルには未だ届いていない感じがした。
「ベートーヴェン先生は手ごわい」よね、辻井さん。
でも、ライブDVDでの「熱情」は見事だったし、今回も同曲を
含めて、予選から会場の聴衆を驚嘆させ、魅了したようだ。

驚いたのは、コンクールにための書かれた「できたての」現代曲
も見事に弾き、「その曲の演奏でも、一番評価された」という
ことだ。それは驚異だ。
とにかく、まだまだ若いし、これからが益々楽しみだ。
せめて、「6.8」は、このことも思い出したい。

2009年6月 7日 (日)

エドガー・ドガの言葉

「25歳の時分なら誰しも能力に恵まれている。
 難しいのは50歳のときに、それを維持していることだ」

むムッ、奥深い言葉だ。
願わくば、単に「維持」ではなく、「超えて」いたいものだ。
さて、今の若い皆さん、自信とビジョンはお有りですか?

映画 「ハゲタカ」 迫力ある展開

NHKテレビで6回にわたり放映された「ハゲタカ」が映画化
された。
ただし、テレビ内容の凝縮版ではない。
メインの出演者は同じまま、今度は「ハゲタカ」が中国から
やって来る設定が、こんにちの「資本主義国家 中国」を
象徴していて面白い。
迫力ある展開で、金融に興味の無い人にこそ、お薦めしたい。

もっとも、「所詮、マネーゲームの空しい戦い」と言われれば
そのとおり。しかし、こうしたドラマが「客観的に」描かれる
ようになったのは、少なくとも、日本の多少の進歩と感じても
よいかとは思う。

制作準備段階で、リーマン・ショックに端を発した
米国発金融危機と、日本における派遣問題が社会問題化し、
シナリオもそれを取り入れるかたちで書き直されていっており、
具体的には派遣問題を直接取り入れただけでなく、
鷲津(鷲津ファンド)VS劉(ブルー・ウォーズ・パートナーズ)
の売買テクニカルによる「いくさ」においても、
サブプライム問題をそのまま取り入れている。

劉の正体、劉とは誰なのか?という未解明な設定は、
そのまま、カネ=マネーとは何なのか? という、
マネーという「得体の知れない怪物」を象徴しているのかも
しれない。

2009年6月 6日 (土)

つばさ 多部っち 和菓子 川越

NHKの朝ドラ「つばさ」の評判が「いまいち」のようだ。
いわく、「川越の風情が出ていない」、
「いきなりラテン・ダンスが出たりして、違和感があり、
 朝からウルサイ」、等々。

私は、VTRに撮って、夜見たり、見なかったりと、
中途半端な状態なので、自信をもって論じられないが、
朝ドラとしては確かに「異色」な感じはするけれど、
見るときは結構楽しんでいる。

それと、出演者が皆うまい。
主役の多部未華子さんをはじめ、吉行和子さん、
高畑淳子さん、特に中村梅雀さんが素晴らしい。
二枚目役がうまい歌舞伎俳優は昔から多くいたが、
こういう三枚目役がうまい歌舞伎役者はほとんど記憶が
無いくらい素晴らしい。

ドラマはここに来て大きな転換点を迎えている。
亡き祖父が別のところに儲けた女性が登場。
祖母は動揺し、憤り、認めまいとしたが、つばさの思いが
2人を「和解」させる。
ちょっと、これまでのドタバタ展開とは真逆の、
ヒューマンな内的ドラマ展開だ。
これからが、このドラマの真骨頂に入っていくのかも
しれない。
ただ、せっかくなら、やはりもう少し、川越のことや
私も大好きな和菓子について触れてもらいたいところだ。

2009年6月 5日 (金)

マルセイユにキスを

NHKテレビ、世界街歩きのこの日の放送は、フランス南部の
歴史ある港町、マルセイユ。
美しい海岸だけでなく、石造りの街に住む人々の、なんとも
気さくな感じがステキだ。
老人も、若い夫婦も、店主も、誰もかれも。
実に魅力的なまちに暮らす人々は幸い哉。

健全な精神が健全な肉体に宿るわけではない 京都教育大学生による集団強姦事件

さすがに最近では引用する人もほとんどいないのだろうが、
私が子供の時代は、周辺に限らず、政治家とか、
PTA会長とか、そこそこ「オ偉い人」は、
よくこういう言葉を引用したものだ。いわく、
「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」。

しかし、実はこの言葉は、そもそも、語源からして実際と
異なっている。
誤って使われていることは、当時においても、知っている人は
結構いた。
すなわち、そもそもこの語源は、古代ローマの詩人、
ユウェナリスによるもので、正確には、
「強健な身体に健全な魂はあるよう願うべきなのだ」、
という、要するに「~なら、いいのになあ・・・」、
「そういう人は少ないんだよなあ・・・」ということを
嘆いた言葉だったのだ。

もっと正確な訳では、
「心身ともに健康であることを祈るべき」、というのものが
一番有力な訳と言われている。
“orandum est, ut sit mens sana in corpora sao.”

いずれにしても、いっとき、スポーツ根性路線や、
スポーツマンが「人間的にも一番立派」であるかのような
「信仰」を煽るような風潮のもとで言われた内容は、
実は全くの認識違い、理解不足、「はき違い」だったわけだ。

だいいち、この誤訳、身体的にハンディのある人に対して
失礼であるだけでなく、完全に「軽蔑用語」、「差別用語」
にほかならず、排除、いや、弾圧にさえつながりかねない
言葉だ。

この誤訳が、さかんに言われていたころにおいても、先述の
とおり、正確には「違うよ」ということを知っていただけでなく、
「(その誤訳は)嫌いな言葉だ」、という人は、私を含めて、
結構多くいた。
それは、弱者軽視、蔑視をとおり越して、弱者排除の、
ナチスが思想の核に置いた「優性思想」につながりかねない
ことを見抜いていたからに他ならない。


教員養成機関の国立大学である、京都教育大学生による
女子学生への集団暴行…いや強姦とはっきりマスコミも
言うべし…集団強姦事件。
なんでも犯人たちはそれぞれ各種のスポーツ競技において
全国レベルの優秀な選手とのこと。まあ、先述のとおり、
そんなことと「下半身事情は関係無い」ことは言うまでもない
ことだ。

しかも、大学側は「教育的配慮」という美麗字句をもって、
卑劣にもこれを隠ぺいした。
全国の全ての女性は、怒るべし。
「教育的配慮」って、男性へのそれだけで、
「女性に配慮する必要は無い」と言っているに等しいのだから。

2009年6月 4日 (木)

驚異的に進化するDNA鑑定技術 足利事件

あらゆる意味で衝撃的な事象だ。
菅谷利和さんに対する冤罪事件。問題点を検証したい。

まず、
①ろくな証拠も無いままの、強引な思い込み逮捕、強制逮捕。

②脅しと暴力による自白の強要。
 こうしたことは昔から言われていて、それこそ私が子供のころ
 から、既にテレビドラマ等々でも描かれていた。
 久しく当局も「おとなしく」なっていたかと思いきや、
 相変わらずの状況が存在していたことが白日の下に
 知らしめられた。そして、

③精度の低い時代のDNA鑑定への「信仰」。
 当時のDNA鑑定は、まだ「黎明期」すなわち、
 ようやくDNA鑑定という手法がいわば「よちよち歩き」
 しだしただけの時期であり、技術的水準が低い時代、
 精度が低い時代、1000人中1人~2人程度の認識
 レベルにすぎない時代であったにもかかわらず、
 それを「絶対的」なものとして都合よく考え、
 逮捕を「絶対的なもの」としたしまったこと。
 DNA検査は年々進化、進歩し、なんと今では、
 4兆7000億人に1人の違い、アイデンティティの
 存在確認が判明できるまでのレベルに達していると
 いう。

④そして、裁判制度あるいは裁判官の問題。
 7日の「サンデープロジェクト」では、1、2審での
 有罪、特に1審の時点での(当時の)DNA鑑定結果
 がずっと尾を引きずり、DNA鑑定技術がどんどん進歩
 し、それに合わせて、再三、菅家さんと佐藤弁護士が
 再鑑定を求めていったにもかかえわらず、それに
 応じてこなかった(特に6年間無視して放っておいた
 宇都宮地裁などの)責任を問うていた。
 最高裁も制度上、1、2審での事実確定を基本的に
 認定していることを前提とした審議方法の問題も
 当然問われていた。

⑤取り調べの「可視化」は必要。
 ②を排除するためにもためらう理由は全く無い。

⑥そして私もこのブログで何度も書いているが、
 「時効制度を廃止すること」。
 「時効」などとは、「意味が解らない」。
 遺族の気持ちが、「時とともに、「まあ、いいか」と
 変わる」なんてことは「有り得ない」。
 司法関係者がそういう「想像力を持ちわせていない」
 ということは、「とんでもなく頭が悪いヤツら」か、
 「人間的な感情とは無縁の薄情なヤツら」のどちらか、
 ということだろう。

菅家さんの、
「当時の警察官、検察は許せない。間違ったでは済まない。
 謝って欲しい。人生を返して欲しい」、
という言葉はあまりにも重い。

天安門事件から20年;これからこそ試される中国の人権問題;今の自由は本物か偽物か

1989年は日本では昭和天皇崩御に始まり、
音楽界ではカラヤンの死、美空ひばりさんの死、もちろん、
ベルリンの壁崩壊等々、とにかく激動の年だった。
そして同年6月4日未明、北京の天安門では「事件」が
起きた。汚職、腐敗の役人などを糾弾する学生たちを
中心とした民主化運動に対して、政府がこれを武力弾圧。
政府の発表では319人の死亡、とのことだが、ということは
少なくともその2倍、たぶん3倍の1000人前後が殺された、
と考えるのが、共産党独裁国家に関する、外(の国)に
おける情報分析としての常識的推測値だ。
だいいち、そもそも、319人だって「スゴイ人数」だ。
日本で、例えば、警察や自衛隊が日本国民に発砲して、
319人の死者が出た、という状況を想像してみよう。
いくら、「おとなしい日本人たち」だって、絶対に「革命」、
あるいは内閣総辞職はもちろん、少なくとも「革命的事態」が
生じることは明白だ。

本日の日本経済新聞 朝刊もコラム「春秋」で事件をとりあげ、
「20年前のきょう、悲劇が起きた。民主化を求めて集まって
 いた学生や市民を、共産党政権が武力で制圧した事件だ。
 その名も人民解放軍が、こともあろうに国を支える人民と
 対峙し、多くの血が流された悪夢。それを世界は見た。
 ぬぐいがたい現代中国の汚点だろう」、
と書き、後段では、現代の状況と比較して、
「北京は高級ブランド店に客があふれ、パソコンショップの
 店員は声をからし、世のあらゆる美食が覇を競う。
 若者が屈託なく笑い、ケータイで長話に夢中だ。
 驚くべき成長を遂げ、自身に満ちた社会の顔がある。
 どちらも中国なのだ」、
と書く。

そのとおりだと思う。ただ、前段の「それを世界は見た」は
正確では無い。世界が知っている事件が起きた直後の映像は、
銃弾の音と逃げ惑う市民、燃える車両など、それも暗がりの
映像が主で、実際の状況はまるで判らない。
中国の人も、今の若い人はもちろん、当時だって、
現場にいた人以外の人は、そのときも、今も、何も知らされては
いない。

発砲によるデモ参加者の若者の死だけでなく、「暴徒」として
逮捕、拷問、長期の勾留により失職。出所しても「前科者」
扱い、すなわち、警察が発行する「無犯罪証明書」が無いと
就職できないため、ずっと職に就けない人も多いという。

中国政府は未だに真相を明らかにしないばかりか、
ここにきて、一層、言論統制と「監視社会体制」を強めている。
犠牲者の遺族が墓参りに行くと、そこに警察が見張っている、
とは、中国政府の異様なまでの神経尖りぎみ状況が判る。
死亡した青年の家周辺にも待機し、親が「慰霊の集い」に
出かけないように見張っているシーンも、
「おいおい、今は1980年代だっけ?」と、唖然とする。

TVインタビューで映された若い人たちは、
「自分は小さかったので、よく知らない」と、教科書的に
「キチンと」答えていた。
中国政府、警察は当然そうした言動をチェックしているだろう
から、
「よしよし、いい子だ。それでいのだ」と、ほくそ笑んで
いるかもしれない。
おいおい、青年たちを甘く見なさんな、中国の「大人たち」。

なにしろ、世界に知れたインターネット大国だ。
優秀な学生たちが、ネットで「天安門事件」を検索
しない「わけがない」。
なんらかの「カバー」は当然掛けられているだろうが、
そんなことを「くくり抜ける技術」くらい、優秀なIT学生なら
それほど難しくはないだろう。
実際、北京大学、清華大学、北京師範大学、
中国人民大学の4つの学生100人に対しておこなわれた
アンケートでは「知らない」は9人だけで、
①詳しく知っているが37人、②聞いたことはあるが54人
という。
②も、少なくとも半数はたぶん「調べたので、ある程度は
知っているけれど、「良く知っているとは(今のこの国の
状況下では)言えない」、というのが実際だろうと推測できる。
ということは、ネットを扱える人の相当数は、ある程度の情報を
知っている、と考えるほうが「普通」である。

実際、昨年「08憲章」というものがネットに書かれて、
当局は大慌てしたようだ。その主張いわく、
1.一党独裁の廃止
2.三権分立
3.公職の直接選挙
4.言論・集会・結社の自由

共産主義という名の、一党独裁による思想弾圧を押し付ける
ことが、逆説的に言うなら、
「それと戦おうとするイデオロギーを復権させつつある」
ようにも思える。

自由が「本物か、ニセモノか?」。
真に試されるのはこれからだ。

なお、あの、まだ弾圧が開始される前の、陽が明るい空の下、
戦車を止めようとしている青年の映像は本当に印象的で
インパクトがあったが、「王 維林」という人らしい、
ということが言われているだけで、夜に起きた事件=弾圧
の後の、彼の消息は未だに不明だという。

彼の「その後」を公表できる日が来たときこそ、
中国が真に「開かれた国になった」、と言えるのだと思う。

黒田恭一さんを悼む

音楽評論に多少とも興味のある人なら、まず名前を挙げるのは
今年96歳になる、そう、「春の祭典」が初演された
1913年生まれの吉田秀和さんだろう。次いでは、好き嫌いは
あるようだが(私は好きだが)、いつまでも「熱い」壮年批評家
のイメージのある、でももう70歳代後半の宇野功芳さんという
ところだろうか。

訃報のあった、71歳で亡くなられた黒田恭一さんは、その2人に
比べたら割と地味な存在だったかもしれない。
でも、実に「しみじみとした、良い文」を書く人だった。
決して誇張した表現はせず、抽象的な言い回しや観念的な比喩は
用いず、それでいて、奥行きのある表現。控え目に抑制を効かせ
つつ、それでいて、ほんわりと温かい文を書く人だった。

例を挙げたらキリが無いが、私が中学生のときに読んだもので、
カラヤンとベルリン・フィルが1965年に録音した、
チャイコフスキーの第5交響曲の、LPレコードに寄稿していた
文章は、とりわけ印象的だった。氏が30歳代で書いたものと
いうことになるだろう。
(繰り返しになってしまうが)
そこで書かれていた文面は、決して大げさな表現を用いては
おらず、抑制のある文面ながら、「詩的」と言ってもよいような
静かだが温かみのある、実に素敵な文章だった。

心からご冥福を祈りたい。
黒田さんの文章から、たくさんのことを教わりました。
いろいろ教えていただき、ありがとうございました。

2009年5月30日 (土)

美味しい食べ物その2;不二家「LOOK ROYAL MODE」チョコ

バレンタインデーなるものは、チョコレート好きからしたら
「奇妙で不純な邪道行為実効日」以外の何物でもない。

チョコレート好きは、そんな意味不明の日にかかわらず、
まず間違いなく365日、手元にチョコレートを置いてある
ものなのだ。

最近、といっても、これも1つ前のブログでのプリンの話題と
同様、1年ほど前に発見したものなのだが、
不二屋さんから発売された、
「LOOK ROYAL MODE ルックロイヤルモード」
の、ミックスシトラス、とろとろフルーツソース、と
題したチョコレートが大変美味しい。
季節限定というのではないはずだが、最近店頭で見かけ
なくなったのは残念だ。

不二家さんも、これだけのチョコを作る技術があるのだから、
以前起こしたような、古い材料を使う、といった事件は
二度と起こして欲しくない。
まっとうに良い商品を出していけばよい、のだから。

美味しい食べ物その1;加賀田京子シェフ製作によるプリン

もう1年ほど前から気に入っているデザートの1つに、
加賀田京子シェフによるプリンがある(販売;協同乳業)。

味(種類)も、マロンクリーム、クレームカラメル、
キュウイ、マンゴー、を含めて多くある。
ありきたりで、そうそう味の変わらぬ市販プリンが多い中に
あって、安価で、コンセプトもシンプルであるのに、
とても美味しい。

低レベルな党首討論

麻生首相と鳩山民主党新代表による「党首討論」は予想どおり、
いや予想以上に(以下に、というのが正確か)低レベルだった。

首相いわく、「国民の最大の関心事は西松建設の問題…」
はあ?、アホ。誰もそんなものに興味など持っていないよ。

北朝鮮が核実験をやり、ミサイルを撃つ事態の中、
「ノンキ過ぎるのにもほどがある」。
50分中、40分は北朝鮮問題をやるくらいの「真剣さ」が
欲しい。

それと、周辺のヤジ、うるさい。
ヤジる人、というのは、ほとんどの場合、1人で演説を任された
場合、大抵、「オドオドするだけで、ちゃんとしゃべれないほどの
小心者」、と、相場は決まっている。
有権者の皆さん、あそこでヤジっていた与野党の議員、
全員を「落としましょう」。

2009年5月29日 (金)

実刑6年判決では軽い;時津風=山本順一の命令によるリンチ殺人事件

いささか刺激的なタイトルにわざとしたのは、当人がまるで
反省をしていないような態度に憤りを感じるからだ。

昔の武士は、という古いレトリックを使い過ぎのようで申し訳
ないが、やはり、それこそ「矜持」としてかつてこの国の多くの
人には、「死んでお詫びをする」くらいの、そうした覚悟や責任を
もって何かに赴く、という気概が少なからずあった。

入門してまだ2か月ほどの青年、いや、少年を、
「人様からお預かりした少年」を、「指導」と称し、あるいは
「しごき」とカッコつけ、「ビール瓶で殴る」とは何事か?
「死んでお詫びをする、すくなくともそのくらいの大変な
 ことをしでかしたのだ」という認識が全く無いことに呆れる。

「責任をとって自死するくらいの覚悟が無くて、人をシゴクな」
ということだ。
「気持ち悪いほどの傲慢さ」。

30日の日本経済新聞の朝刊コラム(春秋)でもとりあげて
いるほか、同日の東京新聞朝刊では、やはり毎日の
コラム欄で、「17歳の少年をビール瓶で殴ることが指導か?」
と追及しているだけでなく、社説でもとりあげ、
「親方の絶対的な権力」と、シゴキとか指導という名の
「暴力の土壌」、また、国技としての問題から、昨今の
大麻事件も含め、日本相撲協会の責任にも言及している。
当然にして適切な指摘だ。

2009年5月27日 (水)

はや2年か 坂井泉水さん

ZARDの坂井泉水さんの訃報から満2年、三回忌。
ファンは忘れずにいくつかの地で献花、という記事があったが、
やはり事故のあった慶応病院内敷地は控えるべきだろう。
泉水さんだって、「一般の入院患者や病院関係者には
迷惑をかけないでね」と言うに決まっている。

ファンなら皆知っているが、今だにしっかり
オフィシャルホームページが継続開設されている。
これからもできるだけ継続して欲しい。

彼女のことを、もし一言で言うとするなら、
私にとっては、「かわいい人」と言いたいように思う。
ただし、当然、「かわいい」というのは、表面的な、うわつらな
意味では無い。外見的なことだけを言っているのでもない。
全て、その人柄に関する印象をを含めた、あらゆる意味に
おいての「かわいらしさ」なのだ、と言いたい。

2009年5月26日 (火)

窮鼠猫を噛むか? 北朝鮮、甘やかした国際社会の失敗

北朝鮮の地下核実験と日本海への重なるミサイル発射。
北朝鮮の「強気」と言う表現はあまり正確ではないと思う。
要するに、独裁者が自分の死期の近いをことを悟って、
「焦っている」のではないか?と想像する。
何番目かの息子を後継者に、との思惑と、そろそろあの国
にも「水面下で」反勢力が少しずつ動き出していて、その
2つの派の牽制、綱引き、覇権争いに近い状況が現れつつ
あるのではないか?と想像する。
「核保有」は世界に対するアピールと同時に、国内における
権力保持派の勢力アピール、権力掌握、実権誇示としての
ものとも思える。

いずれにしても、先日自殺した大韓民国の前大統領のとった
融和政策などというバカげた政策の大失敗の結果であり、
ブッシュ(息子)というサイテーの大統領による北朝鮮に対する
ぬるぬるの甘やかした態度、「弱腰外交」の結果が、
こういう状況をもたらせていることは明白だ。
国連は強い決議を出すべきだし、いいかげん、中国もロシアも
「子分としての北朝鮮を甘やかすのもほどほどにせい」、
というところだろう。

そういえば、話が逸れるが、「ブッシュ」という映画が公開
されているらしい。
そんなの見に行く人がどこにいるのだろうか?
名匠、オリバー・ストーン監督らしからぬ、選択の対象としては
大失敗だ。興行的にも大失敗に終わることは目に見えている。
ストーン監督は当然皮肉る内容で制作したのだろうが、
いくらなんでも「対象がヒドすぎる」。
監督が有名でも、全く意味の無い人物を描いた作品など
誰が見るのだろうか?

2009年5月23日 (土)

鈴木理恵子さん;朝日カルチャー公開講座

朝日カルチャー公開講座での、鈴木理恵子さんによる
「珠玉の名曲でつづる ヴァイリン物語」は、ここ数年
シリーズ化している。
この日は、吉田まどかさんのピアノと、
①パラディス「シチリアーノ」、②ドビュッシー「美しい夕暮れ」
③ショパン「ノクターン第20番(遺作)」、
④シューマン「ドナタ第2番」、休憩を挟んで
⑤加古隆「アダイアダイーブルネイの古謡による」、
⑥ドヴォルザーク「わが母に教え給いし歌」、
⑦ブラームス「ソナタ第3番」、
アンコールとして「金髪のジェニー」が演奏された。

前半で弾いたシューマンの第2ソナタは、鈴木さんによると、
「規模が大きく情熱的な曲だが、あまり弾かれない曲で、
 自分としてもちゃんと弾くのは学生時代以来」、
とのことだった。
また、後半最後のブラームスの3番については、
「これまで、1番と2番はたびたび弾いてきたが、3番は、
 その内面の激しさなどがまだ自分にはしっくり来て
 いなかったので、あまり弾いて来なかった。
 けれど、最近はとても親近感を感じるので
 今後もとりあげていきたい」、
との主旨のコメントがあった。
そして実際、鈴木さんは一般的な演奏よりは幾分控え目な、
というか丁寧なアプローチを心掛けるようなスタイルの演奏を
された。

ピアノの吉田まどかさんは非常に達者な奏者だ。
シューマンもブラームスもピアノパートも非常に難しい曲なので、
その巧さが際立った。
プロフィールによると欧米でも室内楽等で活躍された後、
結婚、出産後はしばらく活動は止めていたが、最近は
クリスチャン団体とゴスペルに関する活動のほか、作曲、
アレンジにも意欲的に取り組んでいるとのこと。
こういう優秀な奏者は室内楽に絶対に欠かせない。

それにしても鈴木理恵子さんは、瞳の、笑顔の美しい人で、
内面の優しさがにじみ出てくるような女性だ。

こんなことを書くのは該当者に失礼で問題かもしれないが、
鈴木さんの演奏会には、いわゆる少し変わった人、
あるいは、もしや幾分いわゆる知的障害があるのかなあと
思われる人が来場していることに気がつくことがある。
もちろん、そういう人もキチンと演奏を楽しみ、それに支障が
生じるような事態が発生することなど無いことは言うまでも
ない。
昨年、ハープの吉野直子さん、ヴィオラの川本嘉子さんと
フィリアホールで行われたトリオ演奏会の際も、
終演後のサイン会で、50歳代とおもわれる男性が、
サインの列の横で、ホール担当者に、周りにそして当然本人にも
聞こえる大きな声で、
「鈴木理恵子さん、て、素敵な人ですね。人柄も魅力的
 ですね。今度(彼女の)演奏会はいつあるんですか?」
などなど話していて、吉野直子さんが(あの明るい性格なので、
ヒトゴトよろしく、という感じで)ゲラゲラとは言わないが、
ニコニコしてその様子を見ていたのも面白いシーンだった。

この公開講座の日も、40歳前後くらいの男性で、
絶えずニコニコしながら顔を上下に動かして演奏を聴いて
いたり、たまにパンフに手を伸ばしてたりと落ち着かない
感じではあるが、でも「本当に楽しいんです」という感じで
演奏を聴いていた姿を見かけたことは印象的だった。
休憩時間には片手に飲み物をもったまま、鈴木さんに
「こんにちは。○○と言います」と名乗って直ぐに席に
戻ったりするというシーンもあったが、そんなときでも
鈴木さんが立派なのは、
「こんにちは」と、にこやかに応え、全く動じていない
だけでなく、怪訝な表情ひとつせずに他の来場者にも、
「空調の具合は大丈夫ですか(寒くないですか)?」と
気配りされていたのだった。

鈴木さんが、いわゆる福祉的な活動やそうした演奏会を
開催されているかどうかは知らないが、少なくとも、
私の想像を超えた「内面の優しさ」が周囲に伝わり、そうした
「ちょっと変わってはいるが、純粋に音楽を楽しんでいる人々」
の心の琴線に触れて魅了していることは間違いなさそうだ。
そうでなければ、彼女の演奏会に来場するはずはない
のだから。
こうした事象自体、彼女の意志にかわわらず、
優れた音楽性に加え、実に素晴らしい「全人間的な魅力」
証明していると言えそうだ。

2009年5月21日 (木)

株主総会 入門 その② 日程を理解しよう

シリーズ第2回目は日程のこと。
日程に関しては、実は結構ややこしいので、まず最大の
ポイントである以下の1の部分をよく理解すること。
そのうえで、2に入って欲しい。

1.招集通知の発送日がポイント
(1)発送日の特定
 ①通常の発送の場合
 日程における最も基本的な事項として、まず、招集通知の
 発送日ということがある。
 作成そのものについては後日の該当回に記すが、完成
 させて発送する日は、「株主総会開催日の2週間前まで」
 に発送しなければならい(会社法第299条第1項)。
 それよりも早いぶんにはもちろん構わない。
 歴史ある大企業の中には、財務経理部門が手慣れている
 ため16日~20日くらい前の日付けて発送している企業も
 昨今増えて来ている。
 ただし、歴史の浅い会社は無理をする必要は全く無い。

 さて、この「14日前」というのは、
 「発送日と総会開催日の両日をカウントしない」、
 という点がポイントだ。
 ただし、土日祝日などはもちろん関係無く(営業日数では
 なく)、普通に数えればよい。具体的に今年の暦でいうと、

 6月25日(木)が株主総会開催日の場合は、
 この日を除いてて14日遡り、その14日目の1日前の
 発送だから、6月10日(水)が発送日最終リミットとなる。
 同様に開催日が29日(月)なら14日(日)までに発送
 しなければならない。
 なお、この後者の場合だと、証券代行機関が土日に発送
 することはまず無いから、実質的には12日(金)までの
 日付で実務的(実際的)には発送することになる。

 ②少し詳細になるが、後日述べるとことろの、
 書面投票制度と電子投票制度を併用する場合は、株主が
 事前に投票行動をする日(具体的には議決権行使書を
 投票して到着する日か、インターネットで投票する日)の、
 その時間を、「何時までに到着させてね」、と会社が指定
 できることとなった。
 ただし、注意しなければならないのは、自社の営業(時間帯
 の)終業時間よりも早い時間を指定した場合は、先述の
 ルールに1日分足りないことになってしまい、その場合は
 「中14日」ではなく、「中15日」をカウントして発送
 しなければならなくなるので要注意だ。
 先述の最初の例で言うと10日ではなく、9日までに発送
 しなければならなくなる。
 なので、よほどの理由や事情が無い限りはそういう指定は
 せず、単に「株主総会開催日の前日までに」とか、
 「(18時が終業時間の会社は)当社の営業終了時間である
 18時までに」、とすれば、オーソドックスな「中14日」で
 よい、ということになるので、そうしておいたほうが無難では
 ある。
 なお、手前味噌になるが、ここまで言及している市販の
 参考書はほとんどないので注意されたい。
 私が知る限り1冊あるが、一応の説明で留まり、
 あまり具体的ではない。
 もっとも、ほとんどの関係本のように全く触れてさえいない
 という状態よりはまだマシだが。

 ③印刷に要する日数、および発送を依頼する証券代行機関に
 納品しなければならない日を確認して、逆算して実行していく
 ことになるのだが、①にしても②にしても、
 「発送日が決まったから、それまでに招集通知を完成させれば
 いいんだ」、と思ったら、大変な間違いなので要注意。
 なにしろ、上場後の御社の株主数は少なくとも1,000人以上
 だろうし、あるいは1万人を超えているかもしれない。
 なので、その分を印刷、製本化するには、それなりの日数が
 必要だし、完成後は「発送してくれる証券代行機関」に納品
 しなければならない。この場合も、
 「発送日直前までに納品すればいいんでしょ?」、と
 考えるのは大間違い。単純に考えて欲しい。
 いくら時代が機械化、IT化の時代とはいえ、封入作業は
 当然手作業だ。御社が1万人の株主に送付しなければ
 ならないと想像したら、10人掛かり付けで作業しても
 1日ではとてもキツイことは想像できるだろう。
 だいいち、証券代行機関で扱う(発送する)のは御社だけでは
 当然ない。よって、代行機関は通常、
 「遅くも(発送日の)土日を除いて1週間前には欲しい」と
 当然ながら言ってくる。(ただし、これは交渉しだいで、
 5日前後前まで、と交渉できることも事実だが)

このように、(1)の結論として述べると、
発送日から逆算し、なおかつ、印刷と納品の日数を計算に
入れたうえで招集通知の作成日程を組むことになる。

(2)決算取締役会の日を確定しておく
 では、その招集通知を作成します、という社内決裁を得る
 決議日程を組まねばならない。財務諸表等や事業報告
 (後日解説)、付議する議案などの原案ができたからと
 いって、担当者やその少数役員のみで勝手に印刷に回す
 わけにはいかない。
 また、開示義務の問題もある(開示についての詳細も後日)。
 そこで、(1)の日程が決まったら、当然それよりも前に
 「確定」、「承認」の決議を取締役会で行う。
 これを行う取締役会を通常「決算取締役会」と呼んでいる。

これまでの(1)と(2)の日程を基に1例で述べると、
株主総会開催日=6月25日(木)、
招集通知の発送日=6月10日(水)、
証券代行機関への招集通知納品日=6月3日(水)、
招集通知を印刷するための原稿校了日=印刷開始日
 =5月26日(火)、(これと同じ日でもよいが、一応、
数日前に開催するとして)
決算取締役会の開催日=5月25日(月)

と、ザックリ述べるとこうなる。


2.決算取締役会までの(それ以前の)取締役、監査役、
 会計監査人(監査法人)間での流れについて

次に、1.で述べた日程までの期間は、
「完全フリーに考え、進めてよいのか?」という問題を考える。
ここからは、いささか教科書的にかかざるを得ないことをお断り
しておきたい。
ただ、慣れてしまえば、監査法人は当然知り尽くしていること
なので、別にさほど神経をトガらせることでない。
ただし、監査役に就任したての人は、よほど自分で勉強している
か、同社または別の会社で総務畑に長くいたとかいう人でない
場合は、このへんの知識は無いと想像できるので、当然ながら
スタッフがフォローしてあげなければならない。

では、以下のとおり。
旧商法では、取締役が作成した書類を、監査役および会計監査人
(現状の多くは監査法人)に提出する時期を、「法律上の大企業」
の場合は、(定時)株主総会開催日の8週間前と定められていた
ので、そこから逆算するかたちで日程を組んでいったのだが、
会社法に移行後は、この期間制約に関する条項が廃止された
ことから、その会社ごとの事務作業の進行状況、すなわち、
計算書類や事業報告書等の作成に要する期間、会計監査人や
監査役(会)が監査に要する期間、株主総会招集通知に関し、
その校了予定日、印刷期間、発送日(予定日)を全て勘案して
逆算して日程を組まなければならない。

決算取締役会の日程により、監査役からの監査報告書等の
提出日は変更となる。会社法上では、招集通知発送までに
行えば問題は無い。
ただし、監査役および会計監査人設置会社においては、
会計監査役の監査期間を考慮して日程を組む必要があり、
まず、会社法では会計監査人の関与から外れた事業報告に
ついて見ると、

(1)事業報告およびその附属明細書(=①)については、
 (施行規則の定めにより)特定監査役が特定取締役にその
 監査結果(報告の内容)を通知する期限は、特定監査役が
 会社より同書類を受領した日から4週間を経過した日までで
 ある。
次に、
(2)計算書類およびその附属明細書、連結計算書類(=②)に
 ついては、会計監査人設置会社の場合、
 (計算規則において定めがあり、3つの選択肢から1番遅い日
 との枝があるものの)目安としては、会計監査人が、
 特定取締役および特定監査役に、会計監査結果(報告)を
 通知する期日は、取締役より当該書類の全部を受領した日から
 4週間を経過した日まで、である。したがって、今度は、

(3)(この関係で)②の書類を(監査役または監査役会が、
 特定取締役および会計監査人にその監査結果を通知する日が
 定められており、それは)監査役または監査役会が、
 会計監査人から{計算書類と附属明細書、連結計算書類の}
 会計監査の結果(報告)を受領してから1週間を経過した日
 まで、となる。

以下、もう一度、次のように書いてみる。
①は、事業報告 関係
②は、計算書類 関係

               
          ・・・4週間以内・・・・・・・・・・・・・・1週間以内
                                 ・
会社                              ・
 →監査役(会)―①に関する監査結果→会社     ・
 →会計監査人―②に関する監査結果→監査役(会) ・
                           -②に関する
                            監査結果③

――→会社・・・決算取締役会

2009年5月20日 (水)

もう来ています

小学校に入学した年の冬、ゴジラ映画シリーズの中でも、
とりわけ今でも印象的な作品である、
「三大怪獣 地球最大の決戦」を見た。それもたぶん3度。
1度はもちろんちゃんとお金を払って。
たしか、子供料金は50円だった。大人は200円だったか。
今とは時代が違うとはいえ、貧しい家の子供にとって、
50円は大金だった。だから、というわけでは決してないの
だが、小さかった私は、確か友達2人か3人と、映画館の
入口の入場券担当のおばちゃんがいない瞬間を見て、
サッ、と劇場内に飛び込んだのだ。それも多分2回は。
なので、この映画は少なくとも劇場で3回も観ている。
小学校1年生のブンザイで。

もしかしたら、受付のおばちゃんは気づいていたのかもしれない
が、当時住んでいた東京、板橋区という都会であっても、
そういう優雅な、というか、まだまだのんびりした時代でも
あったのだった。

さて、映画では前半、金星人を名乗る不思議な女性が、
例えば、火山火口の見学旅行者たちに、
「ラドンが現れます。非難してください」と言っては
「変人」扱いされるのだが、本当に出現したことから、
注目されるようになる。
彼女がキングギドラについて話し始めたとき、ある記者が
尋ねた。
「で、そのキングギドラ、とやらが、日本に来るというのか?」
彼女は答える。
「そうです。・・・・、もう、来ています」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新型インフルエンザが関西から関東に来たといって騒ぐのは
ナンセンスだ。世界を駆け巡っているウィルスなのだから、
どこにでも「来る」のは当たり前だろう。
問題は、治るのか?、どう治すのか?、かかると皆死ぬのか?
そうでないのか、というような「心配しないで」という配慮と
情報を中心にマスコミは報道すべきなのに、あいも変わらず、
「どこどこで感染者が出た」、「○○高校の生徒です」、と
言って、学校名だけでなく、校舎の映像まで出したりする。

「冷静に」って、一番冷静になるべきはマスコミだろうが。
なのに、「怖さ」とか、感染者のこととか、なにか、
本質とは違うことを伝えているような気がしてならない。

生徒の通う周辺には詳細な情報を提供するのは解るが、
全国ニュースで、関西や八王子の学校名を出して、
「どうする?」のか。
もっと、冷静で、役に立つ、意味のある情報提供を求めたい。

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