東京アカデミッシュカペレのマーラー「復活」他
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ベートーヴェンとブルックナー~後者が名演
豊島区管弦楽団の第99回定期演奏会を4月29日午後、所沢市民文化センターミューズのアークホールで拝聴した。豊島区管弦楽団はこれまで何度も聴かせていただいているので、優秀なオケであることは承知している。今回もブルックナーが素晴らしかった。
指揮は2013年から常任指揮者を務める和田一樹さん。演奏曲は
1.ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調「運命」Op.67
2.ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調Op.105
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1.ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調「運命」Op.67
全体的に細かな工夫をせず、一気呵成というスタイル。それゆえ、特に第2楽章が退屈だった。この10分ほどのアンダンテの中に、ベートーヴェンは小さな物語を複数の場面で設定しているのに、そうしたニュアンスの表出は皆無だった。平凡そのもの。
第3楽章でのトリオ部分を速いテンポで押し通したのが印象的。第4楽章は、2小節までたっぷりと響かせ、直後からは、たたみ掛けるテンポで進行。提示部繰り返しありの演奏。ピッコロがよく聴こえていたのが印象的。
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2.ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調Op.105
私は、ブルックナーの交響曲の中で唯一「苦手」なのが第5番。なので、優秀な豊島区管弦楽団が演奏するというので、ぜひ聴かせていただきましょう、と出かけた次第。
素晴らしい演奏だった、ということが、この曲に不案内の私でも理解できた。
金管楽器群が抜群に優秀なので、聴き応え十分。弦もとても良く、例えば第1楽章55小節からのヴィオラとチェロによるメロディー部分や、109小節からの第1ヴァイオリンによるメロディーも魅力的だった。終始安定感と集中力と迫力のある演奏で、私はこの曲が素敵な曲であることを初めて知った気がしたくらいだった。
それにしても、と思うのは、こんなに素晴らしいブルックナーを演奏できるオケなのに、ベートーヴェンが平凡なのは残念。
ブルックナーの5番の素晴らしさを教えてくれたことに感謝するとともに、ベートーヴェンこそが最も難しいのだ、ということを改めて実感し、認識するコンサートだった。
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東京バロック・スコラーズの第20回演奏会を3月30日午後、武蔵野市民文化会館(大ホール)で拝聴した。
曲はバッハの『マタイ受難曲』。指揮は音楽監督の三澤洋史さん。
管弦楽が東京バロック・スコラーズ・アンサンブル。ソリストは、
福音史家:畑 儀文
イエス:加藤宏隆
ソプラノ:國光ともこ
アルト:加納悦子
テノール:谷口洋介
バス、ユダ、ペトロ、ピラト、大司祭:萩原 潤
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オーディションで入団するアマチュア合唱団なので、人数も限定されているようで、この演奏会でも、
第1コーラスと第2コーラスのそれぞれが
ソプラノ11名、アルト10名、テノール6名、バス6名(×2の)66名。
音響が特別良いわけではないホールにおいて、バランスが良く、一人ひとりの熱い思い入れも十分伝わる、立派で素晴らしい合唱を聴かせてくれた。
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ソリストも皆さん素晴らしかった。まず、なんと言っても
福音史家=エヴァンゲリストの畑 儀文(よしふみ)さん
完璧な技術による美声には明るさと温かさがある。一定の厚みのある細過ぎない声。何より素晴らしいのは、どのフレーズにおいても「血の通った美声」である点。福音史家という立ち位置ではあるが、もしやイエスではないかと錯覚してしまうほど人間味があり、感情移入が豊かでドラマティックなレチタティーヴォの連続で、本当に素晴らしかった。第2部での「ペトロは外へ出て、激しく泣いた」の部分では、会場が静まり返った。
現代最高のエヴァンゲリスト(少なくともその一人)だろう。
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イエス役の加藤宏隆さん
先日の読売日本交響楽団の『ヴォツェック』でも重厚な、素晴らしい低音を聴かせてくれた加藤さんのイエスも素晴らしかった。厚みだけでなく、発声音に幅の広さも感じさせる威厳あるバス。声量も申し分なく、まだ若いはずだが、これほどまでに安定感と威厳のあるイエスをこの若さで歌える歌手はそうそういないだろう。実に素晴らしかった。
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バス、ユダ、ペトロ、ピラト、大司祭という4役の萩原 潤さん
萩原 潤さんも先日の『ヴォツェック』で魅力ある声を聴かせてくれたが、今回はバスソロも含めての4役なので出番も多く、それぞれが大事な役所なので、この日こそ萩原さんの温かく品の良い美声を堪能させていただいた。
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アルト:加納悦子さん
大ベテランの加納さんの安定感と深みのある、気品のあるアルトが素晴らしかった。
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ソプラノ:國光ともこさん
澄んだトーンと深い表現力が印象的だった。
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テノール:谷口 洋介さん
ごくわずか声が裏返る場面もあったが、大勢に問題なく、伸びやかな美声を聴かせてくれた。
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東京バロック・スコラーズ・アンサンブル
モダン楽器による優れた演奏を聴くと、古楽器で演奏する必要性を全く感じない。
このアンサンブルのコンサートマスターは、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスター近藤 薫さんで、第2オーケストラのトップは、群馬交響楽団のコンサートマスター伊藤文乃さんと、優れたトップを置き、安定感抜群の演奏を展開した。
ヴィオラ・ダ・ガンバの羽川恵子さんも、テノールとバスのアリアにおいて、素晴らしいサポートをされ、終演後に大きな拍手を受けていた。
第49曲のソプラノソロによるアリアにおけるフルートのソロも実に美しく、素晴らしかった。
第52曲のアルトによるト短調のアリアにおける第2オーケストラのヴァイオリン群の、10小節のCisの音(後半の同じ音型でも同様)と、11小節のDの音(後半の同じ音型でも同様)の響きの美しさも印象的だった。
第60曲でのアリアにおける2人のオーボエ・ダモーレ演奏も見事。
このように、終始、優れた演奏により、ソリストと合唱を支えていた。
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第1部でプラノ・イン・リピエノを務めた東京大学音楽部女声合唱団コーロ・レティツィアの10名は、もう少し声量が欲しい感じもしたが、清潔感ある歌声を聴かせてくれた。
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指揮の三澤洋史さん
自信と愛に溢れたダイナミックな指揮で、素晴らしかった。
昔、クリストファー・ホグウッドから古楽演奏のノウハウを学ばれた三澤さんだが、「この曲のスコアに潜むドラマは、様式感や楽器の制約をはるかに越えて、全ての時代の聴衆に熱く語りかけようとしている。それに気が付いて以来、私は再びモダン楽器を取った」とされており、モダン楽器オケにおける入念で自信に満ちた演奏を提示された。
以前の演奏で、今は亡き礒山雅さんから、「次この曲を演奏する時に、これ以上の演奏をどうやったらできるのか?」と絶賛された三澤さんが、「やってみせましょう」と臨まれた今回の演奏会。もし、再度、礒山雅さんか聴かれていたら、改めて賛辞を送られたことだろう。
素晴らしい『マタイ受難曲』の演奏会に感謝したい。
工夫された企画による挑戦的なプログラム
小林沙羅さんと福間洸太朗さんによる「ドイツ・リートへの誘い」第2回(全3回)を3月29日午後、昨年の第1回と同じ会場であるフィリアホールで拝聴した。
今回は同じ詩(タイトル)に作曲した2人の作品を連続して演奏することも含めた、斬新な企画がユニークで魅力的だった。演奏曲は、
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1.メンデルスゾーン:歌の翼に
2.メンデルスゾーン:ズライカ
3.シューベルト:ズライカII
4.シューベルト:魔王
5.レーヴェ:魔王
6.歌曲集『女の愛』
(休憩)
7.ブラームス:エオリアンハープに寄せて
8.リスト:ローレライ
9.ピアノソロでシューマン=リスト:春の夜
10.シューマン:歌曲集『女の愛と生涯』
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個別の感想の前に
小林沙羅さんも、失礼ながら、間違いなく年齢を重ねているはずだが、それを全く感じさせないどころか、益々「童声」のようなピュアさが増している感があることに驚く。どうしたことかと思うほどに、個性的で清涼感ある歌声が年齢に関係なく持続されている。いや、声が少女に戻っているのではないかと思うほどの清潔感と純度が増した美声がホールにひろがる。その中で、クレッシェンドのフレーズや、エスプレッシーヴォを増す部分では「大人な声」がヒュッと色気を伴って表出される点に、個性と魅力を感じる。
この日のプログラムで、とりわけ、その独特の個性が大きな美点と魅力として表出されたのは、プログラム最後のシューマンの『女の愛と生涯』だったし、演劇性をも伴っての表現力の凄さという点では、最後に記載のとおり、アンコールの3曲がいずれも見事だった。
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ところで、ドイツ・リートでは詩の解釈と単語を含めた表現が重要だし、オペラとは異なる「物語性」を表出しなければならないという難しさがあると思うが、小林沙羅さんは、学生時代から取り組んできた日本語の現代詩に対するアプローチが、言語や時代が異なるとはいえ、結果的にドイツ・リートの歌唱においても、様々なニュアンス(場面)における果敢な表現や、アプローチそのものにおける誠実さという根源的なことも含めて、大いに役立っているような印象を今回強く受けた次第だった。
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1.メンデルスゾーン:歌の翼に
ハイネの詩による有名な曲。歌曲集『6つの歌』Op.34からの曲。
幾分速めのテンポで、いや、生き生きとした流れの良いテンポでの歌唱で開始された。
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2.メンデルスゾーン:ズライカ
同じく歌曲集『6つの歌』からの、マリアンネ・フォン・ヴィレマーの作詩による曲は、せつないような哀愁感が印象的。
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3.シューベルト:ズライカII
ヴィレマーの作詩によるシューベルトの「ズライカⅡ(西風)」は、軽妙な流れを基調としており、メンデルスゾーンと全く違う印象を抱いたのが面白かった。なお、参考事項としては、シューベルトには「ズライカⅠ(東風)」という曲もあり、作詩者は同じだが、内容は違うし、当然、曲想も全く違うもの。
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4.シューベルト:魔王
言うまでもなく、ゲーテの詩による有名な歌曲。福間さんのパッション全開のピアノに乗っての沙羅さんの歌唱は、4人の登場人物の色分けが巧で、とりわけ、子供のトーンと表現、魔王のトーンと表現が印象的だった。
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5.レーヴェ:魔王
カール・レーヴェ(1796~1869)は、シューベルトとほとんど同時期に、この曲を完成させていたとされる。歌曲集『3つのバラード』Op.1からのこの曲は、8分の9拍子という(大きく分けると)3拍子を主体としており、シューベルトほどの劇的で動的な進行パワーはないものの、シューベルト同様に4人の旋律設定は巧みで、十分楽しめる曲。歌手による最後の音が、主和音の中の音とは違う音で「tot」と発せられるのも印象的。
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6.レーヴェ:歌曲集『女の愛』Op.60
フランス出身のドイツの作家&詩人のアデルベルト・フォン・シャミッソー(1781~1838)が1830年に書いた詩集『女の愛』に基づく曲。シューマンは『女の愛と生涯』とした。
これについては、後段のシューマンのところで、対比的に記載したい。
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休憩後の後半はブラームスから。
7.ブラームス:エオリアンハープに寄せて
歌曲集『5つの歌』Op.19からの曲で、調性が移ろうようなトーン変化、曲想変化が魅力的だった。
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8.リスト:ローレライ
ハイネの詩による歌曲で、後半のダイナミズムが印象的だった。
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9.シューマン~リスト編曲『春の夜』
福間さんのピアノソロでシューマンの歌曲をリストがピアノソロ用に編曲。
波あるいは花びらがキラキラと漂うかの様な、独特のロマン性ある曲にリストがアレンジ。
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10.シューマン:歌曲集「女の愛と生涯」
レーヴェがシャミッソーの原詩に基づいて作曲した『女の愛』は、9編目を含めて全詩に作曲されたのに対し、シューマンは『女の愛と生涯』とし、9つ目の「かけがえのない日々の夢も」をカットしている。
なお、以下のタイトルは小林沙羅さんによる。彼女は今回も自らによる訳詞をプログラムの別冊として配布された。
(1)「彼と出会ってから」
レーヴェもシューマンも、穏やかさを感じさせる点で共通していた。
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(2)「彼は誰よりも素晴らしい」
レーヴェは、古典的フォルムの中で、明るさと落ち着きのある曲想。
シューマンは、恋の情熱を感じさせる曲。
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(3)「わからない、信じられない」
レーヴェは、割と冷静さのある曲想。
シューマンは、困惑感を露わにした曲想。
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(4)私の指にある指輪よ」
レーヴェは、しっとり感が良い。
シューマンも、抒情的で幸福感のある曲。
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(5)「手伝って 妹たち」
レーヴェは、躍動感が印象的。
シューマンも同様で、生き生きした感じの曲。
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(6)「優しい人、あなたは私を見つめる」
レーヴェは、冷静な穏やかさを感じさせる曲。
シューマンは、「語り」を感じさせる曲想で、終わりの優しさも素敵。
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(7)「私の心に私の胸に」
レーヴェは、親しみ易く、優しさのある曲。
シューマンは、快活さが印象的。
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(8)「今あなたは私に初めての悲しみを与えた」
レーヴェは、短調コードによる、慟哭のような悲しみを湛えた曲。
シューマンは、同様ではあるが、レチタティーヴォのように歌われる曲想が印象的。
なお、シューマンにおける終曲であるこの曲での、ピアノソロによる後奏である長いエンディングがとても印象的で感動的だった。
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(9)「かけがえのない日々の夢も」
レーヴェにおける終曲は、追憶のような素敵な曲。
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アンコールは次の3曲
1.シューベルト:野ばら
沙羅さんは、可愛らしくではなく、ゲーテの詩にある辛辣さ、暴力的な残酷さを伝えるドラティックな歌唱で、とても印象的だった。これこそ本質をとらえた名歌唱だと思う。
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2.リスト:ああ、愛しうる限りを愛せ(「愛の夢だ3番」原曲)
抒情的でスケール感ある曲想と歌唱。オペラのアリアを聴くような魅力がある歌唱だった。
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3.シューマン:献呈
流動感と生命力を感じさせる歌唱が素晴らしかった。
選曲の素晴らしさと、沙羅さんの歌唱力はもちろん、明るいキャラクターとステージマナナーの魅力により、沙羅さんのリサイタルを聴くたびに毎回、幸せな気分に浸らせていただき、帰途に着かせていただく。なんて魅力的な歌手なのだろうと、今回も改めて強く感じた次第だ。
なお、次回、最終の第3回は、来年3月7日(土)に決定している。今から楽しみだ。
山田耕筰、武満徹、一柳慧、後藤丹、細川俊夫、矢代秋雄
クァルテット・エクセルシオが、「日本の弦楽四重奏曲1」と題した演奏会を3月25日夜、鶴見のサルビアホールで拝聴した。「1」としているので、今後も何回か継続する企画と思うし、こうした企画こそ楽しみだ。今回の演奏曲は以下の曲。
1.山田耕筰:弦楽四重奏曲第2番
2.武満 徹:ア・ウェイ・ア・ローン
3.一柳 慧:弦楽四重奏曲第3番「インナー・ランドスケープ」
4.後藤 丹:朱鷺は輝く大地に
5.細川俊夫:開花
6.矢代秋雄:弦楽四重奏曲
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1.山田耕筰:弦楽四重奏曲第2番
山田耕筰(1886~1965)が東京音楽学校在学中の1907~08年ころの作品。第1番が未完に終わったので、作曲家唯一にして、日本人が書いた初の弦楽四重奏曲。
明るく爽やかな、ロマンティックな5分ほどの曲。
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2.武満 徹:ア・ウェイ・ア・ローン
武満 徹(1930~1996)に東京クァルテットが結成10周年を期して委嘱。1981年2月にカーネギー・ホールにて初演された。
完全無調。繊細な強弱の連続は、いかにも武満らしい。豊麗さも潜んでいる。やや明るいトーンで終わるのも印象的。なお、終盤、第1ヴァイオリンの西野さんの楽譜が譜面台から落ちるというアクシデントが発生したが、幸いアンサンブルの最中ではなく、一瞬の間を置いて、第1ヴァイオリンからスタートする場面(の直前)での落下だったので、5~6秒くらいの空白は生じたものの、演奏全体に影響はしなかった。ということは、と、帰宅後に確認すると、残り3分の1を残した165小節から再開されたのだったと思う。
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3.一柳 慧:弦楽四重奏曲第3番「インナー・ランドスケープ」
一柳 慧(1933~2022)は弦楽四重奏曲を5曲書いたが、第3番は中でも代表作とされるもので、1994年の作品。
完全無調。グリッサンドやリズムに特色がある。各楽器が、それぞれ独自の役割を担っているという印象を受ける。一柳さんの作曲能力の凄さを改めて感じる作品。
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4.後藤 丹:朱鷺は輝く大地に
後藤 丹(まこと)さん(1953~)は、上越教育大学・大学院の教授を務めるなど、新潟を拠点とした活動を続けている作曲家。この曲は、TOKI弦楽四重奏団の委嘱で2009年に作曲し、2022年の再演に際して改訂された作品。
調性が明確に在る曲で、冒頭から民族音楽的な印象を受ける。エンディングも美しく終わる。後藤さんが来場されていたので、終演後、大きな拍手を受けていた。休憩後の後半は細川さんの曲から。
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5.細川俊夫:開花
細川俊夫さん(1955~)が、ケルン・ムジークからの委嘱を受けて作曲し、東京クァルテットにより2007年3月に初演され、同クァルテットに献呈された。蓮の花の開花を描いた作品。
完全無調。冒頭から長い持続音が続き、そうした無機質なロングトーンやグリッサンド、スル・ポンティチェロ奏法による荒々しい音等により、静寂から開花への「動」を創っていく。独特の美しさも内包している曲。
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6.矢代秋雄:弦楽四重奏曲
矢代秋雄(1929~1976)は1951年、22歳の時、パリ高等音楽院に留学し、1956年に帰国したが、留学中の1954年の夏から翌55年の春にかけて、パリ高等音楽院の卒業作品として書いた曲で、留学中に完成させた唯一の曲。4楽章制を採る。
留学先で訃報に接した妹への追悼の思いも込めたとされるが、矢代さんは後年、この作品について語る時には、そうした個人的な事実に触れることは全くしなかったという。作品については、「フランス・アカデミックなものはつとめて避け、むしろ、バルトーク、ヒンデミット更にプロコフィエフなどに影響されたと自分で思っている」と語っている。
第1楽章のアダージョでは、冒頭、ヴィオラによって17小節に及ぶ長い旋律が提示される。アレグロ主部に入ると、マーチ性も含んでリズミカルに展開する。
第2楽章はスケルツォ楽章。全ての楽器が弱音器を付けて演奏される。デリケートさと諧謔性が入り混じっているような曲想。
第3楽章のアンダンテは、悲しげなコラールや、つぶやくような旋律等が表出される。特別に暗い印象は受けないが、エレジー的なテイストも感じる。アタッカで次の楽章に入る。
第4楽章のアレグロは、古典的な型での進行ながら、ショスタコーヴィチやプロコフィエフを感じさせるような、おどけたような曲想が続く。パワフルさと躍動感があり、明瞭な調性感と諧謔性も感じさせつつ、最後は消え入るように静かに美しく終わるのも印象的だ。
「さすが矢代さん」と思う曲。若くして、既に凄い力量があったのだなと、強い印象を受ける曲。
今後もこの企画コンサートが楽しみだ。
無茶振り~まさかのグリーグのピアノ協奏曲冒頭付き
日本フィルハーモニー交響楽団が桂冠名誉指揮者の小林研一郎さん(以下、コバケンさん)と展開している「コバケン・ワールド」のVol.39を3月23日午後、サントリーホールで拝聴した。演奏曲は
1.モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
2.リムスキー゠コルサコフ:交響組曲『シェエラザード』Op.35
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「コバケン・ワールド」は、2004年8月から「コバケン・ガラ」というタイトルで始まり、2012年6月より「コバケン・ワールド」と改名したシリーズで、コバケンさんが舞台から直接聴衆に語りかけるというトーク付き形式のコンサート。
恒例的に前半に協奏曲を置き、それが終わって休憩に入る前、ソリストを交えてのトークタイムという構成のようで、今回も後述のとおり、コバケンさん以外では有り得ないような面白く、驚きのハプニング付コーナーとなり、聴衆を楽しませた。
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1.モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
ピアノは田部京子さん。第1楽章ではまずオケの開始の「P」が良い感じ。そして77小節から91小節までのピアノのソロによるテーマの提示で、田部さんは既に最初の4小節間で哀愁を帯びた物語を表出していた。これぞ名ピアニストのなせる業だ。その後はレガート、スタッカート、強弱等を弾き分けながら、絶妙でニュアンス豊かな表出が続いた。1音1音にまろやかさとソフトな温もりがあるのも魅力的。230小節から254小節における、分散和音により音階を上下行き来する展開部でのアグレッシブ感も素晴らしい。ベートーヴェンが作曲したカデンツァが聴きものだった。カデンツァの後半に入るとき、田部さんは~2秒くらいの~大きな間合いを置いた。実に印象的な「間」だった。その「無音の音楽空間」の素晴らしさ。
第2楽章は、テンポ自体はスッキリとした、モタレない運びの中で、テヌート、レガートとスタッカートなどを織り交ぜたドルチェ感とエレガントな愉悦の世界が創出されていた。
第3楽章のピアノソロによる開始では、十分なパッションながら、3小節目や7小節目の属七和音も、決して鋭くなり過ぎないよう音量と強弱の配分がなされていた。この楽章でも、ベートーヴェン作曲によるカデンツァが印象的で、カデンツァ後半に入るとき、第1楽章ほどの長さではではなかったものの、絶妙な間合いを置いたのが魅力的だった。古典的フォルムの中における、ロマン性豊かな名演だった。
なお、オケでは、後述の『シェエラザード』でも述べるが、フルートのソロが終始魅力的だった。
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盛大な拍手と歓声に応えてのアンコールは、グリーグの抒情小曲集より「春に寄す」。デリケートさとスケール感が共存するような、清冽な演奏。
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「ワールド」なタイムコーナー
休憩に入る前のここからが、先述の「コバケン・ワールド」の特色あるコーナー。
マイクを手にしたコバケンさんが田部さんに、「今のアンコール曲についてお話ください」。
田部さん~「今弾いた曲は、グリーグの抒情小曲集より「春に寄す」で、この時期に相応しい曲ということで、演奏しました」。
田部さんは、宗次ホールなどの、こじんまりしたホールでのリサイタルでは、終わりにアンコール曲についての言及を含めた挨拶をされることがあるが、大ホールでのコメントは珍しいので、この日、このときに、田部さんの肉声を初めて聴いたという人も多かっただろうと想像する。
コバケンさん~「もう1曲、モーツァルトの曲を弾いていただけますか?」
田部さん~「どうしましょうか」と言う感じで考えていると、コバケンさん~「そうだよね、急に言われてもねえ、ゴメンね」。
ここで終わりかと思いきや、まだまだ続く。
コバケンさん~「以前、京都で共演しましたね。京都には、このコンサートをご支援いただいているローム(株式会社)さんがあります」として、これからもよろしくお願いしますと感謝の発言をされた。
この点を注釈すると、「コバケン・ワールド」の助成団体がローム株式会社を母体とする財団法人ロームミュージックファンデーションであり、第1 回から「ROHM CLASSIC SPECIAL」として支援していることに対する御礼だった。その後、
コバケンさん~「あのときは、グリーグの協奏曲でしたね。今、ちょっと弾いていただけますか?」と驚きの発言。技術的はともかく、シチュエーション的に有り得ない無茶振り、考えられないリクエストなので、会場は爆笑。
田部さんとティンパニストは一瞬驚くも、ティンパニの見事なトレモロクレッシェンドとオケのイ短調和音トゥテイに続き、田部さんが即興で見事に冒頭のカデンツァを弾き、再びブラヴォーの嵐。
確かに、まさかの展開による「コバケン・ワールド」で面白かった。
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休憩後の後半は、
2.リムスキー゠コルサコフ:交響組曲『シェエラザード』Op.35
1888年作のこの曲自体、久しぶりに聴いたが、改めてオーケストレーションの巧みさに驚く。ソロは日本フィルハーモニー交響楽団ソロ・コンサートマスターの木野雅之さんで、終始、素晴らしいソロを聴かせてくれた。
そして同団も例外なく若返りしており、フルート群はピッコロを含めた3人が女性で、特に第1奏者がコンマス同様、終始、素晴らしいソロを聴かせてくれたし、第1ファゴット(女性)や第1クラリネットのソロも見事だった。金管楽器群とパーカッション群も優秀で、大いに楽しめた。
第1楽章「海とシンドバッドの船」
ヴァイオリンのソロとハープはもちろん魅力的だが、他の3つの楽章に比べると、旋律も展開の構造や音色の魅力も、いささか薄い感じのする楽章。
第2楽章「カランダール王子の物語」と第3楽章「若い王子と王女」は名曲だと思うし、第4楽章「バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲」では、パーカッション群を含めたオーケストレーションの凄さを改めて感じる。
コバケンさんの「オハコ」の1つだし、オケの演奏はどの楽章も素晴らしかった。第3楽章はとてもゆったりと開始し、とりわけ最初の1小節における大きなテヌート感が印象的で素晴らしかった。
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長く盛大な拍手と歓声が続く中、コバケンさんは木管と金管の各パートに歩み寄って、それこそ、その全員と握手していた。もちろん、ハープを含めて、パートごと個別に立たせて拍手に応じるようにしていた。そして、再びマイクを手にし、「子供のころ、どこからともなく聞こえてきた」という思い出話を披露し、「その、カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲をお聴きいただき、家路についていただけたら、と思います」として、いつ聴いても感涙を禁じ得ないほど素晴らしい名曲であるマスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲が~序奏部は極めてゆったりと、後半の主部は割とスッキリしたテンポにより~演奏され、このコバケンさん色一色の、楽しいコンサートが締めくくられた。
ハイドンの天才を証明する傑作オラトリオ
湘南フィルハーモニー合唱団の創立40年記念、第31回演奏会を3月15日午後、ミューザ川崎シンフォニーホールで拝聴した。
音楽監督の松村 努さん指揮、グロリア室内オーケストラによる演奏曲およびソリストは、
ハイドン:オラトリオ『四季』
ハンネ:隠岐彩夏(ソプラノ)
ルーカス:櫻田 亮(テノール)
ジーモン:青山 貴(バス)
チェンバロは同合唱団のピアニスト織田祥代さん
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湘南フィルハーモニー合唱団の演奏について
創立40年記念公演なので、最初に合唱に関する感想を概要として書くと、「終始、バランスの良い、美しく温かさのあるトーンに満ちた素晴らしい演奏だった」ということに尽きる。
プログラム記載のパート別参加人数では、ソプラノ44名、アルト42名、テノール16名、バス19名と、男声がやや少ないのだが、アンバランス感は全く感じさせず、音響の素晴らしいミューザ川崎シンフォニーホール一杯に拡がるトーンが実にソフトで美しく、4パートの響きのバランスも、申し分なく素晴らしかった。
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オラトリオ『四季』について
全曲の完成は1801年初頭ころで、初演は同年4月24日。台本は『天地創造』に続きスヴィーテン男爵によるもので、スコットランドの詩人ジェームス・トムソンの4部からなる長大な叙事詩『四季』を基に、オーストリアの農村を舞台としたドイツ語の台本。
『四季』と言っても、ヴィヴァルディの曲のような自然描写を中心に置いた曲ではなく、前作『天地創造』が、ガブリエル、ウリエル、ラファエルという大天使たちと、アダムとイブ(エヴァ)により神の御業を讃えた作品だったのに対し、『四季』は、小作人シモン、その娘ハンネ、若い農夫ルーカスたちの農村における日常、自然の中での恋愛を含めた感情や生活が中心に置かれた作品だが、『天地創造』のあと、楽園を追放された人類の暮らしを四季の移ろいの中で描いたという点で、ストーリーとしては『天地創造』に続く作品としての一貫性を有しているが、人間の感情や生活にスタンスを置いている点から、よりエンターテインメント性を増した、オペラティックな色彩を持ったオラトリオとも言えるだろう。
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曲数という構成について
使用する楽譜や分類における考え等により、曲数という概念と構成解釈が統一されていないようで、「春8曲、夏10曲、秋10曲、冬11曲の合計39曲から構成される」という解説も多いし、プログラムの別添として配布された歌詞パンフもそういう内容だったが、プログラムの本文においては、団員による詳細な解説が記載されており、それによると、ペータース版の楽譜に基づく構成として、「春9曲、夏10曲、秋11曲、冬11曲の全41曲」とあり、「曲番号も(別添と違う)ペータース版で記載」とあるので、後述の「物語の中で、特に印象的だった場面について」における曲番号も、本文と同じペータース版での番号で記載したい。
ちなみに、DOVER社のフルスコアでは、「春9曲、夏11曲、秋11曲、冬13曲の全44曲」として分類分けしている。
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楽器編成について
改めて驚くのは、『天地創造』と同じく、コントラファゴットと、3人のトロンボーンを用いていることだ。モーツァルトも『ドン・ジョヴァンニ』や『魔笛』で3人のトロンボーンを用いているが、これに、コントラファゴットが加わるとなると、これはもう、ベートーヴェンの交響曲第5番俗称「運命」とほぼ同じことになる(あとはピッコロの有無の違いだけ)。
もっとも『四季』でのトロンボーンの出番は少ないし、特にコントラファゴットはごくわずかではあるが、そうであっても、いわゆる古典派の時代に、交響曲ではなく、オラトリオという大規模な物語音楽における使用とはいえ、ハイドンの創造力の壮大さ、構成力、設計センスの凄さを示すとともに、ベートーヴェンを先取りしている点においても、ベートーヴェンはハイドンの後継者であることをも象徴しているとも言えるだろう。
後述のように、歌においては、恋のオペラアリアの要素を取り入れていることも含めて、後の世のオペラの構成や要素をも内包した、凄いオーケストレーションを設計、設定しているのだ。
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3人のソリストについて
個別に少し書き、曲順の中でも場面に応じて記載したい。
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ハンネ役の隠岐彩夏さん
久しぶりに聴かせていただいたということもあるが、今回、最も強く魅了されたソリストが隠岐彩夏さん。以前拝聴したのは、旧姓の村元彩夏さん時代だったと思うし、そのころも透明感ある美声に惹かれたが、この日も、力みの皆無な、自然体で、真っすぐに伸びて行くような発声が実に美しく、透明感と清涼感と気品のある美声が素晴らしかった。
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ルーカス役の櫻田 亮さん
2月の東京アカデミー合唱団による『マタイ受難曲』で、素晴らしいエヴァンゲリスト役を歌われた櫻田 亮さん。もちろんこの日も素敵な歌唱で素晴らしかった。
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ジーモン役の青山 貴さん
青山 貴さんも、いつもながらの慈愛とも言える、温かな質感の歌声が素敵だった。
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物語の中で、特に印象的だった場面について
第1部『春』
第2曲~春を願う村人たちの合唱
明るくソフトなトーンの合唱が素晴らしい。テノールパートの軽やかさも印象的。
第9曲~神への讃歌の合唱
『春』のエンディングに相応しい充実の合唱。
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第2部『夏』
第12曲~「太陽の讃歌」の合唱
生き生きとした溌剌感が良かった。
第16曲~ハンネのアリア「何という爽やかな感じでしょう」
隠岐彩夏さんの歌唱の素晴らしさ。
第18曲~嵐の合唱
迫力満点の合唱。申し分なく素晴らしかった。
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第3部『秋』
第24曲~ルーカスとハンネによる愛の二重唱
もうこれはオペラにおける愛のアリア、二重唱と言える。
第28曲~村人の狩人たちの合唱
この曲では、スコアどおりに2人から4人に増やしてのホルン群の迫力と明るいトーンが素晴らしかった。
第30曲~収穫の宴における合唱
『秋』を締めくくる陽気な合唱が素敵。この曲でのみ使用されるタンバリンとトライアングルも印象的。
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第4部『冬』
第33曲~ルーカスによるレチタティーヴォと、それに続く第34曲アリア
シューベルトの『冬の旅』を先取りするかのような魅力的な場面。
櫻田 亮さんによる心に染み入る素晴らしい歌唱。
第36曲~合唱付きリート「くるくる回れ」(糸紡ぎの歌)
ゴットフリート・アウグスト・ビュルガーによる詩「糸紡ぎの歌」に基づく曲。連続する第38曲~合唱付きリート「ある時、名誉を重んずる娘が」と共に印象的な場面で、正に俗世間がよく出ているし、後者での、合唱が「ハッ、ハッ」と応じる内容も面白い。
第39曲のレチタティーヴォと、それに続く第40曲 アリア「これを見るが良い、惑わされた人間よ」
ここも、「もう一つの『冬の旅』の先取り場面」と言える部分。
青山 貴さんによる、しっとりとした哀感を込めた歌唱が素晴らしかった。
第41曲~三重唱と合唱「それから、大いなる朝が」
ソリストと合唱による、壮大な感動のエンディング。
ハイドンの偉大さ、天才を改めて感じる公演であり、ソリスト、合唱、オーケストラのいずれも司馬らしい演奏を楽しめたコンサート。指揮者の松村 努さんに、改めて敬意を込めた拍手を送りたい。
入念入魂のマーラー9番と小林沙羅さんによる可憐で新鮮な「愛の死」
群馬交響楽団の東京定期演奏会を3月13日夜、東京オペラシティ コンサートホールで拝聴した。
指揮は飯森範親さんで、演奏曲は2曲。
1.ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲」と「愛の死」
2.マーラー:交響曲第9番
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1.ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲」と「愛の死」
「前奏曲」
第1幕への前奏曲を、飯森さんはとても丁寧に指揮した。その分、この「ドロドロしたオペラ」が「これから始まるぞ」というワクワク感がやや薄れたかもしれない。また、冒頭からの3回にわたるチェロパートによる6度飛躍からの旋律では、アップ&ダウンのボーイングに関して、3回とも必ずしも全員がピタリと揃って弓を返していないような印象を受けたし、オーボエのソロに、もう少しレガート感があると良いなと思った。
「愛の死」
東京オペラシティのステージは狭いので、小林沙羅さんがどう登場して、どこで歌われるかは、演奏前からの関心点の1つ。前奏曲がエンディングに向けて消え入るように進行する中、しずしずと沙羅さんが入場し、指揮者とコンマスの間の位置に立ち、「Milt und leise~」と歌の開始。
小林沙羅さんの歌声は可憐でピュアな声質だから、一般的に多くの人が抱くイゾルデのイメージとは随分違う。ドラマチックソプラノの歌手により歌われることが多いこの曲を、リリックソプラノの声質で歌うわけだから、必然的に一定の「苦労」を伴うのだが、過去の名盤等にそうした例が無いわけではない。
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私が直ぐに思い浮かぶのは、カルロス・クライバー盤でのマーガレット・プライスだ。実際、今回の沙羅さんの歌唱から受けた印象は、私が知る範囲においては、マーガレット・プライスの声質が沙羅さんに最も近く感じられ、似ていると思った。
クライバーから「イゾルデを歌って欲しい」と打診されたプライスは、「歌えません」と、一度は断ったそうだが、今回のケースは全幕の全曲ではなくて「愛の死」だけとはいえ、断らずに「やってみます」と挑戦するのが小林沙羅さんの沙羅さんたる所以(ゆえん)だ。自分の声質からすると大変な曲であることは、沙羅さん自身は百も承知ながら、持ち前のチャレンジ精神で挑まれていることは容易に想像がつくし、その飽くなき探求と挑戦により、現代詩と現代曲を含めた幅広いレパートリーを獲得してきたこと自体が、沙羅さんの素晴らしい面でもあるのだ。
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よって「愛の死」の開始は、まるで、パミーナが「イゾルデも歌えます」として歌い始めた印象を受けたし、プッチーニも感じさせながら、最後はシューマンをイメージさせる印象を私は覚えたりもした。
「愛の死」開始後28小節目から、感情移入の凄みも出て来たが、43小節目以降は壮大なオーケストレーションが展開するし、このホールのステージは狭いので、オケの音量調整が難しいためか、クライマックスでは声量的に厳しい場面が生じ、スタジオ録音によるオンマイクで歌ったプライスほどには、オケを飛び越えて声が客席に届いて来なかったのは確かだが、それでも、「Fis」の音で「Lust!」と歌う、歌の最後の1小節間は、清涼感と陶酔感に満ちた素晴らしい1小節間だった。
このように、ドラマチックソプラノによるイゾルデのイメージを覆すトーンと歌唱という点でユニークであり、とても新鮮で、その新鮮さは多くの聴衆に届き、終演後は盛大な拍手とブラヴォーが飛んでいた。
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2.マーラー:交響曲第9番
第1楽章
4節目のホルンは遅れることなくピタリと入り、6小節4拍目から第2ヴァイオリンにより開始される第1テーマのその最初の「Fis」の音に、たっぷりとテヌートをかけて開始。17~18小節における第1ヴァイオリンが入る場面でも、大きく間合いをとって、ニュアンス豊かに繋げたのは素晴らしい。こうした大きな間合いをとる演奏は最近少ないように思える。
それ以降、場面に応じて緩急自在にテンポを動かし、ニュアンスの変化を付けながらの、メリハリのある演奏が素晴らしかった。
314の3拍目から322小節におけるトロンボーン群の迫力も素晴らしかったほか、376小節からの室内楽的な場面では、特に382小節からのフルート、ホルン、チェロ、コントラバスの合奏におけるフルートのトーンが驚くほど美しくて素晴らしかった。フルートの美しさに関しては423小節から434小節にかけて降りて来る部分も同様。
このように、全体としても随所にニュアンス豊かな表情付けとテンポ変化等が施された第1楽章で、名演だと思う。
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第2楽章
力みが皆無で、キビキビ感と爽やかさのある演奏だった。
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第3楽章
唯一、惜しまれたのはこの楽章のトランペット。冒頭が不明瞭だったので驚いたし、スケルツォ的な楽章と考えた場合、トリオの場面とも言える中の、352~359小節間や、372~381小節間におけるトランペットソロも美しいとは言いかねる内容だったのが残念。それ以外は、十分な力感と情熱をもって進行した。
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第4楽章
冒頭は入魂の、思い入れたっぷりの開始。最近はアッサリとした入りの演奏が多いので、この入りには久々に感じ入った。もっともその後は、特別に粘りのある演奏というわけではなく、「モタレ」を感じさせずに、それでいて、レガートに徹していたため、情感豊かにして抒情性を湛えた演奏が続いた。
34~36小節におけるヴィオラのソロが素敵だった。スコアでは「PP」だが、明瞭に客席に届く音量でニュアンス豊かに奏された。
そして、迫力の点でクライマックスと言える第1と第2ヴァイオリンによる122小節からの、とりわけ123~125小節における「FFF」が入魂の演奏で、迫力ある充実度が素晴らしかった。
全体としては、飯森さんは丁寧に端正に進めながらも、演奏には常に温かさがあり、弦楽器群の演奏力を信じ、それに委ねながらの展開は、指揮者とオケの信頼関係さえ感じさせる素晴しい演奏が続いた。
そして、ミュートを付けたセカンド・ヴァイオリンから開始する「Adagissimo」からは、ゆったりと、しっとりと、密やかに、祈りを込めるが如く、誠実にして静謐なエンディングを創り、素晴らしい余韻を保ったまま終わった。
音が消えた後も、飯森さんは長い沈黙を保ち、それ自体も、とても感動的だった。
ヴァイグレ&読響によるベルク『ヴォツェック』
充実の公演。特にマリー役とテノール歌手陣の素晴らしさ
常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレ指揮、読売日本交響楽団の第646回定期演奏会を3月12日夜、サントリーホールで拝聴した。演奏曲は、演奏会形式による
アルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』Op. 7。
素晴らしい演奏だったが、当初予定されていたヴォツェック役のマティアス・ゲルネ氏は、「本人の都合により出演できなくなりました」とのことで、プログラムやポスターは新たな出演者で印刷されていたから、数か月単位以前の変更だったのだろうけれど、結果的には後述のとおり、私としては、ぜひともゲルネ氏で聴いてみたかったと思った。
まず、出演者を列記した後、この作品自体に関する特色や私の感想を記載し、最後に素晴らしかった本公演の演奏について感想を記載します。
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ヴォツェック:サイモン・キーンリーサイド(バリトン)
マリー:アリソン・オークス(ソプラノ)
大尉:イェルク・シュナイダー(テノール)
鼓手長:ベンヤミン・ブルンス(テノール)
アンドレス:伊藤達人(テノール)
医者:ファルク・シュトルックマン(バス)
マルグレート:杉山由紀(メゾ・ソプラノ)
第一の徒弟職人:加藤宏隆(バス)
第二の徒弟職人:萩原潤(バリトン)
白痴:大槻孝志(テノール)
合唱:新国立劇場合唱団、TOKYO FM 少年合唱団
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作品について
オペラ史、西洋音楽史における偉大な傑作だが、それは無調を基盤とした(しているにもかかわらずの)優れた作品だから、ということだけではない。そもそもこのオペラは、100%完全無調というわけではない。管弦楽においては開始直ぐの「田園」のパロディのような旋律を始め、ダンスの場面におけるワルツ的要素を含めて「メロディー」(少なくともその類)は多々存在する。無調を基盤にしながらも、調性も時に明瞭に、時に密やかに配合しながら、巧みに入念に構成した点に、この作品の素晴らしさ、完成度の高さがあると言える。それでも、もちろん演奏が大変なことは言うまでもない。複雑多岐にして無機質な音の多用に加え、多くの楽器を要するにもかかわらず、室内楽的精緻さが求められる。
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この作品の凄さは、一見ならぬ一聴、オケと歌手が全く別個の音楽を奏しているようでいて、実は綿密で緻密な計算の基に構成され、ドラマティックな物語として展開していく、という構造の凄さに特色があると思う。もちろん歌手も、いや、歌手こそ大変で、「普通のオペラ」のように、歌手が歌うメロディーを、楽器が同じ旋律で(あるいはオブリガート的に)支えて一緒に演奏するという部分は皆無に等しいし、無機質なまでの無調性を主体とし、「美しいアリア」は無く、高音、低音をせわしなく行き来する複雑な音を「歌う」ことが求められる。歌と言うより、ほとんど、いわゆる「シュプレヒゲザング」(Sprechgesang)と言われる「歌と語りの中間に位置する歌唱技法」的な要素、あるいは、「シュプレヒシュティンメ」(Sprechstimme)という、もっと「普通の話し声」的な要素を基盤として進行する。要するに「不規則な無調音による対話劇」と言える。
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そして、オペラ史的、音楽史的には、バロック・オペラの誕生後、モーツァルトにより革命的進化と発展をした西洋歌劇が、リヒャルト・シュトラウスの巨大で豊麗なオペラに至った後、行く付くところまで行った作品、ヨーロッパの長い伝統の歴史の到達点としての無調を基盤とした作品であり、近現代における人間や社会の問題をシニカルに描きながらも、純然たる音楽作品としても極めて完成度の高い作品として成功させたという点で、傑作オペラだと思う。
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本公演に関する感想
ヴォツェック:サイモン・キーンリーサイド(バリトン)
英国人らしい紳士的で温かさも感じられる声で、小市民的なヴォツェックの役所を的確に示されていた。ただ、声量も含めて、もっと強いキャラクターを示して欲しかったと思った。このことから、当初に予定されていたマティアス・ゲルネ氏だったら、どういう印象を抱いただろうか、と想像してしまい、その点から、ゲルネさんでこの役を聴いてみたいと思った次第だった。
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マリー:アリソン・オークス(ソプラノ)
素晴らしい声量と高音の力強さ。第1幕第3場、第2幕第1場、第3幕第1場から2場にかけて、全てにおいて「叫び」を含めた迫力と技術の力量に感服。
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大尉:イェルク・シュナイダー(テノール)
第1幕第1場の主役は大尉だし、第2幕の第2場を含めて出番の多い重要な役を歌い、演じたシュナイダーさん。
体格はガッシリとしているが、声はいわゆる「性格テナー」で、カール・ベーム盤のゲルハルト・シュトルツェを連想したし、終演後にプログラムのプロフィール欄を確認すると、「2023年には、ドレスデンでミーメを歌い」とあったので、納得のシュトルツェ&ミーメ系の名歌手による名唱の連続だった。
マリー役のアリソン・オークスさんとともに、今回の公演を成功に導いた歌手。
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鼓手長:ベンヤミン・ブルンス(テノール)
美声による魅力的な鼓手長を歌い、演じた。
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アンドレス:伊藤達人(テノール)
デビュー間もないころから感心し、応援しているテナーの一人、伊藤達人(たつんど)さんは、この日も絶好調で、重量級の外人歌手陣の中でも負けることなく、第1幕第2場から登場するこの重要な役であるアンドレスを歌われた。高音の充実感が素晴らしかった。
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医者:ファルク・シュトルックマン(バス)
ベテランのバス歌手、シュトルックマンさんは、存在感溢れる医者役を歌い、サスガの感を示された。
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マルグレート:杉山由紀(メゾ・ソプラノ)
第1幕第3場の他、特に第3幕第3場におけるヴォツェックとのやりとり等、重要な役所を歌うマルグリートを、杉山由紀さんはソプラノに近い美しく透明な声で役割を果たされ、印象的だった。
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第一の徒弟職人:加藤宏隆(バス)
加藤宏隆さんも以前から注目しているバス歌手。この日も、重厚感ある格調高い、存在感ある歌声により、役割を見事に果たされた。
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第二の徒弟職人:萩原潤(バリトン)
表現力が素晴らしかった。
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白痴:大槻孝志(テノール)
白痴という「ぽさ」を、ユーモラス感をもって示され、秀逸で強い印象を聴衆に与えた。
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読売日本交響楽団
1925年12月14日にベルリン国立歌劇場でエーリヒ・クライバーの指揮によって行われた舞台初演に際して、そこに至るまで、「春の祭典」初演時のリハ回数120回を上回る、137回の稽古を必要としたというこの超絶的に難しいオペラを、読売日本交響楽団は終始、素晴らしい演奏を行った。日本のプロオーケストラは「ここまで来たのだ」という感慨を覚えるような、見事な演奏だった。
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セバスティアン・ヴァイグレさんの指揮
この難曲を統率し、指揮することが如何に大変なことかは言うまでもない。音感を含めて、リズム、楽器と歌との進行における音量を含めた室内楽的バランス感覚等、あらゆる能力が必要となるのだが、ヴァイグレさんは終始冷静にしてツボを心得た見事な指揮を示され、優れた指揮者であることを証明された素晴らしい指揮だった。
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新国立劇場合唱団
冨平恭平さん指揮(指導)による新国立劇場合唱団は、音程的にも難しいこの作品の合唱パートを、新鮮な響きと共にオルガン手前席から聴かせてくれて、素晴らしかった。サスガ、プロ合唱団だ。
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TOKYO FM 少年合唱団
最後に登場する児童合唱は、分量は少ないとはいえ、この難しい音程の場面を、マリーの子役を含めた4人のソロも含めて、驚くほど立派に役割を果たした。
マリーの子供が「Hopp~」と無邪気に歌う、この子供たちによる「明るく無邪気な場面」をベルクが最後に設定したことに、「世界を救うのは醜く汚れた大人たちではなく、純真な子供たちなのだ」という大きなメッセージを感じる。
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