2018年11月11日 (日)

コジ・ファン・トゥッテ 最低の演出 ニッセイオペラ

2018年11月 8日 (木)

コジ・ファン・トゥッテは傑作

岩崎恭子さんの離婚報道~他人である社会に謝る必要はない

2018年11月 5日 (月)

チャレンジする人を応援する~沖澤のどかさんの場合

10月14日、東京国際音楽コンクールの指揮部門で
1位と齋藤秀雄賞を得た沖澤のどかさんとは、
武蔵野合唱団在籍中に面識を得、指導も受けた。
私が退団後も、彼女の指揮するコンサートは何度も聴きに
行っている。
今年もオペラ「ヘンゼルとグレーテル」と、
やっとかめ室内管弦楽団のコンサートを聴いた。

武蔵野合唱団在籍時の4年くらい前だったか、
練習の帰りがたまたま一緒になり、吉祥寺から都心に
向かう中央線内で~たぶんそのまま継続して山手線内でも
 ~私は沖澤さんとずっと話しながら、語り合いながら帰った。

いろいろ話したと思うが、1つだけ鮮明に覚えているのは、
沖澤さんが指揮者という仕事について、

「一生をかけて取り組むに値する仕事だと思っています」

と言い切ったことだ。
車中だから淡々と控えめな口調だったとは思うが、
その力強く迷いの無い言葉が、とても爽やかで
逞(たくま)しい意志表明として、今も私の記憶の中に
強く在る。

チャレンジし続けないアーティストはいないだろうが、
それでも諸事情で断念せざるを得なかったり、
教職や家庭に比重を置く選択をせざるを得ない人も
いるだろうし、それはそれで各人の人生だと思う。

ただ、ファン心理としては、やはりオーディション等、日々、
地道にチャレンジしている人を、より強く応援したい、
と思うのは自然な感情で、人情だ。

それは、アーティストに限らず、どんな職業の人にも
様々な問題に日々直面し、濃淡はあっても、迷い、
乗り切ろうとする頑張りはしているものだから、
単にアーティストその人(および、その仕事自体)への
憧れだけでなく、生き様への共感と応援を含めて、
チャレンジしている人の姿や状況は、関心を抱いて
さえいれば、情報も含めて感じ取れるからだ。

若い沖澤さんにも、今後様々な局面が待ち受けて
いるだろうが、指揮者という仕事を
「一生を賭けて取り組むに値する仕事」
と覚悟を決めている彼女なら、きっと喜ばしい道を
歩んでいけるに違いないと思うし、
これからも応援していきたいと思う。
https://www.facebook.com/pg/ConductingCompetition/photos/?tab=album&album_id=571050499982371&__xts__%5B0%5D=68.ARDo-OW5BOyOe-Hg0ze83_uU6cdw1L3zSulKOYjpux2MNyxd5hLH6TP3g-L8xqFxCQBFgXf3EzOD8ak1iK9o8d5K_fuw6StpvBDo_Nt9xpiI1gXqPLUzWP0RG-q9WPdt80UaLi9R3ku7jBDZPXJ18iduv4NGpHBLUjZuhZxbVbeqfBuePUM6JrnWU9wVSEnvIEqsOSvebnPbym0TN2BLlWc&__tn__=-UC-R

2018年11月 3日 (土)

合唱団のソプラノの「ミ」の音程の悪さについて~合唱の不思議

私は先日の「千人」のような臨時編成の団も含めれば、
これまで7つか8つの合唱団で歌ってきた経験があるのだが、
そのほとんどの団で同じシーンを見ている。

それは、ソプラノパートが、五線紙の中の一番上のミ
 (2点ホ)の音で「低い」と指揮者につかまるシーンだ。
本当に、これまでほとんど全ての団でそういうシーンを見て
きたから、これは特定の団に限った現象ではないと思う。

実際、指揮者が指摘する前に、バスのパートにいる私は
 (私だけでなく、たぶん他のパートの多くの人も)、
その瞬間、ソプラノに対して「低いよ」と内心思うわけ。
「ミに上がりきっていない」のだ。
そのくせ、それより高い音、例えばそこから4度上の
ラ(A)とかだど、なぜか、あまりつかまらないから不思議だ。

なぜ、合唱団のソプラノの人たちは、
ミ(あるいはファも含めて)の音程が悪いのだろう?
ファに近づくのを意識して、それを避ける潜在意識から、
ミを低めにとろうとする意識が働くのだろうか?
「中途半端な高さゆえ、正確にとりにくい難しい音域、高さ」
なのかもしれない、と想像する次第。
つかまるたびに、
「まただよ、またかよ」と、いつも不思議に思う次第。

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これに関してフェイスブックでいただいたコメント

RHさん
毎回それを言い続けていますよ。
そこを直すとパーンと響くようになるのです。

FKさん
ソプラノの喉に起因します。ミとファの間あたりがちょうど
ヴォイスチェンジの場所になるため、最も不安定になり、
神経的にも辛いのです。
これをしっかり支えるにはやはり呼吸と腹筋ですね

MSさん
ミの法則はテノールにもかなり当てはまります。
とくに、ミの高さでエの発言は下がる確率が高くなり、かつ、
楽譜をめくった最初の小節にミの音でエの発音の言葉が出て
くるとたいがい下がります。
めくった最初の小節は要注意とM合唱団のテノールの
リーダーの時に言い続けました.。

RHさん
ソプラノとテノールは大変なんですよね。
でも調律するように直して、きちんとした意識を持って
もらえばだいじょうぶですよ。
僕はいつも 「重力の法則に負けないように支えて」
と励ましています。

日本の合唱団で少し残念に思うこと

合唱団にはそれぞれのコンセプト、設立時の理念や
文化等がありますから、以下は批判でなく、
一般論的な素朴な独り言ですので、合唱関係者の
皆様におかれましては誤解無きようお願いします。

日本の合唱団では、西洋の曲のみ(特にオケと)を演奏
する団と、逆に、日本人作品をメインで演奏する団の、
完全に2つに分かれる傾向があり、
私はその状況を少し残念に感じている。

私は両方好きだし、いずれも歌ってみたいと思う人間
なので。

少なくとも、西洋曲主体の団は練習においてでもいいから、
邦人曲もたまには取り組めばいいのにと思うし、逆に、
邦人曲主体の団は、練習の中でもいいから、
たまにはミサ曲等、西洋作品にも取り組めばいいのに、
と思う。

西洋の曲にも、邦人曲にも、それぞれ違った難しさと魅力
があるので、両方に取り組んだほうが、
その団にとっても技量の幅が広がるように想える。
そう感じている人は私だけだろうか?
そうは想えないのだが。

武蔵野合唱団は西洋曲がメインだが邦人作品もたまに
演奏する。もっとも、その邦人曲はやや限定的に思えるが、
その姿勢には好感が持てる。

栗友会に所属する各団は基本的に邦人作品をメインと
するが、プロオケとの共演(要請)の際は、その集合体
としての「栗友会合唱団」として西洋作品を演奏している
から、その点ではバランスは良いのかもしれない。

もっとも、栗友会は所属する各団全体での総人数は
とても多いから、必ずしも各団の全員が、
栗友会として毎回オケと共演できるとは限らないらしい。
その点で不満を持っている人が栗友会系の各団の中に
いることは、当該友人からの情報として直接知っている。

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追記

邦人曲主体の合唱団でも、コンサートプログラムの中に、
ミサ等、西洋曲も入れてコンサートを行う団体も
もちろんあって、比率は判らないけど、
割とあるかもしれませんし、
各団のレベル(成長の段階、どの段階にいるか)で、
今後は混ぜるが、まだ邦人のみでいく、とか、
事情はマチマチかもしれないですね。

それと、当然、西洋曲主体の団があっていいわけで、
東京アカデミーや、
樋口隆一先生率いる明治学院バッハ・アカデミー、他、
東京J.S.バッハ合唱団、あるいは学習院の名は付くけど
特殊事情があるブラームス合唱団等は、
バッハやモツレク、ドイツレクイエムなどのオケとの
西洋作品を演奏することを主体に設立されてるから、
それはそれで明確な理念、設立目的が明確で、
私は当然そうした意志、理念は尊重する立場です。

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 高齢化問題

二期会や新国、東京混声合唱団というプロは問題ないが、
数で圧倒するアマ合唱団における男声の少なさと、
男女問わない高年齢化は東京近郊のほとんどの団でも
共通の、深刻な問題です。
 (どのくらい危機意識を団として持っているかで、
  その団の将来が決まると思っています)。

東京合唱団や「鯨」は男女バランスは割と良いほう
ですが、多くは7:3とかの男声が少ない団が多いですし、
その中では比率の割には男声の声が良く出ている
武蔵野等もありますが、それでも男声比率の悪さは
過酷なまでに容赦なくその団には不利だと思います。
客席で聴いていて同情するくらいです。

高年齢化は更に深刻で、これはもう、団の目標として
若い団員確保をどのくらい真剣に取り組むか、
にかかっています。

武蔵野もがんばっているようですが、現実として
増えていません。
4月に私が入団した「鯨」は先輩衆が過去経験した中で
一番親切で居心地よい団で気に入っていますが、
それでも私より若い男性はたぶん3人か4人くらいしか
いない感じで、深刻という意味では「鯨」も同じです。

このように、東京周辺のほとんどの合唱団でも、
若い団員の確保と、特に男性の入団促進は、
直面する緊急で深刻な問題です。


プロオケが合唱を伴う難しい曲や大曲をやる場合、
あらかじめ男女をバランス良く募集、あるいは既存の
複数の団体から確保して対応するしかないと思います。

たぶん、昔、小澤征爾さんが(関屋晋さんが率いた
複数団体の集合体である)晋友会を使ったり、
最近では、プロオケから栗友会がひっぱりダコなのは、
集合体ゆえ、バランスよく集められる、レベルも高い、
ということからだと思います。

来年1月の「千人」も各パート何人、と設定して募集して
いました。
なので、特に女性では、歌いたかったのに入れなかった、
という人は多いようです。
レベルとバランスを考えて、そうした計画性を持った要請を
プロオケは合唱団体に当然していいと思います。

2018年11月 1日 (木)

ポール・マッカートニー来日公演を体験~東京ドーム11月1日

予想はしていたが、ポールが歌い出すと、いや、
登場したときから、場内総立ち。
私はこれが嫌いで、一人頑なに座り続けた。
数万人対一人の完全アウェー状態。
たぶん左右や後ろの人たちは内心
「この人、足か腰が悪いんだろうな」
と思っていたことだろう。

しかし、私の席はポールまでは50メートルはあったと思うが、
当然、巨大スクリーンに終始映し出されているので、
座っていても、ポールの表情はよく見えるわけ。
そして、座っているからといって、
君たちより私は聴いていないか、熱していないか、というと、
そうじゃないぜ、と言いたいところだ。

もっとも、ビートルズナンバーが思いのほか少なかったのは
やや不満というか残念だった。もっとも来場者の多くは、
私と違って、ビートルズ解散後のポールの単独作品も
よく知っている人が多いようだった。

それも来場者は、ポールと同世代、同時代を生きてきた
男女はもちろん、20代、30代(以上)といった若い男女も
とても多く、正に老若男女。彼ら彼女らの多くが、
ビートルズナンバーではないポール単独の曲でも口ずさむ人
が多かった。
さすが、世代と国を超えたスーパースターだ。

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ポールは76歳なのに、なんと2時間のコンサート中、
ほとんど歌いっぱなしには驚いた。

後記のとおり、「A Hard Day’s Night」に始まり、
アンコールも含めたら実に37曲。
エレキギター、ピアノ、アコースティックギターなどに
替えながら終始力感溢れるステージで、
そのスタミナ、パワー、プロ精神に圧倒された。

もちろん、短いトーク~ときおり日本語も入れて
 ~頻繁に置きながら、ではあるが、舞台のソデ(奥)に
  下がることは正規プログラム中では(アンコールで
  戻るまでは)一度も無かった。

英語のトークでは、ジョージ・ハリスンやジョン・レノンに触れる
トークもあった。

また、名曲「エリナー・リグビー」を歌い出すとき、
声がうまく出なかったので、唯一の「ワンモアタイム」ということで、
会場は爆笑と拍手。

1時間を経過するころには、私以外にも座って観賞する人も
チラホラ出てきたが、圧倒的少数派には変わりなし。

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それでも、とうとう私が立たずにはいられない瞬間が来た。
そう、「レット・イット・ビー」を歌い出した瞬間だ。
これは、いわば、「ハレルヤ」コーラスみたいなもので、
立たずにはいられない。
 (もちろん、今どき「メサイヤ」のコンサートで「ハレルヤ」
  になったときでも、私を含めて実際は誰も立たない
  だろうが)。

そして、正規プログラムのラスト「ヘイ・ジュード」を
ポールが歌い出したときは思わず涙が出た。
最後のリフレイン「ラーーーラーラー、ラッララッ・ラー」は
20回以上は繰り返したのではないか。

ポールのリードもあり(なくても、だが)、
もちろん会場全員によるコーラスだ。
ポールは途中、「女性だけで」と日本語でいい、
女性だけが「ラー~」と歌う場面も含めて、20回、
いや30回を超えたかもしれない。

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これで終わりかと思ったし、これで終わって欲しかった
とも思うが、鳴り止まない数万人の拍手に応えて
1分程度のインターバル後、再びバンド全員とで登場。
ポールが日本語で「もっと聴きたい?」と言い、
なんと6曲も歌った。

その3曲目が終わったくらいだっただろうか、
ポールが「何か言いたがっている人が来ている」と言い、
会場は「なんだろう?」状態になったのだが、それは、
若い日本人カップルがステージ上でプロポースする、
という企画だった。

これはもちろんポールの企画というより、
主催サイドの企画だろうけれど、
これは不要だったなあ。

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ほとんどが、地面を通して心臓にズドン、ドカンと届く
ロックサウンドの曲だが、もちろんしっとりした曲もあった。

私が好きな「And I Love Her」や「Yesterday」は
演奏されなかったが (後記参考のとおり、
 前日のアンコールでは「Yesterday」を歌った)、
バラード調の素敵な曲、確か「Love Me Do」の後
だったから「Blackbird」と「Here Today」だと思うが、
アコースティックギターによる素朴で素敵な歌で、
このときばかりは、数万人の観衆はほとんどシーンと
静まりかえり聴いていた。
他の曲もこのように静かに聴いて欲しいのになあ。

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とはいえ、生まれて初めて、もしかしたら、
最初で最後の~ポールは「See You Again」とは最後に
 言ったが~ポールを聴いた日、いや、
ポール・マッカートニーという伝説的にして、
今なお76歳の現役ミュージシャンの衰え知らぬ歌声とパワーを
体験した、と言うべき日だった。

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 11月1日に歌った曲

1. A Hard Day’s Night
2. Junior’s Farm
3. Can’t Buy Me Love
4. Letting Go
5. Who Cares
6. Got to Get You into My Life
7. Come On to Me
8. Let Me Roll It
9. I’ve Got a Feeling
10. Let ‘Em In
11. My Valentine
12. 1985
13. Maybe I’m Amazed
14. We Can Work It Out
15. In Spite of All the Danger
16. From Me to You
17. Love Me Do
18. Blackbird
19. Here Today
20. Queenie Eye
21. Lady Madonna
22. Eleanor Rigby
23. Fuh You
24. Being for the Benefit of Mr. Kite!
25. Something
26. Ob-La-Di, Ob-La-Da
27. Band on the Run
28. Back in the U.S.S.R.
29. Let It Be
30. Live and Let Die
31. Hey Jude
Encore:
32. I Saw Her Standing There
33. Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (Reprise)
34. Helter Skelter
35. Golden Slumbers
36. Carry That Weight
37. The End
以上、全37曲
11月1日
https://lyfe8.com/paulmc1101/

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 参考

10月31日の公演で歌った曲

1. ア・ハード・デイズ・ナイト(ザ・ビートルズ)
2. ハイ・ハイ・ハイ(ウイングス)
3. オール・マイ・ラヴィング (ザ・ビートルズ)
4. ワインカラーの少女 (ウイングス)
5. フー・ケアズ (ポール・マッカートニー / 最新アルバム『エジプト・ステーション』収録)
6. カム・オン・トゥ・ミー(ポール・マッカートニー / 最新アルバム『エジプト・ステーション』収録)
7. レット・ミー・ロール・イット (ウイングス)
8. アイヴ・ガッタ・フィーリング (ザ・ビートルズ)
9. 幸せのノック (ウイングス)
10. マイ・ヴァレンタイン (ポール・マッカートニー)
11. 1985年 (ウイングス)
12. メイビー・アイム・アメイズド (ポール・マッカートニー)
13. 夢の人 (ザ・ビートルズ)
14. イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デンジャー (ザ・クオリーメン)
15. フロム・ミー・トゥ・ユー (ザ・ビートルズ)
16. ラヴ・ミー・ドゥ (ザ・ビートルズ)
17. ブラックバード (ザ・ビートルズ)
18. ヒア・トゥデイ (ポール・マッカートニー)
19. クイーニー・アイ (ポール・マッカートニー)
20. レディ・マドンナ (ザ・ビートルズ)
21. エリナー・リグビー(ザ・ビートルズ)
22. ファー・ユー (ポール・マッカートニー / 最新アルバム『エジプト・ステーション』収録)
23. ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト(ビートルズ)
24. サムシング (ザ・ビートルズ)
25. オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ(ザ・ビートルズ)
26. バンド・オン・ザ・ラン(ウイングス)
27. バック・イン・ザ・U.S.S.R.(ザ・ビートルズ)
28. レット・イット・ビー (ザ・ビートルズ)
29. 007死ぬのは奴らだ(ウイングス)
30. ヘイ・ジュード(ザ・ビートルズ)
(アンコール)
31. イエスタデイ(ザ・ビートルズ)
32. サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプライズ) (ザ・ビートルズ)
33. ヘルター・スケルター (ザ・ビートルズ)
34. ゴールデン・スランバー (ザ・ビートルズ)
35. キャリー・ザット・ウェイト (ザ・ビートルズ)
36. ジ・エンド (ザ・ビートルズ)
10月31日の公演で歌った曲
https://okmusic.jp/news/302124
http://rollingstonejapan.com/articles/detail/29325

2018年10月31日 (水)

文豪が聴いたクラシック~by 瀧井敬子さん

前橋汀子さんの連載終了

小林由佳さん~「独演コンサート」

来年1月のバッティストーニ指揮の「千人」のソリストの一人
でもあるメゾソプラノの小林由佳さんのリサイタルを聴いた。

日本声楽家協会主催のシリーズ企画「独演コンサート」の
第128回の出演者。
会場はいつもの日暮里サニーホールコンサートサロン。
ピアノは朴令鈴(ぱくりんりん)さん。

私はこれまで小林由佳さんの歌声は、2年前の赤坂での
リサイタルのほか、オペラも含めて度々拝聴してきた。
特に昨年の東京二期会公演「ばらの騎士」でオクタヴィアンに
抜擢され、見事に大役を果たしたことは、彼女にとっても
エポックメイキングな挑戦だったに違いない。
素晴らしい歌声と公演だった。

この日の独演コンサートで由佳さんは「ゲーテに寄す」と題して、
ゲーテの詩に基づく歌曲、あるいはゲーテゆかりの人の関する歌曲、
あるいは由佳さんがイメージとしてゲーテを想起する歌曲などを
選んだことが特徴なのと、加えて、それらの歌曲やアリアに関して
第1部はドイツ語の歌、第2部ではフランス語の歌、として
披露したことも良いアイデアだったと思う。

演奏曲は以下のとおり。

 第1部

1.モーツァルト「すみれ」

2.シューベルト
 (1)ミューズの子
 (2)ガニュメート
 (3)糸を紡ぐグレートヒェン
 (4)魔王

3.シューマン
 (1)愛の歌
 (2)ズライカの歌
 (3)ミニヨン

  (休憩)

 第2部

1.トマ 歌劇「ミニヨン」より
   「知っている、故郷を?」(君よ知るや南の国)

2.オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」より
   「見ろ、震える弓の下で」

3.マスネ 歌劇「ウェルテル」より「手紙の歌」

4.ベルリオーズ 劇的音楽「ファウストの劫罰」より
   「激しい炎のような愛は」

アンコール シューベルト「楽に寄す」

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小林由佳さんの声は、メゾといっても明るく豪快な声なので、
私にはソプラノ・ドラマティコのイメージが強い。
このことは以前も書いた。
深い豊麗なトーンというメゾのイメージより、
明るく伸びやかで直裁的に飛んで行く声。

「すみれ」では正にその明るく伸びやかな声。
「ミューズの子」は元気な歌唱と言っても失礼には
 ならないだろう。
「糸を紡ぐグレートヒェン」は強い声で迫力十分。
そして前半のハイライトとも言える「魔王」は4人の声の使い分け
に工夫が見られたが、後半はむしろそうした要素より、
登場人物の親子にとって急がねばならない状況、という
全体の流れを重視した感のある歌唱だった。
前半最後の「ミニヨン」は情熱的でとても素敵。

休憩後の第2部は第1部にも増して充実した内容で、
私が特に感動したのはまず第2部冒頭の
 「君よ知るや南の国」。
情感、迫力いずれも見事。
「身よ、震える弓の下で」は声量豊かな「大きな歌」。

そして、後半1曲目とともに「ウェルテル」の「手紙の歌」も
この日の白眉と言ってよく、
劇的な要素のよく出たドラマティックな歌唱だった。

プログラム最後の「愛に燃え上がる炎が」も情感豊かに
歌って素敵だった。

アンコールは私の大好きな曲、シューベルトの
「An die Musik」。
これはメゾらしいしっとりとした、しかし格調高い歌声。

由佳さんは特に男性にとても人気のある人で、
会場の8割は男性客で、2曲目からアンコ-ルに至る
ほぼ全曲で、男性数名からの「ヴラヴォー」が
連続したのだった。

来年1月の「千人」は私は合唱で出る予定なので、
共演させていただくことが今からとても楽しみだ。

2018年10月29日 (月)

歌う女、奏でる女、弾く女~艶やかなる宴~サロンコンサート

26日夜、メゾソプラノの長谷川忍さん、
新日本フィル2nd.Violinフォシュピーラーの佐々木絵理子さん、
ピアニストの羽石道代さんのトリオEnsemble Sabbathにより、
「歌う女、奏でる女、弾く女~艶やかなる宴~」と題された
サロンコンサートが明治神宮前(原宿)にある
カーサ・モーツァルトで開かれた。

各曲のミニ解説を交えて約1時間の演奏だが、
その後の出演者との懇親会も含めて十分楽しめた。
演奏曲は以下のとおり。

1.アーン「クロリスに」by 長谷川さん&羽石さん

2.タルティーニ ヴァイオリン・ソナタ ト短調「悪魔のトリル」
     by 佐々木さん&羽石さん

3.湯山昭 ピアノ曲集「おかしの世界」より
   バウムクーヘン、柿の種、クッキー、鬼あられ、
   マロングラッセ、プリン
     by 羽石さんのソロ

4.ドビュッシー「艶やかなる宴」第1集より「操り人形」
     by 長谷川さん&羽石さん

5.オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」より
   「見よ、震える弦の下で」by 3人

6.サン=サーンス 序奏とロンドカプリッチョーソ
   by 佐々木さん&羽石さん

7カルメン幻想曲 アレンジ=Ensemble Sabbath by 3人

アンコール モーツァルト「恋とはどんなものかしら」by 3人

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最近、多くの歌手が取り上げるようになった
アーンの「クロリスに」を長谷川さんがしっとり歌った後、
ヴァイオリンの超絶技巧曲「悪魔のトリル」を
佐々木さんが情熱的に弾いた。

羽石さんがそれぞれキャラクター豊かな面白いピアノ演奏。
ドビュッシーの粋な歌の贈り物の後、「ホフマンの物語」の
中ではカットされることも多いという「操り人形」が披露された。

後半が特に良かったサン=サーンスの後の7は、
サラサーテの「カルメン幻想曲」を基に、フランツ・ワックスマン
の「カルメン・ファンタジー」の要素も盛り込みながらの
3人が工夫したアレンジによる演奏で盛り上げて
本プログラムは終了。

会場の「カーサ・モーツァルト」にちなんでアンコール
として、「フィガロの結婚」より「恋とはどんなものかしら」が
演奏された。

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追記
 「恋とはどんなものかしら」における旋律と歌詞の2種類の
 当てはめについて

「歌う女、奏でる女、弾く女~艶やかなる宴」終了後の懇親会で、
私はメゾの長谷川忍さんに、楽譜の中の部分に関して、
「この、「ケ~、コ~ウ ザイ アモール」を
「ケ~、コザイ アモール」と歌う人もいますよね?」と尋ねると、
「あ、いますね。さすが伊藤さんですね」との回答。

高校生のころよく聴いていたテレサ・ベルガンサが歌う
このアリアで、ベルガンサは後者の「ケ~、コザイアモール」
と歌っていて、それが耳に馴染み、ずっとそれで覚えてい
たところ、数年後、「ケ~、コ~ウ ザイ アモール」と歌う歌唱を聴いて
驚き、スコアをみたら、フレージング的にそっちが正しそうだなあ、
と思うようになったし、実際、ライブでも録音でも、
前者が多いはず。
ベルガンサも別の録音では前者の言葉の扱いで歌っている
ヴァージョンもあったかと思う。

これは長谷川さんも言っていたが、指揮者の指示でどちらかに
する場合等、様々なことが考えられるが、いずれにしても、
実際、2とおりで歌われる、あるいは、
歌われた過去はあったのは確か。

多くに人=楽譜的には(8分音符で4拍と数えると)、
3拍目全部(付点16分音符+32分音符)にCosaèの「Co」
だけを入れ、4拍目のDの付点16分音符にsaè を入れ歌う、
ということと、
私が昔聴き、実際にそういう人もいるとするのは、
3拍目のBの付点16分音符にco sa、32分音符のDにèを
入れて歌う、というもの。
 (4拍目ウラのDにamorのaが入る点は同じです)

これが歌手の解釈か、指揮者の解釈か、そもそも
イタリア語歌詞と音符における、いわゆるディクション
 (強調や歌い回し)的にどちらが正解、
あるいは好ましいか、というのが、本文の趣旨(疑問点提示)
となります。

2018年10月26日 (金)

安易で陳腐な自己責任論を排す

案の定、安田純平さんに対して「自己責任だろ」という声が
出ているそうだ。陳腐過ぎて反論する気もしないが、
一応少し書こう。

最初に係る反応が生じたのは2004年、イラクで、
ボランティアの女性やフリーカメラマなど、3人の日本人が
拘束された後に開放された事件だ。

ネット連中だけならともかく、あろうことか、その急先鋒の
一人に、当時、日本テレビアナでキャスターの辛坊治郎がいた。
彼による3人への「自己責任」に基づく批判は、
「誘拐された邦人を政府が税金を使って救助する必要はない」等
容赦なかった。

ところが、その辛坊氏は、2013年6月、全盲のヨットマンだった
岩本光弘をサポートする形で、ヨットで福島県いわき市から
米国カリフォルニア州サンディエゴでゴールをする予定で
出港したが、同月21日、クジラと思われる生物と衝突して、
ヨットが浸水。約10時間近く救難艇で漂流したのち、
海上自衛隊の救難飛行艇で救助される、という事故が起きた。
このとき、4000万円の税金が使われたと言われている。

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これについて、文春記者が辛坊氏に、
「4,000万円を自己負担する考えがあるか」と質問すると、
「払います、と言えば、助けてくれた自衛隊員が喜ぶと
 思いますか?命をかけて助けてもらって、
 それが金かよって思われないか」
などと、バカげた言い訳をし、一切、自分のした行動と結果
について「自己責任」とは言わなかった。

他人、それも紛争地域における活動をしていた人には
「自己責任だろ」と攻撃するのに、
自分の行動、それもヨット遭難、などという呑気な天下泰平の
遊びが招いた結果のことに税金が使われた事に対しては、
自己責任の「自」字も言わない。ジャーナリストとして失格だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大前提だが、国、政府は国民を守る「義務」がある。
それはいかなる場所にいようと、いかなる職業でも同じだ。
そもそも「自己責任」と言うなら、それは
「成人には全員例外無く自己責任はある」。
なぜなら、各人、「その職業を選んだのは勝手」であり、
各人が「勝手に人生を生きている」のだから。

ゆえに当然、「成人の誰もに自己責任はある」のだから、
係る状況におかれた特定の人のみに対して
「自己責任を持ち出して批判すること自体おかしいし、
バカげている」と言わざるを得ない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

青木理氏によると、アメリカではジャーナリストの紛争地
での安全性をどう守るかと真剣に議論をしており、
ケリー国務長官いわく、
「危険性をゼロにするのは非常に難しいが、
 一つだけ方法があって、それは沈黙することだ
  (危険な場所にいかないことだ)。
 しかしそれは、目と耳をふさぐことになり、
 ジャーナリズムの降伏、放棄を意味する」
という発言を紹介している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

下記添付にアップされていた記事にあるが、
北海道大学名誉教授の吉崎祥司氏は、

「自己責任論は、「社会的責任」と「個人的責任」とを
 意図的に混同し、支配層にとっての不都合なこと
 すべてを個人の「自己責任」に解消することで、
 社会的・公共的責任を放棄し、あるいは
 隠蔽しようとするもの」
と明確に整理している。正論だと思う。

また、政治学者で音楽評論家でもある片山杜秀氏は、
「税金や徴兵など国民に犠牲を強いるかわりに
 後々までちゃんと面倒みるよ、というのが国民国家
 ですが、安倍政権の国家観はすでにそこからズレている。
 現政権が国防軍、日の丸、君が代といったナショナルな
 シンボルをやたらと強調するのは
 『もう国は国民の面倒はみない。それぞれ勝手に
   生きてくれ』
 という、政権の新自由主義的なスタンスと表裏の関係」
と指摘している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中東から遠いという印象の中で日本人の多くは
この島国で育った。要するに、
「多くの日本人にとって、日本が平和で、自分が平和な
 暮らしができればそれでいい」のであり、
中東の、いわんや、なんで戦争しているのか解らない
イスラム圏での取材や拘束など「余計なこと」なのだろう。

しかし、そうした日本人では、欧州旅行中にテロに
巻き込まれる可能性、すなわち、日本は日本だけで
平和を保ち、日本人だけが安全に暮らせる世の中ではない
ことに気づいていない。

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なるほど、危険地域に取材に行くことは
「勝手な個人行動」かもしれないが、少なくとも
「ヨットで遭難して税金で助けてもらうこと」とは
全く意味が異なることだけは確かだ。

「ヒトゴト」からの安易で軽薄で陳腐な自己責任という
 言葉を用いての「勝手で無責任な批判」は慎みたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考;日本人はなぜ自己責任論にはまるのか?
https://lite-ra.com/2015/02/post-843.html?fbclid=IwAR0GyjeL_8JZCXtEw2bzDzDhtbZNHoFP5s_LHcwDIBPvhen7UgRNg5Wbm9w

2018年10月25日 (木)

のんさんによる武満徹の「系図」~繰り返しの鑑賞に耐え得る朗読

東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者、
31歳のバッティストーニは同オケとのコンサートや
オペラ公演での来日が頻繁。
同オケとの録音もどんどん増えているが、最近では
西洋の曲と邦人曲の組み合わせによるCDリリースが
続いている。

その一環として、女優の「のん」さんによるナレーションで
武満徹の「系図」=「ファミリー・トゥリー」が
チャイコフスキーの「悲愴」とのカップリングで24日発売
されたので、さっそく大好きな「系図」を聴いてみた。

なお、武満の「系図」のCDリリースは、
日本初演者である小澤征爾+サイトウ・キネンの他、
岩城宏之+オーケストラ・アンサンブル金沢、
山田和樹+日本フィルに続く4種目。
外人指揮者による録音は初だが、ライブは、
ニューヨーク・フィルの創立150年委嘱作品ゆえ、
その世界初演者であるスラットキンの他、
デュトワがN響と演奏している。

のんさんの語りは自然で素朴なもので、
極力感情移入が排されており、客観的に詩を読む姿勢を基本
としているから、好き嫌いや賛否が出るかもしれないが、
私は好感を持って聴いた。
録音はオケともどもオンマイクでとても鮮明。

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最初の「むかしむかし」では、その淡々とした詩の朗読が
プロローグとして相応しいかたちで生かされている。

2番目の「おじいちゃん」と4番目の「おとうさん」では
もう少し感情移入が欲しいとは思うが、
その客観性は徹底されていて、

3番目の「おばあちゃん」ではそれが逆にシリアスな観察
として鬼気迫るまでの迫力をもって語られているのが面白い。

5番目の「おかあさん」での語りは、この曲で採用された
谷川俊太郎さんの6つの詩の中で、のんさんは最も客観的
というか、徹底的に冷たく突き放している感があり興味深い。
母と娘の親密さというより、その逆の、ある種ありがちな
「女性対女性という批判的見地からの観察」による朗読
として私は聴いた。

最後の「とおく」では終わり近くに少しだけ感情移入があり
好ましいが、淡々とした客観姿勢という基本は変わらない。

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こうして整理すると、「むかしむかし」はどの録音より良いし、
「おばあちゃん」、「とおく」も成功していると言えるが、
他の3つも、これまでのナレーターと違う面白さがある。
朴訥(ぼくとつ)ゆえ、聴き入ってしまう語りと言える。

もし、初演者の若き遠野凪子さんをはじめ、
これまでの語り手で、感情移入による言葉の抑揚に
ある種の「暑苦しさ」を感じて、「1回聴いたからいいや」と
興味を無くしてしまった人がいたら、そういう人にこそ、
この録音を聴いて欲しい。

この、のんさんによる語りは、敢えて感情移入を排した
客観的アプローチから生じている透明感に満ち、
それが徹底されているゆえ、何度でも繰り返して鑑賞
できる語りと演奏、聴き終えた直後に、
もう一度聴いて色々確認してみたくなる演奏と言える。

実際私はごく自然に3回続けて聴いた。
それでも全くクドさや暑苦しさは皆無だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バッティストーニはこの作品のスコアから繊細さを
引き出すというよりは、図太さと言ってよいほど
積極果敢に直裁的なアプローチをしている。
オペラを演奏する如く、武満がオーケストレーションの
各パートに施している彩りや工夫等をためらいなく
描き出して好ましい。
こういう点は日本人指揮者が武満を演奏するときと
違うアプローチだなあ、と思う。
新鮮でとても好感が持てる。

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解説文を書いている片山杜秀さんの文が良い。
「系図」は武満の遺作ではないが、初演に際して複雑な
事情が生じたため、初演はニューヨーク・フィルの
創立150年の1992年ではなく、3年後に行われ、
同年9月のサイトウキネンフェスティバルには
入院中だった武満さんも出向いたが、
それから5か月後に亡くなってしまったので、
そういう意味では「ラストソング」的な色合いが強くなった。

チャイコフスキーの「悲愴」はご存知のとおり、
最後の曲と言ってよく、チャイコフスキー自身の指揮による
初演後、10日も経たないうちに病没したので、
「ラストソング」と言える。

片山氏は、この2曲を2人の「ラストソング」という見地から
書いていて、とても興味深く拝読した次第。
https://www.youtube.com/watch?v=POIbX9Mv0a4

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/19447?fbclid=IwAR2mmu8VXijgkdDSsqXc6Unm3pgP7nufXnYBOe54LgrGjTJ76cHK2iDY11o

https://www.amazon.co.jp/dp/B07GGRVT9Z/ref=asc_df_B07GGRVT9Z2519481/?tag=jpgo-22&creative=9303&creativeASIN=B07GGRVT9Z&linkCode=df0&hvadid=295668476389&hvpos=1o1&hvnetw=g&hvrand=14071847006519969703&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009288&hvtargid=pla-524615964900&th=1&psc=1

2018年10月21日 (日)

東京合唱団の「エリア」を聴いて

昨年はメンデルスゾーンの没後170年だったが、
今年は特に何らかの区切りがあるわけでもないのに、
9月から10月にかけて、都内の4つの合唱団が
メンデルスゾーンの「エリヤ」を演奏する、という
非常に珍しい状況が生じた。

第九のように頻繁に演奏され(過ぎ)る曲と違い、
滅多に演奏されない2時間30分前後を要する大曲を
2か月間に4団体が演奏、というのは偶然とはいえ、
驚きだ。

私は武蔵野合唱団は都合で第一部のみの拝聴、
東京アカデミー合唱団は全曲拝聴、
合唱団鯨は私自身が団員としてステージに立ち、
そして20日午後、紀尾井ホールで1954年創設の
歴史ある東京合唱団による演奏を聴いた。
同団が「エリヤ」を演奏するのは、何と1957年以来、
実に61年ぶりとのこと。

この4団体の特徴、全体の印象は当然ながらマチマチで、
それが演奏の面白い点であるわけだが、
東京合唱団はオケの人数に象徴されるように、
室内楽的志向という色合いを感じた。

合唱団員の総数も、4つの中では一番少ないが、
各パートのバランスは一番良いと言える。
ソプラノ=21人、アルト=26人、テノール=14人、
バス=18人の合計=79人。

これに、今回、ソロの少ない部分をソリストとして歌った
横山和美さんがソプラノパートに加わり、
同様に松浦恵さんがアルトに、濱田翔さんがテノールに、
堤智洋さんと井上大聞さんがバスパートにそれぞれ
加わって合唱パートも歌われた。

指揮は、創設者の前田幸市郎先生のご子息で、
1997年よりこの合唱団を指揮している前田幸康先生。
2007年以降は音楽監督。

オケの東京KMG管弦楽団は、1982年に前田幸市郎氏
によって創設されたプロオケ。
東京近郊の音大の先生やフリーランスの奏者からなる
室内管弦楽団。ソリストは以下のとおり。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
萩原 潤…エリヤ(バス)
中江早希…第1ソプラノ、天使、やもめ
寺谷千枝子…第1アルト、天使、王妃
藤井雄介…第1テノール、オバディア、天使
横山和美…第2ソプラノ、天使、少年
松浦 惠…第2アルト、
濱田 翔…第2テノール、天使、アハブ王
堤 智洋…第1バス、天使
井上大聞…第2バス、天使
・・・・・・・・・・・・・・・

第1部の、特にその前半は合唱のテノールとバスという
男声がとてもよく声が出ていたのだが、
曲が進むにつれて迷いのようなものが感じられ、
第16曲の「Das Feuer fiel herab! Feuer!」の出だしや、
第1部終曲の第20曲の冒頭「Dank sei dir,~」がその典型で、
遅れただけでなく声量も乏しかった。

女声2パートは終始キチンと歌っていたが、
歌いきる事に終始して、個々のナンバーで重要な単語の強調
などはあまりなされていなかったように思えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さすが、前田幸康先生だな、と思ったのは、
トロンボーンとチューバを、客席から見て右手の
コントラバスの更に後ろに置いたこと。
これにより、東京アカデミー合唱団や鯨で、
ともすればありがちだった男声が消されてしまうことが
極力抑えられ、テナーやバスが比較的よく聴こえてきた
大きな要因と言えると思う。さすがの配慮だ。

前田先生のとったテンポは総じてゆったりめの
余裕あるテンポ。
速めにとったのは、第22曲の34小節目からの
ピユ・アニマートの部分と、第36曲、
そして最後の第42曲のアレグロからの部分くらいだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ソリストではオバディアを歌った藤井雄介さんの声が
美しく伸びやかで、とても素晴らしかった。

エリヤ役の萩原潤さんの声は、
重厚な青山貴さん(武蔵野合唱団)とも、
威厳あるキュウ・ウォン・ハンさん(東京アカデミー合唱団)とも、
スタイリッシュで格調高い与那城敬さん(合唱団鯨)とも
違い、
声量が弱い分物足りないながら、
温かい声質による穏やかなエリヤというイメージを提示
するものだった。
これはこれで興味深く聴かせていただいた。

中江早希さんは伸びやかでピュアな声が美しく、
大ベテランの寺谷千枝子さんの端正で彫琢ある
格調高い歌声を聴けたのは嬉しかった。

最後の曲では、ソリストも合唱といっしょに歌ったが、
鯨のときのように第42曲の最初からではなく、
アレグロに入って終わり近く、90小節目から
4人のメインソリストも立ち上り、
合唱といっしょに歌い終えた。
http://tokyochor.jp/concert.html

2018年10月19日 (金)

ジュリーは終わったか?~「驕り」は音楽家の最大の敵だ

17日に、さいたまスーパーアリーナで開催予定だった
沢田研二さんの公演が急きょ中止になった。
 理由に驚いた。
「観客の数が当初9,000人と聞いていたが7,000人しか
 入っていなかったから」だという。

「7,000人しか」じゃなく、「7,000人も」でしょ。
2,000人「足りない」ために、7,000人を邪険にしたわけだ。
大した度胸、大した傲慢さだ。
ザ・タイガースのベストCDも持っているし、
ジュリーはむしろ若いころより、最近は社会的発信もしていて、
そうした発信も含めて関心があったのにガッカリした。

妙な例えで恐縮だが、「100円を笑うものは100円に泣く」
とよく言われる。

ここから少しカッコ付けて言い換えるなら、
「1人のファンを大切にできない音楽家は
 やがて忘れ去られる」と思う。

この事は多分私の想像ではなく、真理と核心を突いていると思う。

クラシックのコンサートやオペラでは、東京ドームとか、
例の5千人だの1万人だのの第九とやらを別にすれば、
考えられない物凄い人数だ。
NHKホール2箱分の満員に近い人が来場したのにソデにした、
その愚挙に唖然とする。

アーティストにとって「驕り」は最大の敵のはず。
9,000人でないと採算割れしたとしても、
今回は全国ツアーなのだから、他でいくらでも
採算乗せくらいできるでしょ。

そもそも、そういうことで、来場した7,000人の
思いを裏切ってどうするのか?

50人の来場者にも、300人の来場者にも、
7,000人の来場者にも、それぞれの人生と喜びがあり、
各人が生活の中から、お金と時間を割いて会場に来たのだ、
といことを忘れる音楽家に未来は無いと断言できる。
https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/amp/201810180000651.html?fbclid=IwAR3UUrNya9H9xfu_4scPwoJn0PzqbxKgALNfHjjEE6TS_EeMol7bEMMoWjM

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 アマチュア以下

9000人の集客と聞いていたのに実際は7000人だったこと、
客が少なかったため中止にしたことなどを改めて
自らの言葉で説明。
「さいたまスーパーアリーナを満員にできなかった
 僕の力不足です。僕は70歳になって、
 白旗でなく、自分に対して赤旗(レッドカード)を
 あげました」

7000人の気持ちを考えず、
自分のプライドだけを優先させた。

7000人も「来てくれている」のに歌わない。
アマチュアでさえあり得ない行為。
プロとしての死。アマチュア以下だ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181021-00000122-dal-ent

2018年10月17日 (水)

田中彩子さんが歌った「ネッラ・ファンタジア」と独特のステージ

国内最初の紀尾井でのリサイタルから4年連続、
ウィーン在住のソプラノ歌手 田中彩子さんのリサイタルを
17日、同じく紀尾井ホールで拝聴した。
今回がプログラム的にも一番面白かったし、
トークも安心して聴けるようになった。

最初は緊張していたようだが、それ以降は、
毎年ピアノ伴奏を務めてきている加藤昌則さん(作曲家)との
やりとりでの漫才的な会話が面白いだけでなく、
特に単独でのコメントは終始しっかりしていて、
第1回や2回時のタドタドしさと比べたら格段の進歩だった。

歌のデキよりトークのほうが心配な歌手は田中彩子さん
以外にいないだろうが、その「汚名?」ももはや過去のものに
なりつつある。

最後の曲が終わり、アンコールに入る前など
「お忙しい中、ご来場いただき、ありがとうございます。
 皆様の日頃の疲れが少しでも癒されたなら、
 とても嬉しく思います」
というコメントなど、初回のリサイタル時からは
考えられない挨拶だったし、

アンコール後、客が席を立ち始めると、なんと、ソデから
「これをもちまして本公演は全て終了となります。
 ロビーでは2人で、サイン会がありますので~」
と場内アナンスウス役まで代行し、
お客さんから爆笑をゲットするまでのコンサート慣れを
するまでに「成長」したのは喜ばしい。

これは加藤さんのフォローの力が大きい。
彼の演奏だけでなく、絶妙なフォロートークが、
田中さんの国内での一連のコンサートでの成功に
大きく貢献している。
もし、加藤さんでなかったら、どうだったのだろう?
と思うほど、彼と田中さんのコンビは抜群に成功しているのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プログラムは以下のとおりで、
何より彼女の声の特徴が生きる、提示して聴衆を魅了
する曲が多かったのが好ましいし、
プログラム最後には映画で使われた曲やジャズ色の
強い曲で締めくくるなど、エンタ的にもユニークで余裕を
感じさせ、好感度が増すステージ構成だった。

誤解を恐れずに言えば、田中さんは歌の巧さがどう
とかいうより、エンタ性豊かな、誰にも似ていない、
マネのできない独自の独特の「田中ワールド」を
日本の聴衆の前に展開し、確立した、あるいは
確立しつつある、と言えると思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追加公演にもかかわらず、サイン会では驚くほど多くの人が
列をつくって、彼女の人気が本物になってきた感を
強くした。
私は4回連続の拝聴というだけでなく、フェイスブックの友人にも
なっていただいているので覚えていただいており、
今回も田中さんから、
「いつもありがとうございます」
と言っていただいた次第。

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 第1部

1.ドビュッシー 星の夜

2.J・シュトラウス2世 ウィーンの森の物語

3.J・シュトラウス2世 春の声

4.加藤さんのソロで、加藤昌則作曲「小さなさよなら」

5.デラクア 田園詩

6.マーラー この歌を作ったのは誰?

7.R・シュトラウス アモール~愛のキューピット

  (休憩)

第2部

8.ベートーヴェン 豊穣の夢
  ~「エリーゼのために」の編曲

9.リスト 愛の夢

10. パガニーニ カプリース 第24番

11. パガニーニ 愛しい人よ(ヴァイオリン協奏曲第4番)

12. モリコーネ ネッラ・ファンタジア

13. ガーシュイン クレイジー・フォー・ユー

アンコール エーデルワイス

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最初のドビュッシーは繊細な曲。彼女の声に適した選曲。
得意のJ・シュトラウス曲の次は、加藤さんいわく
田中さんが声を休めるために「つなぎ」ですとして、
加藤さん作曲の「小さなさよなら」を独奏。

この日のプログラムでは、彼女の声の特質を
最も強くアピールし、曲としても興味深かったのは
デラクアの「田園詩」で、これはとても良かった。

マーラーも面白かったが、R・シュトラウスの「アモール
 ~愛のキューピット」が技術的に難度が高く、
曲想としてはコケティッシュな感のある歌で、
この曲でも田中さんの特質を強く打ち出せていた。

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休憩後の第2部での最初の4曲はアレンジもの。
声の特徴を示した点では、特にパガニーニの
カプリース 第24番が面白く、
聴衆からの拍手もこの日一番の大きなものだった。

同じくパガニーニの「愛しい人よ」は旋律が美しく、
哀愁感に満ち、技術よりも田中さんの情感を
たっぷり込めた歌唱で、いわば芸術性の高い歌唱だった。

そして、何といっても、私が大好きで、私自身、
椎名町の「バッハはうす」での音楽会で歌ったことのある
「ネッラ・ファンタジア」を田中さんの歌声で聴けたのは
想像もしていなかったので、大きな喜びだったし、実際、
しっとり感が素晴らしく、感涙を禁じ得なかった。

最後はガーシュインの曲をステージで警戒に身を
動かしながら歌い、プログラムを締めくくり、
アンコールは毎年のようにプログラムに入れてきた
「エーデルワイス」を日本語で歌った。

このように、今回のコンサートは、田中さんの声の特質、
特徴をよく出せる曲が多かったことが特徴で、加えて、
私としては「ネッラ・ファンタジア」が聴けたので、
最高に嬉しかった。
「ネッラ・ファンタジア」はぜひ録音して欲しいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に、田中さんを取り巻くスタッフらに一言。
周辺の関係者は若い人が多いようだが、考えかたは
古いようで、いくらサイン会にたくさんの人がならんでも
「握手はダメ。サイン待ちの列の中からの撮影はダメ、
 ツーショットはダメ」
とまで「囲む」のはいかがなものか?
もちろん、サイン時のツーショットは時間をとるから論題だが、
終演後でのロビーでツーショット撮影はほとんどの演奏家が
OKの状況、時代だし、サイン時の握手が禁じられていても、
こっそり握手を求めれば、ユジャ・ワンだってしてくれる時代
なのに。

そういう開かれた時代であることを
スタッフは理解しているのだろうか?

周辺が彼女を「持ち上げ過ぎる」と、彼女自身が勘違いするは
ことはなくても、そうした「スター扱い」はかえって
ファンを去らせてしまう危険性があることを、
マネジメントサイドやスタッフら周辺関係者は
心しておいたほうがいいだろう。
https://www.facebook.com/info.ayakotanaka/photos/a.183647265082530/1853536888093551/?type=3&theater

2018年10月15日 (月)

秋吉邦子さん「ドラマチック バロック!」

武蔵野合唱団の合唱指揮者&ヴォイストレーナーでもある
ソプラノの秋吉邦子さんが、東京オペラシティ近江楽堂で
毎年開催している「ドラマチック バロック!」の8回目は、
「333歳の天才たち」と題して14日午後、同楽堂で開催
された。

333歳とは、バッハ+ヘンデル+D・スカルラッティという
同じ年に生まれた3人を指す。
これに、今年没後400年のカッチーニの作品を加えた曲を
主とした意欲的なステージだった。

私が武蔵野合唱団で歌わせていただいたのは2年に
満たなかったが、クニ先生には当時大変お世話になった
だけでなく、退団後もフェイスブックのタイムラインでは
頻繁にコメントや「いいね!」をいただくなど、
今でもとてもお世話になっている次第。

チェンバロ伴奏およびソロは毎年の渡邊温子(あつこ)さん。
使用楽器はプログラムによると、
ブルース・ケネディ1995年製作M.ミートケ1702~04年による
ジャーマン2段鍵盤チェンバロとのこと。

この小ホールは、歌声は響き過ぎるくらいよく広がる空間で、
また、ここでチェンバロを聴くことは、控え目でも存在感ある
音色自体を十分に楽しめ、毎回愉悦を感じる。
 この日の演目は

1.A・スカルラッティ
 (1)私は心に感じる
 (2)すみれ

2.ロッティ「美しい唇が言ってくれた」

3.チェンバロソロで
  フレスコバルディ作曲トッカータ第9番

4.カッチーニ
 (1)アマリッリ
 (2)愛の神よ、何を待っているのでしょう
 (3)フィッリは天を眺めて

  (休憩)

5.D・スカルラッティ
  カンタータ「夢の中でさえ熱く思う」より
  アリア「たとえ夢の中であっても」
  レスタティーヴォ「夜明け前にあなたの夢を見た」
  アリア「あなたは去ってしまった」

6.J・S・バッハ
  コーヒーカンタータより
 (1)ああ、コーヒーのなんて甘いこと
 (2)今日にでもすぐ

7.ヘンデル
 (1)オラトリオ「メサイヤ」よりアリア「私は知っている」
 (2)歌劇「ジュリオ・チェーザレ」より
    アリア「非情な運命に涙はあふれ」

アンコール
バッハ&グノー「アヴェ・マリア」

・・・・・・・・・・・・・・・

最初は、ドメニコの父、アレッサンドロの2曲。
ロッティの曲はターンに特徴があった。
カッチーニの「フィッリは天を眺めて」はトリルが印象的。

後半最初のD・スカルラッティの長大なカンタータが
聴きもので、聴き応えあった。
最初のアリアは3拍子の劇的な内容。
最後のアリアはアレグロで、
この2曲ともトリルも印象的だった。

愉悦のバッハに続き、
ヘンデルは特に「非情な運命に涙はあふれ」が
構成的にも歌詞的にも面白かった。

秋吉さんの明るく伸びやかなトーンは、トークとともに、
来場者を幸せな気持ちにしてくれる魅力がある。
今回もとても終始とても温かな雰囲気に満ちた
コンサートだった。

2018年10月13日 (土)

与那城敬さん~充実、貫録のバリトンリサイタル

昨年、菊地美奈さんを招いた婦人国際平和自由連盟
 (WILPF)主催の今年のコンサートは、
バリトンの与那城敬さんを招き、13日午後、昨年同様、
浜離宮朝日ホールで開催された。

オール・イタリア歌曲&アリアによる、堂々たる貫録の
ステージだった。
まずは演目を知るし、感想を記載したい。

ピアノはいつもながら見事としか言い様のない
 谷池重紬子(たにいけ えつこ)さん。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 第1部
1.ロッシーニ
 (1)ゴンドラに乗って
 (2)別れ

2.トスティ
 (1)セレナータ
 (2)理想の人
 (3)最後の歌

3.ドナウディ
 (1)私の愛する人の
 (2)愛する日々
 (3)限りなく優雅な絵姿
 
  (休憩)

第2部
4.レスピーギ
 (1)雪
 (2)霧
 (3)雨

5.プッチーニ 歌劇「エドガー」より「恥ずべきこの愛」

6.ヴェルディ 歌劇「ドン・カルロ」より「終わりの日は来た」

アンコール
 1.レオンカヴァッロ「マッティナータ」
 2.ガスタルドン「禁じられた音楽」
 3.カルディッロ「カタリカタリ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ロッシーニは「音楽の夜会」からの2曲で、3(or 6)拍子の曲。
トスティの「理想の人」はとても素敵な曲。
与那城さんの高音が見事。
有名な「最後の歌」も高音が素晴らしいのと、
最後の<>(クレッシェンド、ディミヌエンド)が
何とも色っぽく、
会場から思わずため息が生じたくらいだった。

ドナウディの歌曲は素晴らしい。
「私の愛する人の」はピアノの響きも美しく、
全体に優雅な曲。「愛する日々」のしっとり感も素敵。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後半はプログラム表記では最後の置かれたレスピーギを
最初にもってきて、歌曲の継続とした構成は正解だと思う。
ドナウディと同年生まれだが、近代的な響き。
「雪」ではピアノ伴奏による(移動ドで言うと)
 「ドラソミ、レソファレ、ド~」という定型の動きが印象的。
  詩的な「霧」でも与那城さんの高音が素晴らしい。
「雨」もドビュッシー的なピアノ伴奏が印象的。

プッチーニの珍しいオペラからのアリアで、
「ああ、これは本当に劇場の歌だな」と、
歌曲とアリアの違いをまざまざと確認できた。
迫力のドン・カルロでの盛大な拍手と歓声に続き、
アンコール3曲もそのまま盛り上がって、
貫録のステージが終わった。
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このWILPF主催のコンサートは、歌手自ら、
相当量のトークも入るという楽しみも加わるものだが、
そうした、出演アーティストの人柄にも触れられる
楽しいコンサートで、ちなみに、
来年は森谷真理さんとのこと。

与那城さんは今、最も充実したバリトン歌手の一人だが、
それでいて、今後まだまだ未知数の、
どこまで成長していかれるのだろう、という期待の膨らむ、
今とこれからこそが楽しみなバリトン歌手だと思う。

2018年10月12日 (金)

ここ半年で観た映画~その25

4月24日に、この半年で観た映画 その24として、
2017年10月~2018年3月に劇場やDVDで観た映画の
感想を書いたのに続き、それ以降の
2018年4月~2018年9月に観た映画の感想を
シリーズの25として感想を記したい。

なお、これまで同様、既に単独でブログに書いたものは
「○月○日のブログに記載のとおり」、とだけにしたい。

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 ユリゴコロ (DVD)

とてもよくできた悲しい物語。とてもよくできている作品。

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 娼年  (劇場)

驚きの内容。原作は石田衣良さん。
以前、門脇麦さん、滝藤賢一さん、池松壮亮さんらが
「愛の渦(うず)」に出演したとき、この内容の作品に
「よく出たな」と驚いたが、インパクトの点でそれを上回る。
何しろ、今一番売れっ子の若手俳優、松坂桃李さんが
全裸頻出の映画なのだから。
事務所等周辺もよくOKしたなと思う。
なお監督は「愛の渦」と同じ三浦大輔さん。

女性の松坂ファンにはこう言うしかないかも。
「今までの桃李クンのイメージを壊したくないなら
 見ないようがよい、いや、見てはダメ」。しかし、
「彼の演じる俳優としてのパフォーマンスの全てを知り、
 確認し、受け入れて今後も応援できる「覚悟」があれば、
 ぜひ見たほうがよい」、と。
http://shonen-movie.com/

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 ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書 (劇場)

不正義も正義も併せ飲んできたアメリカのマスメディアの
真骨頂の一面を知れる。それでも時代が違うとはいえ、
アメリカにおいても時の政府と対峙することが
いかに大変だったかが解る。
それでも立ち向かってきたのが、あの国のマスメディアの
強さ、民主主義の基盤の強さだ。
昨今とかく政府の茶坊主的傾向無きにしもあらずの日本
のマスメディア関係者必見の映画だろう。
http://pentagonpapers-movie.jp/

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 恋は雨上がりのように (劇場)

小松菜奈さんのファンなので、楽しめた。
https://www.youtube.com/watch?v=JuS1V2m03fM

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 万引き家族 (劇場)

6月18日のブログに記載のとおり

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 空飛ぶタイヤ  (劇場)

4月20日のブログに記載のとおり

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 羊と鋼の森 (劇場)

4月18日のブログ記載のとおり

 追記 再び観た映画「羊と鋼の森」

封切り間もなく観て、こちらにも感想をアップさせて
いただいたが、先日、もう一度劇場で「羊と鋼の森」観た。
やはり良い映画だ。
上白石萌音が演じる姉妹の姉がピアニストを目指す決意
を告白し、妹が喜ぶと同時に大変さに言及すると、
「ピアノで食べていこうとは思わない。ピアノを食べて
 生きていく」と応じるセリフは、
鈴木亮平演じる先輩調律師が言う
「才能というのは、凄く好き、ということではないだろうか。
 何があっても継続する執念。
 どんなことがあっても続ける気持」、に呼応する。

前半では「子犬のワルツ」をめぐる両親を亡くした少年の逸話で、
個人それぞれに大切なピアノにまつわるドラマがあること
描き伝える。

後半ではプロピアニストのコンサートに備えての三浦友和演じる
ベテラン調律師がピアノの足の輪の向きを変えることで
響きを変えるプロ技を見せてくれる。

結婚式披露宴(パーティー)会場での山﨑賢人演じる主役
若手調律師が言う。
「どんな天井の高さ、部屋の大きさ、前と後ろの人の
 位置(距離)、どれだけの人が入る場所か、会場か。
 どんな状況でもその時の最上の音を御届ける」。
そのために調律師はピアノを最上の状態に仕上げていく。

これは他の楽器も声楽もいえることでもある。
事前に備える基礎的な準備にして、最初の最大のクリア
すべき絶対条件としてのベストコンディション作り。

奏者はステージで遊んでいるのではない。
都度が真剣勝負だ。技術と肉体的コンディションがあり、
次いでそれ以外でまず重要なものはピアノという楽器の
状態。次いでコンサートホール等、会場の状況、状態。

ときおり~たぶん、ユジャ・ワンを念頭において~奏者の衣装
のことをとやかく言う人がいるが、そんなものは2の次3の次
いやそれ以下だ。
奏者が一番弾きやすい恰好で演奏すればよい。
もし裸が最高コンディションならそれでもよいが、
家ではともかく、さすがに人前ではムリだから、
各人が工夫するだけのこと。

アリス=紗良・オットは裸足で弾く。
きっとペダリング的にそれが彼女に一番フィットするのだろう。
それをもし、「客の前で裸足で弾くとは何事か」と批判する人が
いるとしたら、ピアノと奏者との関係性やコンディション、
あるいはペダリングのことを知らない人のセリフだ。

奏者は多くの面で最高の状態で、そのとき望み得る最高の
演奏をしようとする。そしてそのとき、そこにおいてピアノという
楽器のコンディションを最高に保とうとする仕事が調律師だ。

調律師がいかに大切な存在かを知らない人は
未だピアノと奏者とそこから紡ぎだされる音楽の何たるかを
知らない人と言えるかもしれない。
それほど調律師の仕事は重要である、ということを
教えてくれる映画だ。
https://www.youtube.com/watch?v=g1O7i4jNJ6c

http://hitsuji-hagane-movie.com/

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 祈りの幕が下りる時 (DVD)

劇場で観れなかたので、レンタルDVDで観た。圧巻だった。
東野圭吾原作の映画化作品はほとんど観てきたが、
いつも感じるのは「1つの事件の奥に潜む人間の、
特に家族のドラマ」だ。
その点では、松本清張以来の社会派ストーリーテラー
と言えるだろう。
http://inorinomaku-movie.jp/

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 嘘を愛する女 (DVD)

劇場で観れなかたので、レンタルDVDで観た。
なかなか良かった。悲しい物語。

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 カメラを止めるな! (劇場)

話題作で、先週観ようとしたら希望の時間帯は既に
ソウルドアウト状態で驚いた。
メイキング自体が喜劇になっていて斬新。
親子の問題も入るし、指示する立場が入れ替わるというか
「現場」にこそ真実があるという事を示してくれて面白い。

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 検察側の罪人  (劇場)

大胆な設定。これまでニノさんの俳優としての力量には
疑問を感じていたが、この作品では、むしろ
キムタクを食うくらいの力演を見せる。面白かった。

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 累(かさね)  (劇場)

映画「累(かさね)」を観た。「入れ替わり」自体は、
タイムスリップに次いで邦画でしばしば見られる設定なので
珍しくないゆえ、ある意味、どうということもない内容だが、
普段はピュアな感じの土屋太鳳さんがこれまでにない毒のある
凄みを見せるし、それに負けじと、
これまた普段は静かな感じの芳根京子さんが凄みで挑み、
2人の「対決」が見ものだ。
http://kasane-movie.jp/
https://www.youtube.com/watch?v=ilJDJNVTm5M

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 響 HIBIKI  (劇場)

圧倒的に面白かった。強く推薦します。
作品に対して、人の意見ではなく、
賞などによる世間の評価ではなく、
自分はどう思うか、を
15歳の高校1年生が大人たちに、同世代に問う。
https://www.youtube.com/watch?v=6_9DS6aASSY
http://www.hibiki-the-movie.jp/index.html

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 コーヒーが冷めないうちに  (劇場)

タイトルが良い。仕掛けは、ここ20年くらい邦画の
ほとんどビョーキ的なまでの陳腐なワンパターンである
タイムスリップもの。でも、この作品は楽しめる。
とにかく、女優陣が素敵だし、
まず、薬師丸ひろ子さんと松重豊さんの夫婦の逸話に
ホロリとする。
次いで、吉田羊さんの妹さんとの逸話にも。
最後に来て、それまで謎の役を演じている石田ゆり子さんと
ヒロイン有村架純さんとの関係性が明かされるが、
未来から来る少女の仕掛けが解り難いまま終わり、
モヤモヤ感が残る。
しかし、それは、エンドロールの途中で退席せず、
最後まで場内で映像を見続ければ、最後の最後で
それが説明される仕掛けになっている。
それでも不思議感は残るが、未来との二十構造、
時間も空間もワープする重層的な設定ととらえれば
よいのだろう。
最後の展開は相当ムリがあるが、所詮最初から
御伽噺的な物語なので、設定自体よりも、
たいせつな人との別れ、それに至るまでの生活を大切に
するというメッセージを楽しめばよいと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=ekipOg9jkTI
http://coffee-movie.jp/

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 今夜、ロマンス劇場で (DVD)

なかなか良かった。
今年(2018年)亡くなった加藤剛さんの映画最後の出演作。

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 ナミヤ雑貨店の奇蹟 (DVD)

またもやタイムスリップものか、と唖然愕然としても、
そこは何といっても東野圭吾原作だ。
そのまま観続けることを薦めます。
 テーマは再生。
人生は絶望に値しない。メッセージは時空を超えて伝わる。
劇中とエンディングで使われる山下達郎さんの「REBORN」が
素敵な曲。
http://namiya-movie.jp/

映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』門脇麦が歌う「REBORN」MV映像
https://www.youtube.com/watch?v=zwIPf3522Aw
山下達郎 「REBORN」
https://gyao.yahoo.co.jp/player/00107/v09471/v0947100000000540097/
https://www.youtube.com/watch?v=ey_fFpXYAXg
ショートヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=MP8R_ygE-lE

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 8年越しの花嫁 (DVD)

実話に基づく作品。土屋太鳳さんが熱演。
こんな演技を見せられたら誰でも彼女を好きになるに違いない。
男性の優しさが凄い。それを演じた佐藤健さんも自然体で
良かった。
http://8nengoshi.jp/

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 心が叫びたがってるんだ。 (DVD)

とても良い青春ドラマ。
あのころに戻りたいと思わせる素敵な内容。
https://kokosake-movie.jp/

2018年10月11日 (木)

嬉しい反応~「エリヤ、素晴らしい演奏でした」と声をかけられ

別途書いた「椿姫」の開演10数分前、客席でフライヤー(ちらし)を見ていると、60代位のご婦人が「あの、失礼ですけれど、昨日「エリヤ」を歌っていたかたでしょうか?」と声をかけてきた。
私「ええ、そうです」
ご婦人「やはりそうでしたか。昨日ステージでお見かけした人に似ているな、と。とても素晴らしい演奏でした」
私「それはどうもありがとうございます。恐れ入ります。これからもどうぞ「鯨」をよろしくお願いします」、というようなやりとりをした。
とても驚いた。プロ演奏家ならともかく、アマチュアの、合唱団の一員としてステージに立っただけの私に、こうしたお声かけをいただけるとは。何よりこれは、合唱団にとって名誉なことに違いない。
私は出演者として客観的に演奏に満点は付けられないが、お客様に喜んでいただき、楽しんで帰途についていただけたことは何物にも代えがたい大きな喜びだ。このこと自体には多分プロもアマもなく同じだろう。
プロアマを問わず、演奏当事者は、演奏において都度、様々な感想や反省点や達成感等を抱くのは当然だけれど、何より、お客様に喜んでいただけたこと、楽しんでいただけた演奏だったとするなら、演奏者冥利に尽きる。演奏者の最大の喜びは自己満足ではなく、来場されたお客様が楽しんでいただくことにあるのだから。
こうして来場していただけるお客様がいること、楽しんでいただけるお客様がいることは、本当にありがたいことだ。

«椿姫~町田シティオペラ協会主催のオペラシリーズ第6弾

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