2008年7月18日 (金)

みっちゃん

2008年7月15日 (火)

プロフェッショナル 羽生VS森内

今年の名人戦は、子供もころからの旧知のライバルである、
森内俊之名人に、羽生善治氏が挑むものとなった。

その連戦の様子をNHKテレビ「プロフェッショナル」がカメラで追い、
それを振り返るかたちで、1人1人(別々に)スタジオでのトークを
織り込みながら、番組は進行した。

名人位奪還に成功した羽生さんだが、1997年の驚異の「7冠」
以降、30歳代に入ってからは、結構スランプというか、苦闘の時期
を経験されたようだし、逆に「自分はダメか」と20歳代を悶々と過ごし
てきた森内さんは、昨年まで名人位を5期連続守り、「永世名人位」
という称号に関しては、羽生さんに先んじて与えられるという栄誉を
得た。

この2人の文字通りの「息詰まる」ような勝負と、2人がそれぞれの
場面で10歳からの27年間の中で対戦してきた「歴史」に、
かつての、とはいえ将棋ファンの端くれとして、大変深い感慨をもって
興味深く見た。

また、対局の控え室には、谷川元名人のほか、私が小学校
4年生で将棋を覚えた(やり始めた)ころから、将棋に関する
著作本などで名前を知っている、加藤一二三(ひふみ)さんも
お元気な姿でコメントしていた姿にも感慨を覚えた。

継続する偉大さ、とでも言おうか。
あるいは、何歳になっても何かに挑戦する姿勢、その大切さ、
あらためて画面に登場した全ての棋士の皆さんからあらためて
教えていただいたような気持ちで、番組を見終えたのだった。

2008年7月13日 (日)

辻井伸行さんの奇跡

全盲のピアニスト、辻井伸行さんについては、報道ステーション(旧・
ニュースステーション時代だったか)等の番組で何度か紹介されて
きたので、彼がもっと幼いころから、多くの人は知っているはずで
ある。

今年、1月31日のサントリーホール(大ハール)でのソロ・リサイタル
は都合で行けなかったが、本当に嬉しいことに、そのライブのDVD
が最近発売された。

 続きは後日書きます。

クラシックピースその5 バーバー「弦楽のためのアダージョ」

アメリカ人作曲家、サミュエル・バーバー(1910年~1981年)が、
当初、弦楽四重奏曲の第2楽章として作曲したものを自身、
弦楽合奏用とし、1938年、トスカニーニ=NBC交響楽団により
初演されたもの。

静かに悲痛に開始され、それが8分前後にわたり、徐々に
クレッシェンドして「ピーク」を創ったのち、静かな余韻で終わる
感動的な名曲。

CDは初演者によるもの(7分台)もあるが、いくつかの録音で知る
限り、演奏時間は8分前後のものが多い中、
バーンスタインがロスアンジェルスフィルハーモニー管弦楽団を
振って1982年に録音したものは、たっぷり10分以上かけて
綿々と歌い紡ぐ。
そのエスプレッシーボの感動的なこと。さすが、バーンスタインだ。

そうした激烈さより、もう少し控えめの演奏を、という人には、
ジェフリー・サイモン=フィルハーモニア管弦楽団のものを一応
記しておこう。


あの何とも居た堪れない悲しい映画、「エレファント・マン」(公開
=1980年、日本は1981年)や、戦場の理不尽さを描いた映画
「プラトーン」(公開=1986年、日本は1987年)にも使われた曲、
といえば、思い出す人もいるかもしれない。

悲しいときに聴いても、別に悲しくないときに聴いても、
「落ち込む」どころか、大きな感銘に勇気付けられるに違いない。
暗い曲の中でも、お薦め中のお薦めの曲。

ちょっといい話 2題

その1
イタリア、フィレンツェの大聖堂などの壁への「落書き」の話題が
あった。
ああいう、公共の、それも歴史的な建造物に、「記念」だか何だか
知らないが、「落書きするヤツの気がしれない」。全く理解できない。

フィレンツェは一度だけ行ったことがあり、同じ時期、別の学生ツァー
で着ていた合唱団の後輩に偶然バッタリ会って、仰天したり、
巨大なビフテキが安価なのに驚いたり、もちろん、ポンテ・ベッキオ橋
や、ド-モ(の付近等)でゆったり過ごしたり、懐かしい思い出が
ある。

あのころ、私を含めた若い衆の間では、特に、落書きなどという、
「子供じみた記念ごっこ」的なことをしたがる風潮など全く無かった
ように思う。
最近の日本人の「堕落の一環」か?

もっとも、これに対して、同市に、「同じ日本人として恥ずかしい」
と、謝罪するメール等が多く届いたという。
これについて、同市の関係者は、
「日本人によるものは、実は他の欧州人等によるものより、
 ずっと少ないのです。同胞の非を謝罪する人の多いことに
 むしろ、そういう日本の皆さんに敬服する」、と
コメントされたという。

ちょっと救われた感じ。ちょっとだけ、いい話。


その2.
先日の、岩手・宮城内陸地震。それが起きる前、
宮城県栗原市は、「同じ名前」ということで、女子ナレーボールの
「栗原恵さんを応援しよう」ということで、所属するパイオニアチーム
に、「野菜を贈りたい」旨、連絡したという。
そして、その翌日に地震が起きたため、当然いったんストップ。

その数日後、今度は、栗原恵さんから、市民へのお見舞い、
激励メッセージ(大きな模造紙書き)が市に届いたという。
ちょっといい話。

2008年7月11日 (金)

森麻季さん産前リサイタル

仕事の関係で、少し遅れたが、東京オペラシティでの、森麻季さんの
ソロリサイタルを聴く。昨年に続き、このホールでの演奏会。
ピアニストは同じく、山岸茂人さん。
麻季さんが「違う」ことは「おなかが大きいこと」だ。
9月にご出産予定のはず。
今日が産前最後の演奏会かどうかは知らないが、いずれにしても、
じき産休に入られるだろう。

見た目も当然、はっきりわかる状態だが、声の素晴らしさは全く
変わらない。
間に合わなかったタイムで歌われた曲のほとんどは昨年聴いている
ので、まあいいか、というところ。
私が聴いたのは、コルンゴルドの「3つの歌」より
“私にとってあなたは” この人の声を一言で言うなら、「気品」という
言葉が思い浮かぶ。
一言、と言ったが、付け加えると、「清涼感」ということかもしれない。
幸田浩子さんの「可憐さ」とは違い、もちろん林美智子さんの
「妖艶さ」とも声質は全く異なる。

完璧な音程のコントロールの上に、清楚にして気品のあるテイストが
加わり、ホールへ広がる声の魅力は、本当に素晴らしい。
カラフルな衣装から、山岸さんのソロ、ブラームスの「間奏曲」
Op.118-2の後、ステージに登場した際は、ラメのあるブルーの衣装。
マーラーの第4交響曲の終楽章を歌った。
CDでも、亡きベルティーニ=都響で出ているし、その折も感じたが、
ドイツ語の展開の速い部分だと、やや「弱さ」を感じなくもない。
マーラーやドイツ語の歌曲の難しいところかもしれない。
曲の後半、ズンとテンポを落として、たっぷり歌ったのは良かった。
この曲はテンポが遅い演奏が好き。
キャスリーン・バトルが、マゼール=ウィーンフィルと録音した歌唱は
本当に素晴らしかった。


休憩後の後半は、麻季さんにしては、「挑戦的な」というか、
珍しいもののように思えた。「近・現代もの」なのだ。
黒いドレスで登場。

1.まず。カルローネという人の「私の人生は海」
1970年生まれのイタリア人で、会場にいらっしゃっていて、歌唱後、
麻季さんに促されて立ち上がって拍手を受けていたから、あるいは
「旦那さん=ご主人=お腹の子のパパ」かもしれない。
ご主人はイタリア人作曲家、ということは知っていたので。

2.次いで、カゼッラ(1883~1947)という人の「14世紀の3つの歌」
からm“美しい鳥籠から” と、
“可愛い人よ、私はあなたに恋している”
後者はオペラチックで面白かった。

3.次いで、アルバン・ベルク(1885~1935)の「7つの初期の歌」より
“ナイチンゲール” と、“夏の日々”
「ヴォツェック」のイメージから入ると、良い意味で「裏切られる」。
「これ、本当にベルクの曲?」というくらい、「美しい」。
ベルクについての新しい発見だ。

山岸さんのソロ2曲目のグラナドスの曲のあと、
薄いピンク色のゴージャスなドレスで登場して、
4.ストラビンスキー(1882~1971)のオペラ「道化者のなりゆき」より
“トムの知らせが来ない” と、“あの人のところへ行きましょう”
ストラビンスキーとは、ある意味ではベルク以上に意外だったが、
麻季さんの声と結構合っているように思えた。

正規なプログラムは、ここまで。
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もちろん、アンコールあり。
「温かい拍手、ありがとうございます」と挨拶した後、
以下、全ての曲名を聴衆に伝えてから歌われた。

1.プッツーニの「ジャンニ・スキッキ」より“私のお父さん”
 麻季さんがこの曲をステージで歌うのは、3~4回聴いているし、
 CDにも収められているが、今夜の歌唱は、そのどれよりも
 良かった。何故だろう? 「赤ちゃん」=母親になることでの
 決然たるまでのエネルギーを感じたからか。
 終わり近くのフェルマータ・ロングトーンも、たぶん今までで
 一番長く伸ばしていたと思う。
 「産前最後の充実した精神、気力?」というところか。素晴らしい。
 そして、昨年のアンコール時と同様、ステージの後方(通常の
 背中側=パイプオルガン側)のお客さんや、左右両側の聴衆に
 体の向きを変えながらの歌唱は、この人の優しい人柄を感じる。
 歌唱後、聴衆からは、拍手だけでなく、大きな歓声。

2.「今年は災害がたくさんありました。亡くなられたかたに・・・」
 として、バッハ=グノー編の「アヴェ・マリア」

3.プッチーニの、先日わがOBオケでも演奏した、「ラ・ボエーム」
 から、第二幕の有名なムゼッタのアリア、
 “私が街を歩いているときは”
 この曲も、ステージで以前聴いたことがあるし、CDにも収められて
 いるが、やはり、それらよりも、今夜の歌唱が最高に立派。
 何故か?また、「赤ちゃん」のことを思い、「母になる「強さ」が、
 「はじけさせた」のかなあ」、と想像。
 とにかく、役柄に為りきったような、「豪快な歌唱」。

4.思いもかけない曲。「千の風になって」
 清らかな声で「私のお墓の前で、泣かないでください」、と
 歌い出された瞬間、ジーンとして「泣きそうになった」。
 このときも、1曲目同様、後方を振返り、あるいは少しずつ
 左右両側に体を向けて、その方角の聴衆に語りかけるように、
 そして終わり近くには正面を向いて歌われたのだった。

5.前回同様、「最後ですが」(会場爆笑)として、彼女の「おはこ」
 の1曲でもある、ドニゼッティの「シャモニーのリンダ」より、
 “私の心の光” 
 素晴らしい。「これぞコロラトューラ」と言うべき名唱。
 聴衆、大興奮。

The end.
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「麻季さん、どうぞ、安産であることをお祈りしています」

母になられてからも、結構、早々に(12月ころから)演奏会が
決まっているようだ。嬉しいやら、「ムリなさらずに、ごゆっくり」と
言いたいような、複雑な心境。でもまあ、もちろん、今後の更なる
ご活躍を期待することには変わらないが。

もう一度、「ご安産でありますように」

2008年7月 9日 (水)

お知らせ

7月1日付の「この半年で観た映画その5」を書き終えました。
ご参考としていただけたら、幸いでございます。


また、7日付の、6日に演奏した「ラ・ボエーム」ですが、
あまりにも感動が深く大きいので、うまくまとまらず、
今しばらくお待ち願います。

2008年7月 7日 (月)

私達の「ラ・ボエーム」

2008年7月 4日 (金)

幸田浩子&林美智子デュオ 至福のひととき

日本の優秀な多くの声楽家の中にあって、今、人気、実力とも
話題の中心の中に間違いなくいる2人、ソプラノの幸田浩子さんと
メゾソプラノの林美智子さんのデュオリサイタルを聴いた。
2006年、2007年と、夏の土曜日に、フィリアホールで開催して
きていて、2回とも私は拝聴している。
今年はフィリアの日程に無いので、お2人ともお忙しいし、今年は
都合がつかなかったのだな、と思っていたのだが、この日、
川口のリリア音楽ホールで開催されたし、今年他に、九州とか、
日本の各地で行うようだ。

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今度の土日は忙しいので、数日後に続きを書くことになるが、
内容といい、魅惑の人気歌手が2人で、というかたちといい、
少なくともこうした「デュオ」というスタイルでは、今の日本人
歌手の中で、この2人の組み合わせ以上に魅惑的な
「カップル」は、ちょっと想像できない。
これは、今日も会場で会った幸田さんのCDプロデューサー、
N君との会話でも同意見であったし、こうした演奏会が
行われていて、そしてもっと多くの人達に足を運んで欲しいものだ
と、つくづく思う。

幸田さんは(私は仕事の関係で行けなかったが)、
つい1週間前は、二期会公演で、R・シュトラウスの
「ナクソス島のアドリアネ」で、ツェルビネッタ役を歌ったばかり
だし、林みっちんも、ソロリサイタルが今月控えているし、
本当に大活躍の2人だ。

  では続きは後日書きます。

四元奈生美のてくてく北京

愛ちゃん以来の卓球界のアイドル、というか、奇抜でセクシーな
スポーツウェアでここ数年評判の四元奈生美さんが、北京市を
歩く番組が、HNKで放送された。

北京の街も、新旧入り乱れて、魅力的だが、近代性という点では
4月に訪問した上海のうほうが「現代性」が強い感じがする。
でも、それだけ、北京の歴史的存在感(空気)というものの対比
が感じられて興味深かった。

それと、街の人々の、なんという「気さくさ」、「フレンドリーさ」
だろう。誤解を恐れずに失礼ながら例えていうと、日本での
あの「三丁目」の時代の人々の「ひとなつこさ」が感じられる。

もちろん、オリンピックを控えて、そして最近ようやく「関係」が
良い感じになってきた日本からの、
「卓球の巧い可愛い子ちゃん」による紀行と、それに同行する
テレビカメラへの興味、自分たちのことに関心を向けてくれる
他国メディアへの関心やアピール等、ということはあるのだろう
けれども。

こういう、世界各地の状況を、「世界ウルルン滞在記」も含めて
人々の生活を紹介する番組はとても素敵だし、貴重だ。
バカげたお笑い芸人ばかりが跋扈(ばっこ)する番組には
いいかげんウンザリだ。

2008年7月 3日 (木)

「オイルマネーバブル」は、いつ「はじける」か?

「バブル」が「バブルである限り」、
「はじけないバブルは、絶対に有り得ない=必ずハジケる」
という感覚は、1980年代から1990年代にかけて、証券界や銀行、
金融系の企業にいた人なら、間違いなく、理屈以前に、
「100%、肌身で理解できる」と確信する。

今の原油高は間違いなく「バブル」だと思う。
中東ドバイの原油スポット価格は、6月30日、1バレル=136.45ドル
を付け、最高値を更新しただけでなく、07年12月末からの半年間
での上昇率は5割を超えた(1.5倍になった)。

同じ日、ニューヨークの商品先物市場では、原油先物相場は
1バレル=143.67ドルを付けた。

ちなみに、2年前の06年では、1バレル=50~60ドル前後、
8年前の2000年のときは、1バレル=30ドル前後で推移していた
のだから、その高騰びりが判る。

  もう少しだけ、続きを後日書きます。

2008年7月 2日 (水)

「文書通信交通滞在費」不要論

国会議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の
歳費を当然受ける。

「平均的?」には、
(1)月収(給与);月額=130万前後
(2)歳費手当(いわゆるボーナス)は年間600万円前後
(3)「文書通信交通滞在費」は、月額=100万円

こうした「歳費」=税金が、毎年国会議員1人1人に
支払われる。

もちろん、その他の特権としては、JR全線無料(新幹線、
特急等の料金も含む。グリーン車も可)パス券の給付、
航空機も月4往復分無料、 家賃が10万円以下程度の
議員宿舎(ここ数年、問題視されているとおり、立地、設備等
の面で、民間世間相場から見て明らかに廉価) などだ。

タイトルとした、(3)に至っては、「交通費等」の「等」の字が
「くせもの」で、なんと、「領収証、使途明細書の提出は不要」
なのだそうだ。
要するに、「何でもOK状態」なのである。

十中八九、「お小遣い」ないし、それに近い内容で使用されて
いる、と疑われてもしかたがないと思う。

こういう問題にこそ、「野党」は自ら率先して提起して、
改善すべきだろうに。
だから、いつまでたっても、政権を奪えないのだ。

とにかく、こんなムダな税金による予算、即刻廃止すべし。

救急車の不当利用者には罰金を科せ

たいした容態でも状況でもないのに、「まるでタクシーを呼ぶかの
ように」救急車の出動要請電話をする人が増大していることが
問題になって久しい。

単なる「ヨッパライ」、「ちょっとした切り傷」、中には、
「女房とケンカして、ころんで足を擦りむいたんだ」などという
アホ話、マンガにような話が実際、多発しているらしい。

とにかく、甘えったれた、「ガキのような大人」が、ここ数年、
日本に増加している気がする。
公共道徳、という点では、日本はシンガポールの遥か下に
まで「転落、堕落」していると思う。
あの国の状況をテレビで詳しく見たことがあるが、日本人は
完全に道徳的に「下位者」に成り下がっていることを知るべし。

「いいかげん、「バカ」は卒業してください」

刺激的タブー挑戦シリーズ6 「ブランドは所詮、「幻想」にすぎない」

先月、イブ・サンローラン氏の訃報に接した際、別に氏に特に
「文句」や「いっちゃもん」を付ける気は全く無いものの、特に
多くの女性が、国籍を問わず、「ブランド」に惹かれる理由を
少しだけ考えた。

女性ではないから、ということはあるにしても、ここ数年、
日本への進出の目覚しい、というか、うざったいというか、
ヴィトンとか、シャネルとか、銀座だけでなく、池袋やどこやら
やたら目に付く。

不況といわれ始めた1990年代後半から、巨大で豪華な
高層マンション群や、立派なオフィスビルの、それも駅直通等
の一等地に次々と建設されることと相まって、「ブランド」店の
増加には、「どこが不況?」という、ある種の違和感を感じる。

そういえば、私が1980年代から90年代半ばまで勤務して
いた丸の内なんて、いわゆる「三菱村」の、まあ、歴史的風格
はあるものの、殺伐とした、「ただのオフィス街」だったのに、
都庁が移転した跡地には、「ラ・フォル・ジュルネ」でお馴染み
の東京国際フォーラムはできるは、三菱系のビルの1階は
それこそ、ヴィトンだの、高級ブランド店やブティックがならぶ
など、「昔では想像もつかなかった状況」を呈している。
コンビニさえ無かった地区。今は丸ビル(自体もご存知の
とおり、新丸ビルとともに完全改装で、昔の面影は皆無)の
ウラにしっかり、コンビニもある。

話が飛んだが、例の「船場吉兆」の件で一番感じたのは、
以前も書いたが、使いまわし云々以上に、まず
(1)同族経営の脆(もろ)さ、すなわち、内部告発の意図を
  読んで、労務状況を変えようとしなかった「驕(おご)り」
  と、組織体の無さという脆弱さ、だったし、
(2)名門だか、高級だか知らないが、「所詮」料理屋さん
  でしょ?、ということだ。

誤解のないように。料理屋さん自体、立派な仕事だと思うが、
どうして、「一流」とか「老舗」とかいう認識が生じ、
それに、経営者側が「うぬぼれるのか」が不思議なのだ。

もちろん、学校にしても、楽団にしても、「一流」、「名門」が
出来て来る過程とか必然性等々は理解できる。
しかし、どんな団体、組織体、お店であれ、それを認めるは
「お客様」であって、当事者ではない。
当事者も良い意味でのプライドは持っても自然だし、それが
プラス作用にも繋がるから肯定されてよいが、少なくとも
当事者側が「驕り」、すなわち、お客様、消費者、鑑賞者
等々を、「ないがしろにした瞬間から、ブランドとは名ばかりの
ただの幻想体」であることが立証されてしまうのだ。

お客様も、実は「幻想」、「虚構」であることは、とうに知って
いる。それでもなお、それに夢中になるのが「ブランド」
なのだろう。
私は興味は無いが、それ自体、そうした心理自体を、特に
否定したり、軽蔑する気は無い。

「虚構」を一生懸命創作している人達にも失礼だ。
そのくらいの道理はわきまえているつもりだ。

2008年7月 1日 (火)

この半年で観た映画その5

前回「その4」として書いたのが、07年10月21日付なので、
「この半年」というより、07年11月からこの08年6月一杯までの分
についての感想なので、「この8か月間で観た映画」、と
すべきかもしれない。

タイトルはともかく、これまでのように、簡単なコメント書きの
スタイルで列記してみたい。

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「パリ ジュテ-ム」 (DVD) 7分程ずつの小話が16、オムニバス形式
    で、描かれる。一見ドキュメンタリー風だが、もちろん創作。
    パリで暮らす人々の日常と非日常がシリアスに描かれて
    いる。ファンタジーも交えての「粋」な作品。

「花田少年史」 (DVD) 当初は、例の「現世人と死者との対話」
    という、ここ数年の「陳腐な設定、ブーム」によるようだった
    ので、劇場には行く気にはならなかった。それでも、一応
    DVD化されたので、期待せずに見たが、結構楽しめた。
    ちょっと感動さえします。一応、お薦め、としておきます。

「アジアンタム ブルー」 (DVD) 先日も書いたが、最近活躍が
    目覚しい、松下奈緒さんの主演。見たのを忘れていたくらい
    だから、作品としては「ありきたり」。
    「出会える」ことの大切さ、ということは伝わるが。

「紙夜悦子の青春」 (DVD) 黒木和雄監督の遺作。
    「静かな戦争もの」という、独特の作風を晩年世に贈り出して
    きた監督だが、これはあまり良いとは思わなかった。

「アルゼンチンババア」 (DVD) 内容をよく覚えていないくらい
    だから、「その程度の」ものだったと思う。
    変わった設定ではあったはず。

「バベル」 (DVD) 話題になった映画だ。劇場で見ていなかった
    ので、DVD化されてから見た。
    私の感想(結論)から言うと、世評ほど優れた作品とは
    思えなかった。確かに、「善意の人達は確実にどこにでも
    いるのに、何かが(懸念、疑念等)が「間」に入ると、
    人間のコミュニケーションがうまくいかない、ということは
    日常、多々ある」だろう。また、全編に漂う人間社会の
    孤独感の表出は見事で、不思議な映画ではある。
    それでも、「名作」と呼ぶには抵抗を感じるし、菊池凛子
    さんも健闘しているものの、あの程度の演技で、世界的な
    大きな賞を得られるほど、俳優の世界は甘くはないと思う。

「ラブ・アクチャリィ」 (DVD) 若い人に人気があるというので見始め
    たが、途中で眠ってしまい、そのまま。ゴメンナサイ。

「アース」 (劇場) 2月11日のブログに記載のとおり。

「眉山」 (DVD)  松嶋菜々子さんがやはり魅力的だ。

「ラストコーション」 (劇場) 3月8日のブログに記載のとおり。
          DVD化されたら、当然また見る。

「犯人に告ぐ」 (DVD)  トヨエツ、カッコイイ。
      「犯人に告ぐ。お前の逮捕は時間の問題だ。
       今夜は震えて眠れ」、
      のセリフが特にカッコよかった。

「HERO」 (DVD) 豪華オールスター勢ぞろいの話題作だったが、
      新聞評は、総じて酷評に近かった。そういうわけだから、
      というわけでは決してないのだが、劇場に行けなかった
      ので、DVD化に伴い観た。
      そんなにヒドイ作品とは思わない。結構、楽しめます。

「象の背中」 (DVD) これも話題になったが、劇場に行きそびれた
      ので、DVDで観た。 今井美樹さんが素敵。
      物語を「キレイごと」にしないためか、「愛人」を設定した
      点にはやや疑問を感じる。その必要はあったのか?、と。
      それにしても、その愛人役の井川遥さんも相変わらず、
      とても魅力的。

「うた魂♪」 (劇場) 5月5日のブログに記載のとおり。最高。
      今のところ、私にとっては、今年のNo.1作品。

「キングダム」 (DVD) これも劇場で観そびれたので、DVDで観た。
      サウジと米国の「闇の部分」を迫力ある展開で一気に
      描いている。お薦め、としていいと思う。

「ブレイブワン」 (DVD) 5月17日のブログに書いたとおりだが、
      「凄い作品」で、ヒロインの心情と、敢えて言うと、その選択
      した行動にも、全面的に共感する。
      ラストシーンが「ありきたりではない」のが良い。

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」 (劇場)
      「長く、重い」映画だ。当時の青年層に影響を与えた
      若松孝二監督の「総括」なのだろうし、撮ろうと思った
      キッカケが、「突撃せよ!あさま山荘事件」という映画に
      「激怒」したことから、というのは理解できる。
      私は、「権力側から撮った作品なんてどうせろくでもない
      ものだろう」との想像から「突撃せよ~」は観ていない
      のだが、その予感は、若松監督の「激怒」から証明された
      ようだ。
      この若松作品は、オーディション中心にほとんど無名の
      俳優が多く演じているのだが、当然ながら皆真剣で、
      圧倒される。
      ほとんど唯一「有名」な人は坂井真紀さんだろうが、
      彼女も、自分自身への「総括」=「制裁}の場面での、
      その直後の顔など、メーキングによるものとはいえ、
      ここまでやるか、というくらいの真剣さが伝わる。
      あの時代と事件に関心が無い人は見なくてもよい。
      でも、DVD化されたら、少しでも興味が沸いたら観て
      欲しい。「あの時代とは、「彼ら」とはなんだったのか?」を
      少しだけでも考えてみても悪くはないだろう。

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」 (DVD) 初回作は劇場で観て、
      ボロ泣きしてしまったが、続編は劇場に行きそびれた
      ので、DVDで観た。
      新聞評などでは、前作のほうを評価するものが多いよう
      にも思えたが、私はむしろ、この続編のほうを更に
      高く評価したい。とても良かった。
      物語の「重心」を「小説」=言葉、ラブレターに置いたのが
      素敵だ。

「ショコラの見た世界」 (DVD) 素朴なファンタジー

「ミッドナイト イーグル」 (DVD) 奇抜な設定。
      息詰まる展開がなかなか良い。

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以上です。最後の2作品は、竹内結子さんが出ている。
以前は、「美人だけど、いろいろな人に少しずつ似ているという感じ
で、どうも存在感はイマイチだなあ」と思っていたのだが、
最近関心を持ち始めたところ。あと、松下奈緒さんも。

あと、ALWAYSにしても「うた魂♪」にしても、薬師丸ひろ子さんは
本当に素敵で、若いころにも増してファンになっている。
彼女が出演する映画は全て見逃せない。
欲を言うなら、「もっと、歌も歌って欲しい」。
1年ほど前だか、NHKだったかで「セーラー服と機関銃」を歌うのを
聴いたが、5月5日の「うた魂♪」評でも書いたように、歌声も本当に
魅力的なのだ。NHKのそのテレビでは、
「テレビで以前歌ったのが何年前だか思い出せない」くらいだった
そうだが、これからは歌もどんどん歌って欲しいと思う。

2008年6月30日 (月)

クラシックピースその4 「森のささやき」(楽劇「ジークフリート」より)

ベートーヴェンの第9の、終楽章ではなく、まず冒頭の、ホルン、
第2ヴァイオリンとチェロによるaとeの完全五度の和音による
出だしから音楽に「開眼」した私だったが、キッカケ(最初に好きに
なった曲)は人それぞれだとしても、多分、多くのクラシック好きが
次、すなわち次期としては中学生か高校生時代に「衝撃」を
受ける作品の1つは、まず間違いなく、ストラビンスキーの
「春の祭典」だろう。

オケマンから、「ハルサイ」の通称で呼ばれるあの曲は、
めくるめくリズムの不規則性、迫力ある攻撃的推進性、
不協和音と、音の「ぶつかり」と、変則的な数式的な構成
・・・ただしそれは完璧に計算されたものとしての、だが・・・に、
ただただ誰もが驚嘆した時期はあっただろう。


私は、「ハルサイ」の次に、ほぼ同じころ、「ハルサイ」とは
全く対照的だが、美しい叙情性、風景を想像させる曲として
「衝撃」を覚えた作品が、ワーグナーの「ニーベルゲンの指輪」
四部作、正確には、序夜=「ラインの黄金」、
第一夜=「ワルキューレ」、第二夜=「ジークフリート」、
第三夜=「神々の黄昏」の中の、第二夜だけど、実質的に
3曲目である、楽劇「ジークフリート」の中の、
「森のささやき」と呼ばれる「部分」だった。

美しい風景、情景を想像させる曲は、ヴィヴァルディの「四季」
には、いろいろ意見があるだろうから、何と言ってもロマン派に
多いのは、楽器の発展や時代的環境の変化という自然な
現象と言えるだろう。
その先駆けとしては、もちろん、ベートーヴェンが珍しく表題等
を付した「田園」があるし、本人の表題では無いが
「スプリング・ソナタ」も本当に春の「のどかさ」「平和なぬくもり」
を感じてくれるものだし、もちろん、その後の作曲家でも、
シューベルトの「未完成」の第2楽章や
ブラームスの第2交響曲、ドボルザークの第8交響曲、
ブルックナーの第7交響曲、あるいは、シベリウスの第2も
美しいが、シベリウスの第5交響曲の冒頭などは
「朝焼けの美しさそのもの」だし、マーラーの交響曲も、
そのほとんどには、それぞれどこかしらには素晴らしく牧歌的で
美しい部分がある、等々、挙げたらきりがない。
リストの交響詩「前奏曲」も、作品としては特に第1級とは
言えないにしても、中間部の田園風景部分は美しい。

こうした中で、オペラの中で、そういう自然の美観を感じさせて
くれるものは案外少ないかもしれない。


だが、この「森のささやき」の素晴らしさはどうだろう。
物語は長く複雑なので、解説は省略するが、孤児として
生まれたが故か、「恐れ」というものを知らないジークフリートが
あるキッカケのときから、小鳥の声が聞こえるようになるシーン
が、この場面。
だから、CDで、この楽劇の全曲からの抜粋盤や、もっと、
すなわち、四部作全部の中からの抜粋盤(このほうが多く市販
されている)で、この部分を聴くと、当然、最初のほうで、
ジークフリートの声、というか断片的な歌が入ってくる。

あるいは、全曲盤としてではなく、管弦楽編として、独立して
四部作のそれぞれ有名な部分を抜粋したもの(歌無し)は、
最初の部分もオケだけで演奏されている。
その序の部分はハ長調を基調としているが、しだいに、
弦が波打つように細かな音符を(トレモロではないが、
そのように)弾き始める部分はホ長調が基調となり、
「小鳥たち」による「森のささやき」の場面に入っていくのだ。

その弦による「葉のざわめき」(森の静かなざわめき)に乗って、
その中を、まず、オーボエの呼びかけに始まり、
フルートが高音から低音に降りる旋律の何と素敵なことだろう。

そして、クラリネットとオーボエが「声をかけあう」ようにしてリード
するのだが、聴きようによっては「かけあい」ではなく、むしろ、
「僕は君とは違う種類の鳥だよ」と、けっこう個性の違いを強調
し合っているようにも聴こえるところが面白い。
そして、その間をぬって、フルートが、
「いいや、一番自由なのは僕だよ」と言うがごとく、
美しい「さえずり」で何度も駆け抜けるのだ。

こうした、優しく、温かく、「微笑ましい」シ-ンが、ごくわずかな
時間ではあるが至福の瞬間を我々に享受してくれるのである。

序(入り口)からでも8分前後、ホ長調の「ささやき」に入って
からの、そうした心地良い部分は更に短く、ほんの5分ほどでは
あるが、これこそ、天才ワーグナーの成し得た
名オーケストレーションの1つ、と言えるだろう。
聴いたことのない人は、ぜひ抜粋盤で聴いてみてください。

2008年6月29日 (日)

今日のテレビ番組から

この日午後は、OBオケの練習後、夜は気の合う友人との
「反省会」&ニ次回で深夜の帰宅になったので、見たい番組は
当然、タイマー録画しておいた。

1つは、NHKホール開設35周年記念ということでの、
「N響オンステージ」という番組で、ゲストが2人、本人の最初の
自己紹介であもあったように「NHKではほとんど顔を見れない」
久本雅美さんと、こちらはニューイヤーオペラでもおなじみの
幸田浩子さん。

「クラシックビギナー」としてのマチャミさんが、いつものように
笑わせながらの進行。
幸田さんが歌ったのは、「「こうもり」より、
「伯爵様、あなたのようなお方は」。

また、話題としては、「名曲アルバム」は1976年4月5日の、
ドボルザークのスラブ舞曲第10番ホ短調で、当時のプラハの
映像が流れた。よく覚えている。もう32年も経つわけだ。
32年間に1,110本、撮影のための訪問国は41カ国という。
また、ホールのパープオルガンの解説もあり、裏(奥)等を
含めて全部で7,640本のパイプを使っているという。

マチャミさんと、幸田さんという異色ゲストの愉快な番組
だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう1つは、N響アワーでなく、年に何回かN響以外のオケをの
演奏を伝える、「オーケストラの森」。
この日は、インバル指揮、東京都交響楽団による、
マーラーの第8交響曲、通称「千人」の交響曲。
この演奏会は、行こうと思ってチケットを求めたが、早々に
ソウルドアウトで行けなかったものだ。

インバルは1980年代、フランクフルト交響楽団とマーラーの
交響曲を録音していて、バーンスタイン以降では、今は亡き
ベルティーニとともに、マーラーで特に話題を集めてきた人で、
つい半年ほど前も、確か、英国のフィルハーモニア管弦楽団と
来日して、マーラーの交響曲を全曲だったか、
とにかく集中して演奏したはずだ。

演奏は全体的に速めのテンポで、結構「さらっと」進んでしまう
感じだったが、最終部の合唱、「全て無常のものは」という詩から
歌いだす静かな合唱の部分からはテンポをズンと落として、
壮大にまとめていた。
それと、その歌いだしに入る前のチェレスタや木管などの、
メルヘン的な曲想の部分では、ピッコロの女性が、結構長い
フレーズを完全ノンブレスで美しく吹いていたのも印象的
だった。

ソリストはベテランの歌手を配していたが、失礼ながら、
あの世代の人たちは、総じてヴィブラートをかけすぎていて、
(かけて歌うことが正当かのような印象。でもそうですか?)
歌詞がいまいち明瞭でない部分が多い。
児童合唱は良かった。

そういえば、話は逸れるが、2007年度の
「レコード・アカデミー賞」は、交響曲部門だけだく、「大賞」も
ブーレーズ指揮、ベルリン国立歌劇場管弦楽団その他による
この曲が獲得したが、確かに合唱は優秀なものの、
ブーレーズのいつもながらの「クールな運び」に、私は違和感
を感じたのだった。

偽装ではなく詐欺

「飛騨牛」にしても、「一色産うなぎ」の問題にしても、こういうことは
「偽装」という現象的言語を使用するより、刑法言語としての
「詐欺」という言葉を最初から使って欲しい。
もちろん、それを法的に起訴してからの罪状を提示しないと簡単に
勝手に使えないのだが。

以前、「使い回し」の問題を取り上げた際、あのときは前段で少し
触れただけで、後日(ネタバレしておくと)「ブランドは所詮タブー」
とでも題して書こうと思っているため、さらっと流してしまったが、
船場吉兆で、経営者が一番ボンクラだったのは、
「どうして、あのような「内部告発」が出たのか?」ということを、
どこまで真剣に考えたのか?、という点があるのだ。

想像するに、「老舗」、「名料亭」に正に(いみじくも、あの
「囁きお婆」が言及したように)「あぐらをかいていた」ようで、
どうせ、従業員を「奴隷」に近い程度にしか考えていなかったの
ではないか、そういう点に気がついて反省したのか?、
ということが一番の疑問だった。

今回の、特にあの「飛騨牛」の会社の(今どき珍しいくらいの)
ワンマンというより、ほとんど「アホ」の社長を見ていると、組織が
合理的で「偽り無く」できている経営(者)こそが肝心であることを
痛切に思うわけだが、そういうこととは無縁の(特に未上場とか
中小での)オーナーが多いことに今更ながら呆れるが、これは
煎じ詰めると、結局、どういう人間が親分なのか、という、
そのオーナーの人間性、人格、そして、いわゆる「器」の大きさ、
小ささ、ということに終始するように思える。

先ほど、「特に未上場とか」と書いたが、もちろん、「ノヴァ」社や
「グッドウィル」などの「なんで上場できたの?」というレベルの
内容(欺瞞的組織)の会社もあることも言うまでも無い。

そういえば、逮捕された、堤義明氏も、マスコミに向かって、
 「取締役会?僕は会議が「嫌い」だから、そんなものは
  やった記憶は無いな」、などと、平然と「ホザいて」
いたことがあった。

おいおい、「それって会社法(当時は商法)違反ですよ」、と、
周囲は誰も「教えてあげなかった」のだろうか?

法令無知の経営者ほど恐ろしいものはない。
そして、何よりも「社員を大切に考えない経営者の会社」が、
永久に存続することは「100%有り得ない」と断言してよい。

2008年6月28日 (土)

海外ポップスその6 「The Sound of Silence」

以前、あみん再結成に際してのデュオに関する文の中でも少し
触れたと思うが、この永遠の名曲について書かないわけには
いかない。
もちろん、「明日に架ける橋」、「スカボロー・フェア(詠唱)」、
「コンドルは飛んでいく」も素晴らしい名曲で、それぞれまた
機会をみて、いつか1曲ずつ書いてもいいし、少なくともその
くらいに値する曲だと思う。

でも、まずは何と言っても、この曲から書いたみたいのだ。

この曲を、男性デュオしたいと思っているが、なかなかうまく
そうしてくれそうな相手が見つからない。
その場合は私は下の(音域の)パート。

この曲の旋律は、言うまでもなく、またと無いほど魅力的だが、
「歌詞、詩」は、実はとても「哲学的」な難解な内容、非常に
「孤独」な心情の吐露と社会への警句となっていることを
ご存知だろうか。

例えば、一部を引用させていただくと、こうだ。
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「彼らは言葉もなく話し、耳を傾けることなく聞いていた。
 人々は、声を出して歌われることのない歌を書いていた。
 そして、誰ひとりとして、静寂の音を遮ろうとする者はいない」
「「愚か者たちよ」と僕は言う。「君達は知らないのか。
 静寂はガン(癌)のように広がっていく。
 僕の伸ばすこの腕にすがるんだ」
 しかし、僕の言葉は、音も無く落ちる雨の雫にように
 静寂の井戸の中でこだまするだけだった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは歌詞の中間部、量的には全体の約3分の1の部分だが、
ここだけとっても、相当「難解」、相当な「深さ」があると思う。
このことも、当然、この曲を不思議にして圧倒的に存在感の
ある歌として存在している所以でもあると思う。

Jポップスその9 「涙そうそう」

夏川りみさんが、この曲を「ひっさげて」デビューしてきたときは
本当に衝撃的なまでに感動した。
美しい声、素敵な歌。
しかし、この曲は、森山良子さんが、若くして逝去した兄を悼んだ
曲であることを知ったには、それよりも数年後だったけれど。
(それから、夏川さんが「売れっ子」になるまで、大変ご苦労された
 ことも、もちろん知っているけれども)

曲の誕生は次のとおりという。
森山良子さんが、ライブで共演した「BEGIN」と意気投合し、
沖縄の曲を依頼した。そして、「BEGIN」から送られて来た
デモテープに、タイトルとして書いてあった「涙そうそう」の意味を
彼女が「BEGIN」に尋ねたところ、
「沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味である
ことを聞いた瞬間、森山さんは、若くしてこの世を去った兄の
記憶が蘇り、ほとんど直後に歌詞をつけたと言われている。

もちろん、森山良子さんも、1998年発売のアルバムに収録したり、
各地で歌い続けてきているが、2001年3月に「BEGIN」と同郷の
夏川りみがシングルカバーしたことが、我々広く大衆が知ることと
なるまでの大ヒットとなった。

数年前の「紅白」では、その、森山、夏川、「BEGIN」によるトリオ
として歌ったシーンは実に印象的だったほか、カバーする人
として、徳永英明氏、なんと、五木ひろし氏、最近では、あの
ヘイリー・ウェステンラがアルバム『Treasure 〜私の宝物』
の中で、英語バージョンによるカバー歌唱を行っている。

これからも、多くの人に歌い継がれていく名曲の1つと言える
だろう。

2008年6月23日 (月)

沖縄の日

天皇皇后両陛下、天皇家が、少なくとも大事に考えている日が
年に4日あることを知らない日本人がいるとしたら、
「けしからん」。

8月6日、8月9日、8月15日。これらは説明不要。
そして、今日=6月23日。
沖縄地上戦が実質的に終わった日から63年。
現地には、未だ、土に埋もれている一般人の遺骨が多くある。

「特攻」の悲劇を考えるのはもちろん大切だが、3月10日等の
東京、そして名古屋、大阪、等々、昭和20年に入ってからの
日本各地への米軍による空爆で死んだ国民に思いを馳せなけ
ればウソだ。

そして、もちろん、逆の立場、すなわち、日本軍によって殺戮を
受けた中国、東南アジアの多くの国の人々への「思い」も
忘れるようでは、「日本人ではない」。

あらためて、「沖縄の日」に思う。

2008年6月19日 (木)

桜桃忌 情死と現代

私は太宰治に詳しいわけでも何でもない。少ししかない読書
体験の中でも、この人は「書き出し」が印象的なものが多い。
小学生でも読む、「走れメロス」の冒頭も(内容も)有名だが、
「女生徒」の出だしも、内容も面白い。

今どきの女流作家でも、多感な時期の少女の微妙な感情の
機微をこれほど巧い文体で書ける人は多分ほとんどいないので
はないか?

以前、比較的大手金融機関にいたとき、7人の総務部長に
仕えたが、自分の中で唯一の「師匠」と思っている、普段物静か
だが大変な博識のS部長が、ボソリと呟いたことがあった。
「今日は、6月19日か・・・・。何の日か知っているよね?」
「えっ?・・・ああ、桜桃忌ですね」
「うん」

会話はこれだけ。でも、これで2人が少なくとも多少は太宰を
読んでいることは判ったわけだ。
あのころは、(昭和ヒトケタか、10~15年くらいの人の中には)
仕事だけでなく、知的で文化的なエッセンスを感じさせてくれる
人が結構多くいた。
今、そういう人が、どんどん減っているように思う。
特に、若い人にはそれを全く感じさせてくれない人が多いように
思えるのは淋しいことだ。
この国の教育に問題があるのか、ネット社会の「弊害の1つ」
なのかは、判らないが。


太宰は「情死」したわけだが、新聞によると、日本での自殺者が
1998年から10年連続で、年間30,000人を超えている、という。
これはどう考えても「異常」な事態だ。
2007年は、1日に日本のどこかで約90人が自殺していることに
なる。1時間の中では、3人から4人近く、ということだ。

こんな国家が、将来これまで以上に栄えていくわけはないと思う。
今、自分の状況が恵まれている役人や経済界のハイポジション
の人達こそ、「自分の状況を超えて、自分のことは一旦「置いて」
真剣にこうしたことが生じる状況を考察して、改善していく提言と
実行をすべき」だ。

私は、というか、多分、人間は、
「金持ち自体」に対しては全く「尊敬などしない」はずである。
その金をどう使ったか(もちろん、お金だけでなないが)によって、
その人の「尊敬に値するか否かの価値」が決まってくるのだろう。

「桜桃忌」から随分、話題が逸れてしまった。
太宰のように、「情死」できるヤツ、あるいはそういう時代、という
ものは、ある意味では、今日の社会(かつて、三島由紀夫が
言った、「今後到来するであろう(そして本当にそうなったところ
の)「ニュートラルで面白くもなんともない社会」)よりは、
「ましな」時代、社会だったのかもしれない。

2008年6月15日 (日)

刺激敵タブー挑戦シリーズ 5 「労働者派遣法の廃止および同事業の禁止」

これに関しては、別に「タブー」でも何でもない。
現に、秋葉原での事件以後、舛添厚生労働大臣は、少なくとも
「改正」については、言及している。

「派遣社員の求人広告」を新聞等で見かけるようになったのは、
1990年代の前半くらいだっただろうか?
あのとき、なんとなく「不気味な印象」を抱いたのだが、それは
「どういうところから来る印象」なのかは、自分でも理解は
できなかった。
あとは説明不要だが、1990年代後半からの不況、リストラ現象
の増加に「反比例」して、「順調に」増殖していったのが、
「この業界」だ。

今年、6月18日付の朝日新聞の中で(たぶん、読売等、
一般全国紙もそうだっただろうが)、1ページ分の全面広告として
「派遣協会は自主ルールを決めました」と題する、
社団法人 日本人材派遣協会による広告が載った。
その、何とも「空虚」で、「抽象的」な、「ひとりよがり的な」5つの
文面の下に、ズラーッと派遣会社名が載っていた。
2008年6月10日現在の、792社の社名である。

失礼を承知で、大袈裟でもウソでもなく、本当のことを書かせて
いただくが、その膨大な社数、社名一覧を見た瞬間、私は
「吐き気」を感じてしまった。

「これが、こんにちの日本社会の、労働状況を悪くしている
 元凶の一つだな」と、本当に正直なところ、そう思った。

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こういう事例が、今、平然と行われているという例を紹介しよう。
その前に、「労働派遣法」によると、
「継続した仕事の場合は、直接雇用する原則のもと、
 派遣期間に最長3年の上限を設定でき(専門26種を除く)、
 その3年を超えると、派遣先(受入先)企業に「直接雇用の
 義務が生じる」。

 しかし、これには「落とし穴」があって、3年に達する直前に
 契約が終了しても、派遣元が、派遣者に対して、次の派遣を
 決めて、労働者が受け入れるまでの期間が3ヶ月を超えない
 (3ヶ月以下の)場合は、先の終了時期から「継続して仕事を
 していた期間とみなす」のに対し、逆に言うと、
 その「空白期間が3ヶ月を超えない場合」は、それまでの
 派遣労働(雇用)期間が「終了」して、次の派遣先での就業は
 まったく最初から「リセット」された期間としてスタートする、
 という。

{直前の派遣}-(派遣を受け入れてない期間)-{新たな派遣}
          (3ヶ月以下の場合、継続して派遣を
          受け入れているとみなす)

これを「逆手」にとって、一部の派遣会社はこういうことをしている
という、すなわち、
1.派遣会社Aは、派遣労働者Bさんに、派遣先C社に派遣する。
2.BさんがC社での勤務期間が3年経過する直前、例えば
 2年と11ヶ月と20日経った日に、A社はBさんに、
 「4ヶ月間だけC社に直接雇用されたかたちとして欲しい」
 として、事情が理解できないまま了承したとする。
3.そして、4ヶ月後に、A社はBさんの契約を打ち切る。
 Bさんは、C社に、「2年11ヶ月20日間+4ヶ月=3年を超える」
 から「直接雇用していただけるのですね?」と、尋ねると、
 C社は、「10日、足りないですね」、と平然と断る、
という。

解かりにくいかもしれないが、要するに、A社は、3年が経つ直前
で、状況を「断ち切って」しまい、中間部が3か月を超え(させ)て
しまっているため、Bさんの労働「経歴」はまた最初から
「リセット」されてしまったのである。だから、C社としても
「3年以上働いてくれたことにならない」ので、同社の直接雇用の
義務は生じず、そういうことを、いわば、「A社とC社が仕組んだ」
と言えるわけだ。

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これは、ここまでいくと、ある種の「詐欺行為」である。
直接雇用したくないC社と、それに呼応して、あっさりと
派遣契約を解除するA社。この事は、
「人間をボロクズのように扱うように「堕落」した、こんにちの
 日本の労働事情、雇用事情、における日本社会の現状を
 象徴している内容」、と言ってよい。

私は、社会労務保健士試験に受かるほどのレベルにはない
ものの、それなりに労務は勉強して、ある程度のことは知って
いるし、「就業規則」や「慶弔規程」等の修正は、状況に応じて
様々な変更はいつでもできるくらいの知識とノウハウくらいは
当然有るが、さすがに、新聞でその記事(今の例は、
今年6月20日付、朝日新聞朝刊の記事、「派遣はいま②」)を
読むまでは、「こんなことまでは知らなかった」。
よくもまあ、こういうことを、あの業界人達は考えるものだ。


もう解っていただけていると思うが、私はいたずらに「派遣」と
いう形態を否定しているわけでは必ずしもない。
要するに、現状、
「その雇用形態が、一部の、あるいは少なく無い経営者達に
 よって、賃金的にも、期間的にも、仕事の内容的にも、
 あまりにも自分(達)の都合のよいように、いわば「勝ってに」
 労働者を酷使していることを問題としている」のだ。

そして、この雇用形態が、現実問題として、いわゆる、
「ワーキングプア」の温床になっていることが問題」なのだ。

「そして、それは、企業によっては、ほとんど人間扱いさえされて
 いない状況もある」という。
これは私は直接見たり身近に接したことはないので、
信じ難いことだが、会社によっては、派遣社員のかたを
名前で呼ばず、「ハケンさん」と呼んでいる会社があるという。
「日本の企業の退廃と堕落、ここに極まれり」という感がする。

あるいは、異なる派遣会社A社とB社から来ているCさんと
Dさんには話をしないように強要している会社もあるらしい。
(条件等が異なる場合、情報が飛び交うと「面倒」なことに
なるからだろう)


今回のタイトルはもちろん極論で、少なくとも、いきなり
「派遣社員制度を廃止」したら、それこそ更に失業者を増加させ
てしまうから、慎重な対策が必要なことは言うまでもない。

ただ、いずれにしても、かつての高度経済成長期がそうで
あったように、基本的には、
「正規雇用」を大原則とした社会に今一度回帰させなければ、
 この国の経済は長期的にみた場合に、必ず低迷、破綻、
 崩壊する」と思う。

ワークシェアという言葉は単なるキレイゴトではない。
人間には1人1人、異なった才能が必ず1つは有る。
そして、X氏がY氏を「さげすむ」ほど、Y氏は無能ではない
だけでなく、X氏は自分が思っているほど(あるいは周辺の
一部の人が煽(おだ)てているほど)優秀でも何でもない
ことに、そろそろ気づく時期に、日本は来ていると思う。

2008年6月14日 (土)

NHKテレビドラマ「監査法人」始まる

最近、松下奈緒さんの活躍がすごい。
美人だけど、ちょっと「欧米か?!?」の「濃い」顔立ちなので、
やや、「ひいてしまう」というか、美人美人なので、逆に特別
ファンでもなく、関心は薄い。

と、いいながら、実は彼女の作曲した、あるいは歌った
シングルCDを2枚ほど持ってはいるが(関心あるじゃん?)。
音大卒で、実際、ピアノは一応のレベルで、ちゃんと弾ける。

以前、「ピアノの弾ける新進女優が、音大を卒業」、という
話題性からか、どこかのプロデュースで、プロオケと、
東京芸術劇場で、モーツァルトの協奏曲第20番、あの素敵な
ニ短調協奏曲を「全曲」演奏したらしく、その終わり近くの
一部が、何かの番組でオンエアされているシーンを見たことが
あった。
「ちゃんと弾いていました」。

女優としての演技も結構うまい。お嬢さんお嬢さんしておらず、
音大卒というより、演劇科で学んだのではないか、と思うくらい、
ちょっと、新人とは思えないくらい、「堂に入っている」。

もっとも、私はテレビで幾つかのドラマを見た程度で、昨年から
今年にかけて公開された、あるいは公開中の映画は未だ見て
いないが、少なくとも、DVD化されたら折をみて、見ようと
思っている。
既にDVD化レンタル中は、「未来予想図」。
公開中は、(いずれも、もうそろそろ公開が終了しそうだが)
「チェスト!」、「砂時計」。

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さて、彼女も主演の1人であり、正義感溢れる公認会計士役を
演じている、「監査法人」というテレビドラマがNHKで放送開始
された。
当然ながら、「専門用語」オンパレードのようなドラマになるわけ
で、「音大出」の「ハンデ?」も何のその、セリフも「業界慣れ」
している感じさえして、見事だ。

ドラマは、始まったばかりで、どういう展開かは知らないので、
実際に起きた「業界の流れ」をまとめてみたい。

今、ご存知のように、「内部統制」の「おかげで?」報酬アップを
目論むなど、息を返してきた監査法人だが、
(もっとも、「内部統制が一番できていないのが監査法人」
 という点は、企業人なら、ある意味「常識」で、当の本人達が
 そう言っているのだから、間違いない。)
ここのところ、監査法人が罪を問われる事件が続いて来た。
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その象徴は、「みすず監査法人」
(名門の一角だった旧・中央青山監査法人)の「消滅」がある。

古くは、山一證券・ヤオハン・足利銀行など、粉飾決算をして
いた破綻会社の監査を担当していたため、破綻後に就任した
新経営陣などから訴訟を起こされており、足利銀行事件では、
2005年初めに金融庁から戒告処分を受けている。

2005年に発覚したカネボウの粉飾決算事件では、同事務所の
公認会計士が粉飾を指南していたとされ(2005年10月3日、
同公認会計士3名が証券取引法違反の罪で起訴された)、
事務所や奥山理事長の自宅が家宅捜索された。
奥山理事長を除く理事の全員が辞任。その理事長も結局、
2006年5月の業務停止処分を受けて退任した。

2006年には(当時の商号の)ライブドアマーケティングが
粉飾決算したとされる際の監査を担当。
司法当局はカネボウ事件について、会計士個人の犯罪として、
監査法人の起訴を見送ったが、2006年5月10日、
金融庁の公認会計士・監査審査会は、同法人の7月1日から
2か月の監査業務停止処分を命じた。

これは、四大監査法人初の事態であり、この処分により顧客
との監査契約は7月1日で解約となることから、当時の中央青山
に監査を依頼していた企業に大きな影響が出たし、監査法人
自身も、例えば、2006年6月1日、新設された
「あらた監査法人」に、中央青山から一部の社員が移籍した。


決定的事件が起きる。2006年12月18日、
(新商号)「みすず監査法人」が監査を担当していた
日興コーディアルグループの有価証券報告書に虚偽記載
(利益水増しによる粉飾決算)が発覚。
問題となった2005年3月期の有価証券報告書に「適正意見」を
出していたことから、日興の虚偽記載を旧中央青山が見逃して
いたとされた。

これら不祥事に伴う信頼の低下により、多くの会計士や職員が
転職するなど混乱が広がったため、2007年2月20日、
みすずの片山理事長は記者会見を行い、「みすず」が監査業務
から撤退し、他の大手三法人(新日本監査法人、あずさ監査
法人、監査法人トーマツ)他へ監査業務の移管し、公認会計士を
移籍させる方針を発表した。これにより、日本最大級の監査法人
だった、旧・中央青山監査法人は完全に解体。そして、
2007年7月31日、監査法人としての業務を終了し、解散した
のだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
公認会計士は「エリート」である、という、ある種の「常識」は、
もはや完全に「大昔しの物語」になった感がある。

それと、こうして「一監査法人の事例」とはいえ、列記してみると、
何か「得体の知れない一部の悪い人」が起こしたか、いや、
いったい全体、どういうキャラクターの人が、どういう事情で、
どういうカラクリ(贈収賄等の誘惑)で起きていったのかが、
よく見えてこない感じはする。

ただ、紛れも無く、「起こしたのは個人、およびその複数の
集合体」であり、「組織と個人」の複雑さを、いみじくも、
「そうあってはいけないように監査するべきはずの法人」である
ところの監査法人が起こしてしまった、という点は、
「組織と個人」とか、コンプライアンスの重要性をあらためて
考える上でも、「貴重な」事例で、他山の石とすべき事例である
ことを忘れてはならないと思う。

副都心線(メトロ)に乗って

今朝はやや遅い時間に起床(まあ、土曜はいつもそうだが)。
何気なくテレビを付けると、「岩手・宮城内陸地震」
(気象庁命名)が大きくどの局でも報じられていて、驚く。

そんな日、夕どきの目白での練習の前に、渋谷に行く用が
あったので、本日開通の「副都心線」にさっそく乗ってみた。

下車した駅は渋谷だけなので、他は未だ知らないが、渋谷駅
に関しては、地下4階だか、とにかく巨大な空間が、地底
奥深く開かれているようなので、慣れるまでは地上に出る
までに時間がかかってしまう感じだ。

そういえば、安藤忠雄さんによる構造設計とかで、空気が濁ら
ないよう(二酸化炭素が溜まらないよう)、「エコ設計」されて
いるということはテレビで見たことがあった。

池袋(商店街、商売人)は、「素通り」に警戒しているようだし、
JR東(山の手線)や東武鉄道(東上線)は、想定される
「減益額」をはじいているようだが、そんなに影響があるか
どうかは、まだ判らないと思う。

笑わないエース 女子バレー 栗原 恵  NHK 「スポーツ大陸」

13日(金)22時から50分間、NHK総合テレビの「スポーツ大陸」
という番組で、私も5月23日のブログで書いた、印象的だった
シーン、対韓国戦で、北京行きを決めた瞬間も、ニコリとも
しなかった 栗原選手を、NHKがあの大会前から取材していて、
それが放送された。
「笑わないエース 女子バレー 栗原 恵」
ナビゲーターに藤原竜也さん、語り=水野美紀さん。

このブログをずっとお読みいただいているかたは、この1ヵ月に
私が彼女のことを書くのは、これで3回目であることはお気づき
だと思う。

5月21日 「栗原 恵の成長」
5月23日 「勝手もハシャがない栗原の凄み」

NECの同意の無いままでのパイオニアへの移籍後、Vリーグの
定めで、試合に出れない時期の様子や、足指の骨折の状況や
リハビリの優秀な医師との出会いなど、噂程度で知っては
いたが、この放送で詳しいことが知れてよかった。

フジTVやTBSなら、もっとハデっぽく、あるいはお涙頂戴的に
「盛り上げ?」的に編集しただろうが、NHKはむしろ、本人への
折々の地道なインタビューと、バックアタックに関しては、
アテネで見た、ブラジル男子チームのジバ選手による凄い
スピードのバックアタックが栗原の脳裏に焼きつき、それを手本
として取り組む姿や、その打点の位置とスピード、助走の長さに
よって打ち込める角度が拡がることなどを論理的にキチンと
報じていて、とても良い番組だった。

確かに、彼女は間違いなく、「10年に1人の逸材」、あるいは
正に「バレーボールの申し子」と言えると思う。

2008年6月13日 (金)

新しい色の祝祭にて カリヨン

4月18日のブログでも書いたが、幸田浩子さんの紀尾井ホール
でのリサイタルのアンコールで歌われた、ベッペ・ドンギア作曲の
「新しい色の祝祭にて カリヨン」を、VTRであらためて、見、聴く
ことができ、ますますこの曲が好きになった。

幸田さんが、あるインタビューで、こう語っている。

「ドンギアさんは幾つものヒット曲を生み出しているイタリア人の
 ポップス作曲家です。 “カリヨン” は、オーストリアの音楽祭
 で歌っていた私の声にインスパイアされて書いてくださった曲
 で、とても大切な曲です」
とのこと。
5分くらいの、ハ長調を基調としたゆったりと、でも、気取らず、
くつろいだ穏やかな曲想だけれど、聴いていて、ジワーっ、と、
胸が熱くなってくる曲。

紀尾井での終演後のロビーでも、CDをプロデュースしたN君に
「次回はせひレコーディングしてよ」、と頼んだが、版権の問題で
まだクリヤーすることがあるので今のところは何とも言えない
けど、頑張ってみる、とのこと。

こんな素敵な曲を多くの人に知っていただかない手はない。
広めない手はない。

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このVTRは、最近、BSハイビジョンで放映されたもので、
近々BS2でも6月26日(目)午前10:55~11:50に再放送
される予定ですので、ぜひ聴いてみてください。

これに先立て、ハイビジョン放送されたのだが、私のTVは
ハイビジョン対応していないので、何人かの友人に声を
かけたところ、OBオケはやっていないが、学生時代の同期で、
ヴァイオリンを弾き、3年次はコンマスを務めたH君が
快く録画と送付を引き受けてくれた。
(BS2で後日再放送があるとは最近まで知らなかった次第)

学生時代の1~3年次は、私は合唱団にいたので、他の
オケ同期の人達よりは彼に対する親しさは薄かったけれど、
もちろん、折々話しはしていたし、3年次は、
私は混声合唱団の学生指揮者をやらせていただいたので、
特に3年次は打合せ等を含めて交流はあった。

卒業後はほとんど会う機会がなかったのだが、5年くらい
前からだったか、1年に1~2回は飲み会で会っている。

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何が言いたいかというと、またあの事件を思い出すのだが、
あの犯人に、確かに(しばらく疎遠であっても)、こうした
気さくにレスポンスしてくれる友人が1人でもいたら、と思うと
「残念」でならない。
私が凶悪犯に同情するのは珍しい、と思われるのはやや誤解
で、彼のためもそうだが、ヤツがあんな犯罪を起こさなければ、
東京芸大生の女性をはじめ、7人もの人が亡くならずにすんだ
のに、という意味において、本当に悔しくて残念に思う。

「彼女がいない」点は、私も「人後に落ちない?」が、
幸い私には、音楽と、そして何よりも多くの友人がいることは
とても嬉しく、ありがたいことだ。
そうでないと、確かに、この世=特にここ10年ほどの、日本の
「心の荒廃した、殺伐とした社会」に生きているのは、
「ややキツイ」。

そういう世の中にあっても、幸田さんの歌声は、
私達に大きな「しあわせ」を与えてくれる。
「ブラヴィッシモ、浩子さん」。

2008年6月12日 (木)

ナイフ販売規制強化を 銃刀法改正を

刃渡り15cm以上なら保持原則禁止だが、未満なら条例にも
よるが、特に身分証も提示せずに買えるという。
あの「ダガーナイフ」という名の凶器を、武器を、だ。

現行の銃刀法では刃渡りの長さでナイフの危険度を判断し、
刃渡り6センチを超える刃物は正当な理由なく持ち運び
できないが、所持自体は禁じられていない。

「刀剣類」として所持自体を原則禁止し、必要な場合には
各都道府県公安委員会の許可を受けるよう義務付けて
いるのは、刃渡り15センチ以上の刀や剣など5種類と
飛び出しナイフの一部だけだという。

とにかく、包丁はともかく、あきらかに「殺害用」としか考えられ
ないという「刀剣類」は、基本的に販売自体に大きな制約を
かけるべきだ。
例えば、写真付の身分証明証と戸籍抄本、住民票の「提出」
を義務付ける、とか。
あんな「武器」が、「平気で」「平然と」買える、という状況が、
今回の事件発生に大きく「寄与」してしまったことは間違いの
ない事実だから。

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普段のブログ言動から、私の考えはお解りいただいているように、
「凶悪犯は早期に死刑執行を」との、敢えてそういうスタンスを、
私はとる人間。
過失致死ならまだしも、計画的で卑劣な確信犯である殺人者
には裁判すらムダだと思っている。

「心の闇?」・・・・・・・・・・興味ない。人間には誰しも在る。
「殺意は無かった」・・・・・ウソや言い訳は言うな。
「社会がおかしい」・・・・・確かにおかしい。でも、それでも多くの
               人は必死に生きている。
               あんただけが「不幸」なのではない。
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ただ、今回は、正直に書くと、今後も折々、書くかもしれないが、
あの犯人が、ネットで、「ヘルプ」、すくなくとも、赤裸々な感情を
出していることに、やはり興味は持たざるを得ない。

ネット書き込みには、批判は当然として、それに留まらない、
様々な意見や「議論」が生じているらしい。
わたしは、そういう系統のネットには全く関心が無いので、
見ないが。

あの憎き犯人も、何かの要因・・・ヤツいわく「彼女」が一番
大きいのだろうが、せめて友人・・・が、ヤツを引き止めて
いたら、7人もの犠牲者が出ずに、亡くならずにすんだのに、
と思うと、そういう意味ではとても残念だ。

もちろん彼は死刑でよい。「更生」なんてことも、
これだけの重大事件をしでかした以上、検討不要。
ただ、ヤツは何かの「キッカケ」さえあれば、あんなことは
「やらなかったかもしれないのになあ・・・」と思う点で、最近の
凶悪犯と少し違う感想(=私にしては「甘い感想」かも
しれないが、そういう思い)を抱いてしまうのは、
正直なところだ。

2008年6月10日 (火)

「蛇の目」判例等、株主代表訴訟判決の衝撃。役員が支払う個人賠償金は「億」円単位

雑誌「ビジネス法務」7月号で、会社法で有名な弁護士の1人、
鳥飼重和先生が、最近の株主代表訴訟における、取締役の
「次々の敗北」である判決を取りあげ、

 「もはや憧れのポストではない 判例がつくり上げた
  『取締役の責任』の厳格化」

というタイトルで、記事を書いている。
また、昨日発売された、「週間 東洋経済」でも、「法化社会」、
「訴訟社会」の到来の特集記事を組んでいる。

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まず、事例集の前に基本的なことを「おさらい」しておこう。

取締役が、その職務を行うについて悪意または重大な過失が
あったときは、第三者に対して損害賠償責任を負う。
(会社法429条1項)。

取締役の悪意または重大な過失により、会社が損害を被り、
その結果、第三者に損害が生じた場合、本条により当該取締役
は、直接第三者に対し損害賠償責任を負うかどうか、例えば、
取締役らの悪意または重大な過失による任務懈怠によって、
その会社が業績が悪化(または倒産)するなどして株式が無価値と
なってしまった場合、株主は当該取締役らに対して、
直接損害賠償請求をできるか、という点に関しては、
東京高判平成17年1月18日の判決で、
「証券取引所などに上場され公開取引がなされている公開会社で
 ある株式会社の業績が、取締役の過失により悪化して株価が
 下落するなど、全株主が平等に不利益を受けた場合、株主が
 取締役に対しその責任を追及するためには、特段の事情がない
 限り、株主代表訴訟によらなければならない」、としている。

株主代表訴訟とは、 6ヶ月前より当該株式を保有している株主が
会社に代って、取締役の会社に対する責任を追及する損害賠償
請求訴訟(会社法847条)をいい、会社においては、
取締役の会社に対する責任を追及することが行なわれにくい現実
を踏まえて、株主が直接取締役に対して訴訟を提起できるものと
して、株主による会社ないし取締役への監視・監督機能を強化充実
し、もって会社運営の適正を期する狙いを有する。
しかも、訴訟手数料はわずか、8,200円で訴訟を提起できるように
なったことから、その数がここ15年ほどの間に増大して来ている。

基本的には当然、「法令違反事実」が問題となる。
新会社法では、任務懈怠として問題となるとされている。
(423条1項)

①取締役の具体的法令違反(独禁法、証取法等の違法行為等)
②取締役の忠実義務違反(= 経営判断の誤り-経営者としての
 合理的裁量の範囲の逸脱の有無
すなわち、「経営判断の原則」からの逸脱、不法行為。

なお、取締役は、退任後もその在職中の行為につき問題とされる
余地があり、 被告となる取締役は、実際業務執行を行なった
代表取締役のみならず、監視・監督義務を怠った他の取締役も
当事者とされ得る。
具体的には、取締役会にその案件が諮られた際、
「反対しなかった」ことはイコール賛成=同意者(同罪者)に
なり得るわけだ。

ただし、新会社法では「責任追及等の訴えが当該株主若しくは
第三者の不正な利益を図りまたは当該株式会社に損害を加える
ことを目的とする場合」には請求できないとの定めが新設された。
(847条1項ただし書)。

また、昨今「流行」の「役員賠償責任保険」(「D&O保険」)は、
取締役の故意による犯罪行為等は保険の対象とならない。

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「おさらい」は以上として、事例を記そう。

①4月23日に東京高裁出でされた「蛇の目ミシン工業」の
 「株主代表訴訟、差し戻し控訴審判決」が、「衝撃」をもって
 経済界を「激震」させている。
 「旧経営陣5人に対して、総額583億円の支払いを命じた」もの
 で、「5人に「破産しろ」と言い渡したに等しい」(牛島信弁護士)
 内容となっているのだ。
 1人当たり単純平均で=116億円以上。
 ホリエモンでも返済不可能(彼については少し後述する)。
 しかも、2006年4月の最高裁による差し戻し判例の前の、
 東京地裁、および東京高裁では、「責任は問われない内容」
 (取締役側の勝利)だったもので、事実上、最高裁により、
 「一気に逆転」されたものだった。

これには、「前座」が幾つかあった。
時系列的には遡るが、以下、②から始めよう。

②足利銀行事件の和解 (2007年9月、宇都宮地裁)
 事件の内容は省略するが、判決結果というか、「和解」だが、
 これは「和解」などという「しろもの」などではなく、
 事実上、「最も厳しい判決」とさえいえるものだ。
 銀行の旧経営陣に対して、いわく

 「当座の生活費として、100万円を持つことを認めるが、それ以外
 については、所有する家屋、株式、銀行預金等の全てを売却、
 解約して、賠償金に充てよ」、とするものだったのだ。

それこそ、「ぶっ飛び級」の内容だ。

以下も、事件内容は省略して、判決内容のみを記す。

③旧・北海道拓殖銀行事件、最高裁判決 (2008年1月18日)
 元頭取を含む取締役ら14人に対して、
 「総額=101億円の賠償命令」。
 1人当たり単純平均で、7,000万円を超える額。

④ダスキン事件、最高裁判決 (2008年2月12日、総額確定)
 旧経営陣=13人に対して、総額=53億4,000万円の支払い
 を命じた。
 1人当たり単純平均で、約4億1,000万円。

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株主代表訴訟の「時候」は10年である。
すなわち、退任後も、10年を経過していなければ、訴訟を
起こされる可能性がある、ということだ。
更に、提訴されると時候は中断し、裁判が決着するまで
「エンドレス状態」となる。
すなわち、場合によっては、退任後20年後くらい経ってから、
有罪判決を受ける可能性もあるのである。

実際、先述の①の事例、「蛇の目ミシン工業」判決は、
株主代表訴訟の一番最初の提訴は1993年、15年も前に
起こされている。
そして、これまた繰り返しになるが、2001年の東京地裁判決
および、その後の東京高裁では、今回とは内容は全く逆で、
旧経営陣の責任は全く問われない判決内容だったのだ。


この大逆転劇(判決)の連続出現。
これこそ、完全に「コンプライアンス至上主義」を決定づける
「流れ」と言い切ってよいと思われる。

数十億の資産があると言われているホリエモンさん。
今後の訴訟の展開では、「スッカラカン」になる可能性は、
冗談ではなくて有る、と思う。
それも、そう遠くない時期に、かもしれない。
お金目当てで近づく女性さん、「やめときなさい」。
しかも、金だけでなく、あんなに往生際の悪い、ブザマで
男らしくないヤツだとは以外だった。
あのとき、「ごめんなさい。僕が悪かった。出直します」、と
謝罪していたら、もっと早く「社会復帰」できただろうに。
人間、潔く過ちを認めたほうがカッコイイし、後の展開がガラリと
変わるのだ、ということはあり得るのに。
そのことに気付かない、ということは、
「本当のところでは、頭が良い人間とは言えない」、ということ
だと思う。

話を戻すと、いずれにしても、
「役員に対して甘い時代は、もはや完全に終わった」のである。

プレイステーション3のCMは「問題」だ

最近テレビで放映されている、ソニー・コンピュータエンタティメント
社の「プレステ」のCMは、「明らかに戦場を舞台にしている」点で
非常に「問題有り」、だと思う。

私は、「クレイマー」では全然無いし、気に入ったCMは関心を
持つ反面、そうでない場合は無視して関心は示さない人間だし、
加えて、それどころか、ゲーム機自体になど、全く興味が無い
人間だが、それでもあのCMはとても気になる。

あんな、「ヴァーチャルごっこ」を子供のころからやってたら、
戦争とか、人間の置かれた悲惨な状況への想像力など、
全く育成されずに、「ひどく鈍感でバカっぽい」、
「人の「痛み」も理解できない」若者ばかりが誕生してしまう
(既に多く「発生」しているのだろうけど)気がしてならない。

2008年6月 9日 (月)

巻き込まずに自分で死ね

言葉も無い。先日書いた、「公開銃殺刑」に値するヤツが
またしても出現。
秋葉原は、都内(周辺)に住む人なら行ったことはあるだろう。
関東圏以外からも、いや、外人観光客も多く来る街だから、
「誰もが巻き込まれる可能性はあった事件」だ。

電気街で有名だが、ここ数年のような「もえ」系というのは
以前は想像もできなかった現象で、そんなハデなイメージの
未だ無い、15年ほど前は、私はよく石丸電気のCDショップに
行っていた。あのころは1号から数号店まである店舗の、
2~3店舗にクラシックをはじめ豊富な量のCDがあったので。
一時期、量が少なくなったこともあり、しばらく行かない時期も
あったが、最近はまた盛り返しているようだし、2月23日の
ブログに書いたが、その日に秋葉原で、
ソプラノの幸田浩子さんCD発売記念サイン会があったので、
約4ヶ月前には、私もあの交差点を歩いたのだ。

1995年3月、オウムによる地下鉄サリン事件のとき、
私は丸ノ内線で丸の内のオフィスに通勤していた。
金融系なので、朝は非常に早い出勤をしていたから、
事件が起きたときは既にオフィス内にいた。
だが、丸ノ内線でも死者が出たし、もう少し遅い始業時間の
会社だったら、あのときも、私は巻き込まれていた可能性は、
可能性としてはあった。

今回だって、誰でもあった。

犯人よ、世の中が嫌になったなら、自分で死ね。
自殺する勇気も無いヤツが人を殺すな。ばーか。

2008年6月 8日 (日)

目から鱗(うろこ)

先日、内部統制に関する無料のセミナーに出席した。
ここ数ヶ月で、2社が主催するものにも行き、それぞれ得る
ところはもちろんあったが、今回出席した、外資系コンサル、
ペリージョンソン コンサルティング社主催によるものは特に
多々得るものがあった。

一番「衝撃的」だったのは、もっともシンプルな点における
次のような主旨のコメントだった。
 (ただし、以下、私がだいぶ言葉を補足、追加しています)

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「われわれは、現状、実務的にはどうしても「金融商品取引法」
 と、いわゆる「実施基準」による統制項目に従って、
 「リスクコントロールマトリックス」や業務記述書などに関心と
 実務が向かっていて、それは当然ではあるが、その関係で
 既にとっくに決議されているところの、
 会社法(第348条3項4号、第362条4項6号)と
 同施行規則(第100条)に定められた、
 「内部統制システム(構築)の基本方針」については、

 「まあ、方針でしょ、精神、企業理念も含めた基本的な「柱」、
 整備するうえでのバックボーン、的に、
 「決議しておけばいいんでしょ」と、「軽く」考えがちだが、
 それはとんでもない誤解です。
 
 あれは、いわば「誓約書」に取締役と監査役が判(印)を
 「押させられた」ようなもの。
 仮に後日、決議内容どおりに内部統制ができていなく、
 それが株主、投資家に知られて株価が下落し、もし、
 株主代表訴訟が起こされたとします。
 そのとき、あの決議が「根拠」となって、間違いなく会社は
 負けます。
 だから、わざわざ「取締役会決議」としろ、とされ、
 「開示しなさい」、とまで義務付けられたのです・・・・」。

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なるほど・・・・・・・。確かにそうだ。
頭の良い高級官僚(役人)の考えそうなことだ。

こう言っては失礼だが、「前線の事務側」にいる私でさえ、
迂闊にもそこまで考えなかったのだから、
今、日本には約4,000の上場会社があり、平均5人の取締役が
いるとして、計=20,000人。
このうち、このことに気付いている取締役は、せいぜい
1,000分の1の、20人、って、ところではないだろうか?

でも、それは無理からぬことだ。
実に「巧妙」だし、だいたい、まだ多くの役員は、監