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2012年5月24日 (木)

畑中良輔さんを悼む

2012年5月21日 (月)

小林沙羅さん ウィーン オペレッタコンクール 2位を祝す

2012年5月18日 (金)

フィッシャー=ディースカウさんを悼む

2012年5月17日 (木)

瀬戸内寂聴さんの言葉を謙虚に受けとめたい

瀬戸内寂聴さんが、5月16日の日本経済新聞夕刊「文化欄」
 に寄稿している。

 「誰もが自分さえ良ければいい、という世の中に
  なった気がして仕方ない。
  震災後のガレキの受け入れ問題にしても、
  ともに苦しみを分かち合う仏教の考え方からは
  (拒否することは)あり得ないこと。

  素朴で優しくて人の痛みを感じていた日本人は
  どこへ行ったのか。
  政治家も自分の選挙で頭がいっぱいで、
  国家や未来のことを考えているとは思えない。

  90年生きてきて、日本人の心が今ほど悪い時代はない
  とすら思う」

仏教徒であるか否かはここでは問題ではない。
あるいは、反論、反発する人もいるかもしれない。

しかし、私は、90年生きてこられた瀬戸内さんの言葉を
率直に、真摯に、謙虚に受け止めたいと思う。

2012年5月16日 (水)

天野篤 さん ~ 信念の外科医

5月14日放送のNHK「プロフェッショナル」~仕事の流儀~を
 震えて見た。
天皇陛下手術執刀医師団の1人でもあった
順天堂病院の心臓外科医 天野篤さん。

年50人が「相場」の心臓手術を、年400件も行う。
1日で多い日は4件も。60ある病床はいつも満室。

他の病院で「ムリ」と言われた患者も天野医師を頼ってやってくる。
そのため、1週間のうち、月曜日に着替え等を病院に持参し、
金曜日の夜まで病院内のソファで寝起き。
家に戻るのは日曜日だけ。

特に心臓を動かしたまま行う「オフポンプ手術」の第一人者。
 成功率98%。

でも、決して「エリート」ではなかった。

3浪して私大医学部へ。
卒業時も医局に残ることを希望したが叶わなず、苦労して
なんとか今の大学病院に就職。

 「自分は優秀ではないけど、愚直に<一途に、一心に>
  立ち向かえばなんとかなる」

との思いは、助手として自身立ち会った父親の心臓手術での失敗
による父の死、という強烈な体験が強いモチベーションとなり、
今の天野医師がいる。

 「うまくいっても、まぐれではダメなんです。
  うまくいくことの必然性がなければダメ」

高齢者への手術もためらわない。自身の名誉とかのためではなく
患者さんによりよく生きて欲しいからという思いのみ。

番組最後の難しい手術のシーンでは見ているこちらも
祈りながら見た。14時間に及ぶ手術の成功。

テレビを見てこんなに震えるような興奮と感動を覚えたのは
久しぶりだ。
こういう人こそ、「真のプロフェッショナル」 だ。

2012年5月15日 (火)

青山 貴さん B → C

2012年5月 8日 (火)

原発ゼロに寄せて~その2 ~大地震はどこでもいつでも起きうる、ということ

関西電力は「電力が足りていても いなくても再稼働させる」と
逆ギレしたことはあまりにも「象徴的」だ。

①電力会社が再稼働させたい理由は1つしかない。
  「経営計画が崩れるから」
  という<1企業の経営都合がその理由>であって、極論すれば
  「利用者に電力が届こうが滞ろうが、は関係ない、どうでもよい」
  それに尽きる。

②政府や財界が再稼働させたがっているのは、いってみれば
  「国際競争力に負けてしまうのでは?という、
  一種の強迫神経症的不安感から再稼働させたいだけ」で、
  安全性が確保されたことの立証などできないことは
  彼らも百も承知だ。

いずれにしても、この心理には「昨年あれだけの地震が起きたから
 <もう当分は起きない>」という何の根拠もない潜在意識に
基づかれたものである。

 「もう当分は起きない」というのは全く非論理的な、
  何の根拠もない希望的思いこみ、「幻想」に過ぎない。

かえって、あれだけの地殻変動があったゆえ、
プレートは動き易くなっている、と考えるほうが論理的だ。

太平洋側…「環太平洋地震帯」。東南海トラフの存在。

日本海側…敦賀原発下で見つかった35キロの断層のような
        リスクの存在。

九州…2つの巨大な活火山がありながら、今まで大地震が
     起きていないのは奇跡とさえ言える。
     そして奇跡は永遠には続かない。

四国…「起きないという根拠はどこにもない」。
     東南海トラフの範囲内。

このように、もし今、特に関東以西にお住みゆえ、
 「東北や福島はヒトゴト」と内心思っている人はいたら、
 「100%間違った認識」と断言できる。

日本に住んでいる以上、
 「明日あなたの住んでいる地域に巨大な地震が起きても
  何の不思議もない」。
それがこの国に生きている私たちの共通した宿命である。

阪神淡路大震災…あの地は「地震は起きない、とさんざん
言われてきた地帯」だった。で、「結果はどうだったか?」

この国のおかれた地理的物理的環境から、
原発を造ること自体、根本的に無茶だったのだ。
 それに尽きる。
この原点に戻らねばならない。

誰もが「自分もフクシマ人」として認識するところから
思考しないと、根本的なところで間違える。
「ヒトゴト」と勘違いしてしまうからだ。

2012年5月 7日 (月)

原発ゼロに寄せて~その1           「電力は足りている」 とブログに書いたのは  3月21日。今年ではなく 昨年

原発ゼロに寄せて~その1
「昨年、計画停電なんて不要だったのです」

 「電力は足りている」とブログに書いたのは3月21日。
  今年ではなく 昨年。

あのとき、私も含めて誰もがまだまだ動揺し、浮足立っていた
時期でも、冷静になって調べればすぐ判ったことがあった。
それは「福島第一原発など復旧しなくても既存の火力等の
発電で東電圏内の「電力は足りている」ということが。

それを私が自分のブログに書いたのは3月21日。
今年ではない。昨年の3.11から10日後の3月21日だ。

インターネットで検索し得る東電関連の原発以外の
既存電力量を計算すれば、政府や東電が言う、
「特に夏は電力が絶対に不足する。明日にだって停電の
 可能性がある」とテレビでのたまっていたことが
「大ウソである」ことなど、私のようなそれまで電力に対して
「トウシロ」だったものでも、1時間パソコンに向かって
結論付けられたのだ。

最も実際は火力発電所も被害を受けていたところがあったから、
実際は私が算出した量より下回ったものの、それでも
 「ムダに使用しなければ全然大丈夫状態」だったし、
いわんやあの「計画停電」というう実にバカげたことなど
 「全く不要だった」のだ。

要するに、「原発が無いと、大変なことになるんですよ」という、
政府と東電による「ほとんど脅迫に近い街宣」だったに過ぎない。

ちょっと調べればすぐ判ることだ。
他にも数名がネットで同様に算出して主張していたから、
判る人には即判っていたのだ。


 【既存メディア=マスコミの死】

それなのに、テレビも新聞でさえ、
「電力は本当は足りているのではないか?」と言いだした
 (書き出した)のは昨年の8月か9月ころだったと思う。

 「バッカじゃないか」 と思った。

特に新聞こそ、私よりも速く、「既存電力で大丈夫でしょう」
と言いだすべきなのに言わなかったのは、やはり
多かれ少なかれそれまでの電力産業との何らかの癒着が
あったから、と考えない限りその「遅さ」「怠慢さ」は
全く理解できないのだ。

「テレビや新聞などのマスコミは、ネット時代に、本当に死んだ」

と思った。

2012年5月 6日 (日)

エレクトーンの効果絶大 「トスカ」 ヤマハホール 小川里美さん 高田正人さん 与那城 敬さん

ハイライト演奏~とは言っても主要な曲はほとんどカヴァーした~
 とはいえ、
「はたしてエレクトーンという電子オルガンでいったいどれほどの
 演奏が可能なのだろうか?」、と私を含む少なからずの人が
興味津津というよりは、半ば疑心暗鬼にヤマハホールにでかけた
のではないか? と想像する。

そして(しかし、と言うべきだが)その結果はどうだったか?
素晴らしい演奏会だった。

それは3人の今をときめく優秀な素晴らしい歌手が揃ったという
ことに加え、エレクトーンを弾いた清水のりこさんの
素晴らしい力演こそが成功に大いに寄与したと言える。

最新の電子鍵盤楽器が、これほどにもオーケストラを補うに足る
性能を持っていようとは知らなかった。
弦の普通の響からトレモロ、そしてピッツィカートや増減する
トゥッティの音量。ハープの音。
フルート、クラリネットの音、シンバル、等々あらゆる楽器の
 (完全にそっくりでないまでも)ほとんど違和感無いまでに
似せた音による演奏は実に見事だった。
この驚くべきエレクトーンによる音に支えられ、
それを信用して3人の歌手は心おきなく朗々と歌った。

歌手;配役は、

トスカ(ソプラノ)が 小川里美さん

カヴァラドッシ(テノール)が 高田正人さん

スカルピア男爵(バリトン)が 与那城 敬さん

演出とナビゲーター(進行MC)を彌勒忠志(みろく ただし)さん
 が行った。

3人とも声が良いだけでなく、
「3人とも同様に背が高いこと」が際立った舞台と言える。

ヤマハホールは規模としては小さいが音響はすこぶる良い。

第1曲目から高田さんは絶好調で、実に見事な声。
以前、嘉目真木子さんとの「めぐろパーシモン」での
「これがオペラだ」シリーズにおける「蝶々夫人」での
ピンカートンの名唱を思い出した。あのときも、
 「高田さんで、<ラ・ヴォエーム>のロドルフォを聴きたい」
と思ったのだが、この日のカヴァラドッシも実に見事。

与那城さんは、ややもするとクール過ぎる演技になることもある
のだが、この役では役の狡猾な性格と見た目のカッコ良さという
 「アンバランスゆえの存在感」で際立っていたし、
声ももちろん充実していて素晴らしかった。

小川さんは初めて聴いた。まず容姿が素晴らしく、
さすが学生時代に「ミス ユニバース日本代表」に選ばれた
だけのことはある。
それに、単に美人とかスタイルが良いというだけでなく、
よく響く声には陰影も含んでいるように思え、したがって
この役のようなドラマティックな悲劇的な女性の役に、
見事に「はまる」感があった。

そしてそれは、最後の最後、カヴァラドッシが(空砲ではなく
実弾で)本当に死んでしまったことに気がつき驚いた瞬間の
悲鳴と実に見事な演技と声に、この日のデキが収斂されていた
と思う。

この人は他の誰よりも抜きんでて演技力のある歌手だと思った。
それは しぐさ とかだけでなく、顔の表情が既に女優なのだ。


休憩時ロビーでみかけた指揮者の井上道義氏は終演後、
小川さんに、「今度は大舞台で観たい」と感想を伝えたことを
小川さんが自身のブログで伝えているが、それはこの日
来場した全ての聴衆の感想でもあったはずだ。

3人とも既に活躍それているが、
今後益々楽しみだと心からそう思った。

2012年5月 5日 (土)

ラ・フォル・ジュルネ~川久保賜紀さん

ホールAで、ジャン=ジャック・カントロフ指揮、
シンフォニア・ヴァルソヴィアというオケの演奏を聴いた。
このオケは1984年にメニューインがポーランド室内管弦楽団
を母体に設立し、一時期、ペンデレツキも音楽監督に迎えて
いたとのこと。

  とても優秀なオケ。

弦のプルトの数はざっと見、1st.Vnから 7、6、4、4
そしてコントラバスが5人。

 1曲目はグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲
 申し分ない。とはいえ、ご存知のように東京国際フォーラムは
 オケではCホール(1,494席)が一番適度なホールだが、
 Aホールは実に5,008席で、NHKホール(3,400席)を大きく
 上回り、音楽的には
   「有り得ないキャパ、有り得ない大きさ」 ゆえ、
 演奏者(団体)が誰だろうと、音量的には聴衆の誰もが
 物足りなく思う。
 1階前方の席でも、ステージの中だけで響いている感は
 否めない。
 Aホールは音楽には全く適さない。


 2曲目は川久保賜紀さんのソロで、
 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲

 オケでさえ音量的にそうなのだから、ヴィオリンのソリスト
 には全く気の毒な状況。
 ただ、ホールの左右の正面には巨大なスクリーンがあり、
 ステージ上の数台のカメラで様々なアングルから
 ソリストの顔の表情を含めて映し出していたので、
 ほぼ満員の聴衆はそうした点では楽しめたと思う。

 名ヴァイオリニストでもあるカントロフは、冒頭から
 エレガントにオケを歌わせるところなどは、フランス人らしい。
 また、第1楽章や第3楽章では、緩急自在にメリハリよく、
 たたみこむところは猛烈な速さにギアチェンジして
 進めていったし、川久保さんとは打合せがうまくできて
 いたようで、カントロフの考えと思えるテンポ変化の部分でも
 川久保さんが「自分の意思」であるかのように
 自在に弾いて行くところが見事だった。

オケ全体がステージ床のもう1m客席に近づいて座ると、
もっと音量が客席に届くようにも思えるが、照明や反響板の
関係等、少し奥が定位置なのだろう。

川久保さんもオケより前に、客席側に一歩出て弾けば
もっと届くかもしれないが、敢えてそうせず、むしろ
オケの中近くで奏したのは、カントロフと絶えずアイコンタクト
をしているためだ。
そして弾いているとき、ときおり、フレーズによっては
 「ニコッ」とした表情になるのは彼女らしい。

彼女の演奏は協奏曲や室内楽等、5回くらいライブを聴いて
いるし、サイン会で少し話したこともあるが

 「笑顔が実に魅力的な人」

ニコッとされたら100人中100人は「惚れてしまう」に違いない
ほどだ。

この日の川久保さんの音楽作りはいつもながのスタイリッシュな
演奏。でも低弦での熱い奏法等、エスプレッシーボも十分。
音量は先述のとおりだが、第1楽章のカデンツァではむしろ、
オケ全体が休んでいることを含め客席の静寂の中、
ヴァイオリン1挺の音だけが、度々のフラジオレットを含む
完璧なカデンツァとして響いていたことが聴衆には
印象的だったはずだ。

個人的には~以前も書いたが~外見的には、フレーズを
弾き終えて弓を上げるとき、たいてい真上に上げる人が多い中、
彼女はほとんど頭の後90度くらいに鋭角的に上げるところが
カッコイイと思っている。

抜群の技巧。
五嶋みどりさんや諏訪内晶子さんの少し後のまだまだ若い世代
だが、今、「一番弾ける人」ではないか、とさえ思う。

ホールはほぼ満員に近かったから少なくとも4,500人前後が
客席にいたと思うが、これまで諏訪内さんやミドリさんほど、
彼女のことを知らない人も少なくなかったと想像するが、
この日を境に、大いに注目度、知名度、そして評価を
一段と高めたに違いない。

それにしても、当然のこととはいえ、小柄な、そして協奏曲とは
言え「たった独り」を強いられるソロ奏者として、
4,500人前後の大観衆聴衆の前で、全く動じることなく
自分の音楽を正確な音程で弾ききる力量と度胸には恐れ入る。

Aホールは音楽に全く向かない。
しかし、この演奏会の聴衆は皆、川久保さんの演奏に
大いに満足して帰途についたに違いない。

電力料金の値上げは「優越的地位の濫用」

東京電力が企業向け電気料金の平均 17% 値上げに
踏み切ってから1ヶ月が経過したが、
値上げへの説明が不十分だったことも反発を招き、
合意件数は半数以下の約 45% に留まっているという。

値上げ対象の約 23万7,000件 のうち、4月26日時点で
合意が得られたのは 約 10万 7,000件 (約45%)。

3月31日に契約期限を迎えた約5万件の中でさえ
4割の 約 1万8,200件 からは未だ同意が得られていない
という。

値上げに対し、川口商工会議所(埼玉県川口市)は、
独占禁止法の「優越的地位の濫用」に当たるとして、
公正取引委員会に値上げ凍結の要請をしたという。
その主張に大賛成だ。

また、東京都の猪瀬直樹副知事も
 「東電の顧客軽視の体質」からの値上げ言及
として批判している。

もし、7月に個人向け料金を「本気で」上げてくるようなら、
私は個人的に対策を考えている。そのことはまた後日。

長距離バスの事故~670㎞設定は愚の骨頂

子供を死に追いやる暴走車が続いたと思ったら、長距離バス事故。
この事故は多くの問題点を浮き彫りにした。
5月1日の朝日新聞 「天声人語」 は 格安競争に伴う危険性に
ついて、
「利用者が求める「格安」には過労という危険が素知らぬ顔で
同乗することがある」と書いている。

浮き彫りになった主な問題点は以下のとおりだ。


  1.【節操のない安価競争】

新幹線料金は高い。長距離バスを求める心理はむしろ自然だが、
旅行会社という仲介業者(たぶんそういう業態は徐々に減少して
いく)がバス会社に安価を求め、健康管理という安全に直帰する
労務問題ななおざりになる。
 「運転手の9割が睡魔を覚えた経験有り」というから
今回の運転手1人の問題では無い。


  2.【国土交通省が設定した670㎞は愚の骨頂】

1人の運転手でよいとした距離なんと670キロ。
バス運転手に対するアンケートでは400キロ前後が
1人運転での限界とされるし、国交省はそれを知りながら
改善しなかった。
670㎞は東京ディズニーランドから大坂のユニバーサルスタジオ
までの距離で、それを1人運転OKにしてくれ、という
旅行会社業界からの圧力、というよりは役人との間の癒着
により変更がなされなかったと推測される。

 「長距離バスを運転したことのない役人が決めた670㎞」

ということ。 愚の骨頂。

ちゃんとしたバス会社は、自社規程で
 「500キロを超える場合は2人態勢とする」旨定め、
旅行会社が「1人運転=格安」を求めてきても断っている会社
もある。


  3.【道路脇の防音壁の設置場所の問題】

5月2日の朝日新聞「声」には一級建築士の人が防音壁の
設置状況に問題アリと指摘している。

 ①ガードレールとの間に20㎝~30㎝の隙間があること
 ②ガードレールの内側にあること

これでは激突物(バス)に対して切り裂くように食い込むのは
当然という。
ガードレールを内側にするか、2つの間に隙間を作らない
ようにどちらかを斜めに立てることが必須なのに、
そうなっていなかったと。

現状だけでもこれだけの重大懸念材料が存在していたゆえの事故
と言える。

2012年5月 3日 (木)

ラ・フォル・ジュルネ ~ 権代敦彦さんの曲 「カイロス」 と 「クロノス」

東京で 「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」 が始まった。
東京で、というのは、ご存知のとおり、フランス ナントでの
音楽祭が東京でも開始され、今では金沢、新潟など
日本でも複数開催されるようになっているからだ。

原則 1時間の演奏会でしたがって料金も安く設定されている。
  今年のテーマは 「Le Sacre Russe」
ロシア祭というところだろう。
ストラビンスキーの「春の祭典」=「Le Sacre du printemps」
に因(ちな)んでの命名とのこと。

なので、チャイコフスキー等ロシアものがメインだし、ここ数年
著名な奏者の演目は前売り開始日の30分で売り切れるが、
逆に言うと、あまり演奏されない演目や奏者でもアジアや
中欧からの参加者のものは「アナ」的に面白いものもある。

3日では19:30からの児玉 桃さんと小曽根 真さんによる
 「春の祭典」ピアノ・デュオは早々に売り切れ入手
できなかったのだが、

21:45開始の権代(ごんだい)敦彦さんの作品をメインとした
  「祈り」と題されたものが興味惹かれたので、
購入しておいた。私と同じように考えた人も多かったようで、
演奏が行われた「D7」のホールの定員数=221席は
遅い時間帯にもかかわらず、ほぼ満員だった。

1.権代敦彦 作曲 「カイロス」~その時 ピアノ=児玉 桃

2.アルボ・ペルト作曲 「カノン・ポカネヤン」(痛悔のカノン)
   より、
  ①オードⅣ ②コンタキオン ③イコス ④カノンの祈り
  合唱=「ヴォックス・クラマンティス」

3.権代敦彦 作曲 「クロノス」~時の裂け目~
   ピアノ=北村朋幹 チェロ=宮田 大
   ホルン=伴野涼介 打楽器=池上英樹
   バス・クラリネット=山根孝司


最初に権代さんが登場し、曲を解説。

1は昨年、東日本大震災後、特に失われた小さな生命が
永遠の時の刻みに連なることを祈って書かれ、
委嘱者の児玉 桃さんに捧げられた曲。
桃さんは1時間30分前に小曽根さんと「春の祭典」を
演奏後のこの演奏だ。

10分強の曲。終わり近く、クロスターに近い奏法での
高音から低音への連続した上下は正に襲いかかる波を
連想させ、エンディグは高音の刻みとそれの消失の中、
中音域の透明な音がペダル効果的にフェイドアウトして
静謐な中に終わる、というとても印象的な曲だった。
もう一度続けて聞きたいと思うような曲。


2は、グレゴリア聖歌をパリ高等音楽院等で学んだ
ヤーン=エイク・トルヴェ氏の指揮によるもので、
合唱団は男女8名ずつの16人。
女声は一応ソプラノとアルトに分けられていたが、
男声は必ずしもそうでもない感じがして、臨機応変の
声のアンサンブルという感じ。
1996年に結成された合唱団というが全員フランス人なのか
どうかは判らない。

4曲で計30分に及び、この2つの演目が終了した段階で、
既に本来の終演時間=22:30を10分オーヴァーしていた。
音域もテンポも曲想もほぼ同じような4曲なので、
途中やや冗長感も感じたものの、属音の持続音での伸ばしを
含め、印象的な部分も多かった。


3はバスクラの弱音に始まりバスクラの弱音終わる
やはり10分強くらいの作品。
3はナント市でのラフィルの開催者からの委嘱で、
ナントでの初演後、今回が日本初演。
「ロシア」をテーマとの委嘱に権代さんは
 「真っ先にチャルノブイリを思い、フクシマの状況と
  重ねて作曲した」とのこと。

3では私は作品の内容より、奏者たちの演奏に打たれた。
特にチェロの宮田さんやピアノの北村さんはまだ20代のはずで、
最近めきめき有名になっている人だから、
古典的な曲でのリサイタルを「こなす」というアプローチだって
普通に「あり」のはずだが、こうした現代曲に積極的に
参加する精神に共感した。
当然「旋律の無いゲンダイ曲、現代奏法オンパレードの曲」
にもかかわらず、果敢なアプローチが印象的だった。

作曲者の真摯な意図により、「熱狂の音楽祭」における
思いもかけぬ「祈り」を聴衆と演奏者は共有し、
未だ何の解決もされていない東北の状況、
フクシマへの思いを共有したのだった。

2012年5月 1日 (火)

今年は 清水華澄さん の活躍が素晴らしい

今年はメゾ・ソプラノの清水華澄さんの活躍が凄い
私が彼女の歌声を初めて聴いたのは東日本大震災の約1ヶ月前、
2011年2月5日に、今は崩壊してしまった「ミューザ川崎」での
冨平恭平さん指揮、オーケストラ ハモンによる
 マーラーの交響曲第3番での歌唱だった。

深々とした歌唱。何よりも声量があるのが良い。
メゾの人の中では例外的な声量を有していると言えるのでは
ないだろうか。
そのことは、昨年4月30日の二期会「フィガロの結婚」での
マルツェリーナの役に関する感想としても記載済みだ。

今年に入っての活躍が更に素晴らしい。
彼女自身がブログ内のコンサート日程で記載しているが、
正月3日のNHKニューイヤーオペラコンサートから、
以下のとおりズラリとならぶ。

1月 NHK ニューイヤーオペラコンサート
    愛知などでのコンサート

2月 都内 東京二期会『ナブッコ』 フェネーナ役

3月 都内 チャリティーコンサート
    Bunkamura リバブル・クラッシックコンサート

4月 新国立劇場 『オテロ』 エミーリア役

5月 上海 日本センチュリー交響楽団 第九

6月 都内 コンサート

7月 都内 東京二期会 『カヴァレリア・ルスティカーナ』
                サントゥッツァ役
    新国立劇場 『アイーダ』コンサート形式 

8月 北京 国家大劇院 『アイーダ』 コンサート形式
    日伊声楽コンコルソ ガラコンサート

9月 東京芸術劇場 リニューアル記念演奏会
     マーラー 『復活』 ソロ
    都内や神奈川県等での複数のコンサート

10月 都内 コンサート

11月 日生劇場 『メデア』 ゴラ役
     内 コンサート

12月 地方 コンサート
     埼玉 第九

もちろん、この全てを聴いたり聴く予定のわけではないが、
都合が許す限り、これからも何度でも聴きたい歌手の一人だ。

2012年4月30日 (月)

新交響楽団 「大地の歌」 第217回演奏会  感銘深い第一級の名演

新交響楽団 第217回定演を聴く。
チューニングからして美しい音。疑いなく日本最高のアマオケ。
今回の指揮は 飯守泰次郎さん。

プログラムは

1.伊福部 昭 作曲 「交響譚詩」

2.イベール 作曲 「祝典序曲」

3.マーラー 作曲 「大地の歌」


感想

1について
このオケと伊福部 昭さんの「交響譚詩」と言えば、
芥川也寸志さんとの1977年8月の録音盤が懐かしい。
今でも「熱さ」においてどの演奏にも負けていない。
この日の飯守さんとの演奏もメリハリと迫力ある名演。

私が所属するオケで昔、この曲をやったとき、伊福部さんが
来場してくださり、レセプションで、
 「子供のころからゴジラ映画を観てきました」
と言うと、「では、ゴジラと書きましょう」と、プログラムに
 「Godzilla Akira Ifukube」
とサインしていただいたことが懐かしい。

2の曲はよく知らないが、複雑なリズムとかなり大きな音量を
 求められる作品のようで、演奏はとにかく金管も打楽器も
 雄弁な音、音楽を作っていて圧倒された。


3.マーラーは 「偉大な曲の 感銘深い第一級の名演」

このオケは過去にたくさんの忘れ難い名演を送りだしてきたが、
この演奏もそこに加わる。
年4回の定演、したがって3か月足らずでこのレベルで仕上げて
くるアマチュアのオケは日本国内に2つと無いと断言してよい。

ソリストでは福井敬さんはドイツ語がやや不明瞭だったが、
福原寿美枝さんは特に最後の「告別」で感動的な歌唱。
 「ジワッと静かに来る、気がついたら涙腺が濡れていた」
という歌唱。

昨年、没後100年だったマーラーが、もし今、降臨して
この演奏を聴くとして、
 「彼らは楽器演奏を職業としている人達ではないのです」
と説明しても、さすがの彼もにわかには信じられないに違いない。

そういう演奏だ。

最近はこの新響に迫る優秀なオケが生まれてきているが、
それでもやはり新響にはある種の「余裕」、
大人の音楽というか、懐(ふところ)が広く深いということを
感じさせる。
具体的に言うと、どんなテンポの変化にも柔軟に
 <自主的に>演奏できるということが言えると思う。

  素晴らしい演奏、演奏会だった。

2012年4月25日 (水)

京都亀岡 「危険運転致死傷罪」適用はできる

少年による無免許運転での「殺人」
  ~危険運転致死傷罪適用は可能
  ~日本の刑事罰(法構造)の甘さ

23日に京都府亀岡市で、登校中の小学生の列に軽自動車が
突っ込み、10人が死傷した事故。
付き添いの妊娠7カ月の女性と2年生の女子児童が亡くなり、
いまだ2名の少女が意識不明状態だ。胎児も助からなかった。

 (1)「自動車運転過失致死傷」

現状、少年は 「自動車運転過失致死傷」などの疑いで送検された
という。
(1)は運転中に誤って=「過失」により、人を死傷させた場合に
   適用され、刑の上限はたかだか懲役7年。


 (2))「危険運転致死傷罪」

危険な運転によって人を死傷させた場合は、2001年に設けられた
最高20年の懲役の(2)「危険運転致死傷罪」が適用されることが
ある。

  <「危険運転致死傷罪」の適用要件>

この(2)は、
①飲酒運転など危険な運転で人を死傷させた場合
②「過失」ではなく「故意」があったとみなされた場合
③実際に運転の技能がなかった場合
にそれぞれ適用される。

  <(2)の適用が難しいという論拠>
今回のこの少年に(2)を適用するのは難しいという声がある。
いわく、
①については飲酒運転ではない
②では「居眠り運転」は「故意」ではなく「過失」だとみなされる
③では、なんと、「無免許でも運転技術はあった」という
  「へんちくりんな論理」によるものだ。

だが、ちょっと待った。

   <反論>…論理的に簡単に論破できる

反論1;飲酒でなくとも無免許運転自体、飲酒と同レベルの
     悪質な「危険な運転」である。

反論2;それよりなにより、「無免許で運転すること自体、
     故意による違反行為である」。
     加えて、以前から無免許運転を常習していた悪質なもの
     であり、積極的な殺意がなくとも、事故が起きることは
     容易に推測できるという点で潜在的に故意があっと
     言うことは容易である。

反論3;運転技術を持っていた、というが、所詮、無免許、
     すなわち正規な合格レベルの技術を持っていたとは
     とても言えない。

以上から、(2)の「危険運転致死傷罪」の適用は可能だと思う。
いずれにしても、無免許運転自体が、道路交通法違反で
1年以下の懲役と言うこと自体「軽すぎる」。

この国の刑罰の、いつもながら加害者に甘い法体系自体が問題だ。

ブルーダル基金~神奈川フィルを応援します

個人的に個別の管弦楽団の支援云々は特にプロの場合は控えたい
というか、私が云々するのもおこがましいし、
財政資金的に恵まれているN響や読響には結構厳しいことを
ブログに書かせていただいている。
特にN響の金管については本当にだらしがないので、書いている。

それはともかく、
神奈川フィルハーモニー管弦楽団(以下、神奈フィル)のことは
書いておきたい。

このオケの優秀さは2007年、神奈川県民ホールにおける
 「ばらの騎士」上演時の驚異的演奏をブログで絶賛したし、
最近も今年の同プロジェクト演目の「タンホイザー」での
素晴らしい演奏について絶賛させていただいた。

この神奈フィルに財政危機が迫っている。

行政委託型公益法人を含めて1896年(明治29年)の民法で
定められていた公益法人制度を抜本的に見直し、抜本的に
改革するため、2006年5月に、法人格取得と公益認定の
切り離しや、中間法人の統合、既存の公益法人の移行・解散
などを含む「公益法人制度改革関連3法案」が成立し、
2008年12月から施行され、新制度に移行中なのだが、
神奈フィルの存続のためには、2013年11月までに新制度での
公益財団法人に移行する必要がある。

純資産300万円が条件だが、同フィルはこれまでの
累積赤字、債務超過状態を解消することが必須であり、
また、安定した財務基盤を築くため、
基金の目標金額を5億円としている。

2011年2月、神奈川県、横浜市、経済人、文化人の有志で
 「がんばれ!神奈フィル 応援団」が結成され、
また、オケは楽団内に「神奈フィル ブルーダル基金」を設けて、
市民、ファンからの募金協力を仰いでいる。

たいしたことないオケならともかく、あんなに素晴らしい
 「ばらの騎士」や「タンホイザー」を演奏できる
 オーケストラなので、私もささやかながら協力しようと
思っている。

   http://www.kanaphil.com/bokin/

2012年4月21日 (土)

レ・ヴァン・フランセ ~素晴らしき名手たち

ベルリン・フィル首席フルート奏者 エマニュエル・パユさんら
により結成された「レ・ヴァン・フランセ」の来日公演を
「彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール」で聴いた。
2002年3月の初来日以来、5度目の来日とのこと。
CDも既に数枚出している。

曲により、メンバーが少し入れ替わるという柔軟な運営だが、
核になるのはパユ氏のほか、オーボエのフランソワ・ルルー、
クラリネットのポール・メイエというこれまた世界的奏者だ。

今回は、ファゴット=フランス式バスーン(バソン)で
現在パリ・オペラ座管弦楽団首席奏者のジルベール・オダン氏、
モーツァルテウム教授 ホルン奏者 ラドヴァン・ヴラトコヴィチ氏
そしてピアノのエリック・ル・サージュ氏の6名で来日し、
このメンバーでの最新CDも発売されている。

曲は

1 バーバー作曲「夏の音楽」 作品31

2 ファランク作曲 六重奏曲 ハ短調 作品40

   休憩をはさんで

3 モーツァルト作曲 ピアノと管楽器のための五重奏曲
            変ホ長調 KV 452

4 ヴェレシュ作曲 オーボエ、クラリネット、バソンのための
            ソナチネ

5 プーランク作曲 六重奏曲

アンコールとして

1 ハーセル作曲 ディヴェルティスモ

2 テュイレ作曲 六重奏曲よりガヴォット


感想

とにかく、うまい。
不安定な音はどの奏者も1音たりとも無かった。

ヴラトコヴィチさんの完璧でニュアンス豊かなホルンが
全体を支える。オケもそうだが、こうしたアンサンブルは
特にホルン奏者の力による土台が重要だとあらためて思った。
特に属和音で支えるロングトーンが見事だった。
世界的にも屈指の奏者に違いない。
もちろん、オーボエのルルーもクラのメイエも。

1は、サミュエル・バーバー(1910~1981)により1956年に
 完成。長調とも短調ともつかぬ独特のトーンで、
 いかにもバーバーらしい。なかなか良い曲。

2は素晴らしい曲だった。
 女性作曲家(1804~1875)により1852年に完成された作品
 この曲の作風は、モーツァルト的な流れに、より大きな
 華麗さを飾りこんだとでも言おうか、とても親しみやすい曲。
 強いて言えば、流れはメンデルスゾーン的か。

3は1784年、28歳のときに完成された作品で、
 モーツァルト自身もデキに満足していたというだけの
 ことのある「深い」作品で、単純明快さという要素よりも、
 むしろ内省的で、練度の深さ、「熟し度」の見事な作品。

4はハンガリーの作曲家ヴァレシュ・シャンドール
  (ハンガリーは日本と同じく姓が前)(1907~1992)により
 1933年26歳のときに完成された作品で、
 鋭角的な響が印象的な作品。


5は、木管楽器を使った作品での極めて評価の高い
 プーランクの面目躍如と言うべき素晴らしい作品。
 作曲家(1899~1963)が1939年に完成させた作品で、
 楽器により特殊奏法も多用され、特にオーボエの
 ルルーさんはその奏法自体を楽しんでいたし、
 パユ氏と とき折、互いに顔を合わせながら
 合奏の楽しさを表情やしぐさでも伝えていた。


会場の雰囲気だが、オーケストラや弦楽器系の室内楽の
演奏会に来る聴衆とは雰囲気がだいぶ違う。
若い人、特に高校生を含む若い女性が多いのは
ブラスバンド経験者の関係かもしれない。

5曲終演後、小さな花束をステージ下から捧げるシーンは
久しぶりに見た。
30年前後にはピアニストの演奏家などでよく見かけた
シーンだが、最近は~良い傾向として~見られなくなった。
1人はパユ氏に渡していたが、もう1人は律儀にも
6人全員分を用意してきて、渡していた。

終演後にはサイン会。たくさんの人がならんだ。

パユ氏周辺には若い女性達が写真を撮りまくっていたし、
パユさんも何度も顔をカメラに向けて愛想を振りまいていた。
またいつかぜひ聴きたいアンサンブルだ。

2012年4月18日 (水)

石原知事を支持~というか 政府が怠慢なだけ

私がブログに 「尖閣列島を国有化せよ」 と書いたのは、
 2011年1月2日。 「我が国固有の領土」と言いながら、
 「これまで自民党政府は何をやってきたのか?」

 口だけで言ってるだけじゃ、かなう相手じゃありませんぜ、
 中国は。

土地所有者から買い取ることを、とっくの昔に実行しておいて
然るべしだったと思う。

 「日本人が、いかに<人に甘いか>の表れ」とも言える。
<人>というのはここでは中国政府および敢えて言うが
<土地所有者>に対してだ。

国家主義的発想は基本的に嫌いだが、こういうところは
キチンとするのが国家としてのアイデンティティーとして
当然の責任責務と思う。

今回の石原都知事の購入表明については、是非云々という
ことよりも、
  
   国に対する
   「ケンカの売り」、 「尻叩き」、
   「のほほんと呑気な姿勢に対するアンチテーゼ」

という点で支持する。

2012年4月15日 (日)

垣内悠希 指揮 東京フィル デビュー演奏会

昨年のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した垣内悠希さん
の実質的な国内デビュー公演と言ってよい演奏会が
東京フィルハーモニー管弦楽団により2回行われ、その初日を
オーチャードホールで聴いた。

何度も書いているが、私はコンクール結果というものは
~日本人が「異様なまでに」関心を持つことへの反発も無きにしも
あらずだが~基本的に興味は無い。
聴衆には何の関係も無いことだからである。
ただ、もちろん当人にとっては少なくとも今後の演奏会への
チャンスが開けるという意味で重要であろうことは理解している。

垣内氏はプロフィールによると音楽一家に育ったから恵まれた
環境と言えるだろうし、藝大では楽理科、ウィーン音大で指揮科を
それぞれ首席で卒業されているそうだが、今年32歳になる
 (か、なったか)ということだから割と「遅咲き」と言えるだろうし、
実際今回のプログラムに掲載されているインタビューを拝読すると
 「ブザンソンで良い結果が出なければ、指揮をするのをやめよう
  と思っていた」
とのことだ。
逆に言えば、ラッキーなことが生じてきた、と言えるのかも
しれない。

日本では関西のオケを一度振ったことがあるそうだが、
実質的に日本でのデビュー演奏会と言ってよいだろう。
新聞でもたびたびインタビュー等が掲載されていたから、
この日のオーチャードホールは満員に近いくらいたくさん
お客さんが入っていた。

さて、演目は3曲で、

1.ベートーヴェン 「エグモント」序曲

2.シューマン ピアノ協奏曲
  ソリストは、若い女性のソフィー・パチーニ

3.チャイコフスキー 交響曲 第5番


     感想

 1.ベートーヴェン 「エグモント」序曲

冒頭の和音はアクセントを付けず、柔らかで控えめな音量で
好感が持てた。
彼の指揮振りは、右腕も絶えず始終、大きく円を描くように
3拍子を振っていて、左腕(手)も左効き?と思うほど雄弁に
動かしている。
ファースト・ヴァイオリンとチェロで出て行くアレグロの主部冒頭
など、もっと小さな振り、あるいは出だしと、ヘミオラの音型の
各頭=Cの音のところだけ打点すればいいのに、
やたら大きく振る。
私もアマチュアながら指揮をさせていただくときは結構左手を
使うが、要所要所で効果的に使うべきで、彼のように
始終左腕を回しているのを見ていると、繁雑というか
 「うるさい」感じがしてしまう。
オーケストラの人達はどう感じていたのか、興味深いところだ。

286小節目のフェルマータの直後、たっぷりと間を置いてから
アレグロ・コン・ブリオの287小節目以下コーダに入っていった
のは良かった。
そして最後の和音を敢えて「バシッ」とはさせず、
柔らかめの和音にして終えたのだが、少し音量が落ちて
わざとらしい感じがした。
柔らかくももう少し芯のある硬めの音でも良かったように思う。
あるいは柔らかくても音量は、最後の3つの和音(3小節間)は
同じ音量で終えたほうが良かったと思う。


2.シューマン ピアノ協奏曲

ソリストはイタリア人の父と、ドイツ人の母との間に1991年に
生まれたというから、まだ今年21歳になる(か、なったか)
というスラリとした若い奏者。
アルゲリッチが高く評価しているとのこと。

有名な冒頭。
ピアノ・ソロの印象的な下降音型は思い入れを込めて弾く
のが普通だが、彼女はそっけないまでにサラッと弾いた。
しかし、その直後の第1主題は音型のクリアなとても美しい音
で弾いた。
全体的にリズミカルに、あるいは技巧的にサラッと弾く部分と
たっぷり弾く部分とを明確に分け、自分がどうしたいか
明確に理解できている人で、テクニックも申し分ない。
だから、想像どおり、第2楽章はやや淡泊だったし、
第3楽章の速いパッセージは見事だったけれど、
一番良かったのは第1楽章。
それでも、特筆するほどの何かを感じることは無かった。
でも年齢的に、今後注目される人の1人と言えるかも
しれない。

垣内氏の指揮は、マニュアル的な振り方なので、
こういう協奏曲には合っているようだ。
丁寧にうまくサポートしていた。
先述のインタビュー文によると、かつてこの曲を、
小澤征爾さんからレッスンしてもらったことがあるというから
十分研究していた曲だけのことはあったと言える。


3.チャイコフスキー 交響曲 第5番

私自身も中学生のころから親しんできた曲で、
演奏者側としても2回、演奏経験があるので、
それなりに以下厳し目に書くことになる。

   第1楽章

①序奏は丹念に創っていた。20小節目の4拍目にある
  フェルマータはたっぷり長くとり、好感が持てた。

②主部に入ってからは大きな指揮ぶりが良くも悪くもオケを
  ドライブした。でも、カラヤンが言う、
  「ドライブ(drive)するのではなく、馬の手綱を引くように
  キャリー(carry)するのが指揮者の心得」という言葉を
  いみじくも思い出すほど、ドライブすることにまっしぐら、
  という感じはした。

③あと、新しい曲想が出る(に変わる)場面で、
  もっと落ち着いて入ればいいのにな、という所が散見
  された。例えば170小節目とか、展開部が終わり、
  再現部に入る320~321小節のところなど。

④154~155小節目のような(以下同じように続く)
  木管のフレーズのリズムがあまり良くなく、気になった。
  これは奏者というより完全に指揮者の責任。

⑤そして、終結部がスッと、そっけなく終わってしまったのは
  残念。あれほど序奏部を丁寧に創った人とは思えないほど
  そっけなかった。
  確かにコーダには、リットとかアンダンテにしろ、とかは、
  チャイコフスキーはいっさい書いていないけど、
  ここはやはり ある程度やらないと感情が感じられない。
  物足りない。


   第2楽章

①ホルンのソロはうまかった。というか、プロだからあのくらい
  吹けて当然。
  なお、東フィルの素晴らしさについてはまとめて後述する。

②66小節目からのモデラート・コン・アニマからは
  「せかす」感じが必要以上に出ていて、彼の大きな身振りに
  マッチしてしまうがゆえに、慌ただしさを感じてしまった。
  エンディングは後述するように2人のクラリネット奏者による
 エピローグがとても美しかった。


   第3楽章

彼のようなマニュアル的な振り方の場合、この楽章には良さが
出ていたように思う。このワルツ楽章は奏者にとっても、
指揮者にとっても難しいと想うのだが、良い意味でスッキリと
 「プロの巧さ」を出して指揮していたと思う。
そう、ドライブといういより、うまくキャリーしていた感じ。

でも最後の6つ続く四分音符は柔らかくやろうとして
 ~それ自体は理解できるが~ちょっとわざとらしい感じが
強すぎた。そう奏するのなら、
それに至る必然性をロジカルに感じさせなければならない
と思うのだが、いささか唐突に「ここは柔らかく」と
決めつけてしまったような演奏。


   第4楽章

演奏効果抜群の楽章だから、彼の大きな身振りに相応しい曲想
なのかもしれない。
金管楽器とティンパニ奏者の素晴らしい演奏もあって、
堂々と美しくエンディングを迎えた。

終演直後から大きな歓声と拍手が起きた。
しかし申し訳ないが、私は額面通りには採れない。
この曲は、非常に効果的に劇的に盛り上がって終わるように
書けているので、どんな指揮者でも、
あるいはオーケストラについて言えばアマチュア・オケでも、
ほとんど間違いなくブラヴォーが出る、あるいは少なくとも
聴衆からしたら「ブラヴォーしやすい曲」なのだ。

作曲者の~チャイコフスキーの~オーケストレーションの勝利、
ということに負う、という典型的な曲だ。
逆に言えば、ブラヴォーあるいは大きな歓声や拍手が
出ないような「5番」はほとんど致命的な演奏と言えるのだ。


彼がデビュー演奏にこの5番を選んだことはラッキーだった。
いや、プログラムのインタビュー記事だと自分で選んだのでは
ないようだが、2006年のルーマニアでの欧州初指揮の
ときと同じ曲という所縁(ゆかり)ある曲という。
また、今週20日(金)でのもう1つのプログラムは
ブラームスの2番で、あの美しい、そしてエンディングでは
熱く盛り上がる曲で、彼も好きな曲とのことだから、
これまた良い曲でのデビューと言えるだろう。

そして、何よりも東京フィルハーモニー管弦楽団という
国内でたぶん一番うまいオーケストラに迎えられたことは
大きな幸運だったと思う。
このことは垣内氏もインタビューの中で謝意を述べている。
演奏家にとってこうしたラッキーさは重要だと思う。


 【東京フィルハーモニー管弦楽団の素晴らしさについて】

1曲目の「エグモント」序曲でも弦の「総和的な美しさ」は格別で
全体としてのブレンドが素晴らしい。歴史と伝統、
オペラに鍛えられた柔軟性、といったものを強く感じる。

チャイコフスキーでは金管楽器群、特にトロンボーンの3人と
チューバの力量が素晴らしい。
そして、ティンパニ奏者が終始キツ過ぎない絶妙な柔らかさを
伴った音でリードしていた。
この、オケ最後列にならぶ5人の演奏を聴いている「だけでも」
この演奏会に来た甲斐があると思うほど素晴らしかった。
これぞプロオケだ。

どんなに上手いアマオケでも、
こういう金管とティンパニは聴けない。
全体の水準としても、たぶん国内ナンバー1のオケ、
と言ってよいのではないか、と思う。


 【東フィルの奏者2名によるプログラム寄稿文について】

①プログラムには東フィルの奏者2名が素敵な文を寄稿している
  のが素敵だ。
  ファゴットの首席奏者の1人 黒木綾子さんはファゴットを
  奏するに際してのアイテムを含む諸状況について解説して
  いて面白いし、
②クラリネット奏者の荒井伸一さんは、
  このチャイコフスキー5番の第2楽章の終わり、
  クラリネットのよる静謐で美しいエピローグのエンディングの
  部分で、
  「クラリネット2本を重ねて、しかもPPP(ピアニシッシモ)で
  演奏するのですが、他の作曲家なら絶対に1本(1人)で
  吹かせたはず。でも、チャイコフスキーは「2本重ねた音色」
  がどうしても欲しかったのでしょうね」として、
  この部分を2番奏者は1番奏者と違うニュアンスで吹くことを
  述べていて、大変勉強になる。


  垣内さんの全体の印象

やはり、ステージ慣れしていないのは仕方がない。
逆に「初々しくて可愛らしい」感じがしたくらいだ。
例えば、演奏前や演奏後のオケにスタンディングを促すしぐさ
とか回数とかが、「気を使っているなあ」と感じられたり、
チャイコフスキーの終演後は、ホルンとかオーボエとか、
目立つソロを受け持った奏者に拍手をもらうように
個々にスタンディグを促すのが普通だが、
 <まったくそれをしなかった>のは、
「慣れないゆえ、自分のことで頭が一杯」
だったことが容易に判る。

でも、実質デビューとはいえ、失礼ながら20代ならともかく、
もう30代なのだから、もう少し(ハッタリでいいから)落ちついて
振る舞ってよい。

バトンの技術、というような「ある意味どうでもよいこと」は
あまり言いたくないが、でもやはり「ムダな動きが多過ぎる」
と思う。
本文中に何度も書いたので繰り返すようで申し訳ないが、
マニュアル的に同じ動きが多く(というか全部同じ振り方に
見えた。どんなパッセージの部分でも)、
加えて右腕も左腕も大きく雄弁に動くので、客席から見ていて
 「カッコイイというより煩(わずら)わしい」。

もっとオケを信じてよい。
しかも、相手は名だたる名手揃いの東フィルなのだし。

まあ、慣れてくればだんだん「良い意味でサボる、
 それでもちゃんと指揮できている」
状態になるに違いない。

演奏中の熱演と、ステージ上での慣れない初々しい感じから、
応援したい、と感じた人と、
 「このくらいの指揮者はいくらでもいるよなあ」
と感じた人と、2つに分かれるように思う。

私は一度の演奏で決めつけることはしないので、
今後機会があればもちろんまた聴かせていただきます。

  デビュー初日、お疲れ様でした。
  おめでとうございます。

«NHKスペシャル 「木嶋被告・100日裁判」

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