2017年8月16日 (水)

嘉目真木子さんの初CD「My favorite songs」

充実していたNHKスペシャル

2017年8月15日 (火)

三善晃のレクイエム~8月15日に寄せて

2017年8月13日 (日)

蝶々夫人~荒川区民オペラ第18回公演

30代オペラ歌手の飛躍~音楽への真摯な思い~12日の日本経済新聞より

パーヴォ・ヤルヴィ氏の素晴らしい指揮レッスン

2017年8月 5日 (土)

練馬区民による第九

合唱のうまさとは?~あるいは参加する団員に寄り添って考えてみる

2017年7月31日 (月)

過去最低の防衛大臣~離任式している場合か

OPERA MANIA 2 ~ベルカントからR・シュトラウスまで

2017年7月29日 (土)

ばらの騎士~小林由佳さんのオクタヴィアンの素晴らしさ

2017年7月28日 (金)

ボディブローが効いて弱体化した安倍政権

2017年7月27日 (木)

防衛大臣 実質不在というリアル

2017年7月26日 (水)

相模原市「津久井やまゆり園」虐殺事件から1年に寄せての雑感

結局のところ、「一人一人が、自身の中に有るかもしれない
内なる差別意識や偏見を正直に見つめ、排除していけるか」
が重要ではないか?
すなわち「ヒトゴト意識の排除」だ。
結論としてはそうなるが、その前に個々具体的に考えてみよう。

他者が他者に「生きている価値が無い」などと、
そもそも誰も言う権利も資格もない。

仮に有るとしたら、今、刑務所の中で、税金を原資とした
タダ飯を平然と食べて寝て起きている植松聖被告にこそ
「お前こそ生きている価値はない。
 さっさと自分で自分を殺せよ」と言えることになるのだが、
その絶対的矛盾に植松自身が気づいていない事が、
問題の根深さを示唆し、病理は深い。

「自分の考えが世界で正しい真理と思いこむ」。
犯罪者やヘイト思想者は言う。
「意思疎通ができない人、障害を持つ人は、
 生きる価値が無い」と。
さも、正当であるかのような言葉を吐く。 しかし、
係る社会とは関係ない世界で生きている人からすれば、
それこそ意味不明の「余計なお世話」に過ぎない。

人間は、お金と土地があれば、いわゆる「社会」の中に
居る必要などそもそもない。
居なくて生きていける。
いわんや「赤の他人から偉そうに、生きている価値などを
問われ言及される理由などそもそも無い」。

「障害者は不幸だ」と考えるのは、
その根拠を心情的にも論理的にも説明できない、
勝手な自己陶酔的思いあがりに過ぎない。
要するに「余計なお世話」だ。

そうは言っても、現代社会に生きる多くの人は、
仕事や学校や趣味や享楽において他者の中で生きているゆえ、
他者との比較や競争が付いて回る中で、競争や嫉妬、
尊敬や憧憬、チャレンジ精神やリベンジ精神などを含めた
複雑な人間関係の中に否応なく存在しているが、元来、
「そういう社会」の中で生きろと強制されたわけではない。

そうした社会から出る~逃げるといってもよいが~
そうした社会を避けても、実は何ら構わないのがまた人間
という動物の1つの真理でもあるのだ。

むろん実際はそのように自由気ままに豊かな大自然の中で
自炊してのんびり生活してる人の数は多くはない
 (が皆無ではないことを忘れるな)。

人間は生まれてきたこと自体、1つの奇跡だ。
ところが、一般的な「経済社会」の中にあって人は
「働かざる者、食うべからず」という説得力のある真理を
多くの人は述べる。
なるほど、普通の現代社会の中ではそれは1つの真実
かもしれない。

だが、あの1年前の事件が我々に突き付けたものは
「それは本当か?役にたたない人間は生きていては
 いけないのか?死に値するのか?」
ということに他ならないのだと思う。

労働力、役に立つ、生産性を有する、という人間に、
報酬がもたらされるのは当然だが、しかし、では、
その条件の中に「たまたま入れないような状態で生まれて
来た人は生きていてはいけないのか?」

1年が経ったこの日、TVで障害を持つ子の母親が言った
「役にたたないとダメなの?」という素朴にして強靭な言葉は
胸に突き刺さる。

人間は生まれてきたこと自体、1つの奇跡なのに、
「個々の労働生産能力」と「生きていること自体の価値」を
イコールあるいは強い関係性として私たちは考えがちだが、
「この2つを分けて考えること」から始めないと、
「誰もの中にあるかもしれない植松的偏見と差別意識」から
脱しきれないのかもしれない。

冒頭に書いたように、ヒトゴト的キレイ事的に常識的理性の
言葉をならべて自分自身を繕うより、
「各人一人一人が、自身の中に有るかもしれない内なる
 差別意識や偏見を正直に見つめ、排除していけるか
 どうか」という点こそ、
問題に対処していけるかもしれない重要な出発点としての
ポイントのように想える。

2017年7月22日 (土)

香川県議会議員たちの欧州視察と言う名の お遊び海外旅行~税金の遊興費化

21日フジTV夜「金曜プレミアム~実録!金の事件簿2
 ~こんな奴らは許さない」は面白かった。

税金滞納や自動車の速度違反出頭命令拒否などは、
最後の事例の前では「可愛らしい事」にさえ想えた。

その最後の事例とは、香川県の県議会議員6人による
「視察旅行という名の観光旅行」だ。

これにフジTVスタッフらがこっそりとお忍び同行取材をした
のだ。

県議らはビジネスクラスに乗って7泊9日の渡欧。
名目上の目的は、友好協定を結んだとうイタリアの
パルマ市への表敬訪問が主と言うが、結果、
パルマ市には最終日に寄っただけで市庁舎への
訪問滞在時間はわずか30分。

それまでの6日間はこうだ。
成田→ドイツ・ミュンヘン→スイスのインターラーケン
→同スフィンクス展望台→同マッターホルンの拠点の
ツァルマットとゴルナーグラード→イタリア・ミラノ、
そしてパルマ市。

6人の旅行費合計990万円。
もちろん全て香川県民の税金だ。
舛添前都知事も問題になったのが記憶に新しい。

都道府県だけでなく国会議員による外遊とやらも正に
「視察という名の観光旅行がほとんど」と推測できる。

壮大な税金のムダ使い。

公僕たる議員の怠慢、怠惰、堕落。
全国的に「公務員の海外視察慣習など廃止すべき」だ。

南スーダン問題~陸自と稲田防衛大臣の深刻な亀裂と、野党時代、当時の防衛大臣を批判した稲田氏の発言が傑作~正にいま自分自身に向っている批判

「報告を受けていない」~本当ならシビリアンコントロールが
できていないことを証明。

報告を受けたいたのに、「受けていない」なら、
国会における偽証発言。

報告を受けたけど、「そういう認識を持たなかった」のなら、
防衛大臣としての資質無し。

加えて、自民党が野党時代、与党民主党(当時)の
一川防衛大臣に対して、
稲田氏はこう厳しく批判した。

「部下に厳しくて自分に甘い!決して責任を取らない!
 不用意な発言が多すぎる。
 あなたは自分の役割を分かっているんですか?
 あなたの役目は国を守ることであって、
 あなたの身の保身を守ることではありませんよ!
 いい加減にしてください」

その批判発言は、そのまま今のあなたにお返しします。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-17444.html

2017年7月21日 (金)

尋常ならざるテンポ~フルトヴェングラーによるモーツァルトの交響曲第40番

フェイスブックでFさんがフルトヴェングラー指揮の
モーツァルトの交響曲第40番とハイドン94番の録音について
アップされているので、その話題に便乗させていただく。

フルトヴェングラーの録音の中では比較的少ない作曲家の
2人だ。
前者では有名な最晩年の「ドン・ジョヴァンニ」全曲の他、
「魔笛」「フィガロ」、グランパルティータ、ピアノ協奏曲20番
くらいしかないかもしれない。
後者ではシューマンの4番という永遠の名演とカップリング
された88番も立派な演奏だが、それくらいかもしれない。

それはともかく、ウィーン・フィルとのモーツァルトの
交響曲第40番(1948年録音)、特に第1楽章の速さは
尋常ではない。
あの演奏を聴いたのは高校生のとき、LPレコードによってだが、
録音状況的には決して満足できない状態にもかかわらず、
あの「デモーニッシュ感」に満ちた尋常ならざる演奏に
強い印象を受けた。

フルトヴェングラーファンなら皆知っているが、
彼は概してゆったりとしたテンポをとる。
アダージョはむろんアレグロやスケルツォ楽章でさえ
それほど速くない演奏が多い。

その悠然たる歩みと有機的な展開こそが素晴らしいのだが、
その一方で曲の中で猛烈なアッチェランドをかけることも
少なくない。
典型は「第九」のエンディングだが、あれほど極端でなくとも
ブラームスの4番のラストに向かう様とか、
挙げたら少なからず存在するはずだ。

しかし、この40番はその「どれとも違う意味合いの速さ」
に想える。
ワルターの優雅さやコープマンの洒脱さやベームの実直さ
などとは全く異なる緊迫感。
戦後間もない時期の緊迫感もあるかもしれないが、
そうした社会状況というより、やはりこれはフルトヴェングラーの
感性がこの曲(楽章)に呼応する確信と表現なのだろう。

それがモーツァルトを語った際に小林秀雄が言った
「疾走する悲しみ」と同じ情感なのかどうかは解らないが、
その言葉を連想させる演奏ではある。

モーツァルトだって、もちろんゆったりとした優雅な曲想を
たくさん書き求めたことは多かったが、
「フィガロ」初演に際しての自身の指揮での有名な逸話、
「序曲はだいぶ速く演奏できるようになって良かった。
 では、明日はもっと速いテンポでやろうね」
という逸話も、小林秀雄の言葉とともに、私はいつもあの40番の
演奏を聴くたびに思い出す。

いずれにしても、ユニークな、いやもしかしたら
最も「正当な」40番のテンポ設定なのかもしれない。
少なくともそう想像しながら聴くのも一興だ。

全曲
Wilhelm Furtwängler - Mozart - Symphony No.40
Vienna Philharmonic Orchestra 1948
https://www.youtube.com/watch?v=TI8dbqmZqMg

こちらの第1楽章だけのURLのほうが音量が大きくて聴き易いです
Furtwangler: Mozart Symphony no. 40 (1948) 1/4
https://www.youtube.com/watch?v=1doyoSzYqKw

2017年7月19日 (水)

民進党のテイタラクさ~党首の戸籍を問題にしている場合ではないはずだ

同じ党員の今井雅人衆議院議員が、
「都議会議員選挙で勝てなかったのは、蓮舫氏の国籍
 (戸籍)問題をはっきりさせていないから」などと、
「はあ?」と思える、与党さえ言わなくないった疑義を持ち出した
のは呆れた。

「民進党の退化」を象徴する事象だ。
先の都議会議員選挙での大敗北は自民党だけでない。
民進党こそ深刻な事態であることに気づかないのか?

党内で党首の戸籍を問題にしている場合か?
党内でやるべきは政策論争であり、都議会議員選挙で大敗北
した原因を分析し、今後に備えた根本的な対策を検討し進めて
いくことこそが同党の緊急にして必須の事だろう。

今井氏に象徴される事態は、同党の末期的状態を示している。

追記;
18日、蓮舫さんは戸籍を開示して会見を開いたが、
「こんなことをして何になるか?」
とほとんどの国民は思っているだろう。

当然だが、党内には、蓮舫氏の二重国籍が都議会銀選挙
の敗因とする今井議員の意見に否定的な意見は多く、
寺田学衆院議員はツイッターで
「そのピントのずれが根源的な敗因を作り出している」
と指摘している。そのとおりだ。

それに気づかない同党内の鈍感さと、バラバラな党内事情が
この件ではからずも露呈した。
解党して1から出直すことをお薦めする。

ビルギット・ニルソン 「モーツァルトがオペラの基本」~白石敬子さん

1976年に日本人で初めてウィーン国立歌劇場の専属歌手
となった白石敬子さんは、後年ガン発症などもあり
2006年に引退はされているが、今年デビュー50年
ということで、7月13日の日本経済新聞文化欄に
思い出を寄稿されている。
その中の1つで、こういう逸話を披露している。

ビルギット・ニルソンに「良い歌手の秘訣」を尋ねると、
「後で公演の休憩時間に来なさい」と言われたので訪ねると、
ニルソンはその日の演目とは違う、モーツァルトのアリアを
練習中だったという。

 白石さんはこう語る。
「練習の邪魔になると思い引き返したが、後で
 「これが彼女の言いたいことか」と合点した。
 モーツァルトの曲は全てのオペラの基本だ、という、
 ニルソンからのメッセージだったのだ」。

人を悪く言う(攻撃する)人の言葉は、やがてその人自身に向かう~豊田真由子議員の例

週刊誌ネタではあるが、豊田真由子議員は入院先で夫に
 「死にたい」と、わめいているという。
かつて彼女は秘書に言った。
 「死ねば?生きている価値ないでしょ、お前とか」

きっとそのとき、可哀想な秘書は、内心こう言い返したことだろう。
 「その言葉、そのままあなたにお返しします」、と。

追伸;
もっとも、表だって言葉で言わずに、ウラでこっそり
実際の行動として攻撃(裏切り、足の引っ張り等)をするヤツは
残念ながら世の中にはゴマンといますがね。

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