2017年6月24日 (土)

平原綾香さんとブラームス交響曲第3番

2017年6月23日 (金)

小林麻央さんを悼む

2017年6月19日 (月)

国家公務員の守秘義務と公益通報者保護法の間で

文科省の前事務次官 前川喜平氏の会見について、私は、「前代未聞のことで、公務員の守秘義務違反になるかもしれないが、それを押しての告白は衝撃的で、今後、安倍内閣にボディブローのように、じわりじわりと「痛み」が浸透していくだろう」との主旨を書いた。

森ゆうこ議員(自由党、参議院)の「告発者は保護されるか?」との問いに対し、義家弘介副文部科学相文科省職員は「内部告発して明らかにした場合、国家公務員法(守秘義務)違反に問われる可能性がある」、と述べた発言が波紋を広げている。

ただ、以下の数名の有識者の言及のように、そうはならない可能性のほうが強いようで、そうであれば何よりだが、いずれにしても、ここではそうした政治的見解や感情論でもなく、「純粋に関係法令との兼ね合い的には(2つの間での優位性は)どうなんだろう?」と、自分なりに少し調べてみた。
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1.その前にまず、守秘義務違反に当たらないとする見解を整理すると、
清水勉弁護士は「省内で秘密文書に指定されていたわけでもないだろうし、国家戦略特区の議論は透明性をもって進められることが望ましい。本来は文科相や内閣府の担当相が、進んで事実を明らかにすべき事柄で、守秘義務違反に問えるはずがない」とする。

公益通報者保護制度に詳しい日野勝吾・淑徳大准教授も「法令で定められた秘密とは言い難いし、外交上の機微のやりとりを漏らすことなどとはレベルも違い、一律に守秘義務違反だと言うのは失当だ」と指摘し、「副文科相の答弁は公益通報、内部告発の印象を悪くするもので、別の件で通報・告発しようとする人を萎縮させかねない」と批判している。

ある現役裁判官は「守秘義務違反で罪に問われるのは、秘密を流出させた方法が著しく社会常識から逸脱しているなど、極めて例外的な場合に限られる」と話し、別の裁判官は「形式的に守秘義務違反に当たる場合でも、公益のための内部告発など目的に正当性があれば、裁判では違法性が否定される可能性がある」と説明している。
現に「最高裁の判例は、漏らした情報が形式的に秘密として扱われていただけでなく、実質的な秘密として保護するに値する場合でなければ罪は成立しない」とされている。

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2.基礎知識~内部通報と内部告発、および公益通報者保護法
(1)内部通報とは、会社などの組織において、社員が不正を発見し、上司などに言い難い場合に、社内に設置された特設窓口(内部監査室や、監査役、顧問弁護士等)に通報し、問題点を「社内(組織内)で独自に解決する」ことを主旨とした制度で、金融商品取引法上の内部統制(いわゆるJ-SOX)でも対応窓口の設置が義務付けられている。
しかし、この制度は残念ながら既に「地に落ちた」感あるほど信用されていない。決定的だったのは「オリンパス事件」で、不正に気づいて制度を使って通報した社員が、その指摘を無視されただけでなく、
あろうことか「左遷」されて(閑職に追いやられて)しまったのだ。社員は会社を訴え、最終的には勝訴して今は「以前どおり?」出勤されている。

(2)内部告発とは、言葉的に紛らわしいが、組織の内部者(社員等)が、マスコミや警察など「外部に告発すること」。(1)で書いたとおり、「社内で訴えても解決などしない。それどころか迫害される」と内部通法制度は今で全くと言ってよいほど信用されておらず、昨今の事例でも事件が発覚したほとんどの大元は、この内部者による「外部への内部告発」だ。実際的な問題点の周知と解決という効果においても、通報者保護においても、内部告発のほうが圧倒的に大きな影響を及ぼす。内部通報で会社が隠せても、マスコミや警察等への内部告発では隠し切れなくなるからだ。
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3.公益通報者保護法
通報者を不利益に扱ってはならない、とする法律だが、2の(1)とおり、それにもかかわらず、オリンパスは通報者を徹底的に逆攻撃した。法は無いに等しい扱いを、通報した社員は会社から受けた。
オリンパス以前にも、規模が小さな会社で数社、発覚している。

この法は内部通法制度および内部告発のいずれも対象としている。
そして、通報者の対象は「労働者(公務員も含む)」とあるので、文科省職員が公益通報者保護法の保護対象者であることは確実だ。

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4.公務員が公益通報者の場合
国家公務員法82条1項によると、「職員が、次の各号のいずれかに該当する場合においては、これに対し懲戒処分として、免職、停職、減給又は戒告の処分をすることができる」とし、
一.この法律若しくは国家公務員倫理法又はこれらの法律に基づく命令(国家公務員倫理法第五条第三項の規定に基づく訓令及び同条第四項の規定に基づく規則を含む。)に違反した場合
二.職務上の義務に違反し、又は職務を怠った場合
三.国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合
としているが、第1号のカッコの中の「訓令」は調べてみたが、外部から確認はできないようだ。
「訓令」にどう書かれているかは気にはなるが、しかし、どう書かれていても、1で紹介した有識者の見解に強い正当性があるので、守秘義務違反ではないとする見解が訓令に勝ると想像できる。

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5.退職(退官)後も守秘義務はあるか?
一般に、企業においては、入社時に誓約書等により、退職後も一定期間、守秘義務がある旨の書式に署名させられる。まあ、ある意味当然のことだ。特に同業他社への転職における「競業避止に関する合意」が原則、厳しく守ることを求められる。それでも同業他社に転職する人は普通にたくさんいるのが現実だが。
国家公務員においても、当然同様の書面は交わしているはずだ。その文面が「全て」を機密事項としているか、「重要な機密」は「退職後20年間は口外してはならない」(例)としているかは別だが。
よって「守秘義務が勝つ場合」は、その根拠として「退任後の告発もダメ」が生きるが、そもそもその可能性は低そうだ。

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6.以上からの結論
こうした点を鑑みた場合、元々、官房長官は「怪文書」と呼び、省内にはない、としていた「程度」のモノである点、先の有識者らの、「法令で定められた秘密とは言い難いし、外交上の機微のやりとりを漏らすことなどとはレベルも違う」点、守秘義務違反で罪に問われるのは、「秘密を流出させた方法が著しく社会常識から逸脱しているなど、極めて例外的な場合に限られる」点、「形式的に守秘義務違反に当たる場合でも、公益のための内部告発など目的に正当性があれば、違法に当たらない」点等から、義家氏の「国家公務員法の守秘義務違反に問われる可能性がある」発言は勇み足、独断的見解の範囲にあるものと言えるだろう。
以上です。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170615-00000101-mai-soci

2017年6月16日 (金)

赤川次郎さんの朝日新聞投書全文

赤川次郎さんの投書文~
「共謀罪」再び日本孤立の道か(朝日新聞2017.6.15)

「日本にも多くのファンを持つウィーン・フィルハーモニー
管弦楽団だが、ナチスの時代、ユダヤ系の楽団員を追放し、
中には強制収容所で殺された団員もいた。
この「負の歴史」が、今年広く展示され、戦後生まれの
さらに後の世代の団員たちが、同じ過ちを繰り返さないために
過去と向き合おうとしている。

ところが、日本では、すでに歴史となった過去の侵略や
虐殺すら否定しようとする人々がいる。
軍国主義の精神そのものだった「教育勅語」さえ評価するとは、
もはや海外との歴史認識の差のレベルではない。

その人々が今手にしようとしている最悪の武器が、
戦前の治安維持法に重なる「共謀罪」法である。
これがなければ五輪が開けない?
ならば五輪を中止すればよい。
たったひと月ほどの「運動会」のために、国の行方を危うくする
法律を作るとは愚かの極みだ。
五輪は終わっても法律は残るのだ。

法案に賛成の議員は、自分が後の世代に災いを
もたらそうとしていることを自覚しているのか。
目先の目的のため憲法を投げ捨てて恥じない安倍政治は、
日本を再び世界から孤立させることだろう。
安倍さん、あなたが「改憲」を口にするのは100年早い」

斎藤美奈子さんのコラム東京新聞

斎藤美奈子さん 「副大臣の暴言」
 (東京新聞2017.6.14コラムより)

「共謀罪法案と加計学園問題の行方が気になって
仕事が手につかない。
そこに飛び込んできたこんなニュース。
「内部告発者の処分の可能性」。
おっと、それって共謀罪の話? ではなくて、発言の主は
義家弘介文部科学副大臣。文科省の文書再調査について、
「今回告発した人は公益通報者にあたると思うが、
 権利を守る意識はあるか?」と質問した
森ゆうこ議員に「国家公務員法(違反)になる可能性がある」
と彼は答えたのだった。

義家副大臣の答弁は迷走している。
同じ文書について、
先週は「私が確認していない文書は行政文書ではない」と発言。

「職員の皆さんはマスコミではなく、私のところに届けてください」
とも述べていた。

学校の問題に置き換えてみよう。
ある学校でイジメ疑惑が発覚した。
教師は当初「私が確認していないイジメはイジメではない」
と突っぱねたが、形勢が悪くなったら
「生徒諸君は家族ではなく、私のところに届けて
 いただきたい」。

それでは届けようと立ち上がったとたん
「イジメを告発した生徒は処分になる可能性があるからな」。

報復をちらつかせつつ、「告発したきゃ、してみろ」と促す。
完全な脅しである。
文科省の恐怖政治を見て他の省庁も縮み上がったことだろう。
これでは調査などはできない。
こうやって全てが握りつぶされてきたのである」

ららら

ナヴォイ劇場~日本人捕虜が建設~「アンビリバボー」より

4月20日放送の「アンビリバボー」(フジTV)で取り上げた2つの話題はとても良かった。
1つは、33年前、福岡市が桧原地区都市部と郊外を結ぶ交通網の整備を急ぎ、市内の多くで道路幅の拡張工事が開始され桧原も4メートルの道幅を倍にする計画だったが、片側は池だったため、その反対側の桜を切らざるをえなかった。
その9本の桜の木は『桧原桜(ひばるさくら)』と呼ばれ、地元の人たちからも深く愛されていた。
当時銀行マンだった人が「せめてあと20日間だけ工事をとめ、最後の開花を許して欲しい」という主旨の和歌をさくらにくくり付けた。
それをジョギングしていた九電社長が見たことをきっかけに市民にそして市長に情報が届く。最終的には市長の判断で池側を埋め、さくらを伐採しないことになった、という「一人の和歌がさくらを守った」という心温まるもの。

もう1つの話題が本題。

概要は、終戦直後、ソ連の捕虜となって今のウズベキスタンの首都タシケントの捕虜施設に収監された457人の日本人が貧しい食事の中、2年後に劇場を造るよう命じられ、現地人たちと作業。2名は事故死したが、ナヴォイ劇場は見事に完成し、455人も無事帰国した。
現地人たちとは結果、心の交流ができ、50年後の1998年には建設に携わった者数名が訪問し、その劇場でオペラを観た、というものだった。
建設20年後に現地を襲った大地震にも劇場の被害は無かったという。

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詳細は以下。
ソ連は1917年11月7日の革命30周年にあたる1947年11月までにその劇場を建設することを決定して建築を進めていたが、第二次世界大戦により工事が止まっていた。
戦後、日本人捕虜を活用して革命30周年に間に合わせることを命題とし、建築に適した工兵457人の日本兵が強制的に派遣された。

劇場建設での日本人の働きぶりを見ているうちにソ連の収容所長やウズベク人たちは次第に日本人捕虜に敬意を表すようになり、現地の子供たちは日本人に食べ物を差し入れるなどの心の交流も生まれた。
そしてとうとう、中央アジアの中心地ウズベキスタンの首都タシケント市に総床面積1万5000平方メートル、客席1400席を有する煉瓦作り3階建てのビザンチン風建築のオペラハウス、正式名称「アリシェル・ナヴォイ劇場」が完成したのだった。
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/170420_2.html

2017年6月15日 (木)

テロ等準備罪のウソについて

テロ等準備罪法案(組織犯罪処罰法改正案)における
 「ウソ」について

この法案ではテロを防止することは100%不可能。
法務大臣もまともに説明できないような形式的な「ザル法」を
作らなくても既存の刑法等でも対応可能だし、
もし本気で監視を強化したいなら、
通信傍受法(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律)を
強化せざるを得ないのに、それには触れず、
このアホ法案を通すことしか考えていない。

東京五輪に備えてというが、
「この法案では100%テロは防止できない」。また、
「パレルモ条約(国連組織犯罪防止条約「TOC」=国際的な
 組織犯罪の防止に関する国際連合条約)に加盟するために
 必要な法案」という説明もウソ。

この条約はそもそもテロ対策とか防止とかは目的としていない。
また、こんな法案なくても、既に事務レベルで条約への
加盟批准直前まで来ていたのだから。

田原総一朗さんが言う次の点こそ核心を突いている
のだろう。

 「安倍さんは尊敬する祖父 岸信介ができなかった2つを
  やりたいだけ。
  1つは警察官職務執行法の改正強化。
  それが今回の法案のこと。
  もう1つが憲法改正」。

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冗談ではなく、安倍内閣は日本を潰(つぶ)そうとしている
と思う。

敢えて言う。
「テロ等準備罪」(共謀罪)を強引に採決するような安倍内閣を
 支持する日本人で本当にバカだと思う。
 内閣は永遠じゃありませんよ。
 あなたが支持する総理が、その椅子から去るのは
 時間の問題ですよ」


法案に反対する山本幸夫弁護士は、LINEの
「既読スルーに注意!」と指摘している。
「金田法務大臣は、共謀(計画)の手段は問わない、
 SNSもありうると言っていますので、
 フェイスブックの「いいね!」やLINEでは
 「既読スルー」、ツイッターも含めて手段を選びません。
 「いいね!」は積極的に同意していますが、
 問題は「既読スルー」の方だと思います。
 見たけれど何も異論を唱えなかった、これがまさに
 「黙示の共謀」です。「既読だけでそのままスルー
 したら「黙示の共謀」が成立すると判断されます」

役人の特質とは、自己保身のために記録を残すということ~よって文書は100%ある

役人の特質とは「記録を残すこと」

役人の特質を一言で言えば、
「後で責任を問われないよう、その時々の記録文書を残す」
ということだ。
よって加計学園の件で、文科省が「文書は無い」というのは
100%あり得ない。
もしそうなら、それは「役人にとっての死」を意味するからだ。


森裕子参議院議員(自由党)による藤原豊審議官(内閣府)への
追及が良かった。

「あなた一人が責任を負わせられますよ。いいんですか?
 安倍内閣は永遠じゃありませんよ。
 あなたはこれからも国家公務員として国民のために
 仕事をしていくんですよね?
 いいんですか? そんな(ウソの)答弁をしていて?」

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後日、ある、と言い出しましたね。
文書なんて、そんなものは無い、って言ってましたよね?
官房長官も含めて。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170615-00000063-mai-pol

2017年6月14日 (水)

中嶋朋子が誘う「音楽劇紀行」第三夜

初拝聴サラ・オレインさんと森谷真理さん~HAKUJU

<中嶋朋子が誘う「音楽劇紀行」第三夜>をHAKUJUで聴いた。
演出家の田尾下 哲さんが総合プロデュースし、
女優の中嶋朋子さんが「案内人」を務める全6回シリーズで、
統一副題が「バロック・オペラからミュージカルへ
 ~音楽劇の歴史を追う~」とする、
その3回目がこの日の公演で「ロマン派オペラⅠ
 ~イタリア・オペラ」という内容。

もっとも私は前2回を見ていなので、今回が初拝聴。

中嶋朋子さんによる一人芝居(独白)の形式により進行し、
その流れの中で歌手が歌うというスタイル。

キャストと演奏曲は以下のとおり。
曲目の( )は歌った歌手名。

田尾下哲(総合プロデューサー)、中嶋朋子(案内人)、

加藤昌則(ピアノ演奏&音楽監督)、長屋晃一(台本)

森谷真理(ソプラノ)、与那城敬(バリトン)、

鈴木准(テノール) 、サラ・オレイン(アーティスト)

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第1部

1.ドニゼッティ「愛の妙薬」より「人知れぬ涙」(鈴木さん)

2.ロッシーニ「セミラーミデ」より「麗しい光が」(森谷さん)
 (この1~2がロマン派オペラⅠ~イタリア・オペラ)

3.ヘンデル「タメルラーノ」(バロック・オペラ) より
   「力強く嬉々として死を臨みたい」(鈴木さん)

4.モーツァルト「フィガロの結婚」(古典オペラ)より
  (1)「何たることだ!直ちに行って」(森谷&鈴木&与那城)
  (2)「あなたはもう訴訟に勝っただと!」(与那城さん)

5.ビゼー「真珠採り」(ロマン派オペラⅡ)より
   「聖なる神殿の奥深く」(鈴木さん&与那城さん)

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第2部
6.レオンカヴァッロ「道化師」より「こんな時間に」
   (森谷さん&与那城さん)

7.プッチーニ「ラ・ボエーム」より
   「ミミ! ここならあなたに会えると思って」
   (森谷さん&与那城さん)
  (この6~7がロマン派オペラⅠ~イタリア・オペラ)

8.レハール「微笑みの国」(オペレッタ)より
   「君はわが心のすべて」(鈴木さん)

9.ロイド=ウェバー「オペラ座の怪人」より
   「スィング・オブ・ミー」(オレインさん)

10.バーンスタイン「ウェストサイド物語」より
   「ひとつの心」(オレインさん&与那城さん)
   (この9~10がミュージカル)

11.ヴェルディ「リゴレット」より
   「そうだ、復讐だ!恐ろしい復讐だ」
    (森谷さん&与那城さん)

12.ヴェルディ「ナブッコ」より
   「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」
   (森谷&与那城&鈴木&オレイン)

追加寸劇(下記のとおり)

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加藤さんがゆったりテンポで「行け、わが想いよ~」をBGM調に
弾く中、中嶋朋子さんのユーモアを交えながらの独白は
特別面白いというわけでもなく、字幕は無いし、
確固たるテーマの割には(前2回は知らないが少なくとも今回は)
選曲の統一感(コンセプト)においても、いささか散漫な気がした。

それらを補って余りあるのが歌手の歌声。
特に与那城さんが絶好調だったし、この日、
生では初めて聴いた森谷さんは、たぶんしっとりとした歌も
コロラトゥーラの曲も、どんな曲想も歌える人に感じた。
声質が細すぎず、ドラマティックな場面でも繊細な場面でも
良い意味で器用に歌われた。
今売れっ子だけのことはある優秀なソプラノだと思う。

鈴木さんは第1曲のネモリーノのアリアから以前にも増して
ヴィブラートが多い歌唱で少し驚いた。
その分、エスプレッシーヴォは利いているが、
ストレートで澄んだ声で歌われることの多いこのアリア
なのと、鈴木さん自身が正にピュアな声の持ち主のはず
なので、余計に驚いた。

そして、Eテレ「おとなの基礎英語」やNKKドラマ10
「お母さん、娘をやめていいですか?」の主題歌
 「Little Doll」でも話題となった才女サラ・オレインさんは
2つのミュージカルをとても端正に美しく歌って
十分素敵だった。

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このように、歌には満足しながらも、正直、構成や進行、
選曲の統一感に疑問を感じて、このまま終わるのだろうな、
と思ったら、最後にある種の「ドンデン返し」が待っていた。

11の「行け、わが想いよ~」が中嶋さんの朗読主体で、
4人の歌手はテーマをハミングするだけで「おかしいな?」と
思っていたら、本当の最後として、寸劇が加えられたのだ。

プログラムをよく読むと、「過去2回とも最後は
加藤昌則さん作曲による寸劇が上演され」とヒントは
書いてあったのだが、正に「新作」が披露された。

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台本=長屋晃一、作曲=加藤昌則の~「愛の「妙」薬」。
4人の歌手が、ステージだけでなく、左右両通路も使っての
日本語による喜劇調の寸劇。
森谷さんと与那城さんのカップル、鈴木さんとオレインさんの
カップルが、「妙薬」でチワゲンカ状態になるが、
結局は元のサヤに収まる、という、たわいもないものだが、
音楽も含めてユーモラスで、これがこの夜、一番「受けた」
と言ってよいほどの傑作終演となったのだった。
とても面白いコンサートだった。4回以降も期待したい。
http://www.hakujuhall.jp/syusai/97.html

2017年6月13日 (火)

岩城宏之さんの命日に寄せて

6月13日は故・岩城宏之さんの命日なので、私が活動するオケと
岩城さんの指導を中心に思い出(ご参考)として、
以下少し長くなりますが、書かせていただきます。

岩城さんは学習院中等科、高等科から東京芸大に進んだ
ということもあり、「俺はアマチュアは嫌いだ」とボヤきながらも、
私が団員である学習院OB管弦楽団(以下「OBオケ」)を
4年に一度位のペースで振りに来てくれました。

これは当時、「おい、岩城、そろそろ振りに来いよ」と言える
大先輩がまだ在籍されていたことも大きかったかもしれません。
亡くなった2006年も、その年の7月には第九を指揮していただく
ことになっていた矢先での急逝でした。
5月のリハには車イスで来場されたので、内心
「当日、(体調的に)ちゃんと指揮できるのだろうか?」と
心配になりましたが、まさか亡くなるとは思いませんでした。

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1.「精神的師匠、財産というべき存在」としての岩城さん
岩城さんから教わったことは音楽面はむろんですが、むしろ
もっと大きな根本的なことをたくさん教えていただいたと
思っています。
主な事例を3つ挙げると、

①1985年位だったか、練習中、ホルンの1人が遅れて来て、
申し訳なさそうに静かに着席すればよかっただろうに、
堂々と悪びれることなくドカンと座ったため、
岩城さんは烈火の如く怒り、「帰れ!」とその奏者を帰らせて
しまいました。そしてこう言いました。

「皆さんは確かに普段練習する時間は少ないかもしれない。
 だからと言っていい加減に考えるな。
 アマチュアこそ、命がけで音楽をやれ!」

当時、私はまだ20代と若かったので、「ふ~ん」という感じで
よく理解できなかったのですが、この
「アマチュアこそ命がけで音楽をやれ」は、
今ではよく理解できます。

②また、モーツァルトの「ハフナー」交響曲の練習中、
弦のデキの悪さに唖然とされ、
「普段からそんなモーツァルトで遊んでいるのか?
 弦は全員帰れ!」。
そのときはやがて怒りは収まり、弦メンバーは帰ることなく
練習は継続されましたが。

③運営に関して最も衝撃的だったのは「ボレロ」をやったとき
のことです。本番を1週間前に控えた練習時、
その日に限って、フルートの1番奏者とトロンボーンの1番奏者が
うまく吹けなかったので、岩城さんはそれぞれにおいて
「2番の君、吹いてみて」と言い、結果、誰が聴いても
2番奏者のほうが上手く吹いた(吹いてしまった)ので、
岩城さんは「入れ替わって」と指示(というか命令)を出しました。

なんと「本番の一週間前に、1番と2番を入れ替えた」のです!。

プロはむろん、アマオケだって通常あり得ない事です。
こんなことは客演指揮者はむろん、常任指揮者でも
なかなかできないことですが、そこは岩城さんとOGオケだから
あり得た、例外的に許された特別な絆の象徴的出来事
だったように想えます。

こうした3例から言えることは「厳しさ」ということです。
アマオケだろうと、演奏して、お客様に聴いていただく以上、
「妥協」や「甘え」は許さないとする姿勢。
それを言葉ではなく、現実の姿として教えられた思いが
しました。

「アマチュアこそ命がけで音楽をやれ!」。
これは故・堤俊作さんの信念でもあった
「音楽に、プロもアマもない」に共通する1つの真実
でもあるのでしょう。

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2.「現代曲に取り組む重要性を問うた岩城さん」
岩城さんが「初演魔」と呼ばれていたことを知る人は多い
でしょう。N響を中心に現代作曲家の作品の多くを初演
しました。 OBオケのリハのときも、
「僕はね、現代に生きているのに、同時代に作曲された作品を
 演奏しないなんてことは、許せないんだ」
と明言されていましたし、実際OBオケにおいても、

武満徹さんの「鳥は星型の庭に降りる」、
黛敏郎さんの「BUGAKU(舞楽)」、
外山雄三さんの「ディベルティメント」、
バーンスタインの「キャンディード序曲」等を演奏しました。

黛さんは演奏会当日に来場してくださいました。
武満さんにも来ていただく旨、岩城さんから連絡して
いただいたところ、あいにくパリでの仕事と重なっており、
来場はかないませんでした。もし来場されたら、
オケのデキに激怒されたかもしれませんが、
「それでもいいから来場していただきたかった」、と
今でも残念に思います。

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残念といえば私が好きな「ファミリー・トゥリー(系図)」を
やりたい、と岩城さんにお願いすると、
まんざらでもない顔になり、やろうということになりました。
実は岩城さんも「系図」が大好きで、音楽監督をしていた
「オーケストラアンサンブル金沢」でも演奏できるよう
室内オケ用に自ら編曲されるほどだった、ということは
後日知りました。

しかし、最初の練習で事件が起きました。
当時はまだショット社からスコアが出ていなかったこともあり、
私もオーケストレーションの詳細を知らずに、岩城さんに直訴
したのでしたが、あの美しい曲は、なんと、
弦のハーモニクス(フラジオレットという奏法)がたくさんあった
のです。
武満の曲にはハーモニクスが多用されていることは
詳しい人ならご存知だと思いますが、
「系図」はとりわけふんだんに使用されているので、
少なくとも当時のOBオケでは「困った状態」に陥り、
結果、また「いつかやろう」となったのですが、
実現できないうちに逝去されたのは本当に残念でした。

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3.「春の祭典」
ストラビンスキーの「春の祭典」はもはや古典であり、現代音楽とは
言えないと思いますが、OBオケにとっては
「本当にできるんですか?」と、団員誰しもが危惧する難曲
でしたが、「岩城さんがせっかく、やろう、とおっしゃってくれた
のだから」と2000年の夏の演奏会で演奏しました。

夏の定演の練習は、通常は2月(最近は3月)から開始しますが、
さすがに「ハルサイ」のときは1月から開始。
本番ではあれほど「途中で止まってしまうかもしれない恐怖感」を
感じたことはありませんでしたが、
岩城さんへの集中と信頼の一念で無事終了しました。

これには後日談があり、本番近くに、
香淳皇后(昭和天皇の皇后)が逝去されたため、
皇太子殿下が喪に服すため本番に出られなくなったのですが、
殿下も初めて演奏する「春の祭典」をとても楽しみにされていた
ことを皆知っていたので、
「殿下のために、なるべく早期にもう一度演奏しようか」
とする意見も出ましたが、その際も、
「でも岩城さんじゃないと(他の指揮者じゃ)
 恐くてできないよね」という意見が圧倒的で、
いかに「岩城さんなら現代曲も大丈夫」という心理、信頼が、
アマチュアである我々団員にも既に確固たる思いとして
存在していたことを改めて感じた次第でした。

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4.終わりに
岩城さんからは、「現代作品をなるべくたくさんやりなさい」
という遺言?をOBオケは引き継いでいます。
最近はやや遠ざかってはいますが、先日もコンマスと
「また、やらなきゃね」と会話したばかりで、
皆の脳裏に焼きついているのです。そして何よりも、
「人前で演奏する以上、アマチュアだからと甘えるな!」
というこの教えこそ、岩城さんから、私が、OBオケが、
学んだ最大の教え、遺言、宝物だと思っています。
未だ未だ書き足りないことはあるように感じますが、
今回はここまでとさせていただきます。

長文をお読みいただき、ありがとうございました。
深く感謝します。

https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0016010119_00000

2017年6月 8日 (木)

映画 八重子のハミング

山口県萩市を舞台に、教師夫妻の夫が転移するガンと闘病
する中、妻に若年性アルツハイマーが襲う。
しだいに深刻化する様のリアリティーは観客を苦しめるほどだ。

極力音楽を使わない中、美しい萩周辺の生活の中で、
介護する夫と介護を受ける妻には、長女夫婦と孫(小学校での
授業参観における作文朗読シーンは泣かせるシーンだ)、
かつての教え子たち、あるいは旅行先の旅館の女将などの
優しさが寄せられる。

悪化してからのアルツハイマーを知ってもらうための講演には
妻を同行させたという逸話は衝撃で、「見世物」と悪口を
言われようと敢えてそうしたとするシーンは劇中、
最も印象的なシーンでもある。
葬儀にはたくさんの参列者がならび、女先生のかつての人気と
信頼、介護してきた夫=男先生への慰労の表れでもある。

アルツハイマーが進行してくという難しい役を素晴らしく
演じたのは、高橋洋子さん。
私より少しお姉さんの世代だが、デビューしたころの
ロングヘアの知的美人のころからもちろん知っているが、
あの高橋洋子さんとは全く想像も連想もできないほど
別人なほどに、正気を失っていく病魔に苦しんでいく姿を
演じていて見事。
これぞ俳優の、女優の、プロフェッショナルな演技だ。

量的には少ないながら、
音楽を担当した穴見めぐみさんの音楽は控え目で美しく、
特に長男夫婦が台所でビールを交わすシーンで流れる
ヴァイオリン(とピアノ)の曲は繊細で非常に美しかった。

佐々部 清監督によるこの作品は、アルツハイマーの
恐ろしさと、夫婦愛、家族案、友人、近隣、教え子などの
思いを、温かな雰囲気で誠実に演じた俳優陣の演技に
支えられた良質な映画だと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=Y8I_Epx8t3Q

2017年6月 7日 (水)

映画 聲の形

昨年は「シン・ゴジラ」だけでなく、「君の名は」、
「この世界の片隅に」など、良質なアニメのヒット年でも
あったが、この「聲の形」も名作だ。

劇場で観れなかったが最近レンタルDVD化されたので
さっそく観た。

小学6年生のクラスに、聾唖=先天性の聴覚障害を持つ少女
西宮硝子が転校してくる。
最初は好意的に接していたクラスメートたちだったが、
しだいに彼女に対するイジメがエスカレートしていく。

会話帳でもあるノートにイタズラ書きされたり、
「5ヶ月間に補聴器が8個紛失または故障」されたり。

イジメを強くクラス内に詰問したこともあった担任は、
ある日クラスに静かに告げる。
 「西宮さんは転校しました」

イジメの主役だった男子 石田は、張本人として
周囲から逆に避けられ、イジメは彼に向かう。

そしてその少年少女達は高校生になる。
高校生になった石田少年は悔恨の情から手話を習う中で、
西宮硝子と再会することからドラマが動く。

2人を中心に、かつてのクラスメートたちや、
石田が高校でできた友人 永束(彼の存在が面白い)
たちや、硝子の妹らとの間に生じる友情や葛藤等が
繊細なタッチで描かれ、石田と硝子の間には、
しだいに強い信頼関係が生まれていく
 (恋と言ってもよいけれど)。
深刻な内容だが、最後は救われる思いがする。

障害者への偏見や差別侮蔑意識、学校におけるイジメ、
弱者へのイジメ、理不尽な状況にある人への偏見や
侮蔑感情やイジメ等々、いろいろなことに
思い巡らされるし、何より観て以来、しばらくの間、
西宮硝子のことを考えるようになるほどインパクトは強い。
ぜひ一度ご覧になることをお薦めしたい作品。
https://www.youtube.com/watch?v=Klp3kzCM-OA

2017年6月 4日 (日)

コーア・リヒト 第2回演奏会

混声合唱団の「コーア・リヒト」の第2回演奏会を4日午後、
浜離宮朝日ホールで聴いた。プログラムによると、
安藤常光さん指導の下、「幸せや希望を聴衆の皆さんと共有
できるよう表現力豊かな演奏を目指す」というコンセプトで、
2014年3月に設立され、今回は2015年9月の第1回演奏会
に次ぐもの。安藤氏の言葉を加えると
「歌う人も聴く人もみんなが幸せになれる合唱団」を
掲げての結成とのこと。

ソプラノ=11名、アルト=10名、テノール=7名、
バス=6名、とバランスも良い。

指揮はもちろんバリトン歌手でもある安藤常光さん。
最近、TVのカラオケ勝ち抜き番組にも出ていたし、
以前は東京コーラスも指導、オペラの演出、教育、
マルチで活躍されている。

曲は以下のとおり

1.武満徹 混声合唱のための「うたⅠ、Ⅱ」より
 (1)○と△の歌 (2)島へ (3)小さな空

2.ブルックナー モテット集より
 (1)Locus iste (2)Os iusti

3.廣瀬量平「海鳥の詩」(詩=更科源蔵) ピアノ=片野敦子
 (1)オロロン鳥 (2)エトピリカ (3)海鵜 (4)北の海鳥

(休憩)

4.バッハ モテット第1番「歌え、主に向かって新しい歌を」BWV225
   オルガン=片野敦子 チェロ=福原明音

5.高田三郎 水のいのち (詩=高野喜久雄) ピアノ=野間春美
 (1)雨 (2)水たまり (3)川 (4)海 (5)海よ

・・・・・・・・・・・・・・・

このように、実にヴァラエティに富んだ、というか、
曲想がまるで違う曲がならぶので、聴く側は面白いが、
歌う側としてはきっと大変だったに違いない。

1曲目の出だしから、総和としての響きが清々しく美しい。
1人1人の基礎力が高いことは容易に想像がつく。
ユニークだったのは、1の武満の3曲と、2のブルックナーの
2曲を交互に歌ったことだ。

すなわち最初は「○と△の歌」、次いで「Locus iste」、
その次は「島へ」というように。
それぞれ別に歌っても良いとは思ったが、面白い試みだった。
この2曲は無伴奏。

武満で感じたことは、非常に真面目で真摯な合唱だし、
美しい響きなのだが、指揮者が拍を明瞭に振るその分、
やや楷書的となり、流動感はあまり感じなかったこと。
もう少し草書的な流れがあっても良かったとは思う。

でも、たぶん、それは安藤氏の狙いというか、
まだできて間もない合唱団ということもあり、
キチンと合唱する根本姿勢をつくっている段階ゆえ
かもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブルックナーのモテットは響きが美しいし、
和として聴こえて来る言葉も明瞭ながら、
ラテン語の個々の単語としての意味合いというか
1つの単語が「立って浮かび上がる」点がやや薄い感じが
した。この曲では旋律としての流れは丁寧だったが、
1つ1つの単語の粒立ちがもっとあれば、なお良かったと想う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
片野敦子さんのピアノ演奏とともに演奏された前半最後の
「海鳥の歌」はとても充実していた。
特に2曲目の「エトピリカ」は①流れ、②子音の明瞭さ、
③音量の増減(強弱)のいずれも素晴らしかったし、
「海鵜」も良く、「北の海鳥」では自在で自由な伸び伸びと
した感情の発露があり見事で素晴らしかった。
これらの要素が1曲目の「オロロン鳥」にもあれば
更に良かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
休憩後のバッハでは、片野さんがオルガンを弾き、
チェロの福原明音さんのオブリガート演奏を加えての演奏。
この曲では1曲目の速いパッセージは見事に流れて行き、
かかる流動感は武満やブルックナーでは感じられなかった
もので、曲想が違うから、と言えばそうだが、
まるで別の合唱団のように変化したのが面白かった。

これも安藤さんの狙いに違いないし、成功していたと思う。
なお、この曲だけ、テノールがソプラノとアルトの間に移動
しての演奏。その狙いは理解できたし、効果的だったと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後は言わずと知れた名曲。
ピアノは野間春美さんに替わっての演奏。
1曲目の「雨」は弱音に徹した繊細な演奏。
有名な「川」は腰の座った演奏で全体のエネルギーは立派
だったが、欲を言えば、弱音で開始して欲しいフレーズが
あったり、柔軟なメリハリがやや足りない感じもしたが、
それも恐らく安藤さんの今回考えに基づくものなのだろうと
想像する。

同じ傾向は終曲でこれまた有名な「海よ」にも感じた。
「海よ」では様々な場面設定が為され、それが展開していく
面白さと難しさがあるのだが、全体の歌い込みは立派ながら、
細やかな音量変化は敢えて今回は注力していないように
想えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このように「水のいのち」全体しての熱い歌い込みは見事
ながら、ディティールの歌い分けに馴染んでいる人には、
やや単一の色合いに想えたかもしれない、
そういう演奏だった。
それは、たぶん、終始、「キュー」を明確に出し、
情熱的に大きな動作で指揮する安藤さんのコンセプト
によるものだろうし、そういう意味では指揮者の求めに
十分答えられた演奏、合唱だったと言えるだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アンコールでは木下牧子さんの「夢みたものは」が
終始弱音で繊細に歌われ、
最後は同じ作曲家の「鷗(かもめ)」が颯爽と歌われ
素晴らしかった。
この「鷗」はプログラムによると、普段の練習の中でも
注力する特別な歌となっているようで、
いわば「オハコ」、団としての愛唱歌的存在として
今後も歌い繋いでいく曲のようだ。

この「鷗」を歌っている様子から、
団員は皆この合唱団が好きで楽しくてしょうがなんだろうなあ、
ということがよく伝わってきた。
コンセプトである「幸せや希望を聴衆の皆さんと共有できる、
歌う人も聴く人もみんなが幸せになれる」ことが
最も象徴的に表れていたのがこの「鷗」だったかもしれない。

なお、今回、合唱団が暗譜で歌ったのは武満と
「水のいのち」とアンコール2曲。
今後の活動も楽しみにしたい。
http://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/event/20170604.pdf

2017年6月 3日 (土)

取手市の当時中学3年女子生徒の自殺について

取手市の当時中学3年女子生徒の自殺。
 「将来はピアニストになりたい」

2015年11月に、茨城県取手市の藤代南中学校の
当時3年の女子生徒が自殺したことについて、
取手市教育委員会は当時、
 「いじめによる重大事態には該当しない」としていたが、
5月30日にこれを撤回し遺族に謝罪した。

自殺した中島菜保子さんは「将来はピアニストになりたい」
と夢を語っていたという。

2年後に謝ってどうする。

学校というのは、
「まずは、いじめを否定する、認めないという組織」
のようですね。
しかも、両親が文部科学省に調査を願い出たことを受けて、
取手市の教育委員会がイジメを認めるという有り様。

両親が諦めて黙り込んでいたら、そのままだった
ということだ。

菜保子さんは、ご両親にはいつも明るく接し、
イジメられていることは言わなかったという。

電通での宮崎あかりさんといい、真面目な人ほど
自分で全てを抱え込み、周辺に相談しないうちに
自殺を決断し実行してしまうことが悲しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても、イジメ自殺でいつも思うのは、
イジメた生徒たちは今どう思って生活しているのだろう?
ということ。 何の罪悪感も無く、ヘラヘラして
愉快に暮らししているのだろうな、と想像してしまう。
http://www.news24.jp/articles/2017/05/31/07362974.html

2017年6月 2日 (金)

格差社会映す豪華列車~東京新聞投書

「格差社会映す豪華列車」~最近とても共感した新聞投書
~東京新聞5月17日~80歳男性の投稿

「独り者の息子と、われわれ80歳の夫婦は週末に
 ドライブを楽しんでいます。
 ほぼ関東周辺の日帰りですが、一泊することもあります。
 親子とも、ささやかながら「鉄ちゃん」なので、
 ローカル私鉄やSLの乗車見学も、お楽しみのメインに
 なっています。

 その鉄ちゃんとして、近年続々登場する豪華列車には、
 いささか反発を禁じ得ません。
 もちろん新しい列車の登場は楽しいのですが、
 度を越して贅を尽くした造りになっていて、
 とても庶民には手の届かぬ料金だからです。
 
 果たして、そんな列車を造る必要がどこにあるのでしょう。
 これはまさに格差社会をストレートに認め、豊かな人々を
 より楽しませるだけのサービスに他ならないのでは
 ないでしょうか。
 
 未だ復興半ばの東北をJR東日本の豪華寝台列車
 「トランスイート四季島」は走ります。
 豪華檜風呂にくつろぐ人々は、その時何を考えているので
 しょうか。その感覚の乖離が恐ろしいです。
 
 走らせる側は、地域を元気にしたいと希望を語ります。
 ならば、列車は常磐線を通って停車駅を増やし、
 各地の産品を豊かなお客に買っていただいたほうが、
 ずっと効果的だと思いますが、いかがでしょうか。

 檜風呂まで備えた超豪華列車が、あっと言う間に
 通り抜けただけで、東北が元気になるのであれば、
 そんな楽なことはありません。
 求められているのは、格差社会の申し子列車ではなく、
 安全とシンプルな機能美、サービス、
 庶民に反発されない料金です。
 ささやかな鉄ちゃんから、ひとこと言わせていただきました」

http://51848946.at.webry.info/201705/article_1.html

2017年5月31日 (水)

渡海千津子さん in 阿佐ヶ谷スタッカート

5月31日夜、ソプラノ歌手の渡海千津子(わたるみ ちづこ)さんが
夫で指揮者・ピアニストの斎藤育雄さんとサロンコンサートを
開催した。

阿佐ヶ谷駅近くの「阿佐ヶ谷スタッカート」というBarで、
ジャズなどのライブがよく開催されているというお店。
こじんまりとしているが、アットホームな雰囲気と
十分良く響く室内なので、とても気に入った。

渡海さんとは「銀座ビアプラ」で互いに客として来場していたときに
面識を得たが、歌声を聴かせていただいたのはこの日が初めて
なので、楽しみにしていた。

ソプラノといっても細い声質ではなく、
メゾを想わせる濃密な声で、とても魅力的だった。
愉快なトークも交えながら、申し分ないピアノ演奏に乗って、
以下の素敵な曲を披露してくださった。

前半
1.ジョルダーニ 「カーロ・ミオ・ベン」

2.フランケッティ「あれは5月」

3.レスピーギ 「私の赤ちゃんを見においで」

4.ガスタルドン 「禁じられた音楽」

5.讃美歌「アメイジング・グレイス」

6.黒人霊歌「Plenty Good Room」

7.ガーシュイン 「By Strauss」

(後半)

8.クイルター「Music,when soft voices die」

9.コープランド 「Pastorale」

10.コープランド 「私をなぜ天国から締め出すの?」

11.アイルランド民謡「ダニー・ボーイ」

12.クイルター「さあ、ゴールデンワインをグラスに満たして」

13.ヴェルディ 歌劇「アイーダ」より「勝ちて帰れ」

14.プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」

15.ナポリ民謡「オー・ソレ・ミオ」

16.ジョルダーノ 「私に四月が戻ってくる」

2017年5月27日 (土)

小林厚子さん 鳥木弥生さん 水野直子さん VANITAS~Venezia~近江楽堂

鳥木弥生さん(メゾソプラノ)、小林厚子さん(ソプラノ)、
水野直子さん(チェンバロ)によるトリオ・コンサートを聴いた。

タイトルのとおり、バロック期のイタリア楽曲を中心とした
格調高いコンサートだった。

鳥木さんの濃厚な声、ソプラノといってもトーンがメゾに近い
深みのある小林さんの声が、響きが良く気品あるサロン風会場
である近江楽堂に豊かに拡がる。
全体としては、しっとりとした歌が多かったが、
メゾという特性もあり、激しいパッションという曲想の
ストロッツィの「裏切り」やヴィヴァルディの
「稲妻が遅いのならば」を鳥木さんが歌われたのは
納得の選曲だし、
小林さんの端正で気品のある歌唱も素敵だった。

曲として面白かったのはヴィヴァルディのオペラ
「イッポリータ」より「西風がささやく」で、
「四季」の春や秋を想わせる曲想だったし、
舞台裏から小林さんがエコーとして声を届けるという点も
面白かった。

「四季」といえば、先述の「稲妻が遅いのならば」には、
「四季」の夏や冬に見られる激しい音の疾走が印象的
だった。

チェンバロは2台良いされ、主にはフレミッシュチェンバロ
(18世紀、複製)で演奏させたが、アンコール曲は
イタリアンチェンバロ(17世紀、複製・個人蔵)で
演奏された。

(演目)

1.クラウディオ・モンテヴェルディ(1567~1643)「走れ、民よ」
   歌=小林さん&鳥木さん

2.バルバラ・ストロッツィ(1619~1677)
  (1)私の涙よ (2)裏切り  歌=鳥木さん

3.フランチェスコ・ガスパリーニ(1688~1727)
  (1)愛おしき絆よ~あなたへの愛を捨てることは
  (2)美しく歌の上手な小鳥よ  歌=小林さん

4.チェンバロ独奏
  ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1727) イタリア協奏曲

(休憩)

5.ヴィヴァルディ オペラ「ジュスティーノ」より
  「喜びとともに会おう」 歌=小林さん

6.ヴィヴァルディ オペラ「イッポリータ」より
   「西風がささやく」 歌=鳥木さん

7.ヴィヴァルディ オペラ「ポントの女王アルシルダ」より
   「私はジャスミンの花」 歌=小林さん

8.ヴィヴァルディ オペラ「アルジッポ」より
   「稲妻が遅いのならば」 歌=鳥木さん

9.チェンバロ独奏
  ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲 作品4-6
   (編曲=水野直子)

アンコール
 モンテヴェルディ オペラ「ポッペアの戴冠」より
「Pur ti miro, pur ti godo」 歌=小林さん&鳥木さん

前川喜平 前文部科学省事務次官の内部告発は衝撃的

「あったものを無かったとは言えない」
前文部科学省事務次官 前川喜平氏

こんなに勇気のある官僚は初めて見た。
ただ、問題には逃げてばかりで、天下りで美味しい部分だけ
もっていくようなこれまでのズルイ官僚と比べると信じ難いくらい
潔い感じもする。

理由はともあれ、最近まで官僚トップにいた人が
 「政治家にはむかった」点が面白い。記憶にない。
正に「おとなしくしていれば」を敢えて選ばなかった点で、
従来にない「異質な官僚、非日本的日本人」という点が面白い。

「最も日本人的でない行為」に感心というか、驚いた次第。

これたぶん公務員の守秘義務違反かもしれない。
それを承知でやった点が面白い。

現に官房長官がまっとうな反論ではなく、個人攻撃したことが、
政治家の「動揺」をいみじくも露呈している。

今後、政治家は官僚に対して警戒感、不信感を潜在的に
抱くようになると思う。

そういう点で、今後の「政治家と官僚の関係に嫌み的皮肉的な
一石を投じた、ある種、事件」だと思う。
今後この「事件」は、政治家と役人の関係性において、
ボディブローのように深いところで微妙な影響を与えていくと
想像する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追伸その1
矛盾するようだが、私はこの人自身にはまったく関心ない。
何をしてきたか、今後どうなるかは失礼ながら知ったことでは
ない。
要するにこの「事件」が今後に与える影響にヤジ馬的関心を
持っているのであり、間違いなく微妙な、
いや大きな影響を与えていくと想像している。

追伸その2
読売新聞は政権与党の茶坊主メディアか?
文科省の前事務次官 前川喜平氏が会見を行う3日前に、
プライヴェートに関する件を掲載したという。
加計学園問題とは全く関係ないことをなぜ記事にするのか。
われわれ国民は、そのようなことなど知りたくも無い。

犯罪行為でないならば道徳的にどうとかは関係ない。
余計なお世話だ。他者がとやかく言うことではないし、
これは人権問題だ。

内閣からのリークという噂もある。さもありなんだが、
そうだとしたら、先日の安倍首相の
「私の考えは読売新聞に書かれていますから、
 それを読んでください」と併せて、
まるで「おかかえメディア」=「茶坊主メディア」だ。
ジャーナリストとして恥を知れ。

ジャーナリストとしての見識と客観性と矜持を、そして何よりも
プライドを、同社および同社の記者は、
果たして持っているのだろうか?大いに疑問だ。

これに関する追伸
後で知ったが、読売新聞の読者からも、
「なぜ関係ないプライヴェートな記事を載せる?」という
クレームが2000件ほど同社に行ったという。
解約する、との連絡も300ほどあったという。
まだまだ日本人は捨てたもんじゃない。

2017年5月17日 (水)

葉加瀬太郎氏のワーグナー嫌いについて

Qさま!!~5月15日出題者 葉加瀬太郎氏の
ワーグナー嫌いについて

曲を一番知っていたのは現役東京音大生の長瀬真悠さん
だったが、ビートルズで失速したのはやむを得ないとしても、
ワーグナーについて詳しく無かったのが致命的。
この2コーナーである程度回答できていたら、
優勝争いの一角に食い込んだだろうに。

葉加瀬さんの演奏で特に良かったのは「Yesterday」だな。

それにしても、葉加瀬さんのワーグナー嫌いは徹底している。
今回はヒトラーに利用されたという負の部分で取り上げたが、
以前、同様の番組で有名な音楽家を取り上げた際は、
一言も触れなかった(紹介枠にエントリーすらしなかった)。

取り上げないことよりも、今回の「嫌い」アピールと「負」の側面
だけを強調したことのほうが、他の作曲家については
功績を挙げたのと対照的でアンフェアな印象を残した。

せめて無限旋律とか後の世代への無調性的影響に触れて
欲しかったが、まあ要するに興味が無いのだろう。

このように、「のめり込む」(ほど好き)か、
毛嫌いするかの両極端になり易いのがワーグナー音楽の特徴
かもしれない。

それを言ったら、マーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィッチ
らもそうだと想うが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところで、昨今のTVのどの局も芸能人を回答者とした
(自分達が楽しむことを主体とした)クイズ番組一色で
閉口はするが、カズ・レーザーさんが博学なことに毎回驚く。
同志社大卒なので高学歴だが、それにしてもいろいろ
よく知っている。
今回は惜しくも2位だったが上位5人の他の4人は
東大卒(や院生)ばかりというのが象徴的だった。

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